158.狩猟の終わり(2/2)
「ふむ、とりあえず傷口は塞がっているね。皮がもう少し厚くなれば暴れまわっても問題はないだろうさ」
ザファル将軍との会話の後で、俺はルースの師匠であるフローレンスの診察を受けていた。老人とはいえ流石のベテラン。診察は早く正確で、適切な内服薬と軟膏をあっという間に調合していく。
診察が終わってすぐに、フローレンスは一通の封筒を俺に押し付けてから、妙に答えにくい質問を投げかけてきた。
「悪い報告が一つと良い報告が二つあるんだが、どっちから聞きたい?」
「……両方聞かないと駄目ですかね」
「当たり前だろう」
俺は少し考えて、悪い報告から聞かせてほしいと頼んだ。
「じゃあさっそくだが。お前さんの腕が魔物の腹から回収されたよ」
「それが悪い知らせということは、回復の見込みはないってことですね」
フローレンスは深々と頷いた。
驚きは特になかった。分かり切っていた結果の答え合わせが済んだだけだ。強いて言うなら、自分の肉体の何分の一かを失った喪失感が、今更のように湧き上がって来ただけで。
「あれを治せるなら腐った挽き肉を牛の脚に戻せるだろうね。それと良い知らせの方だが、失くした手足を取り戻す研究をしてるっていう輩への紹介状を書いておいたよ。とはいえ胡散臭い連中だから、世話になるかどうかは自分で決めな」
「紹介状って、この封筒ですか?」
これには流石に驚いた。ザファル将軍のときもそうだったが、他の人達は俺の狭い想像の範疇を超えた行動を次々に起こしている。俺が寝込んでいる間にも着々と、続々と。
「ルースがどうしてもって頼むもんだからね。繰り返すけど、私はその研究を信用しちゃいないよ。あくまで参考として教えるだけだ」
「分かりました、ありがとうございます」
失った右腕を補う手段を探すという選択肢自体は前から考えていた。けれど他の人がその手掛かりを贈ってくれるのは望外の幸運だ。
「もう一つの良い知らせだが、ルースには修行に出てもらうことになった。普通なら半年か一年は仕込んでから送り出すんだが、今回の件で充分な技量が備わってると分かったからね。ちなみに行き先はハイデン市だよ」
「……! それってつまり……」
「どこぞの診療所に務めるなり、冒険者ギルドの専属になるなり、冒険者の一員になってみるなり、好きなやり方で経験を積むように言ってある。気が向いたら顔を出しておやり」
俺の冒険の拠点にルースがやってくる。その理由も察せられないほど俺も鈍感じゃない。きっと不甲斐ない姿を見せたせいで要らない不安を感じさせてしまったのだろう。
それをフローレンスに伝えると、何故か信じられないものを見るような目で見られてしまった。
「まぁいいさ。これ以上は癒し手の管轄外だ。診察も処方も済んだんだから、さっさと部屋に戻りな」
「はい。ありがとうございました」
礼を言ってから処置室を出ようとしたところで、唐突にフローレンスが大きな独り言のように何事かを喋り始めた。
「やれやれ。あの子から聞いてたとおり、何でもかんでも一人でしょい込もうとする坊主だね。ありゃたまに足元を見ないと手酷くすっ転ぶ手合いだ。あの子も大変な輩と関わったもんだ」
そしてわざとらしく俺の方を睨み、手短な言葉で追い払いにかかる。
「さっさとベッドに戻りな。それと腕の件はきちんと伝えとくんだよ」
「……分かってます」
フローレンスの言葉を頭の中で反復しながら部屋に戻る。あれは明らかに、俺に聞かせるための独り言だった。一体どんな意図の忠告だったのだろうか。
病室では、レオナとエステル、そしてクリスの三人が俺の帰りを待っていた。
部屋は充分明るいのに空気は重く、三人とも会話を交わしていた様子がない。より正確に言うと、レオナとクリスが酷く沈み込んでいて、エステルは空気に取り込まれてしまっているようだ。
「あっ! おかえりなさい! 具合はどうでした!?」
俺が戻って来たことに気付いたエステルが、雰囲気を変えようとするかのようにオーバーな態度で声を上げた。
本当に申し訳ないのだが、空気を明るくできる結果は持ち帰っていない。右腕の治療の見込みについて正直に伝えると、ただでさえ落ち込んでいた雰囲気が更に酷くなってしまった。
エステルがこっそり近付いてきて、現状の大変さを耳打ちして訴える。
「二人ともカイさんの怪我に責任感じてるみたいなんです。話しかけても上の空で、私にはどうしようもなくって……」
「やっぱりか……」
担ぎ込まれてすぐの頃は、二人ともこんな風に覇気を失った状態ではなかった。むしろ消耗した俺を励ましたりしてくれてたくらいだ。けれどそれも、今思えばただの空元気だったのだろう。
時間が経つにつれて虚勢が薄れ、様々な悪感情が沸き上がってきて、振る舞いからも余裕がなくなっていく――確かに気持ちは分かる。レオナやクリスが俺のために四肢のどれかを失ったらと考えると、この程度で収まるかどうかも怪しい。
だけど、ずっとこんな弱り切った状態でいられるのは、正直困る。どうにかして元気を取り戻してもらいたいところだ。
「なぁ、二人とも。本人があんまり気にしてないんだから、そんなにヘコまなくたっていいだろ」
片腕を失くしておいて気にしないと発言しても説得力の欠片もないが、ひとまず様子見も兼ねてそう切り出す。
「それは……そうかもしれないけど。これじゃ昇格どころじゃないでしょ? カイには大事な目標があるのに……」
「ボクがついていながら、冒険者として致命的な傷をむざむざ受けさせるなんて、あの人に顔向けできないよ」
二人とも尋常ではないヘコみようだが、要するに俺が冒険者としてやっていけなくなってしまったと思ったのが原因のようだ。常識的に考えればそう認識されて当然の負傷ではある。
特にクリスは、俺以外の人の前であの人のことに言及しているあたり、相当に周囲が見えなくなっているようだ。秘密を堅持しようという注意力すら露骨に鈍ってきている。
ともかく、理由が分かれば対応のしようもある。俺は二人と向かい合う位置に椅子を持ってきて腰を下ろした。
「別に悪い知らせばかりじゃないんだ。今回のお礼ってことでデミライオンの方から魔石を貰えることになったから、昇格の方は問題なくいけるはずだしな。何かあったら失格とかそういう取り決めもないんだからさ」
実のところ、これは少し不正確だ。正式昇格の資格を失う条件が定められていないのは本当だが、どんな状況に陥っても資格を失わない保証があるわけじゃない。場合によっては昇格を考え直される可能性もあるだろう。
だが、今はそんなことを話題すべきじゃない。事態を余計にややこしくしてしまうだけである。
「それともう一つ、ルースとフローレンスさんからいいものを貰ったんだ」
懐からフローレンスがくれた封筒を取り出して二人に見せる。
「失った手足を蘇らせる研究をしている人達への紹介状を書いてくれたんだ。研究を信用してるわけじゃないって念押しされたけどな。この研究がデタラメでも、世界は広いんだからちゃんとした研究をやってる人だっているかもしれない」
決して非現実的な想像ではない。俺はそれくらいできそうな奴らを知っている。むしろやらかした奴らを知っている。
「例に挙げるのも癪だけど、エノクやタルボットみたいにとんでもない研究を成功させてる奴らもいるんだ。腕の一本や二本どうにかできる人がいてもおかしくないだろ? 街に戻ったらそれを探しに行くだけさ」
これまでに被った徒労に比べれば、これくらいの苦労はなんてことはない。目的達成までに少しばかり遠回りをしてしまうことになるが、常に最短ルートばかりを進めると思う方が間違いだ。
たまにはこういうことだってあるだろう――独りでそう納得していると、不意にクリスが勢いよく顔を上げた。何事かと尋ねる暇もなく、クリスは目を輝かせてまくし立ててきた。
「そうだ! どうして思いつかなかったんだ! カイ、ボクにも手伝わせてくれ! 伝手を辿れば挽回の余地なんていくらでもあるじゃないか!」
鬱屈した気持ちが吹っ切れた様子で、左肩を掴んで揺すられる。
サブマスターの養女でBランク冒険者で特務調査員の伝手というと想像するだけで空恐ろしいものがあるが、レオナとエステルには秘密にしているのでこの場では口にしない。後で色々問い質すことにしよう。
そして隣のレオナは、眉をひそめて難しそうな顔をしていた。
とはいえ罪悪感に沈んでいたときとは違う表情だ。難しい選択を前にして深く悩んでいる――そんな感じの雰囲気である。
「……うん、意地なんて張ってられないよね。カイにはずっと迷惑かけっぱなしだったんだから」
そしてレオナは意を決した様子で俺の目を見据えた。
「ねぇ。聞いて、カイ。私の故郷にもこの怪我を何とかできる連中がいるかもしれないの。もしもカイが望むならだけど……ひょっとしたら紹介できるかも」
「……いいのか? 事情は知らないけど、故郷に帰りづらい事情でもあるんじゃないのか」
「私の個人的な問題なんて、カイの腕と比べたら本当にどうでもいいことだから」
レオナは強い眼差しを俺に送ってきている。拒否を許さない強制力ではなく、拒否して欲しくないという強い願いすら感じるほどに。
二人の後ろでエステルが満面の笑みを浮かべ、ぽんと手を叩いた。
「そうですよ! 皆で探しましょう!」
――そのとき、フローレンスの言葉にすとんと納得がいった。
何でも一人でしょい込むのではなく、立ち止まって足元を見る。この状況はまさにそれだ。
知らず知らずのうちに、俺は自分自身が苦労をして事態を打開すればいいという方向性で考えをまとめようとしていた。そのせいで、ザファル将軍やフローレンスのような赤の他人が助力をしてくれることに驚いていたわけだ。
思えば生前の俺はそうやって生きてきた。両親を喪い、借金を背負い、誰に頼ることもできず、誰かに頼るという発想すら薄れていた。他の誰かが手を貸してくれるのは最低限の範疇に過ぎず、本当に頼れるのは自分だけという考えが当たり前になっていた。
死んでしまった理由もそれが遠因だ。自分だけで事件を解決しようとして、当然のように失敗して死んだ。
冒険者になった経緯だってそうだ。成り上がる手段にできるという打算があったのも事実だが、それと同時に、自分一人が頑張るだけで解決できるのだと考えていたのも否めない。
けれど、こうして足を止めて周りを見てみれば。
「そうだよな……頼っても……いいんだよな」
「当たり前じゃないですか。仲間なんですから」
何気なく零した呟きにエステルが満面の笑みで返事をした。その屈託のない笑顔を見ると不思議と気持ちが軽くなった。
ああ、そうだ――俺一人が背負い込む必要なんてどこにもない。今の俺は独りなんかじゃないのだから。
第三章完結です。
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