154.望まぬ戦い(1/2)
薄暗い拠点に飛び込み、耳を澄ましながら走り続ける。建物全体を揺るがす最上階の戦闘の轟音に混じって、小規模な戦闘の音が聞こえてくる。俺はそれを頼りに行先を定めた。
二階の奥に群がるデミライオン。その合間を縫って小柄な影が腕を振るい、血飛沫を撒き散らしている。
「あっ、カイ!」
「ココか!?」
UC装備の《メタルクロー》を装着したデミキャットが、デミライオンの隙間をすり抜けて駆け寄って来た。その機敏な動きぶりを見る限り、ココは呪詛に操られてはいないようだ。
「よかった、君までやられてたら収拾がつかにゃいところだった」
「レオナ達は?」
「この奥で治療中だよ。あたしは連中の足止め役ね。それにしても……」
ココは肩で息をしながら俺の体を頭からつま先までじろじろと観察し、暗闇の猫らしく瞳が丸くなった目を見開いた。
「もうボロボロじゃにゃいか! 本当に大丈夫にゃのか!?」
「いつもこんなもんだろ。そっちこそ瘴気にはやられてないのか?」
「あー……それは何というか……」
何故かココは気まずそうに視線を泳がせた。
「うっかり飲み過ぎたから外で戻してたら急に騒がしくにゃって、その後すぐに薬を飲まされたんで……」
「怪我の功名だな」
呆れ半分で率直な感想をこぼす。あんなに俺に絡むくらい酔っぱらったのが一周回って吉と出たわけか。あるいはマタタビの作用での酔いの方が強くて、アルコールの影響は殆どなかったのかもしれない。
「まぁいい。あいつらを《解呪》するから援護してくれ」
《解呪》と融合させたままの剣をデミライオン達に振り向ける。
「この剣で呪詛を打ち消す! 文様の位置が分かるなら申告してくれ!」
呪詛に操られた奴らは体のコントロールこそ奪われているが、首から上、特に発声機能の自由は残されている。がむしゃらに戦うよりは本人達に手伝ってもらった方がずっと確実だ。
デミライオン達は一瞬動揺した様子を見せてから、口々に文様の位置――即ち例の蛇に咬まれた場所を叫び始めた。
「脚だ! 右脚をやられた!」
「右腕と首筋に! 二ヵ所も食らってしまった!」
「くっ……掌を咬まれた! 首を庇おうとしてやられたんだ!」
「両脚に一ヵ所ずつ! すまん、客人!」
「恥を忍んで頼む! 我々を止めてくれ! 手遅れになる前にっ!」
左手で双剣の片割れを構え、滑るように間合いを詰める。
「ああ、任せろ」
毛皮の表面に浮かんだ呪詛の文様、そのただ一点を狙って剣を振るう。操られたデミライオン達の攻撃は揃って鈍く、一対多数でも圧倒的な立ち回りを展開できた。呪詛によるコントロールの限界なのか、彼らが必死の抵抗を続けているからか、それとも両方か――
数十秒のうちにほぼ全員を制圧し、最後の一人と対峙する。
その一人は見張り役でもしていたのだろう。分厚い胸当てなどの簡素な防具を身に纏っていた。
「……あんたはどこを?」
「すまぬ。胸甲の内側だ。隙間から潜り込まれた」
厄介だな、と小さく舌打ちをする。まずは分厚い胸当てを何とかしなければ呪詛の文様に刃を当てられない。多少深手を与えてでも素早く対処するべきだろうか。
そう思った瞬間、ココが壁を蹴って軽やかに宙を舞い、大柄なデミライオンの肩に着地した。
「任せな」
《メタルクロー》が胸当ての肩紐を切り裂く。俺は間髪入れずに刃を振るい、肌着に覆われた胸板とそれに咬みついたままの蛇に斬り付けた。
「手間を……かけた……」
巨体が石造りの廊下に崩れ落ちる。この場で操られていたデミライオンはこれで最後だ。腰に提げたケースから瘴気の解毒剤を取り出して、ココに投げ渡す。このまま放置してまた咬まれたら苦労が台無しである。
「飲ませておいてくれ」
「ん、任せて」
それ以上のやり取りは必要なかった。後始末を一旦ココに任せ、脇目も振らずに廊下の奥へ駆け出す。
半開きになっていた大広間の扉を潜る。そこにはちょっとした野戦病院のような光景が広がっていた。
デミライオンと普通の人間の兵士、合わせて十人を軽く越える負傷者が床に蹲り、ルースが彼らに《ヒーリング》を掛けて回っている。そして大広間の隅では、疲れ切った様子のレオナが壁にもたれ掛かって休んでいた。
「カイ……!」
ルースが額の汗を拭いながら満面の笑みを浮かべた。スペルの連続使用で消耗しているのが一目で見て取れる。
「……え、怪我してるの!? すぐに手当てしないと!」
「後でいい。それより……」
俺の負傷に気付くや否や青ざめたルースを落ち着かせつつ、改めて大広間の様子を見渡す。デミライオンと兵士に混ざって、ベリルとアイビスも床に転がってうなされていた。
最初に治療を受けたアルスラン。図らずも瘴気の被害を回避したレオナとココ。解毒中の体で交戦していたクリス。ここで引っくり返っているベリルとアイビス。ここまでは無事を確かめた。
残るはエステルとルビィ。俺達のパーティで安否を確認できていないのは二人だけだ。
「ダメ! 時間が経ち過ぎた傷は《ヒーリング》でも治り難くなるんだから! ベリル君、もう一度《魔力共有》お願い!」
「も、もう僕も枯渇一歩手前ですけど……頑張ります……」
ルースはベリルがどうにか絞り出した魔力で《ヒーリング》を唱え、強引に俺の右腕の治療を始めた。
流石に根負けして治療を受けながら、レオナに状況を訊ねる。
「エステルとルビィは合流できてないのか?」
「……順を追って話すね」
ほんの少し前まで激しく動き回っていたのか、レオナは肩で息をして呼吸を整えている。
「エステルは外で足止めをしてくれてるところ。あの子、瘴気が効いてなかったの。エルフだから私達とは体質が違うせいかもしれないけど……とにかく平気だったから自分も頑張るって言って……それとルビィは……」
そのとき、俺が入ってきた方とは反対の扉が勢いよく開け放たれ、エステルが転がり込んできた。
「ごめんなさいっ、もう魔力が……! 《アイスシールド》!」
何事かと問う間もなく、エステルはスペルを唱えて出入口を氷で封鎖し、俺が入ってきた方も同様に塞いでしまった。
「戦えない人は窓から逃げてください! 二階ですけど、骨が折れるくらいで済むはずです!」
「お……おい! 何があったんだ!」
理由は間もなく分かった。出入口を封鎖する氷の壁に何かがぶつかり、猛烈な勢いで氷を削り崩そうとし始める。まるで大きなハンマーで氷を砕こうとしているかのようだ。
治療を中断させてルースを部屋の奥に逃がし、氷の壁の前で双剣の片割れを構える。レオナも《フレイムランス》を携えて俺の横に並んだ。
「……そういうことか」
「ええ、そういうこと」
氷の壁を見据えながら右腕の動き具合を確かめる。関節の曲げ伸ばしは痛みを伴うが充分可能。手の開閉はできるが力は普段の三分の一も入らない。戦いに使うのは厳しいがそれ以外なら……といった具合だ。
負傷者のうち自力で動ける連中が自主的に窓から飛び降りていく。エステルの言うとおり、あれくらいの高さなら首から落ちない限り足を折る程度済む。それに《ヒーリング》持ちを含む癒し手が大勢いるのだから、多少の怪我はリスクの内にも入らないわけだ。
問題は目の前の事態にどう対処するかだが――
「レオナ、あいつがどこに呪詛を受けたのか知ってるか?」
「本人も分からないみたい。眠っている間にやられたんでしょうね」
「そうか……エステル! 俺が三つ数えたら《アイスシールド》を解除してくれ!」
突然の指示にエステルが混乱を露わにする。
「ええっ!?」
「出鼻を挫く! 一! 二!」
レオナは俺の考えを即座に理解してくれたらしく、即座にタイミングを合わせて身を屈め、飛び掛かる準備をした。
「け、消します!」
「三ッ!」
《アイスシールド》が細かな破片を散らして消滅する。打撃先を失ったメカニカルなスレッジハンマーが空を切り、扉の木枠を盛大に叩き潰した。
第三章完結まで残り四話。