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150.ナーガ

「取引だって?」


 真っ先に口を突いて出た言葉がそれだった。異様過ぎる現状に全く思考回路が追い付かない。十数メートル程度の間合いを保ったままで、とにかく疑問を言葉にし続けることしかできなかった。


「第一、あんたは何なんだ。デミアニマル……デミスネークっていうのは見れば分かるけどな。一体、何が目的でこんなことをしたんだ」

「く……ははは! デミアニマルだと? 人間に尻尾を振ることを選んだ連中と一緒にしてもらっては困るな」


 半人半蛇の男が牙を剥いて哄笑する。

 男の体はヒトの部分も完全なヒト型ではなく、口に生えた牙や局所的に表皮を覆う鱗など人外的な特徴が多かった。そのせいかどうかは分からないが、あの男の笑いからは嫌悪感しか感じなかった。


「……あんたは人間じゃないっていうのか」

「貴様ら人間がよく知るモノでいえば、エルフと同じだ。アレは人間に組み込まれることを良しとせず、エルフという()()()であり続けている。我らナーガもそれと同じ。皇帝の飼い猫と化したデミライオンとは訳が違う」


 嘲るように男は笑った。

 ナーガ――(おれ)だってそれくらいは聞いたことがある。インド辺りの神話に登場する、上半身が人間で下半身が蛇、あるいは龍という姿の生き物だ。目の前の男の姿はまさに()()そのものだった。


 どうしてインド神話の生物がこの世界に、なんて疑問はエルフやゴブリンがいる時点で今更だ。


 この世界に存在する生き物が生前(まえ)の世界では神話や伝承になっていたのかもしれないし、俺のように《前世記憶》のカードを得た人間が生前(まえ)の世界の神話と似た生き物をエルフやナーガと呼んだ結果、こちらの世界でも一般名詞として定着したのかもしれない。


 だからそんなことはどうでもいい。時間を使ってまで考えるようなことじゃない。本当に問題なのは――


「人間! さっそくだが取引といこうじゃないか。お前が持っている秘石を――蛇紋の魔石を渡せ。引き換えにこの城塞の連中を解放しよう」

「あの石ころ一つにそこまでする価値があるっていうのか」

「我らにとってはな。貴様らにとってはただの魔石に過ぎん。一つ失うのも惜しいというなら代わりの魔石をくれてやろう。これで貴様は損をしなくなる」


 ナーガの男はどこからか取り出した魔石を俺に示してみせた。十数メートル離れたこの場所からでも魔石独特の輝きはしっかり見て取れる。


「……困った。断る理由は見つからないな」


 俺はナーガと戦うために辺境要塞まで来たのではない。魔石を集めるために来たのだ。ナーガの男が言うように、約束通りに取引が終わるなら俺には何も損はない。


 だが俺は、例の魔石ではなく双剣の片割れを右手に握り締めた。


 断る理由なら確かに無いが、信用しきれない理由はあった。それが解消されない限り取引を受け入れることはできない。剣の切っ先をナーガの男に向け、返答次第ではこのまま斬りかかると言外に告げる。


「けどな。本当にそれで丸く収めるつもりがあるなら、最初からそうすればよかっただけだろ? 『自分達にとって大切な魔石がそちらの手に渡ってしまったので、普通の魔石と交換してください』って頼めば終わる話だったんだ」


 もしも奴が俺のところに普通にやってきて、そんな風に頼んできたら、きっと俺は深く考えることもせず交換に応じていたことだろう。あちらとしてもこんな大掛かりなことをせずに済んで得をしたはずだ。


「そうしなかったってことは、できなかった理由があるってことだろ。例えば――蛇紋の魔石は存在を知られること自体が(まず)い代物で、取り戻した後で()()()を始末する必要があるから――とかな」


 切っ先を向けたまま、ナーガの男の表情の変化を見据える。崩落した壁と天井から注ぐ月明りしか光源のない半屋外だが、コピーした《暗視》スキルを使えばむしろ明るすぎるくらいだ。


 ナーガの男は一瞬表情を強張らせ、すぐに口の端を吊り上げた気味の悪い笑みを作った。


「不幸な行き違いというものだ。デミライオンは我らを文字通り蛇蝎(だかつ)の如く嫌っていて、我らは過去の因縁から人間を信用できない。故に安心して貴様と会う場を用意しなければならなかった。それだけだ」

「……そうか。本当にそうなら納得だ」


 けれど刃は下ろさない。


「俺の仲間に《真偽判定》スキルを持ってる奴がいる。そいつの前でもう一度同じことを説明してみてくれ。石を受け取ったら誰にも危害を加えずに立ち去るという宣言も添えてな。それが済んだら全面的に信頼するよ」

「……!」


 そう告げた途端、ナーガの男の表情が醜く歪む。決して打たれたくない一手を最悪のタイミングで打たれてしまったかのように。


「ちっ……小賢(こざか)しい糞猿(クソザル)が」


 次の瞬間、俺は双剣を手に駆け出した。あまりにも決定的な反応だった。交渉を重ねる余地はもうどこにもない。


 ナーガの男の手元に鎌とも鉾ともつかない奇怪な長柄武器(ポールウェポン)が出現する。


 双剣と金属製の柄がぶつかり合い、激しい斬り合いで甲高い音と火花を散らす。歪んだ刃が降り抜かれたのを回避して、その隙に本体への攻撃を試みた矢先に、蛇状の下半身が掬い上げるように繰り出される。


 強靭でしなやかな筋肉でがっちりと固められた極太の鞭。俺はそれを足場のように蹴り、攻撃の勢いをそのまま乗せて後方へ飛び退いた。


「っ……!」


 とんでもないパワーだ。俺の体は軽々と天井よりも高く放り出され、崩落個所を抜けて城塞の屋上に着地した。《軽業》スキル様様(さまさま)である。あんなものの直撃を食らっていたら内臓の一つや二つが潰れる程度では済まなかっただろう。


 脚に残る痛みに顔をしかめた直後、屋根の崩落個所からナーガの男がとてつもない速度で飛び出した。


「――な」

「貧弱ッ!」


 そのままの勢いで振り下ろされた異形の鉾を、両手の双剣で受け止める。あまりの()()に骨が軋みを上げそうになる。


 攻撃の圧力で押し留められ、両手も防御に使ってしまったこの一瞬。俺は視界の隅でナーガの尾が動くのを見て、そして()()()()()にも関わらず、何も対処できずにその直撃を受けた。


「がはっ――!」

「脆弱ッ!」


 斜め上方からの一撃で屋上に叩きつけられ、何度もバウンドしてからようやく停止する。激痛と衝撃で意識が飛ばなかったのが奇跡のようなものだ。苦痛を堪えながら起き上がろうと、右腕を突いて立ち上がろうとして失敗する。


 右腕(ききうで)の関節が二つほど増えていた。


 血の気の引いた頭で、自分でも驚くくらいに冷静に現状を分析する。潰れたのが片腕だけだったのはまだ()()だ。肺のどちらかでも潰されていたら、体の奥深くなので《ヒーリング》でも治りが鈍く、その間に抵抗することも難しくなっていたところだった。


「取引に応じていればもっと楽に死ねたものを」


 ナーガの男が十メートル以上離れた場所から侮蔑的な視線を投げかける。《暗視》スキルで強化された俺の視覚は、その表情の変化を楽しくもないのに事細かく見分けていた。


 現状、俺は屋上の端まで追い詰められている。吹き飛ばされた勢いで落ちなかったのは不幸中の幸いで、少しでも後ろに下がれば真っ逆さまだ。


「やはり人間は弱い。肉体は栗鼠(りす)のように脆く、暗闇では敵を見ることすらままならないときた。神の祝福を偽造するという冒涜(ぼうとく)の極みに手を染めなければ、とっくの昔に滅んでいたに違いあるまい!」

「……いや。俺の場合は逆だよ……」


 興奮した様子でまくし立てるナーガの男を見据えながら、どうにか脚に力を込めて立ち上がる。


 冷たい夜の風が右腕を撫でつけ、血管の脈動に合わせて右上全体の痛みがどんどん増していく。今すぐにでも《ヒーリング》か《痛覚遮断》を使いたかったが、その前にまだやるべきことがある。


 あいつがまだ《ワイルドカード》の力を認識していない、今のうちに。


「見えるようにしていたから、あんな風に食らっちまったんだ」


 この暗闇のせいで相手の姿を見失わないために、俺は《ワイルドカード》のコピー状態を《暗視》スキルで固定していた。


 けれど今回はそれが裏目に出てしまった。《ワイルドカード》を戦闘用スキルに変えない場合、俺の戦闘能力は《ステータスアップ》も含めた素のスペックを除けば、レアリティR(レア)の《双剣術》とアンコモンの《軽業》だけで形成される。


 攻防の白兵技術を跳ね上げさせる《上級武術》すら使えない状態で強敵に挑めば、こんな風にボロボロにされるのも当然の結果である。


「油断……慢心……いや、焦りか。これじゃ勝てるわけがねぇ」


 仲間達やルースのためにも早く事態を収拾しなければ――その焦りが判断を誤らせた。決着を焦って、充分な準備もせずに真っ向から戦いを挑んでしまった。我ながらとんでもない判断ミスである。


 危うくそれが()()()()になるところだったが、命を拾ったならまだ挽回の余地はある。俺自身が痛い目を見ただけなら猶更(なおさら)だ。


「何が言いたい。負け惜しみか?」

「反撃宣言に決まってんだろ。ここからが本番だ」


 カードを実体化させることなくノーモーションで《ライト》をコピーする。


「《ライト》! 光量増幅!」


 眩い光球を()()()に出現させる。膨大な量の光が、俺の視界を……そして恐らくはナーガの男の視界すらも塗り潰す。


「馬鹿が! 目晦ましのつもりか!」


 ナーガの男が高速で屋上を這い、三秒と掛からずに俺めがけて異形の鉾を振り下ろす。


 ――だが俺はそれよりも早く後ろへ跳んでいた。


 突然の自殺行為にナーガの男が目を剥くのが見えた。それが可笑(おか)しくてつい笑みが浮かんでしまう。


 重力に引かれて落下が始まる直前、俺は左手に掴んでいた銀色のカードを体にセットし、その能力を引き出した。《ライト》を使ったのは目晦ましのためではなく、今後の戦いの光源とするため――そして《ワイルドカード》のコピーの瞬間を隠して警戒心を抱かせないようにするためだ。


「《滑空の三日月刀》」


 空を駆ける巨大な三日月刀(シャムシール)の柄を左手で握り、矢のような勢いで屋上へと舞い戻る。ナーガの男の右腕を、異形の鉾の柄ごと根元から斬り落としながら。


「ぐ、があああああっ!」

「これで()()()()だ。それじゃ、仕切り直して戦闘再開といこうか」


 石造りの屋上に降り立ち、傷口から血を迸らせたナーガの男に向き直る。俺を睨みつけるその瞳は、まさしく蛇のような形をしていた。

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