149.蛇の鎖
食堂の入り口付近の廊下にうごめく蛇の群れが、鋭い呼吸音を発しながら食堂に殺到する。俺は反射的にスペルカードをコピーして床に手を叩きつけた。
「《エレクトロスタン》!」
床を奔る電流が多数の蛇を感電させる。しかし数が多すぎるせいか、一度に全ては止められず、少なくない数の蛇が麻痺した仲間を乗り越えて流れ込もうしてくる。
癒し手の息を飲むような悲鳴が聞こえた。もう一回を使うべきか、カードを切り替えて迎撃すべきか――次の一手に迷ったその瞬間、感電した蛇を踏み潰しながら何者かが飛び込んできた。
「ふっ――!」
燃え盛る槍の穂先が数匹の蛇をまとめて薙ぎ払う。可憐さと力強さを併せ持ったその人物に、俺は他の誰よりも見覚えがあった。
「レオナ! ……そうか、お前は無事だよな!」
考えてみれば確かにそうだ。『一夜の瘴気』は体内のアルコールと反応することで毒性を発揮する。宴会に参加していなかった癒し手達と同様に、明日の狩猟に備えて酒を飲まなかったレオナには全く効果がないのだ。
合点のいった俺とは正反対に、レオナは納得できていない態度で《フレイムランス》を振るい続けている。
「その様子だと、どうして私が動けてるのか分かってるみたいね。後でちゃんと説明しなさいよ」
「後でゆっくりとな。まずはここの掃除が先だ!」
感電して動きの鈍った大多数の蛇と、レオナの奇襲からも逃れた少数の蛇を見つけ次第に片っ端から切り捨てる。
なぜ蛇の咬み傷から呪詛の文様が発生したのか。ここにいる全ての蛇がそうなのか。一体どんな効果の呪詛だったのか。そんな疑問は一つ残らず後回しだ。とにかくこの場の安全を取り戻すことを第一に考えなければならない。
「仕留め損ねた奴が隠れてるかもしれない! 足元や物陰に気を付けて!」
デミライオン達の治療に取り掛かった癒し手に注意を促す。蛇の潜伏能力はとてつもなく高い。目に映るところにいた分は全て始末したつもりだが、どこかに隠れた奴まで見つけ出すには時間が足りない――充分な時間さえあればスキルを駆使してどうにかできるのだろうが。
その直後、癒し手の女性の甲高い悲鳴が響き渡った。
「……ったく! いきなりか!」
だが、悲鳴の原因は小さな毒蛇などではなかった。巨大な蛇、人間を簡単に呑み込めそうな大蛇の頭が、ガラスのない四角い穴だけの大窓からこちらを覗き込んでいた。
双剣を握り即座に距離を詰める。俺めがけて飛び掛かってきた大蛇の顎の下を潜り、喉元に一閃。刃渡りよりも胴が太かったので両断こそ不可能だったが、間違いなく致命傷を与えることができた。
樽をひっくり返したような大量の血液を撒き散らしながら、大蛇の死骸が勢いのままに数脚のテーブルと椅子をなぎ倒した。
「次から次と……いつからここは蛇の巣穴になったんだ」
「待って、カイ! これ、あのときと同じ種類の蛇じゃないかな」
「あのとき?」
レオナにそう指摘されて、死んだばかりの大蛇に視線を落とす。こんな馬鹿でかい蛇に見覚えがあるとしたら……。
「……そうか、昼間に襲い掛かってきたっていうアレか!」
俺が巨大な鳥の魔物と対面している間にレオナ達を襲ったという蛇の魔物。俺は戦いの痕跡と死体を目にしただけだが、大きさは確かにそれらと同程度だ。
そして、目の前にある大蛇の死骸が魔獣のものであると証明するかのように、その傍らで魔石が一つ結晶化して床に転がった。
「ここまできたら、偶然って考える方に無理があるな」
俺とルースがでくわした蛇と、咬み傷から呪詛を生じさせた蛇。
レオナ達を襲った大蛇と、今しがた斬り捨てたばかりの大蛇。
どちらか片方ずつなら偶然で片付けることもできたが、そのどちらもが連続して襲い掛かって来た時点で、何かしらの必然を感じずにはいられなくなった。
全ては繋がっている――大蛇の魔獣の群れによる襲撃に始まり、『一夜の瘴気』の散布と直後の呪詛の蛇の殺到――全てが一つの目的で統一された行動なのではないだろうか。
いや、ひょっとしたら。更に遡って、魔獣が辺境要塞の眼前の荒野まで降りてきたという事態、つまりは巨大な鳥の魔獣がこの地にやって来て人間に助けを求める原因すらも連動しているのかもしれない。
何故なら、俺が巨鳥の魔獣の巣に踏み込んだ直後に襲撃があったというのは、今思えばタイミングが重なり過ぎている。まるで、あの雛鳥の治療を阻止しようとしていたかのように思えてしまう。
まるで鎖だ。一つ一つの輪が自分の尾を噛んだ円環の蛇で作られた鎖。どこに触れてもそこには蛇が存在して――
「――っ!」
俺は脳裏を電撃のように駆け抜けた閃きのままに、腰提げ型の小物入れから例の魔石を取り出して、薄く刻み込まれた文様に目を凝らした。
「既視感のある模様なわけだ。この彫刻、蛇がモチーフになってるのか」
数匹の図像化された蛇が絡み合ったエンブレム、とでもいうのだろうか。全部ではないが、俺が何となしに思い浮かべた『蛇の鎖』そのものな構成になっている部分もあった。一匹一匹に頭や目が刻まれているあたり実に細工が凝っている。
何もかもが『蛇』という存在を軸に繋がっていた。ならばきっと、この魔石も伊達や酔狂で模様を刻まれた装飾品というわけではないのだろう。何かしらの重大な意味があるはずだ。
「カイ! あ、あれ見て!」
ルースの悲鳴のような声が耳に入るなり、俺は考察を全て打ち切って、ルースを庇うようにそちらを向いた。
――血が動いている。大蛇の体から転がり出た魔石が淡い光を放ち、そこから供給された魔力が血を操っているのか。
床に広がった血溜まりから、細い川のような血の線が壁に向かって伸び広がり、食堂の壁面に複雑な模様を、いや、文字を形作っていく。
「……蛇紋の魔石を持つ人間よ。要塞の高みにまで一人で来い。千の妖蛇はあらゆる獅子とあらゆる人間に牙を向けている……」
大蛇の血糊で描かれた不気味極まる血文字の文章を読み上げる。蛇がのたうつような帝国共通語で記されたそれは、あまりにも露骨な脅迫文だった。
俺が文章を読み終えたのを見計らったかのように、血文字はだらりと壁を垂れ落ちて崩壊した。
「こ、こんなの罠に決まってるじゃない!」
「分かってる」
表情を強張らせたレオナを安心させようと、肩に手を置いて軽く力を込める。
「だけど犯人の面を拝む絶好の機会だ。そうだろ?」
「でも……」
レオナは不安を押し殺しきれていない様子だ。しかし今は説得や議論に時間をかけていられる状況じゃない。レオナに心配をかけてしまうのは心苦しいが、ここは押し切らせてもらう。
罠だということは誰が見ても明らかだ。けれどこのまま対症療法的に右へ左へ駆けずり回っても、事態を収拾できる気が全くしなかった。現状を打破するには蛇の巣穴だろうと飛び込む覚悟が要るに違いない。
俺は『一夜の瘴気』の解毒薬が入った小瓶を無理やりレオナに持たせ、その手を包むようにしっかり握りしめた。
「他の皆を頼む。それと、ルース。余裕があったらで構わないから、レオナを……俺の仲間を手伝ってやってくれ」
「……カイ……」
「任せて。これでも癒し手の端くれなんだから」
瘴気に倒れているであろう仲間達の治療を二人に託し、俺は例の魔石を手に最上階へ駆け上がった。
一部が崩落しているため立ち入り禁止になっている最上階。崩れ落ちた天井と壁から月明りが注ぎ込み、無人であるにも関わらず、ほのかな明かりが廊下を満たしている。
俺は真っ先に崩落した箇所を目指した。あの場所が一番明るくて、よく目立つ。誰かを呼び出して待ち受けるには絶好の場所だと思ったからだ。
そして案の定というべきか、その場所に何かがいた。
人間の胴体かそれ以上に太い蛇だ――最初はそう感じた。しかし蛇にしては太さの割にあまり長くない。あんな太く短い大蛇なんて存在するのだろうか。
俺が思い浮かべたそんな疑問は、次の瞬間には跡形もなく霧散してしまった。
「要求通り一人で来たようだな」
大蛇が頭を起こす。いや――それは頭ではなく人間の上半身だった。あれは体の短い蛇などではなかった。半分だったのだ。人間の上半分と大蛇の下半分が繋がった蛇人間がそこにいた。
「では――取引を始めようか」