147.夜の散歩と
俺とルースは何てことはない会話を交わしながら、夜の城塞の周りを散歩することにした。
話の内容は本当にただの世間話だ。再会してから起きた出来事や、時間がなくて話せなかったことを取り留めもなく語り合っているだけである。たったそれだけが妙に楽しいのはアルコールが回っているせいだろう。
「本当に大変だったんだから。大きいくせに痛がって暴れるから《ヒーリング》もかけにくかったし」
ルースは癒し手として苦労した経験を笑い話に変えて楽しそうに喋っている。
再会直後もこんな風に話し込んでいたが、あのときはルースの休憩時間を利用していたので、あまり長くは続けていられなかった。しかし今回はお互いにやるべきことを全て済ませている。つまり眠気に負けるまで時間無制限だ。
しばらくルースが話し続けてくれたので、今度は俺の方がルースに話をする番だ。幸か不幸かとっておきのネタが出来たばかり。喋ったら拙そうな部分は伏せたうえで、今日の出来事を少しばかり劇的に語り聞かせることにする。
「――――そういうわけで、あんな大きな宴会が開かれたってわけ。それで、こいつがそのときに手に入れた魔石。何でか知らないけど妙な感じだろ?」
魔獣の雛鳥がくれた奇妙な魔石を、比較対象として普通の魔石と一緒にルースに渡してみる。
「暗くてよく分かんないよ」
「そうか? じゃあ――《ライト》」
コピーしたアンコモンスペルで光球を出現させ、照明にする。そのためのスペルだけあって、文字の小さな小説だろうと余裕で読めそうな明るさだ。
ルースは二つの魔石を見比べて不思議そうな声を漏らした。
「ほんとだ。色合いが微妙に違うし、それに……何か模様が彫ってあるみたい」
「そうなのか?」
言われて初めて気が付いた。本当に繊細な模様なので太陽の光の下ではよく分からなかったが、暗いところで強い光を近くから浴びせていると、確かに模様らしきものがうっすらと見て取れた。
何の模様だろうか。どこかで見たことのある意匠のような気がする。この模様そのものを見たことがあるわけではなく、模様のモデルに見覚えがあるかもしれないという意味で。
「鑑定はしてみたの?」
「昼間に自分でやってみたけど判別不能だったな。レアリティとレベルのどっちが足りないのかは知らないけど」
自分でやった鑑定とは、もちろん《ワイルドカード》でコピーした《鑑定》スキルのことだ。最も基本的な鑑定系スキルなので特殊過ぎる物品には手も足も出ないことが珍しくない。
やはり町に戻ってから専門家に見てもらうべきだろう。
二人並んで考え込みながら夜の拠点近辺を歩いていると、高い壁の上から重みのある何かがボトリと落っこちてきた。
「おっと!」
「ひゃっ! ……なんだ蛇か。びっくりした」
《ライト》の光球に大きめのアオダイショウくらいのサイズの蛇が照らされている。
ルースの反応は至って冷静だ。蛇を怖がるとかそういう可愛げは全くない。アデル村のような田舎で生まれ育った俺達にとって、蛇との遭遇は日常茶飯事。いちいち怖がっていたらキリがない。
蛇が鎌首をもたげ、鋭い威嚇音を発しながら飛び掛かってくる。
俺は即座に双剣を実体化させると、平たい腹の部分で蛇をすくい上げ、そのまま真後ろへ放り投げた。
「これでよしっと」
遠くに落ちた蛇が拠点の傍から逃げ去っていく気配がした。切り捨ててしまった方が手っ取り早いのだが、今はそんな殺生をする気分ではなかった。
「ありがと。カイって本当に何でもできるようになっちゃったんだね」
ルースはどこか寂しげな笑顔でそう言った。
できるようになっちゃった――その言い回しからは、俺とルースの間に見えない壁の存在を感じられているかのような感覚を覚えた。酔いの残った頭で小難しい表現をひねり出すなら、隔絶感という奴だ。
けれどそれは二重の意味で間違っている。
「まさか。《ワイルドカード》があるからって何でもできるわけじゃないし、コピーした能力は自分の力だとは思ってねぇよ。あくまで借り物、他人の力だ。そういう意味だと、お前の力がなかったら俺はとっくに死んでただろうな」
「え、私?」
まるで自覚のない表情で自分を指さすルース。話題がいきなり別の方向へ飛んでいってしまったかもしれないが、酔いのせいだと思って大目に見てほしい。
「さっき魔獣を手当てした話しただろ。そのときに使った《ヒーリング》はお前にコピーさせてもらったスペルなんだからな。もちろん今回だけじゃないぞ。これまでに何度も死にかけたけど、そのたびにお前の《ヒーリング》に助けられてきたんだ」
決して大袈裟な表現なんかじゃない。《ヒーリング》は本当に俺の生命線だ。これがなければ死んでいたと断言できる局面は山ほどある。
「それにさっきの双剣だってルースがくれたカードだろ? 冒険者になってからずっとアレに頼って戦ってきたんだからな。今の俺がいるのもお前のおかげなんだよ」
俺がいつも本当の意味で頼りにしてきたのはルースがくれた力だった。《始まりの双剣》以外の武器を使うことは滅多になかったし、負傷を気にせず戦うことができたのは《ヒーリング》があったからだ。
しかも、冒険者になってそれなりの時間が経つが、ギルドショップに《ヒーリング》のカードが並んでいるところを見たことがない。ハイデン市だけでなく帝都のショップですらそうだった。
ギルドショップの商品は、冒険者が魔石を昇華して得たカードのうち、既に所持していたか活動のスタイルに合わないという理由で下取りに出されたものだ。つまり《ヒーリング》のように有用で需要の多いカードは滅多に流通せず、店頭に並んでもあっという間に売り切れてしまうのである。
だからこそ、あのカードをルースに見せてもらえたのは幸運だった。《ヒーリング》をストックに加える千載一遇の好機を、最初の第一歩の更に前から掴むことができたのだから。
「そ……そうかな……」
ルースは照れくさそうに頬を掻いている。それを見て、俺は自分が饒舌になり過ぎていたことに気が付いた。
今になって思えば、随分と気恥ずかしいことを言ってしまった気がする。いくらなんでもぺらぺらと舌が回り過ぎだ。
「そっかぁ……私のおかげって思ってくれてるんだ……」
「……やっぱ今のなし。忘れろ」
「ええー? どうしてー?」
「酒が悪いんですー。頭がふらふらしてるんですー」
仮にも成人扱いを受ける年齢なのに、思いっきり子供染みたやり取りを繰り広げてしまう。パーティの皆には絶対に見せられない光景だ。こんな姿を見せていいのは、故郷の人達を除けば幼馴染ただ一人である。
「それなら、はい。これ飲んだらマシになるから」
ルースは腰に付けたポーチから小さな薬瓶を取り出した。
俺はそれを受け取るなり、何の薬か聞くこともせずに蓋を開け、一気に飲み干した。舌の上で捻じれるような苦みが喉を滑り降りて胃に消えていく。思わず顔をしかめずにはいられない独特の味わいだった。
「……何の薬?」
「酔い醒まし。効果が出るまで少し時間は掛かるけどね」
「自分で調合したのか?」
「もちろん。これでも癒し手の端くれですから」
ルースは自慢げに胸を叩いてみせた。そういえば、成人の儀式でルースが受け取ったカードの中にはアンコモンスキルの《調合》もあった。
《ヒーリング》だけでなくそのスキルも癒し手を志す理由だったのだろう。そしてルースは、そのスキルを見事に癒し手としての活動に生かしている。羨ましい限りだ。俺なんて節操なしにストックしたカードの一割も使いこなせていないというのに。
やがて拠点の周囲を一周して元の場所に戻ってくる。ちょうどそのとき、ルースが入り口の前に立っている人影に気が付いた。
「あれ? 誰かいる」
体格からしてデミライオンだ。誰かが夜風に当たりに来たのだろうと思っていると、《ライト》の光に気が付いたのか、人影がこちらに振り返った。
「ようやく見つけた。こんなところにいたのか」
「アルスラン? どうかしたんですか」
人影の正体はとてもよく見知った人物だった。ただしそれは俺に限っての話で、アルスランとルースは互いに初対面。ルースの側は俺から話を聞いているわけだが、それでもお互いよそよそしく挨拶を交わしている。
「……昼間の礼を改めてしておきたくてな。君が来てくれたおかげで迅速に事態を収拾できた。感謝する」
「アルスランにはいつも世話になってますから。それにあんな無茶をするなんて、どう考えてもただ事じゃないでしょう」
「うむ……色々と事情がな」
アルスランは困り顔で視線を泳がせている。ローラを助けた動機について本人からはまだ話を聞いていなかったが、今ここで訊ねるのはやめておいた。俺の想像が正しければ、付き合いの浅い他人の前で説明したい理由ではないはずだ。
想像だが、そもそもアルスランが今回の狩猟遠征に参加した理由は、ローラが参加すると知ったからだろう。
ザファル将軍が言うには、ローラはアルスランと幼馴染で、狩猟遠征に参加するのは今回が初めてらしい。幼馴染が危険な行事に出ると聞いて参戦を決意し、懸念したとおりトラブルに巻き込まれたから助けに向かった――そう考えても色々と辻褄が合う。
「俺も同じ事情があったら全く同じことをしたと思いますよ」
「……そうか。なるほどな」
ルースに横目で視線を向けると、アルスランも目線でそれを追い、合点がいったように頷いた。ルース本人は何のことだか分かっていないようだったが。
俺だってルースが危険な場所に行くと事前に分かったら駆けつけるはずだ。実際に危険な目に合えば何が何でも助けに行くはずだ。だからアルスランの気持ちは痛いほど理解できたし、力になりたいと自然に思うことができた。
「さて……用件を済ませたばかりで申し訳ないが、私は一足先に部屋へ戻らせてもらうよ。どうにも気分がすぐれなくてな……」
アルスランはそう言って拠点の方へ引き返していった。
その直後、いきなりアルスランの巨体がぐらついたかと思うと、冷たく湿った地面に片膝を突いて倒れかけた。
「ぐ、む……」
「大丈夫ですか? ひょっとして柄にもなく飲み過ぎたり……」
「待って!」
突然、ルースが顔色を変えてアルスランの傍へ駆け寄った。これまでに見たことがない真剣な表情で――いや、一度だけ見たことがある顔だ。村が盗賊に襲われたあの日、重傷を負わされた祖母を助けようと必死になっていたときの――
ルースは素早い動きでアルスランの呼吸と脈拍、眼球の動きを確かめると、急患を前にした癒し手の顔で俺に振り返った。
「違う、何かの毒物かも! フローレンス先生なら詳しく分かるはず……医務室まで運ぶから手伝って!」