146.騒がしくも穏やかな夜
アルスランの言った通り、簡素だった食堂は既に宴会場と化していた。
数脚の大テーブルの上には、肉が八割で野菜と穀物が二割の配分の料理が配膳され、一体どこにあったのか分からないほど大量の酒が並んでいる。そして俺達は、一番目立つテーブルに集められて盛大な歓待を受けていた。
「いやぁ、見事なもんだ! 二日で百二十五個だったか、新記録じゃないか?」
「うむ! 王牙のアルスランが率いる群れだけある!」
「だがイスカンダル王には及ぶまい。あの御仁はたった御一人で三日のうちに百を超える魔石をお集めになった傑物だからな」
何人ものデミライオンが俺達のテーブルに押しかけては、入れ代わり立ち代わり声を掛けたり、料理や酒を押し付けてきたりしてくる。
その殆どはアルスランに対応を任せているが、捌ききれない分が俺達の方にも次から次に流れ込んできて、文字通り気の休まる暇もない。
「これはちょっと想像以上よね……」
人の波が少しだけ収まったタイミングで、隣に座るレオナがこっそり肘打ちをしてきながら呟いてきた。
手にしたコップに注がれているのは、この辺りで執れる果物の果汁を水で薄めたものだ。レオナのアルコールの弱さは俺も本人も嫌というほど認識しているので、デミライオン達が持ってくる酒は徹底的に断っていた。
デミライオンは食べることも呑むことも豪快だ。彼らのペースで注がれる酒を飲んでいたら、レオナは明日起きられるのかも怪しくなってしまうだろう。
「明日も狩りに出るっていうのにあんなに呑んで。やっぱり体の構造が根本的に違ったりするのかな」
「さぁ? 少なくとも俺達は真似しない方が身のためだろうな」
「あー……それはちょっと手遅れかも」
レオナは困惑顔で食堂の中央を見やった。
椅子の上に立ったアイビスとルビィが、周りを囲むデミライオン達を煽りながら宴会を盛り立てている。酒盛りは冒険者の常とはいえ、節制やら慎みやらとは完全に無縁な楽しみっぷりだ。
依頼を終わらせた後ならまだしも、まだやることが残っているのにこのペースはどうなのだろう。酒の強さはひとそれぞれだが、アレはあまり良くないように思える。
というか弟のベリルが止めようと頑張っているあたり、少なくともルビィの方は普段より盛り上がり過ぎてしまっているようだ。
「二人とも明日は留守番かな」
「二人で済めばいいけどな」
「大丈夫でしょ。エステルはあっちでマイペースに飲んでるし、クリスは相変わらず余裕綽々で落ち着いてるし」
デミライオン達の対応をしているアルスラン。反対側の席でペースを維持して楽しんでいるエステルとクリス。羽目を外してしまったアイビスとルビィに、二人を止めようとしているベリル――
「そういえばアイツは? ほら、ハーディング家の長男とかいう」
レオナが今更そのことに気が付いた顔で辺りを見渡す。最初からいなかったのに今更気付くあたり、レオナはアーサーにあまり関心がないようだ。
むしろ俺としては、アーサーよりもココの姿が見当たらないことに違和感を覚えているのだが。
「アーサーならデミライオンのお偉方と会食だってさ。それよりココは……」
「にゃ-!」
「うわあっ!?」
噂をすれば何とやら。後ろから飛び掛かってきたココが背もたれごと捕まえる形でしがみついてきた。
突然のことに思わず慌てふためいてしまう。何かがおかしい。ココはこんな露骨な接触をしてくるような奴じゃないはずだ。いくらアルコールが入っているからって、飼い猫がやるような頬擦りまで。
そして何故だかレオナの視線が冷たい。頼むから『そんな関係だったのか』みたいな目で見ないでくれ。どう見ても酔っぱらっているんだから。
「ふむ、取り込み中だったかな」
豹変したココに四苦八苦していると、聞き覚えのある渋い声が投げかけられた。声の主は堂々とした鬣を蓄えたデミライオンだ。シンプルな私服だったので少し判別に困ったが、声からしてザファル将軍に間違いない。
それに、その後ろで拗ねた顔で腕組みをしている女性は簡単に見分けがつく。アルスランの幼馴染でザファル将軍の娘のローラだ。普通の人間の女性に、耳や尻尾といったライオンの特徴が加わった外見なので、他のデミライオンより格段に顔を覚えやすかった。
「すみませんザファル将軍。お見苦しいところを……」
「無礼講の場だ。き第一、その酒を飲んでは理性など保てまいさ」
ここで俺は初めて、ココが持っていた小さな酒瓶に注意を向けた。見た目は黄色か黄緑がかった果実酒で、香りはキウイフルーツのそれに近い。
「そんなに強い酒なんですか?」
「我々やデミキャットにとってはな。いわゆるマタタビ酒という代物だ」
「ああ……マタタビ効くんだ、デミキャット……」
腑に落ちたような、逆に意外なような。何とも言えない複雑な心境だ。
そういえば、キウイはマタタビの一種を品種改良したものだと聞いたことがある。香りが似ているのはそのせいだったんだろう。
「現物の果実は少々気分が良くなる程度だが、酒にすると途端にこうなるのだ。錬金術師共が言うところの相乗効果というものなのかもしれん。我々の土地では軟弱者が飲む酒という扱いゆえ、表立っては飲まれないが……誰が持ち込んだのやら」
「私じゃないからな」
ローラが掛けられてもいない疑いを否定する。日中の一件でも思ったが、本当に意地っ張りな性格のようだ。
「君ともう一度話をしたかったが、忙しいようなら……」
ザファル将軍がそう言いかけたところで、レオナが酔い潰れたココを引き剝がしてくれた。
「とりあえず部屋に寝かせてくるから」
「悪い、頼んだ」
ココを運ぶレオナの背中を見送って、改めてザファル将軍と向かい合う。どさくさ紛れにこっそりと離れようとするローラを、将軍がすかさず呼び止めた。
「待ちなさい。恩人に礼も言わないつもりか」
「何で? あのときは仲間でもなかったし、別に頼んでも……」
「ローラ。助けを必要としたのはお前達の未熟さが原因だ。助けられたことを逆恨みせず、未熟を認め潔く恥を背負うことが大人の立ち振る舞いだと教えただろう」
「…………。……ありがと」
ローラはそれだけ言って、逃げるようにアルスランに駆け寄ってからかいの言葉を投げかけ始めた。
将軍という地位にある人物としてではなく、一人の父親として子供に大切なことを教えている――ザファルとローラのやり取りからはそんな空気を感じた。
「無礼な娘ですまない。あれは今回が初めての遠征狩猟でな、恥をかくことを必要以上に恐れているようなのだ」
「なんとなく気持ちは分かります。気負いすぎてしまうというか、完璧にこなさないと恥ずかしいと感じてしまうんですよね。デミライオンの価値観も教わってますから、ローラさんのことは別に気にしていませんよ」
ザファルの酌を有難く受け、きつめの酒を一口喉に流し込む。将軍直々の登場とあってか、他のデミライオン達がこちらにやって来ることもなく、落ち着いて会話を交わすことができた。
「君は年齢の割に思慮深いようだな。恥ずかしながら、私が君くらいの頃には自惚れやで向こう見ずな男だったよ」
「そんなことないですよ。俺なんてまだまだです」
実際、俺は精神的にプラス十歳程度上乗せされてるようなものではある。詳しい説明はしたくないので、その辺は適当に流しておくことにした。
「それにしても、色々な縛りがあると大変そうですね。狩猟のときは助けを求めたらいけないけど戦争なら許されるとか。俺の故郷が緩い土地柄だからそう感じるだけかもしれませんけど」
「他部族の者はよくそう言うな。だが、我らの掟は存外に単純なのだ」
ザファルは獅子の顔の口吻を笑うように歪めた。アルスランとの付き合いが長くなってきたおかげか、デミライオンの表情の変化もだんだん読み取れるようになってきた気がする。
「仲間は頼り頼られるべきものだが、そうでない者に命運を預けるな――ただこれだけなのだ。狩猟においては共に狩りを行う者が仲間であり、戦場においては同胞全てと同盟者全てが仲間となる。違うのはそれだけだ」
「……見当違いな解釈なら申し訳ないんですけど、つまり狩りのときは獅子の視点で、戦いのときは人の視点なんでしょうか」
「いい表現だ」
そう言ってザファルは笑みを深めた。
「獅子の狩りは群れこそ全て。群れ以外に頼る時点で終わりといえる。人の戦は複雑怪奇。敵と味方は利害によって入れ替わる。そして我々は、その両方において『仲間は助け合い、そうでなければ頼るな』という原則を貫いているわけだ」
まだ酒が回っているわけではないはずだが、ザファルは不思議と饒舌になっていた。ひょっとして元からこういう性格なのだろうか。
「――ああ、ちなみに。我らの郷で最も酷い恥とされるのは利敵行為と命乞いだ。仲間でないだけの他人に対してすら恥なのだから、敵に命運を預けるなど言語道断というわけだな。まぁ、こちらは狩猟においては全く関係ないわけだが」
「魔獣相手に命乞いなんてしても意味はないですしね」
森で出会った熊に土下座をしても頭からスナック感覚で食べられる。魔獣が相手でも同じことだ。
けれど、ふと思う。人間に子供を治すよう要求したあの魔獣のように、知性を感じさせる魔獣の場合は別なのではないだろうか。そして――
――そもそもアレは魔獣と呼んでもいいのだろうか。
「あー……やっぱり少し飲み過ぎたな」
ザファルとの会話を終え、俺は酔いを醒ますために拠点の外に出て冷たい風を浴びていた。
さっきは羽目を外し過ぎたアイビスとルビィに呆れた視線を向けていたが、これでは二人のことを偉そうに言えるものではない。
ぼうっとした頭で空を見上げる。
冬の夜の空気はとてもよく澄んでいて、夜空にびっしりと星が敷き詰められているのが良く見える。人里から遠く離れていることもあり、星を見るには最高の環境といえるだろう。
天体観察趣味のない俺でも感心せずにはいられない絶景だ。
「カイ? こんなところにいたんだ」
不意に声を掛けられたので振り返ってみると、すぐ近くでルースが微笑んでいた。月明りと拠点の窓から漏れる光しか光源のない暗闇だが、真っ白な癒し手の服を着ているせいか割と目立っている。
「散歩だよ。ちょっと酔いでも醒まそうと思って」
「じゃあ私もついてくね。こんな寒いのに外で寝られたら大変だもの」
こんな薄暗闇でもルースの笑顔はよく分かった。本当に見えているわけではなく、視認できなくても脳裏に浮かぶくらいに見慣れているだけかもしれないが。




