144.即席執刀
《捕食者の瞳》をコピーさせてくれた癒し手のベルナデットは、殺傷に特化したこのスキルを医療のために応用させていた。俺はそれを、自分が使うなら殺傷のために使うことになると言ってコピーさせてもらったわけだが、まさか初めての有効活用が魔物の手当てになるなんて思わなかった。
アルスランが言っていたとおり、雛鳥の体に外傷は見当たらない。しかし、翼をばたつかせて身動ぎする様子を観察していれば、体のどこに不具合があるのかはすぐに分かる。
「……右の翼、ここだな。骨がズレてくっついてるんだ」
翼に手を添えて開かせてみる。すると、雛鳥が鳴きながら暴れ出した。さっきから動き方が少し変だったのは、正しい動き方をしたら翼に痛みが生じてしまうせいなのだろう。
原因が分かったのはいいが、こんなに暴れられては手当てのしようがない。仕方なく、俺は《ワイルドカード》をスペルカードに切り替え、雛鳥が落ち着くのを待ってから素早く詠唱した。
「《スリープミスト》」
眠りに誘う霧に包まれ、雛鳥はあっという間に意識を手放した。
拡散して薄れていない高濃度の《スリープミスト》がもたらす眠りは、ただの睡眠よりも麻酔による眠りに近い。治療のために使うのは初めてだが、多少の痛みでは目を覚まさないはずだ。
「よし……当分はこれで騒がない……はず」
「だが骨の問題となると面倒だな。飛行に支障が出るようなら、一度折り直してから繋ぎ直さなければならないのではないか?」
「大丈夫ですよ。上手く行けばすぐにでも終わります」
不安そうなアルスランにそう言って、再び《捕食者の瞳》をコピーする。
正確な負傷箇所を割り出し、ナイフで薄い傷をつけて目印を残してから、今度は先程と同じように《ヒーリング》をコピーして双剣に融合させる。
この刃は、痛みもなく血肉を切り開いてから元通りに戻す作用がある。外傷に刺せば、傷を上書きして無傷の状態に戻すこともできる。つまり――
「ズレてくっついた部分を、こいつで切り離してやればいいんです」
「……随分な荒療治に思えるのだが、普通に《ヒーリング》を使うだけでは治せないのか。折って繋ぎ直すよりは穏当かもしれないが……」
「多分無理ですね。《ヒーリング》は既に治っている部分をそれ以上治せないんです」
これは《ヒーリング》の欠点の一つだ。今まで俺が《ヒーリング》を使ってきた場面は、全て受けたばかりの傷をすぐに治す用途だったので、意識することは一度もなかったのだが。
「どんなに形が悪くても……ズレてくっついていてしまっていても、それ以上自然治癒が働かない状態だと《ヒーリング》は作用しません。傷跡を消せるスキルじゃないんです。ズレた骨のせいで起きてる炎症なら治せますけど、骨がそのままならどうせ再発するでしょうし」
「なるほど……だからその形態で用いるわけか」
「はい。剣と融合させた状態なら、新しい傷を与えてからそれを治すので、古傷も上書きして治せるっていう理屈ですね」
だからこそ、わざわざ自分の手を刺し貫いてまで、親鳥にこの剣の効果を見せつけたのだ。このやり方でなければ治せないかもしれないが、いきなりやってしまったら親鳥を激怒させてしまうかもしれなかった。
そしてナイフで刻んだ目印は、《捕食者の瞳》がなくてもズレたポイントに正確な角度で刃を通せるようにするためのものだ。この傷もついでに治療されて消えるから跡も残らない。
「さて……」
呼吸を整えて集中し、刃を目印の傷から雛鳥の翼の肉へ勢いよく振り下ろす。勢いがなければ骨まで断ち切れない。迷いのない一振りで、骨の接合箇所を正確に刺し貫く。
「……これで、どうだ?」
親鳥からの猛烈なプレッシャーを浴びながら、片手で翼の位置を調節しつつ、刀身をゆっくりと引き抜いていく。焦る必要はない。魔力が続く限りやり直しは効くのだから。……親鳥の怒りを買わなければ。
刀身を抜き取り終えたら、今度は《捕食者の瞳》で治り具合を確かめる。流石に体内を透視したりはできないが、外から翼に触れたり動かしたりしてやればおおよその見当はつく。
「これでよし。後は起こしてやって具合を確かめさせれば終わりだけど……このスペルを使う機会があるなんてな」
《ヒーリング》の融合を解除して別のスペルカードをコピーする。ストックに入っていたのはかなり前だが、これまで使う機会のなかったカードだ。
「《アウェイクン》」
その一言で《スリープミスト》の眠りが瞬く間に解除される。
眠りを覚ますというただそれだけの低レアスペル。普通の眠りに対しては大声を出したり揺り動かして起こす方が効率的で、有効活用できる特殊な眠りは遭遇すること自体が稀、なおかつ本人が眠らされたら意味がないという使い所の限られるカードだった。
「ほら。具合はどうだ?」
雛鳥が目を覚まし、のっそりと起き上がる。そして右の翼の具合を不思議そうに確かめてから、思い切って力強く羽ばたかせた。
「うわっ!」
人間と大差ない大きさの雛鳥が、猛烈な風をまき散らしながらふわりと浮き上がる。風に倒されないよう踏ん張りながら、《ワイルドカード》を《捕食者の瞳》に切り替えて、飛び方に違和感がないかどうか目視で確かめる。
――問題なし。翼を庇う様子のない万全の飛び方だ。
《捕食者の瞳》本来の用法としては、獲物にするには不適であるというネガティブな判定だが、この使い方なら最高の結果だ。
「驚いた。筋肉が衰えているかと思ったのだが」
アルスランも感心した顔で羽ばたく雛鳥を見上げている。長い間動けなければリハビリが必要になるのは人間も同じだ。
「そんなことはなかったですよ。魔獣だから衰えにくいのか、負傷してからそんなに時間が経ってなかったのかは分かりませんけど」
何はともあれ、飛べるようになったのなら目的達成だ。
地上の巣に鎮座する親鳥を見上げ、これでどうだと言ってやろうとした矢先、巨大なくちばしの丸みを帯びた部分がぐりぐりと押し付けられた。
「……礼でも言ってるのか?」
荒っぽい表現だが、そう考えると悪い気はしない。
やがて親鳥は首を持ち上げ、澄み切った声で高らかに鳴いた。絹のような羽毛に覆われた胸部が光を放つ。その光が空中でいくつもの小さな塊を形作ったかと思うと、俺めがけて雹や霰のように降り注いできた。
「うわっ! わっ、わ……うおっ!」
数十個の石の雨を浴びてその場で尻もちをついてしまう。何かの攻撃かとも思ったが、降り注いだ石の正体に気付いて思わず大声を上げてしまった。
「……これ、魔石か!?」
俺の半身を埋める勢いで積み重なったそれは、紛れもなく魔石そのものだった。数は十や二十ではとても収まらない。ひょっとしたらこれだけで、Cランクへの正式昇格条件を満たせるくらいかもしれなかった。
「くれるのか? ……お前、凄い魔獣だったんだな」
魔石の貯蔵数は魔物の強さのバロメーターである。貯蔵数の何割をばらまいたのかは分からないが、少なくともナイトウルフやバイコーンの数倍は貯め込めるのだろう。
これほどの魔獣とこんなに平和的な遭遇をすることになるなんて。世の中、何が起こるか分からないものである。
今度は雛鳥がばさばさと羽を鳴らして降りてきたかと思うと、まだ幼いくちばしを俺の鼻先に突き付けた。その先端には魔石が一個咥えられている。他の魔石よりも濃い色合いをした大粒の魔石だ。
「ありがとな。大事に使うよ」
雛鳥は心地いい音色の鳴き声を上げた。きっと喜んでいるんだろう。
俺が贈り物を受け取ったのを確かめてから、巨大な鳥の魔獣は色鮮やかな翼を広げ、飛び立つ準備を始めた。俺は爽やかな気分でそれを見送ろうとしていたが、ふとあることに気が付いて、一気に血の気が引いた。
「ちょっと待て! 今ここで飛ぶ気か!?」
子供の方でもあれほどの風圧だ。親鳥が飛び立てばどうなるか分かったものじゃない。
「いかん!」
「ちょっと……わわっ!」
アルスランがローラを庇った瞬間、親鳥が巨大な翼を躊躇いなく振り下ろした。
竜巻じみた突風が地面を薙ぎ払う。吹き飛ばされて地面を転がる俺の視界に、周囲を囲む淡い光のドームが溶けるように消えていく光景と、魔獣の親子が空高く飛び去っていく姿が映った。
元気になったことを嬉しく思う気持ちと、どうせなら俺達が立ち去るまで待って欲しかったと恨みがましく思う気持ちを抱きながら、砂と土にまみれた体を立ち上がらせる。
そのとき――
「――――!」
嫌な臭いが鼻腔を突く。血だ。濃厚な血の臭いが漂っている。
入ってくるときにはこんな臭いはしなかった。雛鳥の治療をしている間に何かが起こったのだ。俺は心の底から嫌な予感を覚え、臭気が流れてくる方へ向かって駆け出した。
血だまりを踏み越え、血飛沫を散らし、砂埃の中を走る。その最中、柔らかいものを――生き物の肉を踏んだ感触が靴越しに伝わってきた。
「っ……!」
だがそれは人ではなく『蛇』だった。人間を軽く呑み込めるほどの大蛇が、ぶつ切り一歩手前の肉塊と化して地面に転がっていた。それも一匹や二匹ではない。何匹もの大蛇が大量の血を垂れ流して息絶えている。
俺は皆を探して必死に辺りを見渡した。姿が見えないのは既にここを離れているからか、それとも突風で吹き飛ばされてしまったからか。
砂嵐が収まり、大蛇の死骸以外のものが見えるようになってくる。その中には、音もなく横たわる華奢な少女の姿が――
「レオナ!」
余計な思考を挟む間もなくレオナに駆け寄り、無我夢中で抱え起こす。レオナは頭から胸までべっとりと血にまみれ、苦しそうな息を漏らしていた。
「大丈夫か! くそっ、すぐに《ヒーリング》を……」
「……カイ? 無事だったんだ……よかった」
「俺の心配なんてしてる場合じゃないだろ!」
負傷の深さを確かめようとレオナの体を検めるが、どんな傷を負ったのかも判別できない。《狩猟者の瞳》をもってしても。それが更に俺を焦らせた。
ところが、レオナは俺の焦りに反し、至近距離から至って落ち着いた態度でじっと見返してきた。
「これ、ただの返り血だから。返り討ちにしたときに頭から浴びちゃっただけ。それとあちこち触り過ぎ」
「あ……わ、悪い……」
「……まぁいいんだけど。心配されないよりはマシだし」
レオナはよく分からない態度のままで俺の腕の中から立ち上がり、くるりと背中を向けた。
不覚にも慌て過ぎてしまった。そもそも《狩猟者の瞳》で身体的な不具合が見抜けない時点で気を失っているだけだと気付くべきだ。それができなかったのは、血まみれで倒れているレオナという衝撃的すぎる光景のせいだった。あれを見せられて平静を保てという方に無理がある。
「大きな蛇の群れが急に襲い掛かってきてさ。ようやく撃退できたと思ったら、例のドームがいきなり内側から破裂して吹き飛ばされたのよ。そのせいで気を失ってたみたいんだけど……中で何があったの?」
「何というか、一言では説明しづらいんだ。皆と合流してから説明するよ」
俺は気を取り直して他の皆を探すことにした。レオナは無事だったが、全員がそうとは限らない。吹き飛ばされて怪我をしていなければいいのだが。