143.合流と難題(2/2)
百聞は一見に如かずということか。一旦馬を下り、ルビィの先導で森の奥へと進んでいく。
そのうち、崖のような急斜面に行き当たる。馬に乗ったまま進んでいたら落ちていたかもと呟き合いながら、どうやって降りたものかと思案していると、アイビスが一人だけ先に飛んで降りてしまった。
「お先に失礼……って、ああ!?」
「どうした!」
悲鳴のような驚きの声が崖下に響く。慌てて崖を滑り降りて合流した俺の目に、とても信じられないような光景が飛び込んできた。
淡い光のドームが荒れ地の落ち窪んだ部分に鎮座している。明らかに自然の産物ではない。見上げるほどの大きさで、表面が微かに渦を巻くように流動している。
スペルかそれとも錬金術の産物か。あまりにも非自然的な代物だったので、本来こんなところに存在しないものだと直感的に理解できた。
「来てくれたか、カイ」
「アルスラン……!」
光のドームの陰から、白獅子のデミライオンが健在な姿を現した。ルビィの言っていたとおりダメージを受けた様子がまるでない。戦った形跡の汚れすらほとんど見られなかった。
「ロックサンドとマイナーズに君を呼んできてもらう手筈だったのだが、どうやら入れ違い寸前だったようだな。とにかく、君が来てくれてよかった」
「何か問題でもあったんですか」
「うむ。君のスキルの力を借りなければならないかもしれん」
アルスランは鬣の顎部分を撫でながら光のドームを見上げた。
「すまないが、詳しい事情はあれの中でしたい」
「あれって……光ってるこれの中ですか?」
「そうだ。それと彼女を刺激したくはないので、入るのは君だけにさせてもらいたい。他の者達は外で待たせておいてくれ」
耳を疑うようなを言われてしまったが、アルスランは冗談でこんなことを言う人物ではない。きっと、この光のドームの中で何かが待っているのだ。ルビィが言っていた『このままだと帰れないかもしれない』理由となる何かが。
アルスランは自ら率先して光のドームに足を向け、光のドームの壁を沈み込むように通り抜けていった。
何が何だかまるで分からないが、現状を理解するためにはアルスランについて行くしかなさそうだ。俺は覚悟を決め、追いついてきたレオナに事情を説明してから、光のドームの壁に踏み込んだ。
「うおっ……!」
熱気が身体の芯まで突き抜けていく。先ほど感じた感覚よりもずっと濃密で圧力のある熱さだ。
目蓋を閉じたままそれを通り抜けると、冬とは思えないくらいに暖かな空気が頬を撫で、内壁が発する淡い光が目蓋越しに感じられた。そして目を開いた瞬間、今日経験したどんな出来事よりも信じられない光景が視界に飛び込んできた。
「冗談だろ……」
それは巨大な鳥だった。グランホークよりも更に大きな鳥が、地上に設けられた巣らしきものに鎮座している。ただ大きいだけなら驚くことはなかった。それだけならグランホークの二番煎じに過ぎなかった。
しかしそれは、グランホークなど比較にもならないほど神々しかった。
赤と金を基調とした華やかで煌びやかな翼。日の出の来光よりも繊細で鮮やかな飾り羽。そして腹の奥底で感じる、膨大な魔力が放つ不可視の圧力。
朱雀、鳳凰、不死鳥――新堂海が持つ知識の中から、それらしき単語が次々に脳裏を過っていく。
人語すら喋るのではと思ってしまうほどだったが、金細工のような嘴から放たれた声は、大音量ながらも心地よい響きの鳴き声だった。
「魔物……鳥の魔物……なのか?」
目の前の存在が鳥らしい声で鳴いたのを聞いて、何故かほっとしてしまう。流石にそこまで人知を超えた存在ではないと分かったからだろうか。
アルスランに詳しい事情を聴こうとした矢先、ドームの傍らからどこかで聞いたことのある女性の声がした。
「本当に来たんだ。結局アルスランの言ったとおりかぁ」
「ローラさん?」
声のした方を見ると、ライオンの耳と尻尾を生やした体格のいい女性―デミライオンのローラが、綺麗な羽毛の山を椅子代わりにして座っていた。羽毛と言っても、本体が巨大な鳥というだけあって普通のサイズではない。一枚あたりが寝袋ほどもあるような規格外の大きさだ。
彼女もまたアルスランと同様に怪我一つしていない。魔獣に攫われたなんてとても信じられないくらいである。
「アルスランが何か言ってたんですか」
「きっと彼らはすぐにでも駆けつけてくれるだろう、ってね。本当、里の外の連中は何考えてんだか分かんないや。放っといてくれた方が良かったのに」
ローラは助けが来たことに不満を感じているように見えた。
よくよく考えれば当然の反応だ。普通のデミライオンは、狩猟中に他のグループに助けられることを恥じる価値観で生きている。ローラにとって、俺やアルスランの助けは望んでいた結果ではないのだろう。
「そちらがデミライオンの流儀を貫くなら、こちらも俺達の流儀を貫くだけですよ。助けられるのに助けなかったなんて、街に帰ってからどんな顔で説明しろっていうんですか」
本音を言うと、街に帰る以前の問題である。助けに行けば助けられたけどわざと無視しましたなんて話、とてもじゃないが幼馴染にできたものじゃない。あいつにはもっと格好のつく話だけをしたかった。
これはカイ・アデルにとっての意地だ。デミライオン達が助けられるのを恥と思うのと同じくらい、俺はルースに情けないところを見せたくない。新堂海の記憶とは完全に無関係な、カイ・アデルだけの拘りだった。
「俺にだって自尊心はあるんですよ。俺達が居合わせたのが運の尽きだと思って、諦めて助けられてください」
「……分かったよ。私の負けだ」
ローラは拗ねたような顔でそっぽを向いた。大人びた見た目の割に子供っぽい反応である。
何はともあれ、納得してくれたのならそれでいい。俺はアルスランに向き直って、改めて今の状況を確認することにした。
「それで、何がどうなってるんですか。全く状況が掴めないんですけど」
「察しは付いていると思うが、ローラを攫ったのはそこにいる魔獣だ。その目的なのだが……」
アルスランが太い指で器用に指笛を吹く。すると地上の巣と鳥の魔獣の体の隙間から、鮮やかな彩りの巨鳥――というよりは雛鳥だろうか――がひょっこりと姿を現した。
親が巨大なだけあって子供も大きく、頭の高さが俺の背丈と同じくらいだ。威嚇ともつかない鳴き声を上げながらしきりに体を動かしているが、その動き方には妙な違和感があった。
何気なく、コピーしたままの《捕食者の瞳》で雛鳥を観察する。生育状態は良好。既に空を飛べるくらいには育っているし、飛行に必要な筋肉もそれなりに鍛えられている。しかし――
「こいつ……怪我してるのか」
「そのようだ」
アルスランは首肯した。
「言語が通じないので大いに推測を含むが、どうやら彼女は雛鳥を治させるために人間を攫ったようなのだ。狩猟に参加している誰かが治癒系スペルで傷を癒したのを目撃したのだろう」
「それで、人間を連れてくれば子供を治せるって解釈したのか?」
「恐らくは。デミライオンの見分けがつかなかったのか、人間なら誰でも同じことができると思い込んだのか……」
俺達のやり取りに、ローラが横合いから言葉を投げかけてくる。
「こいつもそこまで馬鹿じゃないよ。最初に狙われたのはうちのパーティの治療担当だったし。私がそいつを庇って捕まったわけだけど、ここに連れて来てからは何も要求されてないんだ」
「何も……?」
「言葉が分からなくても、こいつ何か要求してるな、ってのは分かるだろ? そういうのが何もなかった。逃げようとしたら連れ戻されるけど、それ以上は何も」
二人の話を聞いて大いに納得できた。目の前に鎮座する巨大かつ絢爛な鳥の魔獣――アルスランが言うところの彼女が何をしようとしているのか理解できた、と思う。
魔獣と話せるようなスキルがあればもっと確実なのだが、そんなカードが市場に出回っているところを見たことがない。そもそも存在するのかも分からないモノを当てにするのは性に合わない。
「つまり人質ってわけか。一人捕まえておけば仲間が助けに来るはずだもんな。リスクが高過ぎるうえに今回は相手が悪かったわけだけど」
事情を理解されずに討たれてしまう可能性だってあったのだ。そのリスクを背負うに値する理由だったのだろうが、まさか相手が狩りの最中に助けられることを恥と思う民族だったとは、夢にも思わなかったに違いない。
「アルスラン。あの雛鳥の診断は?」
「獣医ではないので何とも言えんが、少なくとも外傷はなかったな。あまり長く触れていると親鳥が怒るから、詳しくは分からん」
「治させるつもりなのに怒るのか……本当に治せる奴なのか疑ってるんだろうな。だったらまずは信用されるところから始めないと駄目みたいだな」
双剣の片割れを右手に実体化させる。俺以外の全員が驚きを露わにする中、俺は鋭く尖った切っ先を左の掌に突き立てた。
「ぐっ……!」
存外に太い血管を傷つけてしまったらしく、大量の血液がぶしゅりと溢れる。
引き抜いた剣を即座に《ヒーリング》と融合させ、今度は治癒の力を帯びた刀身をさっきの傷口に突き刺していく。痛みがないのに肉が開かれていく気持ち悪さを堪えながら、掌の負傷を癒しつつゆっくりと剣を引き抜く。
「ほら、見ろ。お望み通り、傷を治せる人間だ」
傷の塞がった左手を見せつけてやる。巨大な親鳥はその手を穴が開くほど見つめてから、人間の背丈ほどもある雛鳥をその大きな翼でぐいと前に押し出した。
信用された――そう捉えていいのだろう。俺は剣の実体化を解除し、《ワイルドカード》のコピー状態を《ヒーリング》から《捕食者の瞳》に切り替えて、見様見真似の診断と治療に取り掛かった。