141.魔物の生態
アーサーから話を聞きたいのは山々だが、流石に立ち話を続ける暇はないので、荒山を馬で登りながら聞き出すことにした。
「お前達を追ってきた理由の半分は、この機会に便乗して山に乗り込もうという魂胆だな。流石の俺も一人では手に余る」
この山に道と呼べるものはない。人が棲む領域の外にある以上、人間や騎馬を想定した舗装なんてされているはずなどなく、大きな岩の少ないルートを目視で選びながら進むしかなかった。
本当はずっと全力疾走させたいのだが、こんな荒れ地で無茶をさせたら足が壊れてしまうかもしれない。なので逸る気持ちを抑えて駆け足程度の速度に留めている。
「もう半分の理由は、アンジェリカから聞いた情報を伝えるためだ」
「司令官が?」
「うむ。デミライオン共がこの土地を狩猟の場に選んだ理由にも通じるのだが……元々、要塞前の荒野には魔獣はほとんどいなかったそうだ」
本来、魔獣が棲息しているのは荒野を越えた先に広がる荒れた山地――つまりこの場所であり、荒野に棲息する魔獣はほんの少数だった。原因は諸説あるそうだが、あの荒野は要塞と荒山の間に横たわる空白地帯、緩衝地帯として機能していたという。
ところが、去年の暮れ頃になってそれが一変した。大量の魔獣が山を下りてきて我が物顔で闊歩し始めたのだ。
辺境要塞はもともとこのような事態に備えて配置されていたものなので、大型の魔獣が国内に侵入する事態は避けられているそうだが、要塞側にも支城の破壊などの被害が出てしまった。
「そんな折に、デミライオンの側から『どうせなら我らに狩らせろ』と声をかけてきたわけだ」
「山に餌がなくなって人里に降りてきた猪みたいなものですか」
「いや、その可能性は低いな」
最もありえそうな理由を挙げてみたつもりだったが、あっさり否定された。
「考えてもみろ。グランホークのような巨体がまっとうな方法で栄養を摂ろうと思ったら、一体どれほどの獲物が必要になると思う? こんな不毛の地では間違いなく餌が足りんだろう」
確かにその通りではある。この周辺の環境は、多くの生物や大型の動物を生かすことができない。
肉食動物が生きるには充分な数の草食動物が必要になるし、その草食動物が生きるためには大量の草木が必要だ。ホッキョクグマだって豊富な植物プランクトンがあるからこそ生きていられるのだ。
「でも魔物は前からここに棲んでるんですよね。霞でも食べて生きているっていうんですか」
「惜しいな。世間では魔物の定義を『魔力を持つ生物』や『魔石を体内に有する生物』と考えることが多いが、厳密には違う。最新の定説では『魔力を養分にできる生物』が魔獣の定義だ」
「……魔力を、養分に?」
ぶっ飛んだ珍説にしか聞こえなかったが、アーサーの表情は至って大真面目だ。俺達をからかっているようにはとても見えない。
どんな生物も食事として摂取したエネルギーから魔力を生み出すことができる。人間の魔力だってそうやって生成されるものだ。普通ならこれは不可逆の変換なのだが、魔獣はその変換が可能なのだという。
アーサーが言うには、肉食の魔物は他の魔物を魔石ごと食らい、バイコーンのように草食動物が原型の場合は死亡時に出現する魔石を直接摂取して養分に変えるらしい。余剰分は体内で再び石に変わり、次の獲物を捕らえるまでの養分として利用されるという仕組みだ。
また、魔物でない生物を捕食した場合、血肉から得られる通常の栄養に加えて、その生物が肉体に帯びている魔力までも養分として吸収できるという。
「魔物にとっては魔石一つでも充分な養分となる。故に魔物は苛烈な環境下でも平然と生きていられるわけだな」
「つまり魔石はラクダの瘤か……」
魔力を栄養にできる生物が、必要以上に摂取した魔力を貯蓄する機能――どうして魔獣の体内に魔石があるのか不思議だったが、アーサーの説明が本当なら筋の通った説明ではある。
それに普通の肉は死んでしばらく経つと食べられなくなってしまうが、死んだ魔物の魔石を拾っていた時代があることからも分かるように、魔石はそうではない。自然死した魔物や食べ残しの魔石も地上に残り続けるから、捕食サイクルの無駄が普通よりも格段に減っている。
「ということは」
並走する馬の上でベリルが声を上げた瞬間、後ろに積んでいた大荷物めがけてアイビスが降ってきた。
「うわぁ!?」
「飛ぶの疲れたー……みんな急ぎ過ぎだってばぁ。追いつくために何回加速したと思ってるのさ」
慌てふためくベリルのことなど気にする様子もなく、アイビスは大荷物に覆い被さりながら不満を呟いている。そういえばアイビスにはずっと自力で空を飛んでもらっていた。流石に疲労が溜まってしまったようだ。
「……魔物って、食べれば食べるほど魔石の数が増えていくんですか?」
どうにか態勢を整えてから律儀に質問を再開するベリル。それを見たアーサーは愉快そうに笑いながら回答した。
「いや、上限がある。種による違いや個体差もあるが、強靭な肉体を持つ魔物ほど多くの魔石を貯蔵可能だ。人間も体が丈夫な奴ほどカードの合計セットコストの限界値が高いだろう? それと同じだな」
ちなみに、限界を超えた魔力の摂取はカードの過剰セットと同様に肉体に悪影響を与えるので、多くの魔物は許容量を満たした時点で食べるのを止めてしまうんだとか。
ふと、つい最近戦ったゴブリンの生態が脳裏を過る。ゴブリンには仲間の死体から現れる魔石を集める習性があるという。ルイソンは光物を集める習性の延長だと説明していたが、ひょっとしてアレは保存食だったのではないだろうか。
「強い肉体を持つ魔物ほど魔石を多く貯蔵できる。そして貯蔵した魔石は戦闘時の緊急魔力源としても使用される。二重の意味で魔石の数は魔物の強さを表す指標になるわけだ」
一定時間あたりの変換量にも限度があるので、戦闘中に変換可能な魔石はせいぜい一個分止まりだが、とアーサーは補足を加えた。
「なるほど……魔物について詳しいんですね」
「辺境要塞の任務を与えられるかもしれんと思って予習したからな。まぁ、今回は残念ながらアンジェリカに役目を取られてしまったが」
表情といい口調といい、本当に残念そうな言い方だ。インテリなのか単純な脳筋なのかよく分からない男である。
「話が逸れたな。要するに、魔物の『餌』が不足したのなら、あれほど大量の魔物がうろつき回るなんて有り得んわけだ。それに、飢えた魔物は体内の魔石を消費しているはずだが、それすら確認されていないだろう?」
遠回りになってしまったが、アーサーの言いたいことはだいたい理解できた。
魔物にとっては他の魔物が大量にいる時点で餌が豊富な環境なのだ。自力では狩れなくても、強い魔獣の食べ残しにでも与ることができれば充分に生き永らえることができる。
「つまり、あの魔獣達は別の理由で山を出てきたってことですか。例えば――」
俺は新たに思い浮かんだ仮説を口にした。
「――手に負えない敵に山を追われたとか」
「ああ。その可能性をアンジェリカから聞き出したので伝えに来たわけだ」
「脱線しすぎですよ。最初からそう説明してくれても理解できました」
冗談めかしてはみたものの、これは流石に想定外だ。
後ろに座るレオナが息を呑む気配と、微かな震えが背中越しに伝わってくる。本当にアンジェリカの予想通りだとしたら、この先には荒野にいた魔獣以上の脅威が潜んでいることになる。不安を感じるのも当然だろう。
俺はレオナを安心させる意味も込めて、少しばかり楽観的な予想も立ててみることにした。
「ひょっとしたらさっきのグランホークがその元凶で、ローラを攫った犯人だったから既に解決済みって可能性もあるかもな」
「……武者震いだからね、今の」
流石に露骨過ぎたか。意図をあっさり見抜かれてしまった。
そのとき、ベリルの騎馬の後部で休憩していたアイビスが何気ない態度でとんでもないことを口走った。
「さっきのはローラを攫った奴じゃないよ」
「えっ!?」
「連れて行かれた方向はこっちで合ってるけど、連れて行ったのはもっとカラフルで派手な鳥だよ」
「な、何で分かるんだ?」
アイビスは心底不思議そうな顔をした。
「だって私、現場に居合わせたし飛んで追いかけたもん。速攻で振り切られちゃったけど。あれ……言ってなかったっけ?」