132.辺境要塞(1/2)
『狩猟遠征』が行われる土地までは馬車で移動することになっている。都市と呼べる街の中で最も東に位置するハイデン市、そこから更に東へ向かった先の帝国の東端。
田舎を通り越してもはや辺境であり、そこに住む人間は皆無に近い。常識的に考えれば道なき道を行くしかないはずだ。
ところが、俺達を乗せた馬車は、想像していたよりもずっと整った道を進んでいた。流石に平地の街道ほど綺麗ではないが、大きめの馬車がすれ違える程度の道幅で、何時間走っていても不快感を感じないくらいに平坦だ。
道の左右には人の手が入っていない山地が広がり、場違いなくらいに整った道が山地を突っ切っるように伸びている。この先に人の生きる街なんて存在しないはずなのに。
「この道は東方辺境要塞に直結している」
アルスランが奇妙なまでに整った道の由来を語り始める。それを聞いているのは俺とベリルの二人だけだ。メンバー全員を乗せられる大型馬車の都合が付かなかったので、小型と中型の二台を借りて分乗する形になっている。
「要塞建造のための資材と人員を運ぶために道を切り開き、その後も配備された人員の交代などで使い続けているわけだ」
「それってつまり、そこまで苦労してでも要塞を作らなければいけなかったってことですよね。そこより向こうには人間が住んでいないのに」
ベリルの疑問にアルスランは簡潔に答えた。
「だからこそ狩猟遠征の場として選ばれたわけだ」
「ああ……なるほど」
至ってシンプルで当たり前の回答である。狩猟遠征は大勢のデミライオンが魔獣を狩るために行われる。当然ながら、魔獣がたくさんいる場所を選ぶに決まっているわけで、そこに存在する要塞の用途は簡単に想像がつく。
ベリルは興味津々といった様子で、アルスランからもっと詳しい話を聞き出そうとしている。
「こんな辺境で見張りなんて大変そうですよね。要塞にいるのはどんな人達なんですか?」
「近隣地域に領土を持つ貴族が、帝国から辺境守護を命じられて監視の任に当たる……という体裁だな。帝国にしてみれば、辺境を防衛しつつ経済的負担を貴族に肩代わりさせて力を削ぐ一石二鳥の方策というわけだ」
『中央』――帝国の政府は古い支配体制の名残りである貴族を疎ましく思っている節がある。貴族に辺境の防衛を押し付けるのも、生前の世界の歴史において、江戸幕府が参勤交代で大名に負担を強いていたのと同じ発想だろう。
「冒険者はいないんですか? 魔獣が現れるなら魔石目当てで集まりそうな気がするんですけど」
「担当の貴族次第だな。全て自分の力でやろうとする貴族もいれば、金に物を言わせて冒険者をかき集める貴族もいる。現在の防衛担当は前者に属するから、冒険者を雇ったりはしていないはずだ」
「そうなんですか……その貴族、凄い自信があるんでしょうね」
「ああ。何せ統一戦争の時代には東方戦線を任された武門の名家だそうだ」
……アルスランの発言に引っかかるものを感じてしまった。今の発言、全く同じ内容をつい最近聞いたばかりな気がする。
俺は嫌な予感をひしひしと感じながら、アルスランに確認を取ることにした。
「それって、イースタンフォート領のハーディング家のことですか?」
「よく知っているな。領主の実子の一人が要塞の司令官として赴任し、引き連れた兵で防衛を……どうした、二人とも」
目眩がしそうなくらいに悪質な偶然に頭が痛くなる。ベリルもしまったとばかりに手で顔を覆った。よりによって、こんなところで再びハーディング家と関わることになるなんて。
話の筋自体は通っているのがまた憎々しい。東方の辺境防衛が東方領域の貴族に押し付けられているのなら、ハーディング家も対象になっているのは極めて当然だ。武闘派なら魔獣と戦う可能性が高い役目を喜々として受けてもおかしくない。あの家の人間が辺境要塞にいるのは至って自然である。
しかしタイミングが最悪だ。彼らが辺境防衛を任されている時期と俺が辺境要塞に足を運ぶタイミングが重なる偶然。しかも俺がハーディング家の三男坊を痛い目に遭わせた直後という偶然。
この二つがものの見事に重なってしまったせいで、一気に気分が重たくなってしまう。
「具合でも悪くなったのか。ならば一旦馬車を止めて……」
「いえ、違うんです。実は……」
隠し立てしても仕方がない。俺はカンティの町であった出来事を一から説明することにした。
ルイソンに連れられて参加した依頼で呪詛を受けたこと。その呪詛を《解呪》してもらいに行った先でルビィとベリルの姉弟に出会い、代理決闘の依頼を受けたこと。その相手がイースタンフォート卿の三男のカール・ハーディングで、どういうわけか黒鎧を引き連れていたこと――
話を聞き終えたアルスランは、たてがみの顎部分を撫でながら、落ち着いた態度で口を開いた。
「そこまで心配する必要はないだろう。今回は何十人ものデミライオンに混ざった一人に過ぎないのだから、あちらから認識されるかどうかも怪しいはずだ。第一、カンティで起こった出来事が辺境まで伝わっている可能性は低いだろう」
言われてみればその通りである。狩猟遠征は俺が主体になって受けた依頼ではなく、あくまで参加者の一人のアルスランに誘われたに過ぎない。全体から見れば取るに足らないその他大勢でしかないのだ。
偶然に偶然が重なってきたからと言って、ここから更に『カール・ハーディングが自らを敗北させた相手の情報を辺境の身内にまで広める』『それを知ったカールの身内が、大勢の参加者から俺を探し出す』なんていう無茶な条件が重なるなんて、いくらなんでも心配しすぎかもしれない。
俺達が安心したのを確認してから、アルスランはこれからのことについて説明し始めた。
「他の参加者達とは辺境要塞の手前で合流することになる。その後はこちらの代表者が要塞の指揮官と会見し、近隣にある取り壊し予定の城塞を拠点として借り受ける手筈になっている」
地図を見る限りだと、辺境要塞の周囲には支城とでも呼ぶべき補助的な砦が二、三箇所ほど設けられている。
つい最近、そのうちの一つの機能が新しく建てられた支城に移されて、古い方の建物がもうじき取り壊されることになっているらしい。その建物をデミライオンが借り受けて狩猟中の拠点として使う予定なのだそうだ。
「それ以降の具体的な計画は拠点を得てから決定される。どこへ向かえば多くの魔獣と戦えるのかといった情報は、現地に着いて下調べをしてからでなければ分からないからな」
やがて馬車は最後の山を越え、その向こうに広がる広大な荒野の手前――いわゆる『帝国の城壁』の直前までたどり着く。
客車の側面に設けられた窓から外を見やると、荒野を臨む山の山腹に堅牢な城塞が鎮座している光景が視界に入った。
あれこそが東方辺境要塞。人類の生息圏の最東端。
幾重もの城壁に囲まれたそれを目の当たりにして、俺は既に解消したはずの疑問を再び抱かずにはいられなかった。
――あれは一体、何と戦うために作られたのだろうか。あんな代物が必要になる仮想敵とは一体何なのだろうか――