131.レオナとルビィ
アルスランからの提案を受け、年明けの予定は『狩猟遠征』に参加するということで決まった。それは喜ばしいことなのだが、出発の予定日まではまだ一週間以上も時間がある。
というわけで、この年末年始の期間をどう過ごすのか考える必要があった。
依頼を受けてハイデン市を離れるのは駄目だ。途中で不意の降雪があったら帰還が遅れてしまうかもしれない。かといって何もしないのも勿体無い。最後の一日と最初に一日……日本で言う大晦日と元旦くらいはゆっくり休んでもいいかもしれないが、さすがに一週間ずっとそうするわけにもいかない。
ちなみに、この世界における年末年始の過ごし方は、地域や信仰によって大きく異なる。帝国は大陸丸ごと一つ――厳密には人間の生息圏全域――を領土にしているので、文化や風習が未だに統一されていないし、統一しようという動きすら起こっていない。
……とまぁ色々な要素を考慮すると、ハイデン市内で完結して一日か二日で終わる依頼を受けるという、極めて普通の結論に至ってしまうわけで。
そういう百ソリドや二百ソリド程度の依頼をこなす傍ら、俺達はもう一つ、市内から出ることなく実行できる時間の有効活用に勤しんでいた。
「はぁ……はぁ……」
「あ、ありがとう、ございました……!」
レオナとルビィが息を切らして地面にへたり込む。
「もう暗くなってきたし、今日はこれくらいにしておこうか」
俺は呼吸を整え終えてから双剣の実体化を解除した。
Dランクに上がってから暇を見ては続けている、レオナとの《ワイルドカード》を駆使した戦闘訓練。戦闘用のスキルカードのレベルアップを狙ったこの特訓に、今回からルビィも加わることになっていた。
もちろん、一回ごとに報酬を受け取るという契約はこれまでと変わらない。無償でしてもらうなんていうのは甘やかしだから嫌だという、レオナの要望を取り入れた約束事だからだ。
ただし、報酬額は二百ソリドから百ソリドに減額している。参加者が増えたことで一人に掛ける時間が半減したのを考えての変更だ。
「……Cランクってこれくらい強くないとなれないんでしょうか」
「昇格基準とか俺が教えて欲しいくらいだっての。ほら、水分補給だ」
「ありがとうございます!」
エステルから預かっていた自家製スポーツドリンクを二人に渡す。塩と砂糖とハチミツとレモン果汁を調合した飲み物で、レオナのリクエストで作ってもらっている非売品である。
体感的な効果は生前の世界の市販品と遜色ないので、この特訓のときには必ず持ってくるようにしている。こちらの世界でも売れるんじゃないかと思わなくもないが、今のところ似たような商品を見たことはない。
「宿に帰ったらちゃんと汗を洗い流しておけよ。この時期の風邪は長引くからな。こじらせたりしたら魔物狩りに連れて行くって話は無しだぞ」
追加で心当たりに声を掛けて欲しいと言われていたので、二日ほど前にルビィとベリルの姉弟を紹介したところ、アルスランはこちらがびっくりするくらいにあっさりと同行を了承してしまった。
もちろん他の顔見知りの冒険者にも声を掛けたのだが、ルビィとベリル以外は既に別の予定が入っているか、命が幾つあっても足りないという理由で断られるかのどちらかだった。これも二人を紹介することにした理由である。
「あ! そうそう、その話なんですけど!」
ルビィは汗だくのまま立ち上がると、空き地の隅に置いていた鞄から大きな地図を取り出して地面に広げてみせた。
「弟が調べて来てくれたんですけど、それの予定地ってかなり危なっかしいところみたいですね」
地図を見ると、アルスランが言っていた地点に目立つ印が付けられていた。
帝国の東方領域よりも更に東。山地を越えた先に広がる荒野の手前。帝国の版図――即ち人類の生息圏とその外側の境界線。世に言う『辺境要塞』によって守護された『帝国の城壁』と呼ばれるエリアだ。
もちろん実際に城壁が存在するわけではない。帝国の内側と外側を区切る地帯で、人類の生息圏を外部の脅威から守る場所という位置付けから、城壁になぞらえて呼ばれているだけだ。
「帝国の領土の東端、そこから先は人間社会が存在しない土地……どう考えても危険が山盛りって感じですよね!」
「正確には存在しなくなった土地だな」
驚いた顔をしたルビィに、地図上で『帝国の城壁』の外側に書き込まれている地形を指し示す。
「俺も最近知ったんだが、大昔はこの辺りにも国があったらしい。滅亡したのは少なくとも百年以上前で、どうして滅んだのか全く分からないから、高ランク向けの調査依頼のネタになってるんだとさ」
このことを俺が知ったのは、Bランク以上しか受けられない依頼にどんなものがあるのかを調べてみたときだった。
別に、一般市民には隠されていた情報というわけではない。知識人や専門家にとっては常識だが、そうでない者には無用の雑学という、どんな分野にもありがちな知識というだけのことだ。
生前の世界で例えるなら「江戸時代の『藩』は明治時代になってから公式に使われるようになった名称で、当時はごくまれに使われる俗称に過ぎなかった」という知識のようなものだ。歴史的事実であり専門家にとっては常識だが、一般人は知らないことが多く、知っていても価値がない――その程度である。
「滅亡した国ですか……やっぱり遺跡とかもたくさんあるんでしょうね。そういうのベリルが好きそうです! ロマンとか何とか言っちゃって!」
「ルビィは興味ないのか?」
「いえ、あります! 古代遺跡の秘密のダンジョンに眠る強力無比な大魔獣とかロマンですよね!」
「ああ……うん、ベリルとは全然違うロマンだな、それ」
どうやらルビィは遺跡の学術的価値や歴史的ロマンとかには全く興味がないようだ。双子でもこんなに性格が違うのかと感心せずにはいられない。
「それでもロマンはロマンです。戦うための祝福をたくさんもらって生まれたんですから、自分がどれだけ強くなれるのか確かめたいじゃないですか」
ルビィは汗を吸って重くなった肌着の首元をぱたぱたと引っ張りながら、緩んだ笑顔を浮かべた。
「強くなって何かがしたいとか、そういうのはないの?」
そう訊ねたのはレオナだ。レオナは俺達が話し込んでいる間に汗を拭き終え、保温のための上着を羽織って帰り支度を済ませていた。
「うーん……すぐには思い浮かばないですね」
「……そっか。あと、私達同い年なんだから、もっと砕けた喋り方でいいんじゃない? カイは実質Cランクってことで別としても、DランクとEランクじゃそんなに違いはないんだからさ」
「いえ、これは癖みたいなものなので! それに冒険者の先輩ですから!」
底抜けにまっすぐで屈託のない笑顔を向けられ、レオナは眩しそうに目を細めた。代理決闘の依頼を取り合ったときにも思ったが、ルビィは良くも悪くも裏表がない子だ。人によってはその素直さに当てられてしまうかもしれない。
もちろん裏表がないというのは『良い子』という意味には直結しない。相手の事情を脇において、まずは自分の都合をストレートにぶつけてくるということでもあるからだ。代理決闘のときもまさにそうだった。
けれど、それくらい押しが強い方が冒険者には向いているのかもしれない。
「今日はありがとうございました。またお願いします!」
別の宿に部屋を取っているルビィを見送って、俺とレオナの二人で山葡萄亭への帰路に着く。
何てことはない雑談を交わしながら大通りを歩いていると、話題がいつの間にかルビィのことへと移り変わっていった。
「やりたいことがあるから強さを求めるんじゃなくて、自分がどこまで行けるか確かめたいから強くなりたい……か。純粋って言うのかな……ああいう生き方、ちょっと羨ましいかも」
レオナがそんなことを言うのは少し意外だった。
以前レオナは、強力なカードを得て強くなりたいから高ランクを目指している、と語っていた。今のところ俺の勝手な想像に過ぎないが、レオナは何かしらの目的があって強さを求めているはずだ。
それを考えると、確たる目的もなくただ己を鍛えたいだけのルビィは不純と映っても仕方がないのではないか――そんな考えが浮かんだことは否定しきれない。
「何よその顔。意味もなく強くなりたいなんて馬鹿みたい!なんて言い出すかと思った? まったく、そんなわけないでしょ」
「いや……それは……」
レオナは隣を歩きながら俺の顔を覗き込んで、声を上げて笑った。図星を突かれた上に見当外れなんて実になさけない。恥ずかしくてレオナの目をまっすぐ見ることもできなかった。
「……まぁ、そう思われても仕方ないって自覚はしてるけど」
そう言って、レオナは遠くを見やった。
「私の動機は本当にろくでもないことだから。カイにもエステルにも言いたくないくらい。だから何も聞かずに仲間でいてくれる二人には本当に感謝してるし、ルビィみたいに純粋な生き方には正直憧れちゃうな……」
レオナは気恥ずかしそうに――普段なら使わないような単語まで使ってぽつりぽつりと心情を口にする。俺はただ静かに耳を傾けていた。余計な相槌なんて入れたくはなかった。俺の感想なんて無粋としか思えなかった。
隣を歩くレオナの横顔がほんのり赤らんで見えたのは、果たして冬の夕焼けのせいだったのだろうか。
「……今の話、他の人には絶対しないでね」
「分かってるって。俺の口が堅いことくらい知ってるだろ」
何度も念を押されながら、山葡萄亭までの道をゆっくりと歩き続ける。
俺達の間には他人に言えない秘密がある。お互いがお互いに秘密を抱えていて、それを隠したまま仲間であり続けている。
けれど現状は不公平だ。俺はレオナが秘密を抱えていると知っているけれど、レオナは俺が秘密をまだ抱えているとは知らない。レジェンドレアの存在は俺にとって秘密の一端に過ぎないのだ。
だから俺は、今この機会にそれを告白することにした。
「秘密があるのはお互い様だしな。俺だって、エステルやクリスにすらまだ話してないことがあるんだから、仲間の隠し事に偉そうなこと言えないって」
「そっか。じゃあ……お互い様ってことで」
冗談めかした会話を楽しむレオナの表情の裏に、少しだけ暗い影が感じられた気がしたのは俺の勘違いだと思いたい。それが見えたのもほんの一瞬で、レオナはすぐにいつもの調子に戻って、違う雑談の話題を振ってきていた。
――そして一週間はあっという間に過ぎ去り、『狩猟遠征』に出発する日がやってきた。