129.これまでとこれから
「クリス、もう戻ってたのか。それにルイソンと、アルスランまで。確か別の依頼で遠出していたんじゃ……」
「それを終えて帰る途中で偶然出くわしたのだ。君の活躍もその折に聞かせてもらった。まさか麻薬工場を潰してくるとは。実に大したものだ」
「単なる偶然ですよ。討伐が終わった後でそうだと分かっただけです」
謙遜でも何でもない純然たる事実だ。決着が付いたその瞬間にすら、俺はゴブリンを操っていた相手と戦っている認識でしかなかった。
麻薬――なのか麻酔目的だったのかは分からないが、とにかくそういうモノが栽培されていたと知ったのは全てが終わってから。色々な意味で幸運だっただけで、自分の功績として語るのは少し気が引ける。
とはいえ、もしもこの件でギルドから追加報酬が貰えたりするなら、迷うことなく受け取るつもりだったりするが。
「役人への引き継ぎはボクらが済ませたから、後は達成報告をして報酬を受け取れば、今回の一件は全ておしまいだ」
「魔石もかなり手に入ったし、何だかんだで得るものは多かったな」
「正式昇格に弾みが付くね。ところで、他の二人は?」
少しばかり心を弾ませながら談笑する。その横をルイソンが無言のまま通り過ぎ、三人掛けの椅子を盛大に占領してどっかりと腰を下ろした。
「……くはぁー……」
ルイソンは鋭い牙が生えそろった狼の顔を天井に向け、長々と息を吐きだした。精神的な疲労やら鬱屈やらが丹念に練り込まれた溜め息だった。
「何かあったのか?」
「さぁ……?」
クリスは俺と顔を見合わせて肩を竦めた。別行動をする直前はあんな感じではなかったので、クリスと行動している間に何かあったのかと思ったのだが、どうやらそうではないようだ。
本人があの状態では直接尋ねるのも気が引ける。どうしたものかと思っていると、アルスランがたてがみの顎部分を撫でながら朗々と笑った。
「ルイソンめ、慣れないことをして疲れ果てたとみえる」
「慣れないこと?」
「ああ。君達のような若手を率いて戦ったことだ。奴は戦いの熟達者ではあるが、教え導くことについては全くの素人だからな。プリムローズにダメ出しされる想像でもしたのだろうさ」
珍しく愉快そうに語るアルスラン。ルイソンはイライラした顔で天井を見上げたまま「うっせぇ」と手短に毒づいた。
プリムローズはアルスラン達の所属するパーティ『クルーシブル』のメンバーで、大型犬の頭を持つ上品で知的な雰囲気の女性だ。勝手なイメージだが、確かに誰かを率いたり教えたりするのが得意そうな印象の人だった。
「苦手だったんですか……あれこれと教えてくれてましたけど」
今思えば、ルイソンは何かと冒険者の教訓めいたことを口にしていた。ひょっとしたら、あれはルイソンなりの指導スタイルだったのかもしれない。
「でもどうして、そんな苦手なことを?」
本人に直接質問したら噛み付かれそうな気がしたので、事情を知っていそうなアルスランに尋ねてみる。
ルイソンは俺達を誘う前にも別のDランク冒険者に声を掛けていた。最初から低ランクの冒険者にノウハウを教えるつもりだったのは間違いないが、どうして不慣れなことをしようと思い至ったのだろうか。
「どうやらBランクへの昇格を考え始めたらしい。依頼の成果で充分な功績を挙げるのはどうしても運が絡むが、後進の育成は少しずつ着実に評価を得ていくことができるからな」
「なるほど……冒険者の育成もギルドの役目だって言いますしね」
「プリムローズが昇格に王手をかけたから焦ったのだろうさ」
アルスランがそう言った直後、ルイソンは脚を思いっきり振り上げて、目の前のテーブルにどすんと降ろした。その大きな音のせいで、通りすがりの無関係な冒険者が驚いていた。
「カイ。迅速な昇格を目指すのなら、早い段階から準備を進めておくと後が楽かもしれないな。功績を挙げた結果として昇格するのではなく、昇格するために功績を挙げるのなら尚更だ」
自然な流れでアドバイスを投げかけられて、ルビィからのリクエストやハイデマリーとのやり取りが思い浮かぶ。
Bランクへの昇格にはギルドや社会への貢献が必要で、後進の育成もギルドへの貢献として判断され、そして冒険者になったばかりの駆け出しが鍛えて欲しいと言っている――まるで目に見えない力が俺を一つの結論に向けて導いているかのようだ。
もちろん実際にはそんな力なんて働いてはいない。後輩を鍛えることが昇格を後押しするということは、裏を返せば、低ランク冒険者が誰かに鍛えてもらいたいと考えるならCランクが狙い目ということになる。ただそれだけのことだ。
「ルビィとベリルの話、前向きに考えるかな」
何気なく漏らした呟きに、アルスランが怪訝そうな反応をした。
「紅玉? 緑柱石? 宝石の取引でも始めたのか?」
俺の横で、クリスが口元を手で押さえて笑いを堪えた。どうやらこいつは事情を知っているようだ。一体どういう経緯で耳に挟んだのかは分からないが、特務調査員の肩書は『知っていてもおかしくないな』という妙な信頼感と先入観と偏見を与えてくる。
ルビィのことについて説明しながら、今回の報酬を受け取りに行く。
ゴブリン討伐の報酬は総額で三万ソリド。そのうちルイソンが諸経費込みで三割の九千ソリドを取り、残りの二万一千ソリドを四人で分け合うため、俺の取り分は五千二百五十ソリドとなる。
ギデオンへの返済は受け取った報酬の三割なので、今回は千五百七十五ソリドが返済に回る。手元に残るのは三千六百七十五ソリドだ。
受付のパティが言うには、これに加えて麻薬工場の制圧に対する報奨金も貰えるらしい。金額と支払日は調査が進んでから決められるそうなので、受け取りは後日になるそうだが。
それと代理決闘の報酬は既に現地で受け取っていて、報酬額は四百ソリドで返済額は百二十ソリド。両方合わせて千七百ソリド以上を返済し、四千ソリド近くの収入となったわけだ。
ついでに、ギルドハウスの預金窓口で入出金履歴を確認し、現時点までの返済状況をおさらいする。
「仮昇格までの返済額が一万三千五百五十ソリドで、今回の分で合わせて一万六千三百二十五……か」
日本円にして総額八十万円以上の返済だが、借りている額が大きいのでまだまだ先は長い。試しに手元の紙に計算式を書き込んで割合を出してみる。
「……ようやく四パーセントってところか。後は報奨金もあるけど、こっちは返済に加えていいんだったかな……」
ギデオンは『返済に当てていいのは報酬の三割』というルールを徹底している。懐に余裕があっても三割以上は受け取ってもらえないし、報酬以外の収入は全て対象外だ。
しかし、グロウスター領の一件や今回の麻薬工場のように、誰かが依頼する前に重大事件を解決してしまった場合に支払われる報奨金の扱いについては、そういえば確認していなかった。
帝都で直接本人に会っていたのだから、そのときに曖昧な点に気付いて尋ねておかなかったのは迂闊だった。
「まぁ……金の余裕はできたんだし、次に聞けるときまで置いとけばいいか」
報奨金を除外しても、ここ最近に達成した三つの依頼の報酬のうち、俺の手元に残った額は合計六千五十五ソリド――日本円にして約三十万円ある。
カードを買うには足りないが、当面の活動費用としては充分だ。カードではない通常の装備を新調できるくらいの額である。
「返済は順調みたいだね」
預金窓口で諸々の手続きと確認を終え、ギルドの貸金庫の預かり窓口に移動しようとしたところで、クリスがひょっこりと俺の顔を覗き込んできた。
「まだまだ。一割の半分にも達してないんだから。Cランクに正式昇格してからが本番だよ」
ギルドカードを提示して貸金庫がずらりと並ぶ部屋に入り、立ち会いの係員に確認してもらいながら、今回の討伐で獲得した魔石を全て保管する。
初回のゴブリン討伐で獲得した魔石は一人当たり七個。麻薬工場の件でついでに手に入った魔石が一人当たり四個。Dランク昇格試験のときの収穫物を合わせ、俺は十四個、レオナとエステルは十三個の魔石を所持している。
「とはいえ、正式昇格には魔石を四十個も集めないといけないからなぁ。残り二十六個だから、あと二回は討伐依頼を受けなきゃいけないのか」
「条件のいい依頼は他のCランクも血眼になって探してるからね。気長にいった方がいいと思うよ」
「分かってるさ。けどなぁ……」
そんな会話を交わしながらホールに戻ると、アルスランが待っていたとばかりに大股で近付いてきた。
「あー……普通ならこんなタイミングで話を持ちかけると、そんな美味い話があるものか、何か裏があるんだろう、と疑われるのだろうが……幾度か共に戦ってき誼で信頼してくれるとありがたいのだが……」
アルスランは物凄く遠慮気味で遠回しな言い回しで、喋りながら言葉を選び続けているように見えた。
大柄な白獅子頭のデミアニマルがそんな風にしていると、失礼だと分かってはいるのだが、動物の素朴な仕草を眺めている気分になってくる。
「どうしたんですか。アルスランのことはもちろん信用してますよ」
「それは有り難い……提案というか、仕事の誘いなのだがな……」
アルスランは喉を鳴らして咳払いをし、はっきりとした重厚な声で簡潔に用件を告げた。
「私の故郷では、年明けから大規模な魔獣狩りを行う風習がある。部族外の者でも身内の紹介なら参加可能なのだが……君達も来てみないか」