120.最初の祝福
処置室を出て礼拝堂に戻り、レオナとエステルを探していると、奥の方にちょっとした人だかりができているのが視界に入った。しかも俺が探している二人もその中に混ざっていた。
「何してるんだ?」
「あ、カイさん」
「子供が生まれたからカードを預けにきたんだって」
人だかりの中心では父親らしき若い男と、白い布に包まれた赤ん坊を抱えた若い女が、温和な雰囲気の初老の神官に祝詞を聞かされている。
「――今日という日を迎えられたことを心からお祝いします。どうか森の女神の加護があらんことを――」
神像の前には急ごしらえの祭壇が置かれ、それに掛けられた艶やかな布の上に、真っ白な長方形の板の束が置かれていた。真珠色をした《ワイルドカード》の色合いとは全く違う白さで、まさに白紙と呼ぶに相応しい。
この世界に生まれた者は例外なく十枚の祝福を得る。だが、それらは生まれた直後に出現するわけではなく、出現してもすぐに使えるようになるわけでもない。俺達が知るカードの姿になるまでに、幾つかの段階を踏むのだ。
普通、生後一週間から一ヶ月の間にあの白いカードが赤ん坊の胸元に出現する。土地柄にもよるが、大体の地域では「ちゃんと成長する準備ができた」と考えてこれを盛大に祝うらしい。もちろんアデル村でもそうだった。
その後、数カ月から数年のうちに少しずつカードが変化していくわけだが、現代の法律では出現してすぐに全てのカードを神殿に納め、成人を迎えたときに受け取るように定められている。
「それでは、神の御名において祝福をお預かり致します」
白いカードが金属の小箱に納められる。蓋を閉め、厳重に施錠し、幾重にも布で包まれていく。もちろん単なる箱や布ではない。魔法的な原理や錬金術的な材質をフル活用し、盗難や無断開封を防ぐ措置が施されている。
嬉しそうな顔の顔を見た赤ん坊がわけも分からず笑っている。この子も十六年後には成人し、自分に与えられた祝福を改めて受け取ることになるわけだ。
「皆様。この新しい命が健やかに育つよう、ご協力いただけないでしょうか」
周囲が祝福ムードに包まれる中、神官がギャラリー達に呼びかけをした。
事情を知っているであろう人々の眼差しがレオナに向けられる。俺もこの神様に関わる儀式は知っているので、レオナに白羽の矢が立つのは納得だったが、当の本人はまるで意味を理解していないようだった。
「えっ? なに、どうしたの」
「儀式が終わったら、他所の家の乙女に抱きかかえてもらうと良く育つっていう風習なんだとさ。身内じゃなくて関係が薄ければ薄いほどいいらしいから、この中だとレオナが一番なんだよ」
俺自身はその神様の信徒ではないので由来までは知らないが、きっと少女の姿をした女神ということに関係しているのだろう。女神様に見立ててとかそういう類のアレだ。
渋るレオナに、母親が満面の笑顔で赤ん坊を見せに近付いて来た。
「でも……私は……」
「ぜひともお願いします」
先に根負けしたのはレオナだった。レオナは申し訳なさそうな顔で手を伸ばし、赤ん坊を恐る恐る抱き止めた。
赤ん坊は自分を抱いているのが母親でなくなったことに気付き、目をぱちくりとさせていたが、やがて無邪気に笑いながら手足をばたつかせ始めた。泣き出すこともなくご機嫌のようだ。
レオナは腕に抱いた赤ん坊にぎこちなく笑い返し、半ば助けを求めるように母親の方を見やった。
「え、えっと、これでいいんですか」
「ありがとうございます!」
最後まで祝賀ムードが続く中、若い夫婦は赤ん坊を連れて神殿を後にし、人だかりも自然と解散した。
レオナは何とも言えない表情で、赤ん坊を抱いた手を見下ろしている。釈然としないというか、自分で納得が出来ていないというか、傍から見ていてどうにも言葉にしづらい表情だ。
「他所の行事にタダで付き合わされるってのは、やっぱり迷惑か」
「ううん、それは別にいいんだけど……」
レオナはふるふると首を横に振った。クリスのように《真偽判定》スキルを持っていなくても、その返答に嘘がないことは理解できる。
「じゃあ、子供が嫌いだったとか?」
「そうじゃなくてね……人を殺した手で他人の赤ちゃんを抱いたりしてよかったのかなって思って」
「何だそんなことか」
真剣に悩んでいるのは伝わっていたが、こればかりは「そんなことか」と言わずにはいられなかった。
「俺達みたいな『見るからに冒険者です』って見た目の人間に頼んだ時点で、それくらい承知の上に決まってるだろ。第一、賞金を掛けられるような奴を討伐するのは、むしろ歓迎されるくらいだと思うけどな」
「うん……そうだよね、ごめん。変なこと言っちゃったね。そろそろ行こっか」
レオナはすぐに普段通りの声色と態度に戻り、わざとらしいくらいの笑顔を浮かべて別の話題を持ち出してきた。
「実は赤ちゃんの白いカードって初めてみたんだけど、何だかカイのカードに似てなかった?」
「そうか? まぁ、色は似てるかもしれないけど」
「色もだけどさ、どんなカードにもなれる可能性があるとか、その辺りもね」
「白いカードの中身がいつ頃決まるかっていうのは、色んな説があるらしいからなぁ。生まれた時点だとか、現れた時点だとか、中身が分かる直前だとか」
雑談を交わしながら礼拝堂の外に歩いて行く。
赤ん坊の元に現れる白いカードは、その時点ではカード名はおろかレアリティや効果すら持っていない。見た目で分からないのではなく効果そのものが存在しないのだ。
そのせいかは知らないが、セットしても持ち主が固定されないとか、カードそのものを見ても《ワイルドカード》のストックに加えられないとか、普通のカードにはない様々な特徴がある。特に後者はさっき気付いた新発見だった。
それともう一つ、《ワイルドカード》との違いとして裏面の状態がある。
《ワイルドカード》は表面こそ完全に無地だが、裏面には全カード共通のデザインが施されている。一方、白いカードは裏表の区別が付かないほどに真っ白だ。そういう点でも《ワイルドカード》の外見は唯一無二なのである。
……ちなみに、白いカードの中身が決まるタイミングは諸説あると言ったが、個人的には生まれた瞬間に決まっているんだと思っている。転生する直前にガチャを引くのだからそちらの方が自然だ。
「ところで、治療費とかって払わなくてもいいんですか?」
神殿初体験のエステルが素朴な疑問を口にする。
「そりゃ、神殿は営利目的の活動をしちゃいけないっていう決まりになってるからな。神殿の活動は全部慈善事業ってことになってるんだよ」
「へぇ……凄いですね」
神殿を出たところで、若い神官見習いが露骨な営業スマイルを顔に貼り付けて近寄ってくる。俺とレオナは懐から五十ソリド銀貨をそれぞれ取り出して、彼に手渡した。
「善意の御寄進、感謝いたします」
頭を下げて神殿に引っ込んでいく神官見習い。
エステルはきょとんとした顔でそれを見送ったが、すぐにハッとした顔になって俺の肩を揺さぶった。
「今、代金払いましたよね! 思いっきり治療費でしたよね!」
「何をおっしゃる。寄付だよ寄付。善意と感謝だけじゃ神官は食っていけないわけだからなぁ」
遠くを見やりながらエステルの追求を受け流す。まさしく人間社会の本音と建前。霞を食べて生きていけるのは、そういうスキルの持ち主だけなのだから。