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118.神殿と信仰

 クリスとのやり取りを終えてすぐに、俺は山を降りて最寄りの町の神殿を訪ねることになった。


 同行者はレオナとエステルの二人。レオナは俺と同じく《解呪》を受ける必要があり、エステルは山に残っても付き添いで降りても構わないと言われ、自分の意志で俺達について来た。


 目的地の名前はカンティ。ハイデン市を数分の一くらいにスケールダウンさせた雰囲気の町で、大通りを少し歩いただけでも、それなりの人口と経済規模を抱えた町であることが伺える。


 ハイデン市とは逆方向にある町だが、《解呪》を使える神官がいる神殿の中では最も近く、一週間かけてハイデン市に戻るよりもずっと早い。馬車を利用しなくても翌日には到着できたほどだ。


「意外ね。こんな遠くにもちゃんとした町があるなんて」

「南方からの物流が通る街道に近いからだな。ほら、確かあそこの果物とか南方地域の特産だろ」


 大通りに面した青果店の軒先には、ハイデン市ではドライフルーツやジャムの状態でしか流通しないような果実が並んでいた。どれも生前(もと)の世界では見たこともない独創的な形状をしている。


 より正確に言えば、俺が暮らしていた現代日本では見なかった、という方が正しい。どこか別の国では似たような果物が当たり前に食べられていたかもしれないからだ。


 しかし、(おれ)はそういう未知の世界を体験することなく死んだ。借金を返すことばかりに死力を尽くした末に。それを思うと、旅先で見知らぬ果物を目にする経験すらも感慨深い。


「せっかくだから一個食べてみるか?」

「いいですね! 美味しそうです」

「寄り道は神殿で《解呪》してもらってからでしょ。普段はそういうこと言わないくせに、どうしてこんなときに言い出すかなぁ」


 普通に正論で叱られてしまった。我ながら返す言葉もない。

 生前(まえ)の人生でやれなかったことについテンションが上がってしまった結果なのだが、《前世記憶》の存在を秘密にしている以上、こういう事情があるんだよと説明することもできないので、大人しく反省しておくことにする。


 ちなみに俺は今、包帯と手袋で顔と両手に浮かんだ呪詛の文様を隠している。そのせいで、顔面に大怪我を負った怪我人のようにしか思えない。


「まずはちゃんと《解呪》だな。ええと、神殿は……へぇ、癒し手の療養所も兼ねてるのか」


 案内板に従ってカンティの神殿にたどり着く。ここの神殿は、()()()ハイデン市の神殿とは違う造りをしていた。


 こちらの世界の神殿は地域によって異なる様式をしている。直接目にしたことがある神殿は数えるほどしかないが、書籍の挿絵としてならそれなりに知っている。どうしてそんな専門書が家にあったのかは、未だに分からないが。


「これが神殿ですか……」


 エステルは物珍しそうに神殿の内装を見渡していた。生前(まえ)の世界の表現で表現するなら、礼拝堂からキリスト教らしい要素をごっそり抜き取って、代わりに色々な姿の神像を並べたような具合だ。


「あれ? エステルって神殿に来たことないの?」

「実はないんです。故郷だとエルフの昔ながらの信仰ばっかりで」


 忘れがちだが、エステルは街育ちとはいえエルフという異種族だ。信仰の形が帝国の人間と違っている方が自然である。


 ――ココやアルスランと知り合ってから調べたことだが、この世界には『デミアニマルは()()()でエルフは()()()だ』という明確な区別が存在する。


 区別の根拠は彼ら自身の自己認識で、デミアニマル達は『動物に近い要素を持つ人間』を自認しているため、翼が生えていようと頭が動物そのものだろうと、あくまで人間の範疇での差異に過ぎないと扱われる。これはアルスランも強く主張していたポイントだ。


 一方、エルフは自分達を人間の一種だとは考えていないそうだ。姿形が似ているだけの別種族。人間をサメに喩えるなら、デミアニマルは様々な魚でエルフはイルカということになる。


 そのくせ、人間とエルフの混血がレアケースながらも確認されているという。それを考えるとやっぱり人間に近いとしか思えないのだが、社会的には異人種ではなく異種族だという扱いになっている。ややこしいがそういうものなのだ。


「礼拝の方ですか? それでは信仰されている神名をお伺いします」


 白い衣装をまとった神官の女性が声を掛けてきた。説明の手間を省くために、手袋を外して呪詛の文様を見せる。神官の女性はそれですぐに事情を察したらしく、俺達を隅の待合席に案内してくれた。


「私、神殿には初めて来たんですけど、こんなに神様がいるんですね」


 俺とレオナが席に着いて順番待ちをしている間、付き添いであるエステルは近くをうろつきながら、神官の女性からあれこれ話を聞いていた。


「初代皇帝陛下が大陸を統一なされる際、各地の信仰をそのまま存続なさいました。寛容で慈悲深いお方だったからとも、反乱を抑えるための方策だったとも言われておりますが、いずれにせよ、統一以前の信仰はそのままの形で残され、その多くが今も信仰され続けているのです」


 感心した顔で神像を見て回るエステルに、神官の女性は事あるごとに詳細な説明を加えている。まるで観光地の係員から説明を受ける観光客だ。


「この神殿はどの神様の神殿なんですか?」

「当神殿は近隣地域で信仰される九(はしら)をお祀りさせて頂いております」

「そんなに」

「ええ、共同神殿ですから」


 特定の信仰の神だけを祀った神殿は意外と少ない。大抵は、町にひとつ大きな神殿が建築され、その神殿を複数の信仰で共有している。例外は特定の神様しか信仰されていないような小さい共同体や、それぞれの信仰の本拠地くらいのものだ。


 どうしてかというと、何十年か前に神殿の乱立が問題視されたからだ。


 帝国法では、赤ん坊が得て生まれた祝福(カード)を神殿が成人まで預かる制度が厳重に徹底されている。預かっていたカードを強盗に奪われましたなんて論外の極みなので、神殿はカードを守れるだけの防衛力を持たなければならない。


 この神殿やハイデン市の神殿にも『守護騎士』と呼ばれる神殿防衛専門の兵が配備され、二十四時間四六時中、一瞬も途切れることなく警備を固めている。


 当然の人間心理として、人々は自分が信仰する神の神殿にカードを預かってもらいたいと考える。ところが、信仰ごとに個別の神殿を用意すると、一つの町に幾つも神殿が建ち並ぶことになり、防衛戦力もそれぞれに配備しなければならなくなってしまう。


 守護騎士は一種の公務員的な職業で、給料は神殿ではなく役所から出ているため、神殿が乱立するとそれはもう税金をバカ食いしてしまうわけだ。


 何十年か前にこれが大問題になって「神殿機能を集約するか、守護騎士の給与を神殿が負担しろ。それができない神殿からは祝福(カード)に関わる特権を剥奪する」と圧力を掛けられた。


 そんなわけで、殆どの町では神殿が一箇所に集約され、莫大な人件費を自前で出せる神殿だけが専用の建物を自己負担で用意している。もちろん、カードを守りきれなかった場合は責任を全て被るという条件で。


 カードを預かる役目を神殿ではなく役所に移せばいいのでは、と思わなくもないのだが、神殿側としてはこの権限を手放したくないらしい。一体どんな既得権益になっているのかはさっぱり分からないが。


「あんまり大きな声じゃ言えないけど、信仰がどうとかって面倒よね」

「だな」


 レオナがぽつりと零した呟きに同意する。レオナは少し意外そうに目を丸くして、ここぞとばかりにぶっちゃけたことをヒソヒソ声で話し始めた。


「どの神様を信仰してるのか聞くのはマナー違反だとか、戒律に突っ込み入れるのは厳禁だとか……仕方ないのは分かるんだけど、面倒だなって言うことすら駄目ってはちょっとね……」

「冒険者ギルドもその辺うるさいって聞くな。道理でギルドの中で信仰についての話題を聞かないわけだよ」


 冒険者になってから二ヶ月ほど経つが、その手の話題は()()()()()()耳にしたことがなかった。


 この世界の人間が信仰に無関心というわけではない。逆に真摯(しんし)だからこそ、他人の信仰に踏み込むことを良しとしない社会常識が存在するのだ。現代日本でも「政治と宗教と野球の話はするな」と言われるが、それをもっと厳格にしたものだと考えれば分かりやすいかもしれない。


 それと言うのも、大陸全土の信仰や宗派を一律に容認した副作用だ。


 矛盾する信仰なんて珍しくないし、激しく対立する()()()()神々を崇める信仰が同じ町に同居していることだってある。信仰を気軽に話題にするなという暗黙のルールを徹底しておかないと、何が火種になって衝突が起こるかわかったものじゃない。


 もちろんこれにも例外はあって、神官のように常日頃から「この神を信仰しています」と自己アピールしている人達は対象外である。


「カイの故郷はそういうのにうるさくなかったの?」

「いいや、凄くうるさかった。俺自身はあんまり信仰心とかないんだけどな」


 別に現代日本人のメンタルだからというわけではない。《前世記憶》をセットする前の本来のカイ・アデル自体が、神様だとか信仰だとかにあまり興味を示さない子供だった。


 信心深い人の多い田舎村に生まれた子供が、一体どうしてそう育ったのかは本当に謎である。


「次の方、どうぞ」

「あ、はい」


 ようやくレオナの順番が回ってきたと思った矢先、冒険者らしき装いの男女が神官に連れられて神殿に駆け込んできた。


「ごめんなさい! こちらを先にお願いします!」

「いいい、痛い痛い! 腕がもげるぅ……!」


 青黒く腫れた腕を抱えた少女が最優先で処置室に送り込まれる。レオナはぽかんとした顔でそれを見送り、すぐに諦めた様子で座り直した。ここは病院ではないが、一刻を争う人の処置が優先だ。こればっかりはしょうがない。


「すみません、姉がご迷惑を……毒蛇に噛まれたみたいなんです」


 弟らしき冒険者の少年が、俺達やその後ろで順番待ちをしていた面々に丁寧な態度で頭を下げる。毒蛇ということは、神殿ではなく併設された癒し手の方に担ぎ込まれたらしい。


 小さな神殿では《解呪》を使える神官が癒し手を兼任していることも珍しくない。ここもそうなっているのだろう。


「いっ……たぁー!」


 扉で隔たれた処置室から悲痛な叫びが聞こえてきた。


「噛み傷に軟膏塗り込まれたな。染みるんだよなぁ、あれ」


 あらゆる毒を一発で消すスペルは存在しない――少なくとも俺みたいな一介の冒険者の目に触れるようなレアリティでは。


 単純な怪我の治療でない限りスペルはあくまで補助。薬の調合や処方も必要不可欠。だからこそ癒し手(医者)という職業が成立するのであり――


「痛い痛い痛い! 死ぬ死ぬ死ぬ!」


 ――患者は痛みに耐えなければならないのである。

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