116.予想外の激闘
錬金術師タルボット。奴はグロウスター領の戦いで自爆したはずだ。それも俺の目の前で。死体も瓦礫の下から回収されたと聞いている。しかし、目の前の男が偽物だとは思えなかった。
内心の動揺を悟られまいと、余裕のある態度を取り繕ってはみるものの、これほどの驚きを簡単に隠しきれるわけがない。
「ったく……一体いつから死人が蘇るようになったんだ」
「埋まっていた死体は腹から下だけだっただろう? そういうことだ」
「プラナリアの魔獣にでも転生したのか?」
最後の冗談は全く理解されず聞き流されてしまった。こちらの世界ではナミウズムシがいないか、もしくはまだ見つかっていないのだろうか。
それはともかく、タルボットの発言は事実だ。事件解決後の調査で地下道の瓦礫を撤去したところ、確かに人間の死体が発見されたのだが、原形を留めていたのは下半身だけだったらしい。
俺は療養中だったので調査には参加していなかったが、ギルドの正式な調査なので確認ミスということはないはずだ。上半身の行方については『爆発と崩落によって確認不能なまでに損壊したのでは』とのことだったが……
「安心しろ、カイ・アデル。今回は貴様と事を構えるつもりはない。新しい『血肉』が馴染む前に戦っても勝ち目はないからな」
「それを聞かされて、素直に『はいそうですか』と見送るわけがないだろ」
傭兵くずれの男に突き刺したままだった《始まりの双剣》の実体化を解除し、すぐさま手元に再実体化させる。
タルボットに付き従う痩身の男が素早く前に出る。全く無駄のない動きだった。高レアリティの剣術スキルか、それとも使い込まれたRスキルか。どちらにせよ、傭兵くずれのように楽な相手ではなさそうだ。
「名誉挽回と言って無謀な戦いをするほど、俺は馬鹿じゃあない。こうして顔を見せてやったのはただの挨拶代わりだ。ここでの仕事も最低限の利益は回収できたからな」
「……そうか、ゴブリンを操っていたのはお前のスキルか。昔持っていたっていうスキルは《ビーストマスター》だと聞いていたけど、一段階上のカードを手に入れ直したのか?」
「クク……よく調べているな。懐かしい話だ」
ギルドから聞いた話だが、かつてタルボットは《錬金術》と《ビーストマスター》のスキルを持ち、帝都に研究拠点を構えて『疑似魔獣』とでも呼ぶべき動物兵器を開発していたという。
暴走事故の責任を問われてそれらのスキルを剥奪され、正式な手段による再取得も禁止される処罰を受けていたが、何故か錬金術師としての力を取り戻して大錬金術師エノクの下にいた――それが俺の知る限りの経緯だ。
「ああそうだ。《ビーストマスター》のスキルは猛獣を従えることが限界で、魔獣には効果が及ばない。かつての俺が作っていたのは魔獣未満のケダモノに過ぎなかった……あの日まではな」
そう言って笑うタルボットの思考回路を、俺は全く理解できなかった。
猛獣までにしか効果がない《ビーストマスター》でコントロールできなくなった時点で、猛獣を越えて魔獣に近い存在になっていた。その理屈は理解できる。だがそれはどう考えても失敗だ。
例えば強力な爆弾を作る研究をしていたとして、理想に近い爆発が偶然にも実現できたとしよう。その爆発によって周囲の建物が吹き飛ばされたとしたら、それは単なる爆発事故に過ぎない。制御を外れた時点で成功とは言い難いはずだ。
「ではそろそろ引き上げだ。次に会うときは容赦はしない」
「待てっ!」
立ち去ろうとするタルボットに斬りかかるが、痩身の青年の細剣に阻まれてしまう。剣も肉体も細さに似合わない強靭さで、油断したら一瞬で弾き返されてしまいそうになる。
「ここはお任せください。我らを甘く見た輩に最大限の苦痛を与えてやります」
「いや、やめておけ。痛い目を見るだけではすまんぞ」
タルボットはそう言い残して洞窟の奥に姿を消した。
レオナが咄嗟に追いかけようとした瞬間、痩身の青年は剣を持っていない方の手を握り締めるような仕草をした。
「あぐっ……!」
苦悶の声を上げて膝を突くレオナ。肩口の服の裂け目から覗いた素肌に、呪詛の文様が広がっていくのがありありと見て取れた。
「エステル! レオナを外に!」
「は、はい!」
使い手に近いほど呪詛の働きが強まるなら、この痩身の青年と同じ場所に居続けさせるのは危険だ。とにかく距離を引き離さなくては。
ところが、異変が起こったのはレオナだけではなかった。
「ぐあああっ!」
動きを封じたまま放置していた傭兵くずれの男が絶叫する。今にも死んでしまいそうなほどの苦しみようで、眼球がこぼれ落ちそうなくらいに目を見開き、口の端に泡が溢れている。
「おっと。裏切り防止のために、お前にも一つ刻み込んでいたんだったな」
「た……助け……」
「命乞いをする輩は信用ならない……お前の信条だろう? ちゃんと尊重してやるとも。だからそのまま死ね」
双剣を振るって攻め立てる。だが痩身の青年の剣術は極めて巧みで、俺の攻撃を細剣一振りで受け流し切っている。果たしてクリスとどちらが上だろうか。少なくとも俺の《双剣術》では切り崩せそうにない。
細剣を払って素早く距離を取る。手持ちのスキルで通らないなら《ワイルドカード》で上乗せするまでだ。
実体化させた《ワイルドカード》の表面に触れて金色のスキルカードに切り替えようとした瞬間、痩身の青年が目にも留まらぬ速さで間合いを詰めた。
「読み通りだ」
凄まじい刺突を紙一重で回避する。
――いや、完全にはかわしきれなかった。切っ先が頬を裂き、流血が首筋を濡らす。普段ならかすり傷でしかないダメージだが、今回ばかりはまずい。この傷が致命的になりかねない。
「がっ……!」
顔の半分に激痛が走る。まるで茨が皮膚の下を這い回っているかのようだ。皮膚とその下の肉をみしみしと蝕まれている感覚すらした。
これが呪詛か。レオナはこんな痛みに耐えていたのか。
そんな思いが心を過ぎった途端、激痛の苦しみをどうしようもない怒りが塗り潰した。
「反抗的な目だな。その心、へし折ってやろう!」
追撃の一刺しを素早く切り払う。コピーしたスキルは《上級武術》。このSRスキルと《双剣術》の同時発動によって、俺の剣技は左腕一本でも痩身の青年の技術を上回った。
今度は相手の方から間合いを取る。俺はその隙に《上級武術》と《双剣術》を重ね合わせ、同時発動の効果すらも凌駕する双剣スキルを生成する。
「ふっ――」
高速で振るわれる細剣。幾重ものフェイントを交え、本命は喉元への刺突。
全ての動きが手に取るように読み取れた。当てるつもりのない動きは全て無視し、必殺を期した一撃だけを受け流し、すれ違いざまに二十数発もの刺突と斬撃を叩き込む。
両腕に六撃、両足に五撃、脇腹に二撃、首筋と額に一撃の斬撃。
刺突を腹に三発、胸に六発――うち二発は肋骨の隙間から肺を破り、両太腿に突き立てた刃は大動脈を寸断。とどめに繰り出した渾身の突きは確実に心臓を貫いた。
大量の鮮血が噴水のように飛び散る。即座に剣を抜いて飛び退いたものの、両腕はべっとりと血に塗れてしまった。
「ごはっ……!」
「俺の仲間に手を出しといて、タダで済むとでも思ったのか?」
カイは悪人を殺すことを躊躇わない。レオナを苦しめた奴なら尚更だ。
細剣使いの男には何箇所も致命傷を負わせている。普通なら既に死んでいてもおかしくないが、死んだとしか思えない状態から蘇ってきた奴を目にしたばかりだ。念には念を入れておくべきだろう。
そう考えた矢先、焼けるような痛みが両手を駆け巡った。
「な、何……!?」
黒い呪詛の文様が血塗れの手を覆い尽くしていく。しかも文様の拡大と連動するように、痛みの深さと範囲も刻一刻と悪化の一途を辿っていた。
「……は……ははは……! 呪詛の媒介は武器だけじゃない……俺自身の血液が最高の媒介になるんだよ……!」
細剣の男がぼろきれのような身体で立ち上がる。致命傷は与えたはずだ。出血もじきに致死量に達するはずだ。それなのに男は笑っている。追い詰められてなどいないと言わんばかりに。
与えた負傷の痛みを反復させるどころか、傷すらつけていないのに激痛を与えられるとは。予想よりも格段に強力な呪詛だったようだ。
「くそっ、大人しく死んどけっての」
「この石がなければ死んでいたさ……!」
男は服の胸元を引きちぎった。血で染まった胸部の中央、胸骨の中央付近に奇妙な色合いの石が埋め込まれていた。
見間違えるはずがない。あれはタルボットが動物を擬似魔獣に変えた石だ。
「そして――」
石がひとりでに胸部へ沈み込み、怪しげな光を放つ。光は瞬く間に男の全身に広がり、外骨格のように硬化した外皮に覆われた姿へと変異させた。
「これが、肉体的な死を条件に発動する真の力だ……!」
「……タルボットの実験動物か。あいつならやりかねないと思ってたけど、人間の疑似魔獣化とでも言うんじゃないだろうな」
両手の皮膚を剥がれるような痛みを堪えつつ、異形と化した細剣の男に斬りかかる。
その直後、男の姿が視界から消え失せた。
「――そこかっ!」
横から繰り出される刺突を片手の剣で切り払う。次の瞬間には、細剣の男の姿はもうそこにはなく、まるで違う方向から第二撃が放たれた。
「はははっ! 遅い遅い!」
異形の男が凄まじい速度で洞窟内を駆け巡る。接触した作業機械が紙切れのように吹き飛び、既に降伏していた作業員が悲鳴を上げて転げ回る。まるで小さな竜巻が暴れまわっているかのようだ。
俺は四方八方から繰り出される高速の攻撃を凌ぎながら、じりじりと後退を続け、洞窟の隅の壁に背中を触れさせた。
両手に受けた呪詛が予想以上に効いている。肉まで焼け爛れたような痛みの走る手で剣を振るい、猛烈な攻撃を防ぎ止める度に耐え難い苦痛が襲い掛かってくる。この状態でまともに戦うのは至難の業だ。
「もう限界か、カイ・アデル!」
異形の男が細剣を構え一直線に突っ込んでくる。
《ワイルドカード》を《上級武術》からスペルカードに切り替え、左手を突き出す。スペルを唱えるよりも先に、細剣の切っ先が手の平を貫き、そのまま左肩まで串刺しにして洞窟の壁に縫い付けられた。
思わず口元に笑みが浮かぶ。想定通りの展開に笑わずにはいられない。
「つかまえた」
素早く前に踏み出し、細剣に貫かれたままの左手を刀身の根本まで一気に滑らせる。
「《ストーンジャベリン》!」
細剣の鍔に密接した左手から岩の棘が撃ち出される。
鍔は砕け、異形の男の五指が一瞬のうちにバラバラに吹き飛ぶ。前腕が二本の骨に沿って二つに裂け、上腕はグシャグシャに潰れながら根本からちぎれ飛んで、上半身の甲殻が衝撃で砕け散った。
「ぐがああっ!」
「今のうちに……!」
異形の男が吹き飛んだ隙に次の一手を打とうとするも、左手をぶち抜いて左肩まで貫通した細剣の刀身が、思っていたよりも深く食い込んでしまっている。
柄が完全に破損し、刀身の根本から先しか残っていないので、引っこ抜くためには右手で刀身を直接握るしかない。一センチ動かすだけでも右手がざっくりと裂けるほどだ。《ワイルドカード》を《痛覚遮断》に切り替えていなければ一ミリだって動かせなかっただろう。
「カぁイ! アデルゥッ!」
先に体勢を整え直したのは異形の男の方だった。細剣の刀身を抜き終えるより早く駆け出そうとし――
「……がふっ」
――その側胸部に《フレイムランス》の穂先が突き刺さった。
「レオナ!」
「もらった!」
側胸部に刺さった穂先が炎を放ち、胸腔の内部を焼き尽くしながら、横薙ぎに振り抜かれて胸部を斬り裂く。その勢いで、胸骨のあたりに埋まっていた『石』が弾き飛ばされた。
異形の男の肉体が砂像のように崩れ落ちていく。あの状態でもう一度死ぬとこうなってしまうのか、それとも『石』を失うと崩壊してしまう仕組みなのか。どちらにせよ、これで決着したと考えていいだろう。
「ったく……外にいろっていったのに」
「ごめん。我慢できなくって。また役に立てずに終わりたくなくってさ……美味しいところ横取りしちゃったね」
「いや、助かったよ。間一髪だ」
どうにか刀身を引き抜き、申し訳なさそうにしているレオナに駆け寄る。
弾き出された『石』を拾い上げてみたが、やはりと言うべきか、『石』も瞬く間に崩壊して砂になって消えてしまった。
「どう報告したものかな……」
「信じてもらえるかは置いといて、見たままを言うしかなんじゃないかな」
レオナの肩には未だに呪詛の文様が浮かんでいる。俺の両手も同じ状態だ。きっと顔面の半分を覆った文様も残っているのだろう。しかし、呪詛による不自然な痛みは綺麗さっぱり消えている。
これは一体どういうことなのだろうか。使い手が死んだことで痛みが消えたのは間違いないが、文様が消えていないのが不安を掻き立てる。
「……後始末が済んだら神殿に行こう。消えなかったらどうしような、これ」
「私はまだいいけど、カイはちょっと目立ちすぎてるよね……」
まるで顔面に派手な刺青を入れたチンピラのようだ。神殿に《解呪》してもらったら消えてくれることを、心の底から祈ることにした。