114.岩山の秘密(1/2)
「あれってどう見ても防塞ですよね……ゴブリンってあんなに賢いものなんですか?」
行く手に築かれたバリケードを見やりながら、エステルは信じられないといった様子でルイソンに尋ねた。俺だって同じ気分だった。ゴブリンは人間の道具をある程度までなら扱えると聞いていたが、まさかここまでとは。
「あ? んなわけあるか」
内心でゴブリンの評価を改めた矢先、ルイソンがそれを真っ向から否定した。
「ゴブリンに作れる陣地は小屋もどきが関の山だ。それすらも巣穴の延長線上に過ぎねぇ。知恵がねぇのか気質に合わねぇのかは知らんが、普通は障害物を防御のために使おうともしねぇもんだ」
「そういえば俺達がこの前戦った奴らも、物陰に隠れて身を守るとか全くしてませんでしたね」
行く手を塞ぐゴブリン達はバリケードの向こうから出てこようとしない。数日前の戦闘で見せた凶暴性が消えたわけではなく、今も牙を剥いてこちらを威嚇しているのだが、あのときのように後先考えず飛びかかってくる気配がなかった。
まるで躾がされた番犬のようだ。ここから動くな、しかし近付く者は迎え撃て、とでも命令されているのだろう。
「ありゃどう見ても足止めと時間稼ぎが目的だな。魔獣をあそこまで従順にさせるとは大したもんだ。かなりスキルを使い込んでいると見た」
凶暴な本能を抑制させるほどの強制力。専用のスキルカードを使いこなせばそれくらいの力を発揮できるということか。
「ともかく、あのバリケードを何とかしなければ先には進めねぇな」
「ちょっと待ってください」
先陣を切って突っ込もうとするルイソンを引き止める。
「あそこにいるゴブリンの群れと戦って負けないという条件なら、何人くらいでいけると思いますか」
「俺一人でも充分だ。連携しねぇ群れなんざいくらでも捌けるからな。だがそれがどうした」
「二手に分かれませんか。バリケードを突破して本命まで直行する組と、この場に残ってゴブリンを足止めする組で分担するんです」
岩山のどこかにあるであろう本命の拠点に戦力を集中させるのではなく、登山道に踏み込んですぐのところに戦力を配置した理由。それは恐らく、ルイソンが言うように足止めと時間稼ぎのためだろう。
裏を返せば、あちらには『時間を稼ぎたい理由』があるということだ。
例えば脱出のため。証拠隠滅のため。迎撃の仕掛けを用意するため。どの理由でも、時間を掛ければ掛けるほどあちらにとって有利になる。馬鹿正直に全員でゴブリンと戦うのは得策とは思えない。
かと言って全員で強行突破するのも考え物だ。ゴブリン達は間違いなく追いかけてくるだろうから、わざわざ挟み撃ちの状況に飛び込んでしまうことになる。
ルイソンは俺の考えを即座に理解してくれたらしく、ゴブリンよりも遥かに鋭い牙を剥いてにやりと笑った。
「そりゃいい考えだ。あそこのゴブリン共は俺に任せろ」
バリケードの向こうにいるゴブリンは目視できただけでも十体以上。Cランク冒険者でも無策で飛び込めば危うい物量だ。群れの連携を切り崩して立ち回ることを考えると、人数は少しでも多い方がいいはずだ。
ルイソンはそれを理解した上で『充分だ』と言っているのだろう。
「いや、ボクも残ろう」
クリスが細剣を実体化させて一歩前に出る。
「一人だとゴブリンを食い止めるのが限界かもしれないけど、二人なら迅速に片付けて応援に行けるはずだからね」
「舐めてんのか。ゴブリンの相手ごときで限界なわけねぇだろ。だがまぁ、さっさと始末して追いかけるってのは妙案だ」
取るべき戦術は決まった。後は実行に移すだけだ。
先陣を切るルイソンがバリケードに突っ込み、凄まじい力で一枚目の防柵を突き破る。その衝撃に巻き込まれて数体のゴブリンが宙を舞う。叫びながら迎え撃とうとするゴブリンをクリスの細剣が素早く斬り裂いた。
パワーとタフネス。スピードとテクニック。即席タッグとは思えない連携だ。二人はBランクとCランクの冒険者――流石に俺達とは戦闘経験が違う。
「こういうのはストイシャやアルスランの領分なんだがな」
「足止めが?」
「『ここは俺に任せて先に行け』って奴だ。やっぱ俺にゃ性に合わねぇ!」
豪腕が二体のゴブリンをまとめて薙ぎ払う。この場を任せても安心だと実感せずにはいられない戦いぶりだ。
「よし、俺達も行くぞ」
「でもどうやって抜けたらいいんでしょう……」
幾重にも張り巡らされたバリケードの内側は、まさに乱闘の最中にある。正面から突っ込んで駆け抜けるのは難しいように思えるが、その辺りの対策もちゃんと考えてある。
「しっかり捕まってろよ」
「えっ? きゃあ!」
《ワイルドカード》で《瞬間強化》をコピーし、両脇にレオナとエステルを抱えて跳躍する。そして一番手前のバリケードの上縁を足場にもう一度跳び上がり、乱闘の現場を越えて崖面を蹴り、二人分の重量を抱えたまま着地する。
強化系スキルと《軽業》の併用は相変わらず役に立つ。コピーに頼る必要をなくしたい組み合わせだ。
「ちょ……ちょっと、やるならその前に言ってよ!」
「悪い悪い。時間がもったいなかったんだ」
二人を地面に下ろし、駆け足で岩だらけの山道を駆け上がる。
どこから矢が飛んでくるか知れたものではないので、周辺警戒だけは絶対に怠らないよう気をつけておく。飛行中の標的に命中させられるのだから、何もない山道を走っている人間なんて楽な的に違いない。
「レオナ、腕は大丈夫か」
「……痛みが強くなってきてる。さっきよりも近いんだと思う」
一気に山道を駆け抜け、五分と掛からずに大きな洞窟の前にたどり着く。山道もきちんとした幅があるのはここまでで、ここから先は名実ともに道なき道と化している。
誰がどう見てもこの洞窟には何かがある。ここまで怪しいと違和感を覚えない方が難しい。
「《ライト》」
スペルで生み出した光球を先行させて洞窟に踏み込む。
奥へ進むにつれて妙な物音まで聞こえてきた。動物が立てる音ではなく人間が活動する音で、うまく聞き取れないが人の声も混ざっている気がする。
やがて洞窟の奥に光が見えた。慎重かつ迅速に奥を目指し、音と光の正体を確かめようと目を凝らす。
「こいつは……!」
そこに広がっていたのは異様な光景だった。原始的な工場制手工業とでも言うのだろうか。体育館ほどの広さがある空間で、木製の機械や作業台が松明の明かりに照らされている。
声と物音の原因は、工場内にある資材を運び出す準備を進めたり、作業機械を解体しようとしている音のようだ。
これくらいの工場は街になら普通に存在する代物だが、こんな山奥にあるなんて驚くしかない。そして何より信じられなかったのは、その作業をゴブリン達が手伝っていることだった。
「カイさん、これって……」
「ああ。夢でも見てんじゃないかって気分だけどな」
工場の広さの割に人数は少ない。人間が十人余りでゴブリンがその半分程度といったところだ。
ゴブリンがやっているのは設備の解体というか破壊だけで、破壊衝動を人間ではなく器材に向けさせていると言った方が正確だ。そして人間達はその合間を縫うようにして回収や梱包を行っている。
物陰から様子をうかがっているだけでも、あの連中が人手不足に苦しんでいるのが見て取れる。
「見張りも置けないくらい余裕がないのか」
あちらの事情はどうあれ、攻撃を仕掛けるには絶好のタイミングだ。レオナとエステルに目配せをしてタイミングを測り、新たに《ワイルドカード》でコピーした呪文を詠唱する。
せっかくの実戦だ。帝都でストックしたスペルを試してみるのもいいだろう。
「《フリジッド・ウィンド》!」
氷点下の突風が工場内を吹き荒れ、土が剥き出しの地面と岩壁を霜と薄氷で覆い尽くしていく。極寒の風を浴びた工場の人間とゴブリン達は、突然の冷気に悲鳴を上げ、間もなく俺達の存在に気がついて怒声と混乱の声を上げた。
出力を上げれば肉体も凍結させられたかもしれないが、やりすぎると大事な情報を引き出せなくなってしまう。凍気で動きを鈍らせただけでも充分だ。
「さて――速攻で片付けるぞ!」