109.残された謎
ゴブリンとの戦闘そのものは一時間と掛からずに終了した。ゴブリンの群れは全滅。こちらの損害は全くのゼロ。文句のつけようもない圧勝だった。これだけ圧倒できたのは、やはり最初の一手で相手の出鼻をくじけたのが大きいだろう。
むしろ大変だったのは戦闘が終わった後の魔石回収だ。三十個から四十個の魔石を、そこら中に転がっているゴブリンの死体の下や傍らから拾い集める、地道で血生臭い作業である。
「……ふぅ。これで全部かな」
一箇所にまとめられた収穫物を眺め、ようやく一息つく。
幸いだったのは、魔石が死んだ魔獣の身体から勝手に出てきてくれることだ。一体どういうメカニズムでこうなったのかは知らないが、魔石回収のために解剖まがいのことをしなくていいのはありがたい。
ゴブリンは人間に近い見た目をしている。その肉を割いて魔石を取り出すのは、想像するだけでも精神的にかなり来る。
「全部で三十五個か。ぴったり七個ずつの配分だな」
「カイはもう三個持ってるから、これで合計十個ね。もう目標の四分の一も集まったって言うべきか、それともまだ四分の三も残ってるって言うべきか。ちょっと悩ましいところね」
レオナは魔石を手に満足そうな顔をしていた。レオナとエステルの魔石所持数は今回の分を足して九個。昇華二回分、つまりカード二枚を手に入れられるだけの魔石が集まったことになる。
「その石、帰ったらすぐに使うのか?」
「迷ってるところ。十回まとめて回したら確実にいいのが出るって噂だし、四十個溜めたいなって気持ちはあるんだけど、かといって強化できるうちにしておかないと、今後が辛いかもしれないし」
「俺も同じ気分だな。八個分回しても日常生活向けのスキルしか出ないって場合もあるから、そこんとこ悩むよなぁ」
転生するときに教えられた『十連ガチャでレア以上一枚確定』のシステムは現世でも有効だ。ただし明文化されたルールではなく『これまでの経験上、確実だと思われる』という程度の認識ではあるが。
どちらにせよ『使うか貯めるか』で迷えるのは贅沢な悩みだ。
綺麗に磨いた石を七個ずつに分けて、皆に配り歩いていく。休憩していたエステルとクリスに渡し、最後にルイソンを探していると、ゴブリンの住処に入っていく大柄な狼男の背中が目に入った。
「ルイソン。魔石を綺麗にして――」
「どうなってやがる」
地の底から響くような声だった。一体何事かと思ったが、ルイソンは俺が近くにいることにまだ気付いていなかったらしく、俺の姿を見つけると驚いた様子で少し目を見開いた。
「見な。ものの見事に空っぽだ」
葉を茂らせたままの枝を組み合わせた小屋状の巣は、文字通りもぬけの殻だった。事前に情報を得ていなかったら、これが当たり前の状態だと誤解してしまったかもしれない。
「……略奪、したんですよね。近隣の村から」
「他の巣もこのザマだ。略奪したはずのブツがどこにも無ぇ」
確かにこれはおかしい。最初に気付いたのが俺だとしても、ルイソンと同じように『どうなっているんだ』と毒づくことしかできなかっただろう。
「天然の洞窟だろうと、ここみてぇな小屋もどきだろうと、ゴブリンの巣にはモノが溢れてるはずだ。まだ略奪に出せねぇ幼体も巣で育てるもんだし、死んだゴブリンの魔石も集められてるからな」
「魔石を? そんな習性があるんですか」
「金貨もそうだが、キラキラ光るもんは何であれゴブリンの関心を引く。仲間の死体から転がり出た石っころだろうとだ」
この巣にはあるべきものが何もない。転がっているのは食べかけの骨と肉くらいで、人間的な表現を使うなら生活の痕跡がない。
不思議な事もあるものだ――そんな風に軽く受け流すのは簡単だ。けれど冒険者としては適切な態度とは言えないだろう。どうしてこんな異常事態が起こったのかを自分の頭で考えなければ。
「……想像ですけど、ここは前線基地だった、とか」
ルイソンは鼻先をくいと動かして、考えていることを言ってみろと促した。
「本当の巣穴はどこか別の場所にあって、ここは村を襲うときに利用する拠点だと考えたら、本来巣穴にあるべきものがない理由を説明できると思うんです。略奪品はすぐに後方へ送られて、子供やボスは安全な巣穴から動かない……と」
事前に聞いた話だと、普通の個体のゴブリンは魔石が一個で、戦闘に特化した大柄な個体は二個、そして群れのボスは魔石三個分の魔獣らしい。
しかし先程の戦闘で倒したゴブリンは最大でも魔石二個分の個体だった。つまりボスゴブリンはこの場にいなかったのだ。ボスの存在しない群れなんて有り得るのだろうか。
「俺も同じ考えだ。特にボスがいなかったのがおかしい。ゴブリンはボスが死ねば次に強い個体がすぐさまボスになる。どういう理屈かは知らねぇが、ゴブリンって魔獣は代替わりのときだけ共食いで魔石の数を増やすからな」
「あまり想像したくない光景ですね」
「他の魔獣を食って力を蓄える魔獣は珍しくねぇが、代替わりするときのゴブリンほど即効で魔石が増える奴は滅多にいねぇな。大抵は一個増やすために山ほど食う必要が……って、んな話はどうでもいいんだ」
危うく話が脱線するところだったが、ともかくボスの不在は不自然な要素の筆頭である。
「それで、次はどうします? 本物の巣を探しに……」
「は? どうもこうもねぇよ。これで依頼完了だ。さっさと撤収するぞ」
「……え?」
ルイソンは当たり前のようにそう言い切ると、天井の低い枝葉製の小屋もどきの入り口から背中を丸めて出ていってしまった。
俺はすぐに後を追いかけ、発言の意味を問い質した。
「撤収って、どうしてですか」
「俺が受けた依頼は『およそ三十体前後のゴブリンの群れの討伐』だ。成功報酬の三万ソリドはその数に対する適正価格で、俺達はそれだけの数をぶっ殺した。三万ソリド分の仕事はとっくに終わってんだよ」
それは確かに正論だ。俺達は慈善事業ではなく報酬を貰って働く雇われだ。処理すべき案件が予想外に多かったとしても、依頼内容と報酬額を超過した分まで対処する理由はない。
冒険者に限らず、世の中にはアフターサービスと称して追加労働をする者もいるが、それはあくまでプラスアルファの要素に過ぎない。金も払わずにそれを期待する奴がいたら、そちらの方が舐めている。
「今回はゴブリンの数を過小評価して依頼を出したあいつら自身の責任だ。もっと金を積んで『総数不明』で依頼を出せばよかったんだ」
「けど俺は……」
「まぁ追加依頼の交渉には応じてやるがな。云万ソリドも上乗せするっていうなら考えるさ。だがな新人」
ルイソンはおもむろに振り返り、細長い狼の鼻先を俺の眼前に突き付けた。
「可哀想だからとか、そんな理由でタダ働きはするな。働きに相応しい金を取れ。さもねぇと『これくらいの安値でやってくれて当然だ』なんていうナメきった考えが広まるからな。上を目指すなら尚更だ」
「分かってます。一流がタダ働きだの安請け合いだのしたら、下の連中はもっと安く使っていいっていう風潮になるからでしょう」
いわば労働力の不当廉売だ。
損して得を取れの精神で安売りしても得をするのは自分だけ。その行為は全体の価格水準を引き下げることに直結し、力の弱い層がまともに食べていけない環境を生み出して、市場そのものを壊死させる。
高ランク向けの依頼では高額報酬を要求しなければならないのもそのためだ。高ランクの報酬が低くなれば、それに引きずられてDランクやEランクがまともな報酬を得られなくなってしまう。
「俺がしたいのは仕事じゃありません。魔石を集めるための魔獣狩りです」
「……何だと?」
「本命の巣には魔石が溜め込まれてるかもしれないんでしょう? それにもう三十体もゴブリンを倒したんですから、今なら相手の戦力だってガタ落ちしてるはずでしょう。この機会に魔石を一気に集めたいんです」
ルイソンの鋭い眼差しを正面からまっすぐ見据え返す。
「高ランクになれば、依頼とは関係なく自分の資金で魔獣討伐に行くこともあると聞きました」
「だが俺が付き合う道理はねぇな」
「はい。協力してもらえたら嬉しいですけど、それ以上のことは言えません。他の連中からも意見を聞いて、了承が取れたら四人でゴブリンの本拠地を探しに行きます」
きっと皆も賛同してくれるはずだという確信があった。魔石を大量入手してカードに変えればその分だけ強くなれるし、稼ぎを増やす手段になる。レオナとエステルの目的にも合致している。
今回のように二、三週間で七個のペースだと、残り三十個を集め切ってCランクに正式昇格するまでに何ヶ月もの時間が必要になってしまう。普通ならかなりのハイペースなのかもしれないが、俺達にとってはもどかしい足踏みだ。
「そういや、オメェらはさっさと昇格したい連中の集まりだったな……」
ルイソンは後頭部の毛皮をがしがしと掻き、ふんと鼻を鳴らした。
「しょうがねぇ。最後まで面倒見てやるぜ。ただし依頼主との交渉が済んだらな」