106.新たな依頼
まずは手分けをして『クルーシブル』のメンバーを探すことにする。帝都のそれほどではないにせよ、ハイデン市のギルドハウスもそれなりに広く、人も多い。十人足らずの集団を探すだけでも一苦労だ。
それに『クルーシブル』は八人のメンバーが必要に応じて集まったり、少人数のグループを作って依頼をこなしたり、時には単独で動いたりするスタイルのパーティだ。今ここに全員揃っているとは限らないし、何人かいたとしても一箇所にまとまっているとも限らない。
とはいえ、Cランクの三人のうちアルスランとルイソンは巨体と言っていいサイズの体格なので、人混みの中でも目立つはずだ。そんなことを考えつつメインホールを歩き回っていると、別行動中だったクリスがさり気なく話しかけてきた。
「そういえばお祝いを言い忘れていたね。仮昇格おめでとう」
「ご丁寧にどうも。それにしても驚いたな。元々の仕事はとっくに終わってるんじゃないのか?」
思い切って、ずっと気になっていたことを訪ねてみたところ、クリスは俺の耳にこっそりと顔を寄せて囁いてきた。
「今は君の……というか《祝福停止》の監視が任務さ。と言っても、楽な仕事を割り振ってくれるよう頼んだ結果だから、君と一緒に行動すること以外にやることはないんだけどね」
「本当かよ、それ」
何となく、からかわれている気がしないでもない。
やむをえない状況だったとはいえ、濫用厳禁の《祝福停止》のカードをコピーできるようになってしまった以上、ギルドから監視されても文句を言えない立場だ。その辺の事情に気を使って、わがままを言って派遣されたと嘘をついている可能性も充分にある。
しかし、クリスはそんな俺の想像を打ち消すように、リラックスした態度で振る舞い続けていた。
「けどいいのか? 収入もDランク相当に落ちると思うんだが」
「あくまで任務扱いだから、その報酬は別に支給されるよ。ただし、よほどのことがない限りBランクとしての助言はしない。これはあの人からの要請だ」
「ギデオンさんか。苦労して成長しろってことだな」
クリスは本来Bランクだが任務のため特別にDランクと偽っている。そういう背景があるので、Bランクとして手伝ってもらおうとは最初から考えていない。
「あ、カイさん!」
エステルが人混みの合間を縫って急ぎ足で駆け寄ってくる。
「どうだった?」
「ユーリィさんとは会えましたけど、やっぱりCランクの人達とは別行動だそうです。自分はしばらく一人で簡単な依頼をこなすつもりだって」
デミラビットのユーリィはDランク冒険者で、確か少人数での行動を好んでいるんだったか。
パーティだけでなく個々の冒険者にも様々なタイプがある。依頼の好みやペースもまちまちだ。それは手伝いを頼もうとしているCランク達も同じこと。例の約束を盾に無理を言ったりしないよう気をつけなければ。
「それにしても……なんだか前よりも人が増えてますよね。先月まではここまで多くなかったと思うんですけど」
「冬の出稼ぎだな。エステルの地元じゃそういうのはなかったのか? もしかして暖かいところの出身とか」
「はい。グリーンウッドはここよりもずっと西にあるんです」
大陸の降雪地帯は、山脈に近い東方地域と寒冷な北方地域に集中している。出稼ぎは雪が降っている間の収入確保のためなので、他の地域では割と珍しい習慣である。
冒険者ギルドには様々な依頼が集まり、自分のスキルに合わせた仕事を探せるので、彼等のような出稼ぎ冒険者が後を絶たないのだそうだ。
「逆に冬の間は故郷に帰る冒険者も少なくないそうだよ。年明けは家族で過ごすべきという考えは今も根強いからね」
クリスが横合いから補足を入れる。
「故郷か……」
「家族ですか……」
何とも言い難い表情になる俺とエステル。家族や実家に思うところがある者同士、エステルの言葉にしにくい気持ちはよく分かる。
俺は借金の返済。エステルは両親が手放した土地の買い戻し。大金を稼いでみせると大見得を切って出てきた手前、目標を果たす前に帰郷することにどうしても抵抗を感じてしまう。
もちろん、故郷の家族はそんなこと気にしていないはずだ。帰ってきたら喜んで迎え入れてくれるに違いない。だからこれは俺達個人の意地の問題だ。
「ええと、ひょっとしてよくない話題だったかな」
「そんなことないです! ただちょっと、反対を押し切って出てきたので帰りづらいなぁと」
「右に同じく」
そうこうしていると、人混みの向こうから頭一つ分大きな白毛のデミライオンがやって来るのが見えた。その手前にはレオナの姿もある。
「事情はレオナ君から聞かせてもらった。先達として協力したいのは山々なのだが……」
アルスランは獅子の顔に困った表情を浮かべている。その格好は見るからに臨戦態勢。まさにこれから戦闘を含む依頼に繰り出そうという装いだ。
「これから依頼なんですね。忙しいときに呼び止めてすみません」
「うむ、そうなのだ。ストイシャと共に少々遠出をな」
できれば気心の知れたアルスランに頼みたかったのだが、既にスケジュールが埋まっているなら仕方がない。わざわざ直接返事をしてくれたことに礼を言って別れようとした矢先、別の方向から予想外の声が投げかけられた。
「魔獣狩りに行きたいらしいな。だったらちょうどいい、俺が面倒見てやるぜ」
大柄な狼男、デミウルフのルイソンが肩を怒らせながら俺とアルスランの間に割り込んできた。
「ルイソンか。しかしお前が受けた依頼は確か……」
「こいつらには丁度いいだろ。ビビって逃げるんならその程度ってことだ」
アルスランの反応に不穏な気配を感じなくもないが、ルイソンが協力してくれるのならありがたい。ルイソンも『クルーシブル』に所属している三人のCランク冒険者の一人だ。
「助かります。でもどこからその話を?」
「あん? さっきユーリィから聞いたんだよ。ここじゃうるせぇから他所に行くぞ」
ルイソンについて行ってギルドハウスを後にする。
移動先はギルドハウスから少し離れた場所にある小さな食堂だった。居酒屋や大衆酒場に近い雰囲気で、日中だからか酒目当てではなく軽い食事をしに来た客が目につく。
せっかくなのでそれぞれ一、二品を注文して、小腹を満たしながらルイソンの話を聞くことにした。
「最初は別のDランク連中を引っ張っていく予定だったんだが、詳しく説明してやったら揃って怖気づいて逃げ出しやがった。Eランクから出直しやがれってんだ」
ルイソンは肉料理を骨ごと噛み砕きながら愚痴をこぼしている。
「それで、どんな依頼を受けたんですか? 魔獣討伐なんですよね」
「ああ。ゴブリンの群れの殲滅だ。まぁ、ちょっとした戦争だな」
「ゴブリン……? いやでも、ゴブリンって昔話の小鬼とか妖精とか、そういう奴なんじゃ……」
海の知識では、ゴブリンはファンタジー作品でお約束の小さな人型モンスターだ。カイ・アデルにとっても似たようなもので、昔話やおとぎ話に出てくるイタズラ好きで頭の弱い妖精という認識しかない。
生前の世界における妖精や妖怪のように『かつては信じられていたが、今では実在しないものと認識されている』存在。ゴブリンとはそういうものだ。
「はぁ? ……ああ、いや、Dランクじゃ知らねぇのも無理はねぇか。一般人はこっちがビビるくらい魔物について無知だからな」
ルイソンは一呼吸おいてから、ゴブリンという魔物について語り始めた。
「実在するゴブリンは魔力を得た猿が変異した魔物だ。見た目が昔話のゴブリンに似てるってことでそう名付けられたのか、それとも魔物のゴブリンから想像を膨らませた結果が昔話のゴブリンなのかは知らねぇがな」
なるほど、と素直に納得できた。
前者の実例はキリンやバクで、後者の実例はタヌキやキツネだ。空想上の生物の名前を付けられた動物と、実在の動物がベースになった妖怪。こういった事例は生前の世界でも珍しくない。
「他のDランクが逃げたってことは、ゴブリンってそんなに厄介なんですか」
「昔話のゴブリンと違って、人間の言葉は理解しねぇし自分達で道具を作ることもできねぇが、普通の猿よりも格段に頭が回る。言語一歩手前の鳴き声で意思疎通をして、単純なものなら人間の道具だって使えるくらいだ」
魔力を帯びたスケイルウルフが変異したナイトウルフは、スケイルウルフの肉体的な長所が大幅に強化されていた。ゴブリンもこれと同じ理屈で猿の頭の良さがパワーアップしているのだろう。
……それはつまり、人間に近付いたということかもしれない。
「魔獣には一世代限りの奴と魔獣のまま繁殖する奴がいるが、ゴブリンは後者だ。生まれた仔ゴブリンも成長すれば魔獣になる。定期的に駆除しておかねぇと増え過ぎて大変なことになるわけだ」
「何個くらいの魔石が手に入るんですか?」
そう質問したのはレオナだった。俺も後で尋ねようと思っていたのだが先を越されてしまった。
「普通は一体につき一個だな。群れを外敵から守る専門の奴らは二個で、ボスは三つくらい採れる。一匹ずつなら雑魚だ。一対一なら負けることはねぇ」
前にアルスランから聞いた話だが、標準的なCランク冒険者一人が得られる魔石が三個までなら討伐成功率は百パーセントで、以降は魔石が一個増えるごとに十パーセントずつ低下していくとされている。
Cランク冒険者四人なら魔石十二個の魔獣一体までなら安全圏。この経験則に当てはめると、ゴブリンはかなり容易な相手なのではと思えなくもない。
だが、ゴブリンが『猿』をベースとした魔獣となると話は変わってくる。
「ゴブリンが厄介なのは群れがデカいことだ。大規模な群れは百匹や二百匹にもなる。餌集めのために遠出した個体やはぐれゴブリンを狩るだけなら楽なもんだが、馬鹿デカい群れを壊滅させるのはちょっとした戦争だ」
「あの……それってこの五人じゃどうしようもないような……」
レオナが不安を溢す。しかしルイソンはあっさりとそれを笑い飛ばした。
「安心しろ。俺らが始末するのは二十や三十の標準的な群れだ。一度に全部を相手取る必要もねぇ。強襲と離脱を何度か繰り返せば楽に潰せる。前の連中はそれでもビビって降りやがったがな」
一人当たりが獲得できる魔石は、おおよそ六個か七個といったところか。数だけ見れば悪くないように思える。
アルスランに教わった経験則は『きちんと連携が取れている』というのが大前提にある。冒険者百人を集めても魔石百個の魔獣には勝てないし、逆に魔石一個の魔獣が何十匹いても、連携を乱してしまえば少人数でも充分勝てる。
納得する俺達の傍らで、エステルだけがキョトンとしていて、全く認識を共有できていない様子でいた。
「あの、サルって何ですか?」
「ええっ!?」
俺とレオナは声を揃えて驚き、ルイソンは目の間をひそめた変な顔をした。
エステルはどうして驚かれたのかもよく分かっていないようだ。何をどう説明したものか悩んでいると、今まで聞き役に徹していたクリスが口を開いた。
「そういえばエステルは西方の出身だったね。猿は東方と南方の暖かい地域の動物だから、他の地域には殆ど生息していないんだよ」
この世界は生前の世界と違って情報の流通速度が遅く、範囲も狭い。東方出身の俺が北方や西方の固有種に無知であるのと同じように、西方出身のエステルが猿を知らなくてもおかしくはないということか。
そういえば、生前の世界の猿は南半球とアジアを中心に生息していて、ヨーロッパには野生種がいないと聞いたことがある。似たような分布の偏りがこちらの世界でも起こっているんだろう。
「言われてみりゃ、エルフの森はだいたい西方にあるんだったな。知らねぇのも当たり前か」
ルイソンは巨体を背もたれに預け、ぎしりと軋ませた。
「場所はここから東南へ一週間の山中。報酬は討伐成功でパーティ全体に三万ソリド。魔石は均等配分、現金報酬は俺が三割でお前らが七割。移動費は俺が出すからその分も含めて多めに貰う。この条件でいいなら、ギルドハウスに戻って登録してこい。出発は明後日だ」
報酬総額三万ソリドのうち、ルイソンの取り分が九千ソリドで残り二万一千ソリドを四人で分け合うので、俺の懐に入るのは約五千二百ソリドとなる。
移動時間が往復で二週間、プラス現地での拘束時間を考慮しても、なかなか悪くない報酬額だ。仮に合計三週間で依頼を完了したとすると、一日二百五十ソリドくらいの収入という計算になる。
ちなみに、グロウスター卿からの指名依頼の報酬は総額一万二千ソリドで、一人頭の配分が三千ソリド、拘束時間は数日間の予定だった。もちろんこれは事件解決の追加報奨金を除いた額で、貴族の依頼という特殊性もあったのだが。
「で、どうだ?」
充分な報酬に魔石の獲得。返答は悩むまでもない。俺はパーティを代表して、承諾の意志をルイソンに伝えた。
「よろしくお願いします」