103.冒険者とは(2/2)
――今から百年以上前。大陸を数多くの国家が割拠していた時代、魔石を昇華して祝福を生み出す技術はまだ存在していなかった。
しかし魔石が無価値だったわけではなく、大量の魔力を貯め込んだ使い捨ての魔力供給源として用いられ、軍事的にも重要な物資とみなされていた。
当然、需要があれば供給の試みは絶えない。国際情勢が悪化し、大戦争が近いと考えられていたその時代、各国は積極的に魔石の貯蔵量を増やそうとした。もちろん来たるべき戦争に備えてのことだ。
魔石を集める人々の呼称と待遇は国によって異なっていた。例えば現在のハイデン市周辺にあった国では『石漁り』と呼ばれ、自然死した魔獣が残した魔石を拾い集めていて、戦略的な重要性に反して社会的な地位は低かった。また別の地域では『探索者』や『獣狩り』と呼ばれていた。そして――
「後に帝国を築くことになる国での呼称が『冒険者』だ。当時は大陸でも下から数えた方が早い小国でな。常人では踏み込めない魔境を踏破し、祖国に貴重な魔石をもたらすことから尊敬を集めていた」
「それが現代の『冒険者』の由来ですか」
「まぁ、端的に言えばそうだ。しかし今のように、多種多様な依頼を受ける職業としての『冒険者』が生まれるまでには、もう少し紆余曲折がある」
ギデオンは落ち着いた口振りで語り続ける。
――やがて大陸全土で戦争が始まり、帝国の前身国家も複数の隣国から「降伏か征服か」という選択を突き付けられる窮地に立たされた。
そこに現れたのが、後に冒険者ギルドを立ち上げ初代ギルドマスターとなる男だった。一介の『冒険者』に過ぎなかったはずの彼は、魔石を昇華して祝福に変える技術を開発――あるいは発掘し、これを用いて王国を救いたいと国王に持ちかけた。
国王はこれを大いに喜び、その男に冒険者を取りまとめる権限を与えて魔石を集めさせ、それらを祝福に変えさせて国力を増強した。戦闘や戦争に向いたカードはそのまま戦力増強に繋がり、そうでないカードは食料生産や物資の製造を助け、瞬く間に小国に力を蓄えさせた。
「それほどの需要を満たすとなると、自然界に転がっている魔石を拾い集めるだけではまるで足りなくなった。必然的に、冒険者の主な役割は魔獣を狩って魔石を集めることへと変わっていった。まぁ……それ以前から『獣狩り』なんかは積極的に魔獣を狩っていたそうだがな」
そしてこれらの恩恵によって、かの王国は瞬く間に大陸を制し、歴史上初めての大陸統一国家を生み出すことになった。
「魔石昇華を可能とした男、後のギルドマスターは三つの点において賢明だったと言われている。まず一つは魔石昇華の祭壇の製造技術を独占したことだ」
ギデオンは説明を続けながら人差し指を立てた。
「魔石採集を生業とする者達を統率し、昇華によって得られたカードを献上してはいたが、魔石昇華の技術そのものは帝国が成立するまで決して明かさなかった。これによって強い影響力と発言力を維持することができたわけだ」
「なるほど……だけどそんなことをしていたら、無理やり取り上げられたりするかもしれませんよね。結果的にはされなかったみたいですけど」
「吹けば飛ぶような小国だったからな。他国に亡命でもされたらその瞬間に滅亡確定だ。最初は国力の低さから特権を認めざるを得ず、国が大きくなった頃には下手に手出しできないほどの権力を得ていたわけだ。それに加えて……」
そう言って、二本目の指が立てられる。
「魔石昇華の技術を明かさないという一点を除いて、かの男は王に忠実だった。生涯を通じて国王の……初代皇帝の忠臣であり続けた。唯一無二の親友だったと言ってもいいだろう」
国の命綱を握っていて、強い権力を持ち、なおかつトップからの信頼が誰よりも篤い。政敵からすればこれ以上なく厄介な相手だったに違いない。
一介の『冒険者』から皇帝の右腕への大出世。この世界における成り上がりの頂点と表現しても大袈裟ではない。胸の奥から羨ましさと対抗意識が湧き上がってくるのが感じられた。
ところが、ギデオンは三本目の指を立てると同時に、俺の胸中に渦巻いていた熱気を吹き飛ばしてしまった。
「三つ目。彼が賢明な男と称される最大の理由は、帝国が成立すると同時に殆ど全ての政治的特権をあっさりと返上したことだ」
「全て!? 昇華の技術の独占もですか!」
「ああそうだ。頑なに秘匿し続けていた魔石昇華の手法を献上し、権力もスパッと捨てて、ただひとつの見返りと引き換えに政治の世界から完全に手を引いてしまったのだ」
とても信じられなかった。成り上がるだけ成り上がっておきながら、頂点に至った瞬間に全ての成果を投げ捨てるなんて。これだけの立場と引き換えにしたいと思うような見返りが全く想像できない。
「彼が特権と引き換えに要求し、全面的に受け入れられたただひとつの見返り――それは『高度な自治性と独立性を持つ冒険者の組合の設立』――つまり」
「冒険者ギルド……!」
「その通り。彼は引退後すぐに冒険者ギルドを立ち上げ、初代ギルドマスターの座に就いた。これが今の冒険者ギルドの成り立ちだ」
あまりにも予想外の流れで、遠い過去の話が現代に繋がった。
ギデオン曰く、彼は更に、魔石昇華とカードの取引を独自に行っても良いという勅令すらも引き出したのだという。冒険者が集めた魔石をギルドの祭壇で昇華し、生み出されたカードは冒険者が使ったりギルドを介して取引される。まさしく現代の冒険者ギルドの原型である。
もちろん冒険者ギルドが何もかも自由にできるわけではなく、幾らかの条件も加えられた。
第一に、反帝国組織がギルドを悪用して力を付けるのを防ぐため、身元確認と『誰がどんなカードを用いているか』の管理を徹底すること。第二に、帝国の国力増強および人材育成という本来の役割を堅守し、幅広く構成員を受け入れ、優秀な人材を政府に紹介すること。重要な条件はこの二つだという。
現代の冒険者ギルドは、前者の条件を《ギルドカード》によって実現している。各冒険者の活動履歴、現在のセットカード、そしてセット状態の変更履歴。ギルドは《ギルドカード》を通じてあらゆる情報を集め、必要に応じて帝国政府に提供しているらしい。もちろんこれは高ランク冒険者の間では周知の事実だ。
恐らくだが、ギルドがカードの売買と流通を厳しく管理している理由も、このあたりに関係しているのかもしれない。
後者の条件は冒険者にとっても有利に働いている。希少なカードを手に入れても政府に没収されるといったことは起こらず、充分な実力が備わってから、カードを引き当てた冒険者ごとヘッドハンティングされるわけだ。冒険者にしてみれば最高の出世ルートである。
「これで分かっただろう? 魔石を集めることこそが冒険者の本来の生業であり、それは魔獣を討伐することによって実現されてきた。ギルドができる前からな。現代の制度でいうCランク以上が本当の冒険者の在り方というわけだ」
「……納得です」
魔獣を討伐できるようになってからが一人前と言われる理由だけでなく、他の違和感もいくつかまとめて氷解した。
魔石昇華なんていう重要技術を好きに使える理由。独自の捜査権まで持っている理由。場合によっては貴族にすら喧嘩を売れる理由。それらの全てがギルド設立の経緯によって説明できる。
「けどそれなら、冒険者が色んな依頼を受けるようになったり、EランクやDランクみたいに魔物と関わらないランクが設定されたのはどうしてなんですか?」
「詳しく話すとまた長い話になるんだが、端的に言うとどちらも人が増えすぎたからだな」
冒険者ギルドの発足以降、帝国政府は魔石昇華を一部の公的機関と神殿にしか解禁せず、カードを手に入れて人生を変えることを望んだ者達が冒険者ギルドに殺到することになった。
元々、冒険者ギルドは旧来のギルドと同じく徒弟制度を採用していた。
徒弟制度とは、パン屋ならパン屋の店主が、鍛冶屋なら鍛冶屋の親方が頂点に立って、その下で職人が働き、更にその下で徒弟……つまり見習いの弟子が技術を学ぶという形態だ。
昔ながらのギルドに参加できるのは、この『親方』達だけだった。いわばギルドとは中小企業や零細企業の社長達が同業者同士で手を組んだ企業連合だ。商品の値段を談合で決めたり、ギルドに属さないライバル企業が出てこないように手を回して、それぞれの利益を維持していたのだ。
冒険者ギルドの場合、パーティを結成できるのはベテラン冒険者だけで、彼等が他のギルドでいう親方であり冒険者ギルドの正会員だった。他の冒険者達は親方の下で働き、経験を積んでいた。
「ところが、冒険者になることを望む者が増えすぎた。裾野が広がりすぎたのだ。帝国との約定があるため受け入れを拒否し続けるわけにもいかず、かといって一人のパーティリーダーが見習いを何十人も抱え込むことなど不可能だった」
更に問題はそれだけに留まらなかった。
「そうして集まった者達は、皆一様に困窮していた。なけなしの財産を使ってギルドまでやってきた者ばかりで、パーティに入れず現地で仕事が見つけられなければ、餓死するか犯罪に手を染めるかしか手段がなかったのだ」
これではどう転んでも治安の悪化が避けられない。そこで冒険者ギルドは大胆な改革を行った。
まず初めに手を付けたのは経済的困窮の改善だった。希望者全員を徒弟制度とは別に登録し、彼等に短期間の労働を斡旋する制度を作った。これが現代の依頼システムの原型である。
この時点で、ギルドに加盟するのはリーダーだけという昔からの制度は実質的に崩壊した。仕事の斡旋のために全冒険者を登録、管理しなければならなかったからだ。
次にギルドは厳格だった徒弟制度を緩和した。パーティを組むことに親方の資格は不要であると改め、誰にも学ばず独学で実力を付けた者も魔獣の討伐に参加できるようにした。そうしないと『見習い』が増え続ける一方だったからだ。
最後に、斡旋する仕事の種類と各冒険者の実力の度合いの管理を容易にするため、ランク制を採用した。当初はABCの三段階で、当時のAが現代のAランクとBランク、Bが現代のCランク、Cが現代のDランクとEランクに相当した。
それから百年近く経ち、いつしか「冒険者は一般市民からの依頼を受けるのが当たり前」という認識が広まり、昔は見習いに過ぎなかったDランク以下も正式な冒険者と見なされるようになっていった。
「今の冒険者ギルドの制度はこのように生まれた。冒険者になることを望む者は全員がギルドに登録し、魔石集めとは無関係な依頼を受けて資金を稼ぎ、ある者はベテランに師事して己を鍛え、またある者は独力で実力を身につける。そうやってランクを上げて見習いを卒業し、魔獣に挑む資格を得る……というわけだ」
組織に歴史あり。俺が当たり前のように思っていた冒険者ギルドの在り方も、様々な変化を重ねた末に生まれたものだったのだ。
もしかしたら、幅広く構成員を受け入れろという政府側からの要求は、冒険者ギルドを『昔ながらのギルド』ではいられなくするために仕込まれた毒だったのかもしれない。
そうだとしたら効果は抜群だ。極めて閉鎖的だというギルド本来の性質は見事に破壊され、冒険者ギルドは開かれた組織に生まれ変わった。
「……なんだか一気に賢くなった気がします」
知識を一気に詰め込みすぎた、という感想をオブラートに包んで伝える。
「まだ一つだけ分からない事があるんですけど、初代ギルドマスターはどうして高い地位を捨ててまでギルドを立ち上げたんでしょうか」
「既に故人だからな、本当のところは誰にも分からん。だが有力とされる説が二つほど提唱されている」
ギデオンはベランダの柵にぎしりと背中を預けた。
「一つは保身のためだ。彼を邪魔者と考える勢力に命を狙われていると悟り、潔く引退することで『特別扱いされている組織の長』という形で最低限の権力を保ったという説だな」
納得はできるけれど面白みのない説だ。歴史の教科書なんかに乗っていそうな解釈である。
ギデオンも同じ感想を抱いているのだろう。二つ目の説を口にするときの表情が明らかに楽しそうに見えた。
「もう一つは、それこそが彼のやりたかったことだという説だ。最初から冒険者のためのギルドを立ち上げることだけが目的で、国王に協力して戦争に勝たせたのも、そのための布石に過ぎなかったという解釈だ」
「だとしたら大胆不敵この上ないですね。まさか、昇華の技術を秘密にし続けたのも、希少価値を釣り上げられるだけ釣り上げておいて、最後の最後で有利な条件をガッツリ引き出す餌にするためだったとか?」
愉快そうに笑いながら、ギデオンはゆっくりと夜空を見上げた。
「それくらい冒険者という存在が好きだったんだろう。羨ましい限りだよ。まさしく最高の人生じゃないか」