クビになりました
…小さな島にあるごく普通の家庭。
温和だけど怒るとコワイ母親と、寡黙で人の良い父親。
男勝りの長女、これまた男勝りの次女というごく普通の4人家族に、その冬新しい命が誕生した。
体重2800gの元気な男の子に、家族は大いに喜んだ。
父親はキャッチボールがしたいなと言い、母親はようやく男の子だと言い。
長女はおさるさんみたいとド直球に溢し、次女はずーっと手を握っていた。
すくすくと成長する男の子に、2年後妹が出来た。
そうして6人家族という賑やかな家庭になった環境で、男の子は小学校を卒業し、中学校を卒業し、高校を卒業し、島に唯一ある銀行へと就職を決めた。
長女は調理師になるべく島外の専門学校へ進学し、卒業ののち島の中心街で小さなレストランを経営していた。
次女は特待生で医大へと入学し、卒業後は島にある知り合いの病院で小児科医として日々頑張っていた。
三女は絵を極めたいと美大へと進学したものの、いつの間にか退学してイラストレーターの専門学校へ進学、どういうワケか漫画家として有名少女コミックにてデビュー、今や連載を数本抱える有名漫画家となっていた。
そんな中、男の子から青年へと成長した彼はと言えば……
「……ウッソだろおい」
島唯一の銀行が、島から何故か撤退した影響でクビになっていた…。
「……堅実に貯金しててよかった…のか?」
28歳になり、アラサーへと足を踏み入れた矢先、俺が10年勤続していた銀行が島から撤退した。
…なんで撤退してんだようちの銀行。一応郵便局のATMでも金は下ろせるけど、流石に通帳の記入は出来ないんだぞ…? しかもちゃんと銀行に行こうにも、フェリーを使って50分も掛かるし当然タダじゃない。
「も、ホントバカじゃねぇのかな上層部…」
そんなワケで、晴れて……いやめでたくねぇよ、っていうセルフツッコミはおいといて、俺は無職になったのである。ただしスネはかじらない。いい大人だからな。
特に娯楽が無いワケじゃないけど遊ぶ事もほぼ無く、実家暮らしの為に食費と光熱費を入れてケータイ代とネット代を引かれたらほぼほぼ貯金していた事もあり、ボーナスだったりも積み重なって、貯金だけはかなり大量にあったのが唯一の救いだったのだろうか。
父親も母親もどうやら俺が仕事ぐらいしかしてなかったと思っていたらしく、いきなりクビになって無職になってしまったこの状況も、『別にしばらく働かなくても構わない。詳しく言うと二桁年にならなければ大丈夫』という、無駄に気を利かせたお墨付きを頂いてしまった。
果てしなくヒマです。
仕事一筋…というワケでもなかったんだけど、平日は当然仕事をしていたワケだし、休みと言えば年末年始に土日祝日。こーんな平日の真っ昼間にテレビを見ても通販か時代劇やドラマの再放送、他はニュースぐらいしかないこの状況が、すんげぇつまらないです。畳の上をゴロゴロするのにも限度があるもんなぁホント。
ぬわあああああん仕事してないのに疲れたもおおおおおお!
「龍壱~?」
「むっ、なんじゃらほい?」
冷蔵庫にアイスティーしかなかったからしょうがなくコップに注いで飲もうかとした時、昼飯を作ってた母親に呼ばれてしまった。
あ、申し遅れました。ドーモ、ドクシャ=サン。紗神龍壱デス。
「和希がお弁当を忘れたみたいなのよ~。天気もいいし、自転車でひとっ走り持っていってくれないかしら~?」
「かず姉……なんでレストランやってるクセに、自分で賄い作って食わないんだよ…」
かず姉…紗神和希はうちの一番上の姉ちゃん。島で人気のレストランを経営してるんだけど…朝昼晩のメシは絶対に母親が作ったものしか食わない。故に営業日は毎回特製の弁当を持って職場に行くんだよな…。でもさぁ……
「…俺が仕事クビになってからさ、かず姉が弁当忘れる頻度が上がってると思うんだけど」
「そうなの~?」
「いや、2日に1度忘れてるから。その度俺が持ってってるんだけど」
「まぁその度自転車に乗るんだし~、身体が鈍らなくていいじゃないの~」
もっともな事を言ってるつもりらしいけど、本当にそう思ってるのなら、そのニヤニヤした顔をやめてください。
「…はいはい、行ってきますよ~っと。あ、なんか帰りがけに買ってくるモノとかある?」
「そうねぇ~……あ、あのスーパーで卵とお砂糖とお醤油が安いから買ってきてくれないかしら~?」
……だからそのニヤニヤをやめいと。してやったりみたいな表情が最近多すぎるぞこのオカン。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
自転車でゆる~りと向かう事20分、ちょうどお昼時で賑わっているレストランへ到着した。
レストラン『メーヴェ』。
お手頃な価格と気さくな店主が売りの、ナウなヤングにバカウケらしいともっぱらの噂である(50歳男性談)。
実際、家族の贔屓目に見てもかず姉の料理はかなり美味い。特にオムライスは、ふわふわの卵とチキンライスのハーモニーが素晴らしいとその辺界隈のマダム達の噂になっている(44歳女性談)。
噂ばっかりじゃねぇか。
「ウィーッス。WAWAWA忘れ物~」
「あぁぁぁぁようやく来たぁぁぁぁ私のお昼ご飯!りゅー、ぐっじょぶ!」
カランコロンと鳴るドアベルがついたドアを開け、学生時代見てたアニメの空気読めないヤツが言ってたセリフを言いながら店内に入ると、厨房から待ってましたとばかりの声が聞こえた。
…流石お昼時、あまり広くしていない店内には、昼食を摂りに来たサラリーマンやら主婦やらで席が埋まってる状態だった。
「おぉ龍ちゃん!まーた和希様にお弁当の配達かい?」
「クソッ…和希様と一つ屋根の下…もう許せるぞオイ!」
「和希様と同じ食卓を囲むって羨ましい……羨ましくない?」
「おっ、そうだな」
もうなんか一部の客が濃すぎてイヤです。特に一人は、鎖帷子みたいなスケスケメッシュの洋服に皮のホットパンツ、グラサンとかいうナルガ装備みたいな見た目でクッソ濃い。
…でもこの人結構有名な犬の調教師で、この見た目に反してえらい金持ちなんだよなぁ…。しかも色んなところに寄付とかしてるらしいし、世の中ってホントコワイ。
「コラッ!うちの弟にメンチ切るなこのナルガ装備!」
「かしこまりっ!」
もうホントなんなんだろうなぁこの店…。