1話「いらっしゃいませ」
都会での一人暮らしに嫌気が差し、故郷に戻ってきた今野忠雪。
六年間勤めた会社を辞めてしまい、ただいま二十八歳の無職です。
当然、恋人すら存在しないわけで…
時折冷たい風が吹き付ける初夏。
片田舎の住宅地にひっそり佇む喫茶店に新しいアルバイトが入った。
新入りの名前は今野忠雪。
喫茶店の名前は『イマノコーヒー』。
地元での再就職の目処も立たず、ひとまず実家が経営する喫茶店の手伝いをすることになった忠雪であったが。
かれこれ十年近く家を空けていたとはいえ、学生時代の家事手伝いの経験を体が覚えていた。
昼過ぎ。
この時間帯は客足も無くて特に暇だということも覚えている。
昼休憩の客を見送った後は適当に掃除を済ませて、ラジオをBGMにうたた寝でも始めようかという時。
カランカランと入り口の鈴が鳴る。
店内に入ってきたお客様は、一言で表現するなら美少女だった。
肩にかかる金色の長い髪にこの辺りでは見かけないお洒落な制服。
ミニスカートからのぞく白くてキレイな長い足。
今野忠雪は自分がバイトであることも忘れて見とれてしまっていた。
不意にその美少女と目が合うと、ぱっちり二重の魅力的な目をしていることに気付かされる。
色白の肌と相まって、まるで人形のような洗練された美しさを感じさせる。
「席に案内してほしいんだけど」
冷たくて尖っていて、でも幼さが残るその声で忠雪はハッと我に返った。
「あっ、はいただいま」
やや上ずった声で答え、入り口近くの窓際の禁煙席に案内する。
肩に掛けた紺色のバックを隣りの椅子に置くなり、その美少女はアイスコーヒーを注文してきた。
コーヒーの用意をしている最中、忠雪はずっとその少女のことが気になっていた。
どこの学校の制服なのだろうか。
平日のこんな時間に喫茶店に来るなんてどうしたんだろうか。
その金色の髪はどういうことなんだろうか。
もう一度声を聞くことはできないだろうか。
名前はなんていうのだろうか。
それらは店員として、それ以前に大人として、社会人として聞いてみてもいい事のはずだよなーとか。
「お待たせしました」
忠雪はアイスコーヒーが入ったグラスとストローとスティックシュガー、そしてミルクとガムシロップを置くと、特に話しかけることもなくとぼとぼとカウンターに戻る。
そして椅子に腰掛けながら再び彼女を見ていた。
彼女は砂糖とガムシロップを入れてかき混ぜ、後から入れたミルクはかき混ぜなかった。
ワインレッドの折り畳み携帯を触ったり手帳を開いたり、ぼーっと窓の外を眺めたり。
アイスコーヒーを飲み干すまでの約十分間、彼女は一言も声を発することのないままおもむろに席を立ち忠雪のもとへ近づいてくる。
「ん」
声にならないその一言と共に伝票がコトンと置かれる。
「お会計は二百十円になります」
コーヒーの会計にやってきた彼女を眺めながら改めてその美しさに息を飲む忠雪。
大きいお金を出してくれたらお釣りを渡すときに手に触れてみようと考えていた。
しかし彼女はちょうど百円玉二枚と十円玉一枚を受け皿に置いてきた。
「二百十円ちょうど、お預かりします」
その言葉を聞き終える前に彼女は出口に向かって足を進めており。
瞬間的に忠雪はレシートをつまんで、心臓をバクバク動かしながらその背中を追っていた。
彼女と扉の間に立って一言。
「また来てください」という声と一緒にレシートを手渡す。
彼女はそれを丁寧に折り曲げてからスカートのポケットに入れて、そのまま無言で店を後にする。
忠雪は「ありがとうございました」と一礼し、彼女の背中を見送っていた。
まずはこれが、今野忠雪と金髪美少女の最初の出会いだった。
全十二話を予定しています。
そこまでは転載なのですぐに載せられますが、ひょっとしたら続編も描くかもしれませんのでご期待ください。