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(5)

 二階に上がり、ホールから各部屋へと続く廊下を進む。

 ホール周辺はきれいに掃除されていたが、奥へと進むにつれてだんだんと得体の知れないアイテムが廊下の脇を埋めつくすようになっていく。なにか液体の入ったつぼやら小瓶やら、毒々しいデザインの置物やら……。

「みんな、魔法のアイテムなのよ。特殊な魔法を使うのに必要だったり、それ自体に魔力がこもっていたり」

「そうそう、なかにはうかつにさわれないものも混じっているから、なかなかお掃除をさせてもらえないのよねえ、あははは」

 精巧な鳥の彫刻に手を伸ばしかけていた智浩は、ヤノさんの言葉を聞いてあわててその手を引っこめた。

 目的地は、廊下の一番奥だった。──いや、ひょっとしたらまだ奥があるのかもしれないが、様々なアイテムが山のように積もっていて、それ以上進めなくなっているのだった。

「どうしたの、トモヒロ? そんなに熱心に見て」

 ミュールの言葉どおり、智浩は触れはしないもののアイテムの山をしきりに眺めている。

「ああいや、いいんだ」

 智浩が気になったのは、いかにも魔法のアイテムといったものに混じって、炊飯器やら冷蔵庫やら、どうも元の世界で見たことのあるようなものが置かれていることだった。

 ──まさか使えはしないだろうが、なぜそんなものがここにあるのだろう?

 そう疑問に思ったが、これからこの屋敷の主に会うのだ。そこで聞いてみればいいと思い直して、ほこりの積もったアイテムの山から目をはなした。

 それを待っていたかのように、ヤノさんが扉をノックした。

「旦那さま旦那さま。お茶とお客様ですよ」

 返事はない。

 だが、いつものことなのか、ヤノさんはとくに気にせず取っ手を引き、ドアを開けた。

「さ、どうぞ」

 ミュールと智浩が先に中へと通された。

 部屋の中は、廊下の様子から想像していたとおり、乱雑な印象だった。とにかくあちこちに本や巻物が積み上げられ、所々ではそれが崩れて散乱している。壁際には本棚があるが、そちらはすでに満杯のようだった。

 部屋の手前には木製の小さな丸テーブルがあり、その周辺はいくらか整頓されている。奥には重厚なつくりの立派な机──智浩の会社の社長室にあるものより高そうだ──が置かれているが、その上は余さず本が積みあがっていた。

 人の立つスペースは確保されているが、肝心の「お師匠さま」の姿は見えない。

「お師匠さま、ミュールです」

 ミュールが机の上に積みあがった本にむかってそういった。

「……そこにいろ」

 返事は本のむこうから聞こえてきた。

 いすを引く音がして、その拍子に机の上の本の山がひとつ、崩れた。

「あらあら」ヤノさんがこぼした。

 本が崩れたのと反対側から、ようやく人影が姿をあらわす。

 出てきたのは、禿頭の老人だった。ヤノさんと同じくらいに背が低い。杖をついており、かなり齢をとっているのか顔もしわくちゃだが、その真ん中で立派な鷲鼻が存在感を放っていた。

「お久しぶりです」

 ミュールが緊張した面もちでそういったが、老人はそちらにはちらりと目を向けただけだった。

 杖の先で床の本をどかしながら、見た瞬間に感じたよりは力強い足取りで智浩の前まで歩いてくる。

 そして、値踏みするように下から上へと視線を動かした。

「またずいぶんと、齢くったのが来たな」

 それから、意外なことを聞いた。「おまえは、チャイニーズ(中国人)か?」

「私は、日本人──ジャパニーズです」

 智浩は戸惑いながらもそう答える。

「ふん、そうか」老人は口の端をつり上げて笑みをつくった。「わしはブリティッシュ(英国人)だった。もっとも、あそこで暮らしたのはたったの十六年だったがな」

「ということは、あなたも召喚されて、この世界に?」

「いいや。誰かに召喚されたということではない。たまたまの偶然で、ここに落っこちてきたのさ。わしらの世界とこの世界は不意につながることがあるようで、時折そうやって世界を移動するものがでる。人も、ものも、いろいろとな」

「召喚術を確立させたのは、お師匠さまなのよ」ミュールが補足した。

「ウィズダムだ」

 老人は名乗ると、右手を差し出した。

「もっとも、本名ではないがね。異世界へようこそ、お客人」

「──早乙女、智浩です」智浩もすこし考えてからそう名乗り、その右手をとった。

「さあさあ、お茶はそちらにおいておきましたからね」

 入り口に立っているヤノさんがそういってテーブルを示した。いつの間にか、三つのカップに紅茶がそそがれて置かれている。

「やれやれ、お夕食の準備があるので失礼しますよ。ごゆっくり」

 ヤノさんはそういってぺこりと頭を下げるとドアからするりと出ていった。その様子を目で追っていたミュールにウィズダムが声をかける。

「なにをしている、ミュール。いすを持ってきなさい」

「あ、はい!」

 それほどきついいいかたではなかったが、ミュールは飛び上がるようにしてそう答えると、部屋のすみへとむかっていった。本の山に紛れるようにして、いすが積まれているのが見える。

 途中に散乱している本を丁寧に拾ってよけながらいくミュールをみながら、ウィズダムがいった。

「あいつは八歳のときにここへきたが、そのころから気の利かないやつでね。成長して身体つきはそれらしくなったが、そういうところは変わらないな。あんたも不便を感じていないかね」

「いや、そんなことは……。よくしてもらっていますよ」

 ミュールがみっつのいすをがたがたと不安定な音をさせながら運んできて、三人はテーブルを囲んで座った。

 ウィズダムがまずカップに手を伸ばし、紅茶の香りをかいでからゆっくりとした動作で一口すする。智浩とミュールもまねをするように紅茶をすすった。

 まる一日かけて山道を来たふたりの身体が内側から暖められる。ため息がほうとふたりの口をつき、しめしあわせたかのように重なった。

「長旅ご苦労だったな。これまでに乗馬の経験は?」

「いやまったく。幸いこちらの馬は座っているだけでも進んでくれるのでなんとかなりました」

 智浩がそう答えると、ウィズダムは肩をゆらして笑った。

「あれをはじめてみたときは、わしは腰を抜かしたよ」

「私は、幻聴が聞こえたのだと思いました」

 それからしばらくは、元の世界の情勢が今どうなっているのか、日本には行ったことがないがどんなところなのか、など、ウィズダム老からの質問が相次いだ。

 ミュールの緊張具合から、智浩はこの老人がかなり気むずかしい性格なのかと思ったのだが、実際話してみるとまったくそんなことはなかった。皮肉屋なところはあるが、とりたてて話しづらいということはない。

 が、ミュールはあいかわらず固い表情のままで、会話にはほとんど加わらない。

 話題の中心が智浩たちのもといた世界のことなので、会話に加わりたくてもできないだけかもしれない。智浩は気にしすぎないことにした。

 ウィズダムと話すうちに、この老人が偶然この異世界に「落ち」たのは、智浩が召喚されるちょうど十年前だということがわかった。

 だが、すっかり頭の禿げあがった彼は、この世界に来たときまだ十六歳だったという。

「もう細かい年数は覚えておらんが、この世界ではわしがここに来てからすくなくとも六十年は経っているよ。あちらとこちらでは、時の流れる速度が違う。ただ、仮に六十年だったとして、こちらが六年進む間に必ずしもあちらで一年進むというわけでもないらしい。時の流れかたは一定ではない、というのがわしの理論だ。そしてそれが正しいからこそ、ある程度日時を指定した送還も可能になる」

 ウィズダムは得意げにそう語ったが、さすがに専門的な内容になると智浩には理解できなかった。

「元の世界に帰ろうとはしなかったのですか?」

 召喚術を確立したのが彼なら、その術を使って帰ることも十分可能なはずだ。智浩は不思議だった。

「もちろん、最初はそう思っていたさ。召喚術の研究を始めたのもそれが理由だった。だが、なんとか元の世界に帰れる目途がついたとき、わしはすでに大魔法使いとしてあがめられていたんだ。元の世界に帰れば、ただの学生でしかない。貧乏ではないが、裕福でもない。当然、あちらでは魔法は使えないだろうから、何の特技もない平凡な男さ。おまけにそのときすでにこの世界では十年ほど時が経っていて、わしの外見はすっかり大人のそれになっていた。さて、はたして戻る必要があるのだろうか?」

 ウィズダムはやや興奮した口調でまくしたてると、ひと呼吸おいて紅茶を口に含んだ。

「──まったくない。それが私の結論だった」

「ご両親は?」

「健在だったよ。歳のはなれた弟もいる」

 智浩の胸がちくりと痛んだ。

「もしかしたら、いまもあなたの帰りを待っているのでは?」

 言うべきことではないかもしれない、と思いつつ口に出した。ミュールがちらりと智浩を見やった。

 だが、老人はまったく表情を変えなかった。

「さてね。捜索願いくらいは出しているかもしれないな。だがどうでもいいことだ。私たち異世界人は、この世界では例外なく強力な魔力を得る。つまり、ここでは常に強者だ。君ももしこの世界に残りたいと願うなら、魔女退治の後でこの国の王にいうといい。立派な屋敷を用意してくれるよ」

 ウィズダムは笑みを浮かべてで智浩をみている。さきほどまでとおなじ、柔和で気さくな笑顔だ。だがおなじ表情のはずなのに、智浩は急に受け入れがたい圧力のようなものを感じた。その正体は分からなかったが、智浩はとりあえず首を振った。

「私は、妻のいるところに帰りたいと考えていますので」

「無理強いはしないさ」ウィズダムはあっさりといった。「だが、この世界の女も悪くはないよ。機会があったら試してみるといい」

「そんな──」

 智浩が気色ばんで何か言おうとしたとき、腹に響くボーンという鐘の音が聞こえてきた。

 鐘の音は続けてなっている。智浩が見回すと、部屋の柱に振り子式の時計がかかっていた。

「そいつは召喚術の実験中に偶然呼び寄せたものだ」

 ウィズダムは目を細めて針の位置を確かめている。「おお、もうこんな時間か」

 時計は四時を指し示していた。

 先ほどの発言などなかったかのように、老人は膝を打つと朗らかな笑顔になった。

「とはいえ夕食まではまだ時間がある。日本人なら風呂は好きだろう。この屋敷には温泉を引いてあるんだ。よかったら入っていくといい」

「それはありがたいが──そもそも、契約書を作るのではなかったのか?」

 智浩はミュールにむかってたずねたのだが、答えたのはやはりウィズダムだった。

「そんなものは明日でいいだろう。今日はゆっくりしていくといい」

「そうしなよ、トモヒロ」

 ミュールも追随した。なんだか会話の流れもあやしいし、今日はここまでということなのだろう。

「それなら、お言葉に甘えて。──といっても、場所がわからないのですが」

「あ、それならわたしが──」

 風呂場の場所を案内しようと、ミュールが腰を上げる。

「ミュール」

 だが、ウィズダムの低い声がそれを押しとどめた。

「おまえは、残りなさい」

「──はい」

 ミュールはうなずくと、いちど浮かせた腰を下ろした。

「ごめん、お師匠さまとお話があるから、ヤノさんに案内してもらって。一階に降りて右奥の台所にいると思うから」

「ああ。──いいのか?」

 なんとなく、そうたずねてしまった。

 久しぶりに会った師匠と弟子なのだから、積もる話があって当然なのだが、どうもミュールは師匠と一対一になりたがっていないように見えたのだ。

 もちろん、根拠はない。

「うん、またあとでね」

 そしてミュールも、そういって笑う。それ以上なにかいうことはできなかった。

「ああ」

 ウィズダムに挨拶をして、その場を辞した。ミュールの笑顔が、いつもより固く、元気がないのを感じながら。

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