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(3)

 森の夜は静かだった。

 無音ではない。近くの川から心地の良いせせらぎが聞こえる。風が通り抜けるときには草木の揺れる音が聞こえる。智浩が魔法でつけた火の中で、木の枝が()ぜる音も聞こえてくる。

 だが、そうした音を聞けば聞くほど、智浩はいま自分のいる場所がとても静かであると実感せずにはいられなかった。

 横には、ミュールが眠っている。身につけていた外套を地面に敷き、馬の鞍にくくりつけてあった布で身体をくるんだ格好で、すうすうと寝息をたてている。──智浩も同じ状態で横になっている。

 火を挟んでむこう側には、馬装を解かれたゲイロンとポルカが並んで眠っていた。

 起きているのは智浩ひとりだ。ひょっとしたら、この森全体でも、智浩以外の生命はいまはみな眠っているのかもしれない。

 そう思わせるほどに、静かだった。

 智浩は音を立てないように気をつけながら、むっくりと身を起こし、あたりを見回した。森の中だから頭上はほとんど樹木に隠されて、月も星も見えない。煌々と燃える火がなかったら、自分の手元さえ見えないような漆黒があたりを包みこんでいた。

 まだ夜は長そうだ。

 なにしろ、彼らが眠りについたのは日が落ちてまもなくのことだった。

 なんとかミュールが戻ってくる前に火をつけられたのが、ちょうど夕暮れ時だった。そのあとリーニャが持たせてくれた保存食──節分のときに食べるような乾燥豆だ──と、ミュールが見つけてきたあけびのような果物を食べ、川の水を沸かして飲んだら、あとはもうすることもないし、明日は明るくなったらすぐ出発するからもう寝ましょう、ということになったのだ。

 正確な時間はわからないが、智浩の感覚としては六時か七時くらいだろうか。普段は日付が変わるころに眠ることが多い智浩には早すぎた。

 それでも身体は疲れていたし、目を閉じていれば眠れるだろうとミュールのとなりで横になった。すると確かにいくらかは眠れたようだったが、結局こんな真夜中にまた目が覚めてしまったのだった。

 身体に巻き付けていた布をそっとはずして立ち上がると、たき火の光が届かないくさむらまで行って小用を足す。下草にあたる水音が思いのほか大きく響いて智浩は首を巡らせたが、誰が聞いているはずもなかった。

 用を終えて、またできるだけ音を立てないように気をつけながらたき火の元まで戻る。ミュールもゲイロンもポルカも、先ほどと同じ格好で眠っている。

 ──不思議なものだな。

 その光景を見ながら、智浩はしみじみとそう思った。

 ほんの数日前まで、毎日には決まった時間の流れがあった。決まった時間に起き、会社に行き、仕事をする。家に帰って風呂に入り、妻の用意した夕食を食べ、それから短い時間本を読んだりテレビを見たりして、また明日のために眠りにつく。

 それをつまらないと感じたことはない。仕事は充実していたし、驚きも喜びもちゃんとそこにあった。

 このまま何年先までも、そうした生活がずっと続いていくのだと思っていたのに──。

 気がついたらこんななにもない山奥まで馬に乗って(しかもしゃべる馬だ)やってきて、知り合ったばかりの女性と並んで横になっているのだ。

 これでもしミュールがもっと女性の匂いを感じさせる年頃だったなら、もうすこし違う感想を抱いたかもしれない。智浩は浮気をしたことはないが、妻以外の女性に魅力を感じないというわけではない。

 だが幸いにというべきか、彼女は息子と同じ年齢の少女である。立ち居振る舞いも齢相応だ。おかげでこうして枕を並べていても、変に緊張するということもないし、妻に対して申し訳なさを感じることもないのだった。

 ──何日かかるかわからないが、仕事に影響はないというのだし、珍しい経験をしていると思えばそう悪いこともないさ。

 再び眠る姿勢をとりながら、智浩は努めて楽観的にそうかんがえた。

 ミュールは深く眠っているらしく、ずっと変わらぬ調子で寝息をたてている。

 智浩の当面の心配ごとは、明日もたっぷり馬に乗らなければいけないというそれだけだった。


「ほら、見えてきたわ」

 ミュールが馬上から指し示すさきに目を凝らすと、岩山のなかに確かに人工的に造られた建物の姿が浮かび上がった。石造りのそれは堅固な造りで、個人の屋敷というよりは要塞のようにも見える。

「ずいぶんものものしい建物だな」

 思ったままを口にしてから、ミュールの師匠が暮らしているのだから失礼だっただろうかと思い至る。

 だが、ミュールは肩をすくめて苦笑して見せた。

「お師匠さまは変わってるの。実際に会えば、もっと驚くと思うわ」

「──いいのか、君の師匠なんだろう?」

「自分で自分のことを変人だっていってるもの。気が合わないかもしれないけど、あそこには契約書をつくりに行くだけだし、一晩しかいないから、あまり気にしないで」

 どうもミュールは、あまり師匠のことを好きではないのだろうか。その口振りにはすこしとげがあるように、智浩には感じられた。

「あのじいさん、目がやーらしいんだ」

 そういったのはゲイロンだ。

「昔から思ってたんだが、去年屋敷に行ったときなんか、ミュールのことをじろじろ眺めてやがってよぉ、頭に噛みついてやろうかと、どれだけ思ったことか」

「おまえ、他人のことはいえないだろう」

「一緒にするな! 俺はミュールのことを本当に愛してるんだぜ? だけどありゃ、なんか真っ当じゃないんだよ、絶対。屋敷の中でなにかいたずらされてるんじゃないかって、俺は心配でたまらなかったんだ。だけどそこは悲しいことに俺は馬だからよぉ、厩舎につながれたらできることなんかなにもねえんだ」

 ゲイロンは首を振ってそう訴えたあと、智浩の方を振り返った。

「おっさんのことも気に入らねぇが、あのじーさんよりはまともだ。頼むから屋敷の中でミュールが汚されないように、見張っててくれ!」

 その目は真剣そのものだった。

「……念のためいっておくけど、変なことをされたことはないからね」

 ミュールはゲイロンが黙ったあとで、恥ずかしそうにそういった。


 そんなやりとりがあってから、さらに一時間ほどでようやくミュールの師匠の屋敷へと到着した。──はずだったが、がっちりと石が積まれた門には鉄格子がはまっており、押しても引いても開くようには見えない。おまけに門の向こうはまた鬱蒼と森が繁っており、遠目から確認できた屋敷の姿はそのむこうに隠されてしまっていた。

「本当にここから入れるのか?」

 智浩は不安になってミュールにたずねた。門番が控えている様子もない。

「一応、魔法のお師匠さまのお屋敷だからね。まあ、ちょっとそこで待てて」

 そういうとミュールはゲイロンから降り、智浩たちを制して鉄格子の前まで歩いていった。

「ミュール・アスタスです。ヤノさん、いらっしゃいますか?」

 張りのある声で、鉄格子のむこうへそう告げる。

 すると、ややあって鉄格子の前の空間がゆがんだ。

 次の瞬間、現れたのは巨大なふたつの目玉だった。ひとつひとつがミュールの顔より大きい。

 目玉は連動してギョロギョロと動いた。ひとの顔を魚眼レンズでどアップにしたら、こんな風に映るかもしれない。

「あらあら、ミュールちゃんじゃない。久しぶりねえ!」

 ふたつの目玉がミュールをとらえると、大音量が響きわたった。唐突だったので、智浩の身体はびくりとふるえ、背中が総毛立った。

「お久しぶりです、ヤノさん」

 ミュールのほうはある程度予想していたのか、肩をすくめてはいるものの落ち着いてそう答えていた。

「まあまあ、すっかり美人になって! 一年ぶりくらいだものね! 会うたびに見違えちゃうから、もっと遊びに来てくれないとおばさんわかんなくなっちゃうわあ、あははは」

 ヤノさんなる目玉(?)は、ボリュームをまったく下げないままひとりでわめき散らした。笑い声が響くと、草木さえふるえているような気がする。

 ふと見ると、ゲイロンがいない。あまりの音量の大きさに耐えかねてどこかへ避難してしまったのだろうか。ポルカはといえば、目を閉じ耳を伏せてなんとか耐えているようだった。

「えーっと、とりあえず、入ってもいいですか?」

 ミュールもここで会話につきあうつもりはないようで、ヤノさんがさらになにかいいだす前に先手をとってそういった。

「やだやだ、ごめんなさい! えーっと、ちょっとまっててね」

 そして、目玉は消えた。

「いまのはいったい……」

 智浩はミュールに事情を聞こうとポルカを前に進めようとしたが、直後にまた目玉が出現する。

「はいはい、おまたせ!」

 また大音量で叫ばれて、智浩は今度こそポルカの背から落ちるところだった。

「ありがとうございます、ヤノさん」

「いえいえ、どういたしまして! 悪いけど、お馬さんは自分たちで厩舎に入れてきてね。あったかいお茶を用意してまってるわあ!」

「はい、またあとで」

 ふたつの目玉は片方だけをばちんと閉じてみせたあと(ウインクをしたのだろうか?)再び見えなくなった。空間のゆがみは収まって、また鉄格子のはまった門とその奥の森だけが視界に入るようになる。

「もう大丈夫だよ、おじさん」

 ミュールが振り返り、智浩に事態の収束を告げた。

「そ、そうか」

「ゲイロン! 終わったよ!」

 ミュールは智浩の背後にも叫んだ。ゲイロンは道のはるか先にある木陰から顔をだし、走って戻ってきた。

「毎度心臓に悪いんだよ、この門」

 ポルカと智浩の横に並ぶと、さっそく悪態をつく。

「いつもこうなのか」

「いくらいっても声が小さくならねえ。来客自体めったにないから、次にくるころには忘れてるのさ。──おまえもこんなやつ放り出して逃げちまえばよかったんだ」

 最後の言葉はポルカにいったようだった。だが、ポルカは首を振る。

「勇者さまを乗せているのに、そんなことできるわけないでしょう」

「けっ、なにが勇者さまだ」

「そうか──すまなかったな、ポルカ」

 二頭のやりとりを聞きながら、智浩は馬が本来臆病な生き物で、大きな音は苦手だという話を思い出した。さっきもおとなしくしていたが、実は必死で耐えていたのだと思うとなんだか申し訳なくなる。

 だがポルカはすましていた。

「いえ、お気になさらないでください。勇者さまの乗馬を仰せつかった以上、そこが戦場だろうと谷底だろうと、おそれることなく突き進む覚悟です。この程度、なんでもありません」

「そ、そうか」

 予想外の返しに、智浩のほうが面食らってしまった。

「ほら、行きましょう。はやくしないとまた閉じてしまうわ」

 いつの間にかゲイロンの上にまたがっていたミュールにうながされた。

 しかし、智浩が門のほうを見ても、相変わらず鉄格子ははまったままである。

「閉じるもなにも……」

「大丈夫。先に行くわね」

 そういうとミュールはゲイロンをうながして、並足で鉄格子へとむかっていった。

「あ、おい」

 智浩が呼びかけても答えない。

 ゲイロンの鼻先が鉄格子へぶつかると思ったそのとき、鉄格子は水面に映した絵であるかのように波紋を伝わせた。ゲイロンの鼻から頭と順にその中へ吸いこまれるようにして消えてゆく。

「ポルカ、トモヒロをつれてきてね」

「はい、ミュール」

 振り返ってポルカに声をかけるミュールも、そのままの姿勢で鉄格子の中へと呑みこまれていった。

「わたしたちも行きましょう、勇者さま」

 ポルカは背上の智浩にそういうと、返事は待たずに鉄格子へと歩みを進めた。

 その鼻面が鉄格子にふれると、現実の風景にしか見えなかった鉄格子がやはり波立った。それだけで一気に現実感を失い、何物も立ち入れないように見えた鉄格子がポルカを受け入れ、奥へと導いていく。

 智浩の眼前にも鉄格子が迫り、そして抜けた。だが、智浩は通過の瞬間、どうなったのかはわからなかった。

 得体の知れない恐怖に逆らえず、両目をしっかり閉じていたからである。

「どうしたの、おじさん?」

 ミュールに声をかけられて、おそるおそる両目を開いてみる。

 目の前に広がっていたのは、先ほど鉄格子ごしに見えていた森の小径(こみち)であった。

 石造りの門は背後にあって、やはり鉄格子がしっかりとはまっている。

「……どうなったんだ?」

「鉄格子は見せかけなの。お師匠さまの魔法よ。普段はひとが入ってこられないように、その上から結界の魔法をかけているんだけど、それはいまヤノさんに解いてもらったから、入れるようになったのよ」

「そのヤノさんというのは、君の師匠とは別の人なのか?」

「別に決まってるだろ。ミュールの師匠は薄汚いじーさんだ。ありゃオバサンだ」

 ゲイロンはそういうが、智浩はどちらにも会ったことがないのだ。

「すぐに両方とも会えるわよ。──それにしても、おっかしいの」

 ミュールは突然、我慢できないとばかりに口元を押さえて、くすくすと笑った。

「あんなにぎゅーっと目を閉じなくてもいいのに。おじさんって、意外と臆病なのね」

「なっ……」

 智浩の頬にさっと朱が入った。

「けけ、笑われてやんの」

「う、うるさい」

 ゲイロンの茶々入れにはとりあえずそういったものの、反論はできなかった。


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