(11)
空はすっかり日が落ち、電灯のないリボーテの街の中は暗い。
そうはいっても雲はなく、砂を蒔いたかのような星々が照らしているため一歩先も見えない漆黒というほどではないが、すでに深夜であるかのように街はひっそりと静まりかえっていた。
だが、眠っているものはひとりもいない。
住民たちはみな、正門の外に集っているのだ。
そこはいま、まさしくお祭り騒ぎとなっていた。
ついさきほど、ふたりの魔法使いによる炎がとびかっていたその場所で、いくつもの火がたかれ、そのどれもに人々が集まっている。
ある場所では串に刺された肉があぶり焼きにされ、ある場所では大きな鍋がつるされて、そのなかではやはり大きな肉の塊がゆでられている。
魔女シトラによってひと月以上にわたって街を封鎖されていた住民たちにとって、新鮮な肉を口にするのは本当に久しぶりだった。
もちろん、材料となっているのは──。
「まさか、これを食べるとは……」
智浩が手にしている大皿には巨大なもも肉が骨付きのまま鎮座し、食欲をそそる香りを立ち上げながら食べられるのを待っていた。
確かに空腹ではあるのだが、智浩はなかなかその肉に手を伸ばせないでいる。
なにしろそれはさっきまでそこで倒れていたアーロのもも肉なのだ。
「食べなよ、おじさん。大丈夫だよ、おいしいから」
となりでミュールがそういっている。いいながらも彼女は自分のぶんにかぶりつき、口の周りを脂でべとべとにさせながら、もぐもぐと口をせわしなく動かした。
「あー、久しぶりのお肉! しあわせ……」
なんの憂いもない、心からの喜びだった。
「あんたたちの世界じゃ、こういうのは食べないのかい?」
すこし遠くから声が聞こえて目を向けると、リーニャがこちらにむかってくるところだった。
食堂の女主人ということもあり、先ほどまでは包丁をふるってアーロをひたすらさばいていたのだが、ようやくそれが一段落したのだろう。手にはやはり、調理済みの肉が入った椀を持っている。
「食べないというか、こんな生物はそもそもいないからな」
「ふうん」
リーニャはミュールとは反対側の智浩の隣に腰を下ろした。
「まあ、うちらも普段はあまり食べないけれどね。ただこいつらのせいで長いこと外にでられなかっただろ? リボーテにはもともと家畜はあまりいなかったから、肉はすぐになくなっちまったのさ。昼間にあんたに出した豆のスープには干し肉を入れたけど、あれは秘蔵中の秘蔵だったんだよ?」
「そうだったのか」
ほんのすこし意地悪さを含んだリーニャの物言いに、智浩は急に申し訳ない気持ちがわきあがってきた。
肉入りのスープは、つまりミュールとリーニャからしたら最大級の歓待だったのだろう。だが事情が飲み込めていなかった智浩はそこまで考えることができなかった。そもそも、あのスープ自体半分ほどしか食べていなかった。
「なんだか、悪いことをしたな」
智浩がわびると、リーニャはすぐに笑顔に戻った。
「気にすることないさ。あんたのおかげで、こうしてみんなが食事にありつけたんだからね。それより、あんたもお食べよ。調味料はあいかわらず塩しかないけれど、新鮮だから臭みもなくてうまいよ!」
「ああ……」
リーニャがさかんにアーロの肉をすすめてくる。ミュールなどは本当に幸せそうに食べているのだし、意趣返しということでもなくて、本心から食べてもらいたいと思っているのだろう。
智浩からすれば、アーロはこの世界へ来るなりおそわれて、あやうく自分が食われそうになった怪物だ。それを食べるというのはなんだかとても背徳的な行為であるように思われて仕方なかった。
だが、周りの住民たちはそんなことを全く気にしていない。長らく飢えていたこともあるのだろうが、食べられる物を食べるというのはこの世界ではきっと当たり前のことなのだ。
智浩はなんとかそう自分を説得して、頭の中のグロテスクなアーロのイメージを脇に追いやった。
もも肉の骨の部分をつかんで持ち上げる。何しろ自分よりも大きなアーロの太ももの部分だから、チキンのもも肉などとは比べものにならない大きさである。
いざ口に運ぼうとしてふと気づくと、リーニャばかりではなくミュールも、さらにはまわりで好き勝手に騒いでいたはずの住民たちも、いつのまにか智浩を注視していた。
ただ肉を食べるだけなのに、なんだか引くに引けないプレッシャーを感じてしまう。
智浩は覚悟を決めて、もも肉に豪快にかぶりついた。周囲からおおっ、とちいさなどよめきがあがった。
肉をかみきり、口の中で咀嚼する。しばし、無言。
やがてのどぼとけが動き、智浩が肉を嚥下したことを示した。
肉を胃に収めた智浩は、すこしばかり驚いたような表情を周囲に見せながら、いった。
「うまいな」
それとともに周囲からは安堵にも似た、さきほどよりも大きなどよめきが生まれ、リーニャをはじめ何人かは笑顔になって智浩の肩をたたいた。
「鶏肉みたいだな、身も白いし」
外はこんがりと焼かれているので茶色くなっているが、ひとくちかじってのぞく部分は智浩のいうとおり白色をしている。
味も鶏に似て淡泊だが、思っていたよりもずっと食べやすい味だったことに安心した智浩は、さらにひとくち、ふたくちとかぶりついた。
その様子を見て、周囲を取り巻いていた人たちもまた元のように騒ぎ始めるのだった。
住民たちの注目から解放された智浩は、ふと空を見上げる。
この一角をのぞけばまったくといっていいほど光のないここでは、星空は都会の比ではない。
智浩が幼い頃みたプラネタリウムよりもずっと多い星々がめいっぱいに瞬いていた。
無言で空をみている智浩に気づき、ミュールは食事の手を止めた。
「──帰りたいって、思ってるの?」
「帰れるのならばな」
智浩にそう返されて、下を向いてしまう。
智浩はそんなミュールの肩を軽くたたいて、笑顔をむけた。
「だが、どのみちすぐには帰れんのだろう? それなら早く用件を終わらせて、仕事を忘れてしまわないうちに帰るまでだ。浩一も一度きつくしかったあとで、連れ戻さなければならないしな」
「おじさん……」
「そんな顔をするな。私はやるときめたらちゃんとやるぞ。浩一のせいで、父親の私もいまいち信用されていないかもしれないが」
「そ、そんなことないよ」
ミュールはあわてて首を振ると、智浩に右手を差し出した。
「これからよろしく、トモヒロ」
「ああ」
星空の下、約束の握手を交わす。
「……べたべたしてるな」
「食事中だったからね」
互いにアーロの肉の脂をたっぷりつけた右手を見たあと、苦笑しあうのだった。
正門のうえに設置された見張り台には、交代制で昼夜を問わず見張り番がいることになっている。
だが、さすがにこのときばかりはすべての住民が眼下の宴に出払い、誰も立っていなかった。
かがり火だけが焚かれた、無人のはずのその場所に、ひとりの少女が立っている。
肩の先まで伸ばした金髪と、レースをふんだんにあしらった黒のドレス。動かずじっとしていれば、人形なのではないかと錯覚するほどにととのった顔立ちを持った少女。
だが、その瞳は宝石のように紅い。
少女は、魔女パスクミュルであった。
「うふふ……」
彼女の存在に気づくものはいなかった。もちろん、その視線がどこにむけられているのかも。
視線の先では、智浩が楽しげに食事をしている。
その隣にはやはり楽しそうに笑うミュールがいて、ふたりを囲むようにして街の住民たちが輪をつくっていた。
その様子を、パスクミュルはほほえみをたたえて見つめている。
智浩も、いまは少女に気づかない。
たとえ何かの拍子に見張り台に目をやったとしても、誰も気づくことはないのだ。
「うっふふふ……」
パスクミュルは目を細めて笑った。
そして、煙が立つようにしてそこから消えてしまった。
紅いかがやきの名残をその場に残して。
オーバーエイジ・ブレイブヒーロー 第一章 おわり
第二章へつづく
お読みいただきありがとうございます。
どうしてか昨日の更新分、(10)とするところが(11)になっていました。戸惑った方もいるかもしれませんが、ただのケアレスミスです。すみません。
さて、これで第一章は終わりです。内容的には序章といってもいいくらいかもしれませんが。
しかし、構想を考えたときにすでに分かっていたことではあるのですが、これ、誰向けの小説なんだろう?
このサイトに多くいそうな学生の人たちが読んだらどう思うのだろう。智浩に感情移入……はしないよな、たぶん。
聞いてみたいけど、自分のまわりに意見を聞かせてくれる知り合いの学生はいないので、誰か教えてください。
ちなみに、書いている自分は大変楽しいです。お気に入り登録してくださっている方もいるので、自分と感性が近い人もきっといるに違いない、と勝手に考えてこの先も書いていこうと思います。
少し書き溜めをしようと思ってますので、続きの更新はしばらく時間をいただくことになると思います。
ご意見ご感想などありましたら、ぜひお聞かせください。