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「な、なによ、それ……」

 シトラの声が、驚愕のあまりふるえた。

 ミュールも、見張り台の男たちも、そればかりか次の魔法のために集中していた浩一さえも、そしてなにより、智浩自身も。

 目の前のあまりの光景に呆然としていた。

 智浩の魔法は、確かにアーロの頭上に炎の矢を出現させた。しかし尋常でないのは、その数である。

 アーロの総数に匹敵するほどの、数十本の炎の矢が、智浩の魔力によって生み出されていたのだ。

 しかも、矢の一本一本は先ほど浩一が放った三本の矢と同等の太さを持っている。

 アーロたちが見上げれば、炎が空を覆い尽くさんばかりだっただろう。

「し、シトラ、あれ……」

 浩一がぼうとしたままつぶやく。

「あっ、た、退却! 退却しなさい!」

 その声で我に返ったシトラが大あわてでアーロに指令を与える。

「トモヒロ!」

 それをみてミュールもあせった声で智浩をうながした。智浩が指示を与えなければ、生み出された炎は落ちていかない。

「あ、ああっ」

 予想をはるかに超えた状況に呆けていた智浩も自分を取り戻し、急いで右手を振りおろした。

 数え切れないほどの炎の矢が、一斉に解き放たれてアーロを穿(うが)つ。

 シトラの命令にしたがって後退しようとしていたアーロたちではあったが、門前に密集しすぎていたこともあり、その行動は遅きに失した。

 矢はねらいどおりアーロの群れをとらえ、怪物たちの断末魔は門の中で避難していた女たちにも届いたのだった。


「あ……あ……」

 シトラは水面に浮かぶ鯉のように口をパクパクと動かしていたが、意味のある言葉を発することはできないでいた。

 一瞬ののちに眼前に広がった光景は、彼女にとっては悪夢といっていいものだろう。

 正門前は、無数の炎の矢によって大地がえぐられていた。下草が燃えているのか、ところどころで小さい火の手が見える。あちこちで白い煙が上がり、火の粉も舞っている。

 そして、直前まで彼女の忠実な手足であったアーロたちは、大多数が折り重なるようにして倒れ伏していた。

 完全に息絶えているものは半数ほどだが、息があるものも大半は身動きができない状態、難を逃れたのはほんの数匹ほどだった。

 彼女が手塩にかけて育てたモンスター軍団は、智浩の呪文と右手のひと振りによってあっけなく壊滅状態にされてしまったのだった。

 シトラのかたわらにいる浩一も、彼女に声をかけてやる余裕はなかった。

 目を見開き、全く無言のままで、その光景を眺めている。

 恐怖はなく、ただ驚きだけ。

 それほどに、彼の父が放った魔法は想像を絶していたのだった。

 そして、それは智浩たちの陣営にしても同じことだった。

 魔法を放った智浩自身が、誰よりも驚いていた。理不尽さを感じていたとさえいえた。

 自分の言葉によって炎が生まれ、自分の指示によって目標へむかって飛ぶ。それが夢物語でないことは、先ほど確かめて納得したはずだ。

 アーロに包囲された街を救うことを決意したとき、あの怪物を自分の意思で殺す覚悟もしたはずだ。

 だが、足りていなかった。

 その力と覚悟が、これだけのことを引き起こすのだと、そこまでの意識は彼にはまったくなかったのだ。

 だから、先ほど眼前に浮かんだ無数の炎と、いま眼下に累々と並ぶアーロの死体が、本当に自分のしでかしたことなのかという思いが自然と智浩の脳裏に浮かび、そしてなかなか消え去らないのだった。

「なっ、なんてことすんのよぉ、このバカ!」

 シトラが叫んだ。ほとんど泣き声だ。

「ここまでアーロを集めるのに、あたしがどれほど苦労したと思って……ギャクタイよ、動物虐待!」

「な──」

 シトラのそれは負け惜しみでしかないのだが、智浩はまともに受け取ってしまう。ミュールがすこし心配そうに智浩を見上げたが、シトラはその様子には気づかないようで、好きにまくしたてている。

「なによなによ、コーちゃんのお父さまだからってやっていいことと悪いことが……ん、なんか焦げ臭いわね?」

「し、シトラ!」

 シトラが鼻をひくつかせると同時に、浩一がぱっと立ち上がった。

「燃えてる、燃えてるよ!」

「燃えてるってなにが──ぎゃあぁぁあ!」

 シトラが振り向くと、燃えているのはなんと自分の着ているドレスの裾だった。シトラは悲鳴を上げた。

 絹製の豪奢なドレスの裾に火の粉が燃え移り、嫌なにおいを放出しながらちりちりとすこしずつ燃え広がっていたのだ。

「ぬ、脱いで、脱いで!」

「こんなところで脱げるわけないでしょ! なんとかしてよ!」

 異世界からきた強力な魔法使いと世界を混乱に陥れる魔女のふたり組は、輿の上でわめきながらばたばたと駆け回ったあと、結局最後は浩一がはいていたサンダルで裾をたたいて消し止めた。

 その滑稽さに見張り台の上にいた男たちからは失笑が漏れる。

 浩一はサンダルを履きなおしながら、「こういうときって、魔法を使う余裕なんてないよね……」としみじみいった。

 シトラは台無しになったドレスの裾をしばらく眺めていたが、最後は見張り台をきっとにらみかえすと、心底悔しそうに地団太を踏む。

「あ、あたしに恥をかかせて、覚えてなさいよ!この、この……」

 歯ぎしりが聞こえんばかりに歯を食いしばってしばらくそうしていた魔女シトラだったが、

「う、うわーん!」

 結局いい捨てぜりふが思いつかなかったのか、最後は泣きながら自分たちの乗っている亀の怪物を回れ右させると、そこから走り去っていった。生き残ったわずかばかりのアーロたちが後を追っていく。

「意外と早いのよね、あの亀」

 ミュールの言葉どおり、亀の怪物はアーロを引き離すほどのスピードで、あっという間に見えなくなったのだった。


 魔女シトラと浩一、そして付き従う何匹かのアーロの姿がすっかり見えなくなってしまうと、見張り台は歓声につつまれた。

 ひと月以上にわたって続いた街の封鎖がついに解かれたのである。

「いやーっ、やったなー!」

 男たちのひとりが智浩に近づくと、その背中を豪快にたたいた。

 それを合図にするかのように、ほかの男たちも口々に智浩をたたえながら、肩をたたき、握手を求めていく。

「すごい魔法だったな!」

「あんたは街の救世主だ、ありがとうよ」

 この街に入ってからずっと、ミュールとリーニャをのぞいた街の住民はみな一定の警戒心を持って智浩から距離を置いていたが、ようやくその垣根が取り払われたのだった。

 智浩はまだ自分の引き起こしたことへのショックを引きずっていたのだが、男たちはそんなことはお構いなしだ。それまでと打って変わって全員が心からの笑顔を浮かべていた。

「よしっ、女たちを呼んでくるぞ」

「おお、祝宴だな!」

「やっと腹一杯食えるなあ……」

 そして男たちは満面の笑顔のまま、階段を駆け降りていった。

 その場には智浩とミュールが残される。

「──お疲れさま」

 ミュールが右手を出し、握手を求めた。

「ああ」

 智浩もそれに答えたが、やはり声にも、あわせた右手にもどことなく覇気がない。

「すごい力、だったね」

 眼下からはまだ、白い煙が数本上がっている。ミュールは見張り台の石壁の縁に手をおき、静かにそういった。

「あれは本当に私の力だったのか?」

「紛れもなく、あなたの力よ」

 静かに、しかしはっきりとそう告げる。

「わたしがいままで見たなかでは、間違いなく一番……文献や伝説に残されているものを含めても、あなたの力はきっとトップクラスの強大なものだわ」

「大きすぎる」智浩は正直にいう。「私には扱いきる自信がない」

「おそれなくても大丈夫」

 ミュールは顔を上げ、智浩に励ますような笑顔を向けた。

「あなたの力だもの。ちゃんと制御できるようになるわ。そのためにも、わたしがこれから魔法を使うための知識をしっかり教えてあげるから」

「そうだな、だが……」

 智浩は眼下を見やった。そこには数十体の怪物がいまなお横たわっている。

 その傷口は炎によって焼かれているため、出血はめだっていない。そのため、知らずに遠くから見ただけではそれが死体だとは思わないかもしれない。

 だがその実、彼らのほとんどはすでに死に、まだ息があるものも確実に死にむかっている。

 そうしむけたのは智浩であることに間違いないのだ。

「シトラのいったこと、気にしているの?」

 智浩は答えなかったが、固さを増した表情が物語っていた。

「あんなの、気にしなくていいわよ。アーロは野生でも、人や家畜、畑をおそう害獣だもの。群れが見つかったらすぐに軍隊が退治にいくくらいなのよ」

「そうなのか」

「そうよ。まあ、すぐに割り切るのは難しいかもしれないけど──」

「いや……確かにそうだな」

 智浩は自分の右手に視線を落とした。きれいなままのその手を、ぎゅっと強く握る。

「一匹を殺す覚悟をしておいて、十匹を殺す覚悟ができていないというのは、おかしな話だ」

「えーっと……あんまり思い詰めないでね?」

 ミュールはすこし心配だった。とはいえ、これは自分で解決するほかない問題だ。自分よりずっと年上のトモヒロなら、きっとうまく折り合いをつけてくれるだろう。そう考えるしかなかった。


 いつの間にか太陽は西にかたむき、空の色が赤く染まりはじめている。

「もうこんな時間か」

 つい日常の感覚でそうつぶやいてから、智浩はここが異世界であることを思い出す。

 だが空の茜の色は、元いた世界となんら代わりのないものだった。

「この世界の夕焼けは、きれい?」

 隣に並んでいるミュールがそうたずねる。

「──ああ」

 ややあって、智浩はそう答えた。

「コーイチも、ここで夕焼けをみたのよ」

 不意に息子の名前を出されて、智浩はミュールをみた。

「きれいだって、いってくれたの」

 ミュールは空のむこうへと視線を馳せている。智浩からすれば少女でしかない彼女が、このときばかりはやけに女の気配をさせているように感じられた。夕日の赤い光が、彼女を大人びて見せているのだろうか。

「だからね、きっと大丈夫」

 ミュールが勢いをつけて身体ごと向きを変えた。改めて正面から見れば、一瞬感じた女らしさは消えて、最初と同じ快活な印象の少女がそこに立っている。

「コーイチは、シトラにいいように言い含められて、たぶん事態をよくわかってないまま協力しているんだと思うの。おじさんが説得すれば、きっと改心してくれるわ」

「たとえそうだとしても、多くの人に迷惑をかけ、挙げ句の果てに父親にむかって炎を投げつけてきたことには変わりない。親として、一度きつく灸を据えてやらねば」

「ふふ」

「……笑うところか?」

「あ、ごめんなさい。なんだかコーイチがうらやましいなって。わたしのお父さんは、もう死んじゃっているから」

「それは──」

 智浩はいいかけた言葉を飲み込んだ。

 ミュールはおだやかに笑っている。笑って話せるくらいには昔の出来事なのだろう。だが一方でその笑顔は、それ以上踏み込んでほしくはないという意思表示にも感じられた。

 四十六年生きていても、こんなときなんといえばいいか、なかなか妙案は思いつかないものだ。

 智浩が迷っていると、背中越しに金属がきしむ音が盛大に聞こえてきた。

 内心ほっとしながら振り返ると、正門がゆっくりと開いていくところだった。そこから住民がわらわらと飛び出していく。

「どうしたんだ?」

「祝宴よ。さっきいっていたじゃない」

 不思議そうに眺める智浩に、ミュールが答える。

「あそこでやるのか?」

 魔女シトラという脅威が去ったとはいえ、そこは街の外側だ。まして、数十体のアーロの死骸が横たわっているのだ。

 だが、ミュールは当然、といった様子でうなずいた。

「いちいち運びこむのは面倒でしょ」

「運び込む?」

「いいから、わたしたちも行きましょう」


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