23.王太子様が取り戻したかった関係性。
跪いて頭を下げたままでいる僕の向こうで、ソロアが返事をした。
「メザリヤ様。私の夫で村長のデニスです。」
僕を辺境伯家の実子様に紹介している。
「ソロア。夫が村長より先にきましたね。」
僕とエレインと王太子様と同い年のメザリヤ様は、僕よりも落ち着いていて、エレインよりも周りを見ていて、王太子様のように恋物語を語ってけむにまくようなご様子もない。事実を述べておられる。
「はい、メザリヤ様。デニスは、村長ではありますけれど、村長の前に私の夫なのです。」
ソロアの返事を密かに喜んでいる僕の耳に、辺境伯家の実子様の冷静なお言葉が飛び込んでくる。
「ソロアが結婚する方が、デニスが村長になるより先でしたね。」
「メザリヤ様。事実としてはその通りですが、デニスを私の夫とお伝えした言葉に偽りはありません。」
今日は、知らなかったことをこれでもかと詰め込まれる日だ。忠義の侍女だったソロアと主人は、側にいない時間があっても砕けた会話ができたんだね。
ソロアが主人に仕える侍女としての振る舞いを見たことはない。貴族様の秘密に触らないように気をつけていたから、娘時代の侍女の暮らしを根掘り葉掘り聞くこともしていない。
ソロアに親しみを込めて話しかける主人の声と、気負いなく答えているソロアの声に心が乱されてしまう。僕の知らないソロアが、僕よりも仲良くしていると思ってしまうのは、僕の心が狭いせい?
「無理を言ったのはわたくしですけれど、ソロアは無理をしていませんでしたか?」
辺境伯家の実子様がソロアにかける声には、しっとりとした優しさが詰まっていた。
僕とソロアの暮らしが、ソロアに無理を強いるものだったのではと心配しておいでなのは、侍女思いの主人でいらっしゃると同時に、ソロアに命じたことを僕に隠す気がないということで。
発言を許されていない僕は、辺境伯家の実子様のお言葉をただ拝聴するしかなく、ソロアの夫として不出来と断定されているようで、落ち着かない。
僕が出来の良い夫だったとは言わないけれど、最初からだめだとしか思っておられず、最初の評価を変える気はないと決めておられて、結果を告げにきたとおっしゃられたら、どうしよう?マルク様と争うどころじゃなくなってしまう。
「勢いのある生活をしてきました。」
ソロアの過去形に胸が締め付けられる。ソロア、まだ僕とソロアの生活は終わっていないよ。今日を過ぎても明日も、一緒にいるんだよ。どこにも行かないでよ。
「勢いのあるソロアの生活がどんなものだったか、聞いてみたいですわ。」
辺境伯家の実子メザリヤ様は、ソロアの村での生活を完全に過去形で話されている。
「進んだ先には成功する未来があると前だけを見て、変えても良くなることがないのは何か、や、今よりももっと良くするには何をいつ足せばいいのかを考えつつ、今の生活も取りこぼすまいと、一生懸命に生きることが報われる生活でした。」
ソロアの声は明るい。僕との生活を前向きに語っているのに、過去を懐かしむように話す様子が、まるで未来を決めてしまったかのように聞こえるから、聞いているしかない僕は、ただただ苦しい。
「ソロアは、不自由することなく楽しめたのでしょうか?」
「メザリヤ様。何も心配はいりませんでした。」
ソロアは、ふふっと小さく笑っている。心配はないという言葉がソロアの本心だと、ソロアの声を聞いているだけの僕も信じていい?
「マルクが紹介したいと言ったときは、よりによってエレインの幼馴染を?と思いましたけれども。うまくいきましたのね?」
「マルク様と結婚して養女様の侍女として生きるよりは楽しく暮らせました。」
ソロアは、朗らかに答えている。
「私に遠慮がなくなった。」
マルク様の苦笑する声。
「私も変わりました。」
「確かに、ソロアは変わった。」
ソロアとマルク様の軽やかに交わされる会話を聞いていると、旦那様、と僕に呼びかけていたソロアとの距離感について、考えこんでしまう。マルク様の方が、僕よりも気兼ねなくソロアと話しているように聞こえて仕方がない。
「わたくしは、ソロアを変えたいなんて考えていませんでした。」
辺境伯家の実子メザリヤ様が不服そうに仰るのを聞いて、マルク様は楽しそうに笑う。
「メザリヤ様。ご安心ください。前のソロアよりも、今のソロアの方が魅力的になっていますよ。」
「マルクがソロアを大事にしていることに疑う余地はありませんけれど、マルクとわたくしで、一致しないこともありますのね。それと、ソロアが魅力的でなかったことなんて一日もありませんわ。」
僕とソロアとの生活がソロアの何かを変えてしまったというお話をお聞きしているのに、ソロアの何が変わったのか、僕だけが分からない。
僕は確かにソロアが好きで、僕のソロアを好きという気持ちに嘘はない。僕の知らないソロアを知っている人が僕よりソロアと親しげにしているのを聞いていたら、僕だって、ソロアと気兼ねしない風に話したかったという気持ちでいっぱいになってくる。軽やかに話すこともソロアにはできたなんて、僕は知らなかった。
「メザリヤ様。メザリヤ様の侍女として生きられないのは考えられないと思い詰めるよりも、主人のお足元で主人をお支えする一人として生きると決めて、私はお側を離れたのです。」
ソロアの決意を粛々と聞いている。僕との結婚が、主人に命令されたから、という悲壮な決意からじゃなくて本当に良かった。僕と結婚するのに前向きになってから、ソロアは僕に会いにきたんだ。
「メザリヤ様。辺境伯家のご令嬢の侍女だったソロアも子持ちの人妻ぶりが板についてきましたね。」
マルク様がおちゃらけている。
「ソロアには苦労をかけました。」
マルク様のおちゃらけに、辺境伯家の実子様はしんみりとされてしまった。
「メザリヤ様のお願いを苦労だと思う人は、メザリヤ様の侍女に向いていません。クビにしましょう。」
「ソロアをクビにするのは無しですわ。」
ソロアが辺境伯家の実子様の侍女だったときに流れていたソロアの時間は、ソロアを賢いとおっしゃっていた王太子様が加わり、軽快な会話が飛び交っていたんだと思い知らされている。
ソロアの隣から僕がいなくなって、マルク様とソロアが並ぶようにして、王太子様と辺境伯家の実子様にお仕えする形を取り戻そうとされていたけれど、それは王太子様のお望みじゃなく、王太子様の最初の婚約者だった辺境伯家の実子様とお二人でのお望み?
会話をお聞きしていると、エレインが乱入して混乱させる前の時間を再び、とお考えなのは、王太子様よりも辺境伯家の実子様の方?
王太子様と王太子妃エレインとお話することは前日までに想定していて、マルク様と話し合うことも、マルク様がソロアといるとお聞きしたときに覚悟を決めたけれど、辺境伯家の実子様とお話する可能性なんて、かけらも頭になかった。
辺境伯家の実子様については、ほとんど知らない。
辺境伯領の領民の中でも辺境伯領の端っこの村の村人は皆、開拓のために他から引っ越してきた先祖を持っている。辺境伯家がこの地を治めるときに、他の領地や中央からやってきて、開拓に努めた先祖は、辺境伯家に昔から仕えてきた家来じゃない。
辺境伯家の統治が始まって以来、辺境伯家が視察にこられることがなかったのは、辺境伯家から遣わされた文官が税の確認をするくらいで十分な土地だと、開拓後に判明したから。
辺境伯領の端っこの村は、開拓民を入れたものの、豊かな実りが約束された土地にはならなかった。税収があがらないため、関心を持たれなくなった。ご領主が代替わりするたびに見放されていった。
見放された土地と化しても、元いた場所へはもう帰れない。平民が家から出ていくときに、元いた家に帰れる保証なんてない。開拓民は、開拓した村に住み続けた。
開拓した村に住む村人と辺境伯家の距離は、辺境伯家の元からの領民じゃなかったことも影響している。辺境伯領の土地を広げることを打ち出したのは、辺境伯家じゃない。王家が、国策として進めた。開拓民は、平民落ちが決まった貴族や、新天地を求めた平民をはじめ、人を出せという命令がおりてきたため、何人か人を出すことになった村の村人など、色々いた。ただ、犯罪を犯して流刑になった者はいなかった。辺境伯領の端っこを治安の悪い場所にするのが目的ではなかったから。
「マルクの調べた結果を話してください。」
辺境伯家の実子メザリヤ様は、マルク様に話をふられた。
「私から見て、デニスは無関係です。デニスにある繋がりは、ソロアとソロアの実家と、村人が使う町、デニスが村長をしている村と大差ない辺境伯領の端の村の村長や村長の息子達だけでした。」
僕は、ほっとした。僕にとって悪い話じゃきっとない。
「メザリヤ様。私が結婚したデニスもデニスの父の代の村人も、他所と繋がることに慎重です。私とデニスが結婚して私の実家とのやり取りが始まるまで、繋がりらしい繋がりはありません。私の実家が村に来るようになってからも、貴族や商人との太い繋がりを欲するどころか、私の実家を通さない取引は避けています。」
「メザリヤ様、村長も村人も用心深い性格ですから、ソロアが疑り深くても、悪目立ちしません。」
王太子様はソロアを賢いと言い、マルク様は、ソロアを疑り深いと言っているので、侍女だったときのソロアは慎重さを求められる場所にいたんだ。
「マルク。デニスの評価を高く見積もりすぎていませんか?」
辺境伯家の実子様は、ソロアの現状に不満を抱いていないようなマルク様の発言に納得がいっておられないご様子。
「メザリヤ様。思い描いている未来があっても、その未来を作るやり方が分からないデニスは、決して意固地になりません。」
マルク様は、僕を褒めようとしている?
「ソロアと違って、デニスは賢くないのではありませんか。分かっていたことですけれど、話がかみ合わないこともありませんでしたか?」
辺境伯家の実子様は、マルク様の言葉の中にありそうな僕への褒め言葉に対して、違う解釈をされた。
「メザリヤ様、デニスは、思いつきを私に相談してきます。必ず。」
「ソロア。教えてください。デニスは頼りなくありませんでしたか?マルクなら、ソロアの問いに必ず答えを出すでしょう?デニスと違って。」
僕は、辺境伯家の実子様が王太子様との婚約になかなか頷かなかったという話を唐突に思い出してしまった。
まさか、辺境伯家の実子様の理想は、王太子様じゃなくてマルク様だったり?
「ソロアがデニスの切り札なので、ソロアを頼ることがデニスには身に付いています。」
マルク様は、僕を褒めてはいなかった。
「何も分からないまま、突き進むことはありませんでしたから、その分、落ち着いて一つ一つ、話をし、目的を聞いて、目標を確認できましたので、どうにもならないことにはなりませんでした。」
ソロアは、僕のどんな相談も聞き流さなかった。話しては考えてを僕と繰り返しながら、僕とソロアは二人で答えを出してきた。
「わたくしは、ソロアがいなければ、何もできないような夫をソロアに。」
辺境伯家の実子様が後悔しようとされているのをマルク様がお止めする。
「デニスはソロアを頼ることを何とも思っていません。よって、ソロアが尻に敷いておけば、デニスとデニスが村長をしている村は牛耳れます。」
「ソロアとデニスを一緒にしておけば、デニスとデニスが村長をしている村は問題を起こしようがないというのがマルクの見立てでしょうか?」
辺境伯家の実子様のお声は、歓迎したくない事実を確認するかのよう。
「はい。メザリヤ様。唯一の懸念は、ソロアの負担がなくならないことです。」
辺境伯家の実子様とマルク様の会話をソロアはどんな顔で聞いているんだろう?
「今以上の負担がかかるのは、ソロアに申し訳ないですわ。」
「メザリヤ様はソロアにお優しいですよね。」
マルク様の言うお優しいが、皮肉にも聞こえるのは、ソロアを独り占めにできないことでひねくれそうな僕の心が聞かせている?
「ソロアは、わたくしの腹心です。」
「メザリヤ様。他の村々も見てきましたが、村長のデニスと村人は、よくやっています。」
僕は、頭をあげそうになるのを必死にこらえた。
「わたくしのソロアがいて失敗することがありますか。」
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