22.安心を手に入れたと思っていた。
まず、僕が心がけたのは、建物周りを見張っている兵士を刺激しないこと。
「ソロア、待たせたよね、返事して。」
最初の一手は、外から声をかけるだけにした。村の中にある建物だからと押し入ることはしない。
僕の村でも、今、僕の周りに僕の味方はいない。近くにいるのは、僕の一挙手一投足を観察する兵士だけ。
「ソロア、どうしたの、返事がないよ?」
返事が聞こえないのを確認して、建物の扉の前に立つ。
「ソロア、僕だよ、開けるよ。入るよ。」
建物の周りにも、建物の入り口にも兵士がいる。建物の入り口を守っている兵士がいるということは、建物の中に、守られる対象がいるということ。
僕は辺境伯領の端っこの村の村長の息子として生まれてきた。辺境伯領の端っこの村々に住む村人の暮らしは、どこも大差ない。畑を耕し、森の恵を手にし、水の恩恵をちょうだいする生活。それでも、町に近いか国境に近いかで暮らしぶりはやや変わってくる。
僕の村は、国境に面してはおらず、町に隣接する村でもない。十年前、僕と町に出かけたエレインが王太子様に声をかけなかったら、僕の村はどなたの頭にも残らず、注目を集めることはなかった。
疑惑を抱え込むこと十年。
自分自身が最大の謎だと知らないまま、エレインは旅立った。乙女ゲームのヒロインとして生まれたエレインにとって当たり前のことをしていたという説明で幕引きが可能だったのは、エレインの人生だけだった。
僕の村と村人にかけられた疑いをすべて晴らして、幕引きとするには、僕の見える範囲で動いているものが大きすぎる。
辺境伯領の端っこの村への疑いに、王太子様が直々に兵士を引き連れて討伐にこられていることが、そもそもおかしい。王太子妃にしたエレインを使うためだったとはいえ、僕の村は、王太子様が直々に兵を率いて制圧に動く規模の村じゃない。力を入れすぎなんだ。
僕の村の大きさや村人の人数に対して、使われている権力が合っていない。辺境伯領の端っこにある僕の村で叛意ありという報告があがるのは、辺境伯家のご当主様までがせいぜい。僕の村を含めたいくつかの村の文官をなさっているご領主の実子様が、辺境伯家として始末をつけたら、そこで終わる話だ。王太子様が兵を率いてくるほどの話じゃないんだ。
僕の村への対処を大ごとにしているのは、王太子様のご意向?
辺境伯領の統治の上に国として王家があることを見せつけたいの?見せつけたいのなら、誰に?
現状、王太子様は、辺境伯家の統治に不安があって、王家が乗り込んできたと受け止められかねないことをされている。
辺境伯家は、今日の件を抗議されなかったの?
僕が知っている情報だけでは憶測の域を出ず、その憶測は口に出せば不敬罪。だから、胸の内で考える。
ご領主様の、辺境伯家の力が衰えてきている?王太子様が直接介入しなければならないほどに。
王太子様の真意がどこにあるのか、分からなくなってきた。辺境伯家の実子様に一途なようにお見受けしたけれど、王太子様のお言葉のどこまでが真実?
辺境伯家の実子様に王太子様が直接肩入れしないといけないくらい、辺境伯家の情勢が良くないのが実態では?
娘時代、辺境伯家の実子様にお仕えしてきたソロアは、何を知らされて、どんな決心をして、マルク様との婚約を解消して、僕と結婚したの?僕と結婚する前も、結婚してからも、ソロアは僕の夢を応援してくれていた。
僕の村は、目立たない。変化もないため、ご領主の辺境伯家から、視察が来ることはない。目立たないことで争いに巻き込まれずにきたけれど、祖父の代では、衰退の兆しがあらわれ、父の代には緩やかな衰退が始まっている。特筆すべきことがなければ、父の代までは持ちこたえられる。
僕の代になると、父の代までのようにはいかなくなる。村長の息子だったときに、父から覚悟しておけという言葉とともに話は聞いていた。
父が元気なうちに村長を退いて僕が村長になり、僕と僕の世代の役付きになる息子達には早めに経験を積ませ、村を捨てる決断をしたときに備えさせたいという話は何回も耳にしている。
より多くの若者が村での経験を活かした仕事に就けるように、代替わりを早めるかについての議題は、何度も持ちあがっていた。毎年、前年を維持しようとするも、右肩下がりの現状を自力で打破できる見込みが、僕の村にはなかった。
僕が村長になって、僕の代で、村を捨てる話を村人にしないといけなくなるのが、僕は嫌だった。自力救済もご領主様からの御慈悲も望めないと教えられ、先行きが明るくなることはないと僕自身が感じ取っていても、僕は、僕が生まれ育った村を捨てないで済む方法を探していた。
父のように役付きの村人の娘と結婚しても、明るい展望はのぞめない。エレインは村で一番可愛い女の子で、他の村娘とは違っていた。エレインとなら、村の何かが変えられると僕は勝手に期待していた。
エレインが村娘として生きることを拒絶したときに僕に言った僕の嫁探しに合う条件を参考にして、マルク様にお願いしたのは、そこに賭けるのが一番早くて、大きな変化になると思ったから。
僕の狙い通り、僕とソロアの結婚は、僕の村に新しい風を吹かせただけで終わらなかった。ソロアがいて、ソロアの実家の出入りがあるなら、村を捨てる未来を見なくて済むと村人は全員、安心した。
ソロアが僕と結婚することになって、ソロアの実家から人が頻繁に来るようになり、村人がソロアの顔をうかがうようになったのも、僕の村だけで持ちこたえるのが厳しくなってきていることに皆勘づいていたからだ。
ご領主様に頼ることなど、父の頭にはなかった。僕もご領主様を頼ろうとは考えなかった。
父と役付きの村人の娘との結婚を推した祖父は、村人同士の団結を強めることで苦境を乗り切る判断をしている。祖父の代でご領主様に話を持っていこうとして、うまくいかなかったことがあって、その件が口外されなかったとしても不思議じゃない。住んでいる領地の貴族様に拒否されたなら、村人はそれまでだ。
僕とソロアの結婚は、僕の村にとって救いになった。村を捨てる心配をしなくて済む。村を捨てると、暮らしぶりは村人だったときより悪くなる。働けない者は一緒に連れていけない。僕とソロアの結婚が、そんな救いのない別れを回避させた。そんな気でいた。
今日の王太子様と王太子妃エレインの視察の件がなかったら、僕はまだ村長になっていない。村を捨てることを考えなくて良くなった僕は、右肩下がりに戻らないように、ゆっくりと村を変えていきたいと思っていた。
何もない村だけに、持ちこたえている間は当然誰の目にもつかず、僕の代になってにっちもさっちもいかなくなったころに、上から手が入るか村を捨てる決断をするかを迫られると思って生きてきたから、そんな暗い未来はなくなったんだと思ったときから、安心しきっていた。
ソロアと結婚して迫りくる未来を吹っ飛ばしたところに、差し込まれてきた王太子様と王太子妃エレインの視察。僕は、当然のように乗り切る気でいた。最悪の未来は回避できている。王太子様と王太子妃エレインの視察という危機は、ソロアからもたらされる情報によって、ソロアがいなかったときよりもずっと未来が見えている。村を捨てる未来が迫ってきていたことを思えば、あがけば自分で何とかしようがある。
僕は、安心を手に入れたと思っていた。村を捨てて、村人の家族がバラバラになることを決断しなくてもいいのなら、たった一日くらい、乗り越えなくてどうするの?
王太子様と王太子妃エレインの視察をありがたいとは思わなかったけれど、来るならこい、くらいの構えで待っていたんだ。
今日が、村の存亡を決める一日になるなんて、露ほども考えていなかったから。
思い返せば。
前兆は、あった。村長の妻になったソロアは、元主人にあたるご領主様の実子であられる辺境伯家のご令嬢メザリヤ様が、僕の村を含むいくつかの村の文官をなさっていることと、文官をなさっている元主人と連絡がつく状態だと僕に話している。このときに、僕が気づけていたら。
辺境伯家の実子様メザリヤ様と養女になったエレインが王太子様の婚約者を交代し、メザリヤ様の侍女を辞して、村長の息子の僕の妻になりに来たというソロアの説明をその通りに聞いてきたけれど。
今日知ったことを全部合わせていくと、ソロアが僕に話してきたことが、ソロアから見てそう感じたことだったり嘘じゃないだけで、ソロアの知る全部ではないと分かる。
僕がソロアに夢を語る前提となる、いつか村を捨てるはずだったというなくなった未来の話をしなかったように、ソロアはなぜ、何のために僕の村に来て僕と結婚し、僕と子どもを作り、村の中に溶け込もうとしてきたのか、の目的について話していないだけだ。
僕とソロアは、互いに相手に対する秘密を抱えたまま夫婦になった。僕の秘密は、一生腹の中に秘めておくつもりでいたもので、ソロアの秘密は、ときがくれば秘密でなくなるもの。
僕の妻になり、表向きは辺境伯家の実子様の侍女でなくなっていても、辺境伯家の実子様とソロアの主従関係は解消されていなかった。
マルク様とソロアの婚約解消を辺境伯家の実子様に持ちかけると同時に、僕とソロアの婚約をマルク様が提案され、僕とソロアが結婚したという事実は変わらなくても、辺境伯家の実子様がソロアと僕との結婚を認めたのではなく、命じたのだとしたら?
ソロアのマルク様への報告が終わり、僕と結婚して村の内実を探ってきなさいという命令が撤回されたら、ソロアは、僕と息子を置いて出ていくの?
首元が、スッと冷えてくる。
ソロアの帰ってこない家も、ソロアのいない暮らしも、僕はいやだ。僕の生活は、ソロアがいないと始まらない。朝も昼も夜も、次の日も、その次の日も、来年も、再来年も、五年先も、十年先も、もっともっと先まで、ずっと一緒にいたい。
僕は、落ち着こうとした。まだ、ソロアから何も聞いていない。ソロアは、僕との会話の中に秘密を散りばめていた。僕に自分で気づかせようとしていたんだ。自分から村を出ていくなんてことは、まだ一言も聞いていない。
僕が手に入れたと思っていた安心は、一夜の夢のように、かき消えるものだった。
理由は嫌というくらい分かっている。
僕自身でつかんだ安心じゃないからだ。ソロアが運んできてくれたものだから、ソロアが僕から飛び立とうとしたときに、僕のてのひらからすり抜けていくんだ。
ソロアと別れたくないなら、ソロアに頼り切りじゃだめだ。僕も僕の村も村人も。
ソロアに、村長の妻として、村人の考え方を持って生きてほしいと望んだのが僕なら、村長の妻としての暮らしを用意するのは僕でないと。ソロアに頼って暮らしている僕じゃ、僕といたいとソロアに思われない。
僕とマルク様じゃ、違いすぎるとおっしゃっていた王太子様のお言葉が、今になって突き刺さる。
ソロアの命を失わせないために、王太子様から罰を受けることをものともせず、独断でソロアとの婚約を解消するために動き、ソロアのいなくなった分の穴埋めと禊をやってのけて、マルク様は復帰してきた。
それにひきかえ、僕は、父や役付きをはじめとする村人、ソロア、ソロアの実家という周りの全てに助けられて村長になった。今も、一人じゃままならないことを父に丸投げする形で、ソロアに会いに来ている。
村長の息子として生まれて、僕が村長になるための助けも、僕が村長として生きていく助けも、村と村人を守る村長には当たり前にあるものだと思ってきたけれど。
僕が思っている当たり前は、当たり前じゃない。父が村長のときにはなかった。おそらく、祖父が村長のときにも。
ソロアは、今、何を思っているの?扉の向こうで、何を考えているの?
賢く忠義の侍女だったソロアは、辺境伯家の実子様の側を離れて、叛意を疑われている村の村長の息子の妻になる決意をしただけじゃなかった。
僕の妻として、村人と話もして、実家にも話を通して、これからも村を捨てる判断をしないで済むようにしたい、村と村人を守る村長になりたいと願う僕を一番近くでたくさん助けてくれた。
ソロアと僕の結婚が決まったのは、唐突だったけれど、ソロアがどんな気持ちで僕との結婚を受け入れたのかについて僕が悩んだことはない。
初対面のときも、僕と結婚すると決めたから、僕に会っているとしか考えていなかった。ソロアとソロアの実家に助けてもらっていることをありがたいと考えながらも、ソロアが僕を助けてくれることを当たり前だとも思っていた。結婚相手には、僕を助けてくれる人を紹介してもらうと考えていたから、結婚相手が僕を助けることは、僕と結婚する条件に当たり前に入っていると思っていたんだ。
僕の事情と、ソロアの事情を一つずつ照らし合わせていくと、僕がソロアに助けてもらえるのは当たり前じゃなかったと分かる。僕がソロアに甘えていた。ソロアが僕に何も言わなかったのは、甘えている自覚が僕にないと気づいていたから?
ソロア。僕は、今日まで気づかなかったよ。ごめんね、頼りっぱなしにしていて。今日からは変わるよ。今日が最後の日にならないように、明日の朝を家の中で目覚めて迎えられるように。今から、僕は会いにいく。ソロアは、今、王太子様が、元の仕事に復帰させたと話されていたマルク様といるんだよね?
扉を開けたらソロアがいる。マルク様といるソロアになんと声をかけよう。先にマルク様に声をかける?
でも、なんて声をかける?お久しぶりです、僕の妻をとらないでください、だとあまりに直接すぎる?
僕はどんな風に声をかけたらいいの?まず、笑いかければいいの?何でもないような顔をしていればいいの?
全然、何でもない状況じゃないのに?
どうしよう?
焦りで考えがまとまらないよ。それでも、建物の前にきて、いつまでも扉を開けないわけにはいかない。
兵士は、扉を開けようとする僕に制止する言葉をかけない。僕が建物の扉を開けることは問題ないという指示が既に回っているんだ。
兵士の連絡手段は、村人よりも早い。村を捨てることになった場合、体力がある若者には兵士を勧めることも考えていたから、兵士の仕事を他人事には思えない。
村に来ている兵士を実際に目にすると、村を捨てるまで追い詰められた村人の体力で、兵士になれるとは思えないと考えを改めさせられた。
村が今日で終わるなら、村を捨てるときに兵士を勧めようとしたことも、村人に話す日はこない。
僕の人生と村の存亡を賭けた最後の勝負が、扉の向こうで待っている。
扉を開けたら、勝負開始。
僕は扉を引いた。
扉の向こうには、ソロアとマルク様、だけじゃなかった。
ソロアとマルク様は、扉から三歩ほどのところに並んで立っている。ソロアとマルク様の奥、部屋の最奥にその方はいらっしゃった。
ご尊顔を直接拝見したことはないけれど、翡翠のように輝く髪と瞳のお色、お召しになられている服装の紋章で、この建物の中にいる一番偉い人だと分かった。僕とエレインと王太子様と同い年のご領主の実子様、辺境伯家のご令嬢メザリヤ様が、部屋の奥に置かれた椅子に深く腰を掛けておられる。
僕は、すぐに跪いた。
辺境伯領の村に王太子様とご領主の実子様が別々の建物とはいえ、同時に滞在されている。僕の村で何かが起きようとしているときに、何も知らされずにその場に居合わせたのが、村長の僕。辺境伯領の領民だけれども、ご領主様とお会いするような立場にない僕が、辺境伯家のご令嬢にお目通りするためにもうけられたのが、この場だ。
ソロアに好きだと伝えるのは、まだだ。
じっとお声がかかるのを待つ。
「ソロア。」
お声は僕ではなく、ソロアにかかった。
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