18.王太子アーレンドルフは、動かず、動かす。
エレインの目がカッと開く。ツーと静かに涙が頬を流れていった。エレインの体は、横倒しになるように椅子から転げ落ちていく。床に倒れる寸前に、王太子様がお連れになった部屋の壁際に立っていた護衛が集まり、エレインの体を支え、床につかないように全身を持ち上げる。
護衛として部屋に残っている顔ぶれとエレインを持ち上げている顔ぶれの服装は同じだ。部屋の一画だけ護衛がスカスカになるようなことにもなっていない。誰がエレインを運び出す役かの区別がつかないように、本物の混ざって部屋の中に立っていたんだ。
用意周到とはこのことを言うんだ。
「これを棺へ。」
王太子様の声と共に、エレインの体は運び出されていく。入り口近くから、木の箱の蓋を開け閉めする音がする。
「デニス。廃妃に墓は作らぬ。弔うことは許さぬ。」
「かしこまりました。王太子殿下。棺への服を変える間をおかれなかった様子から推察いたしますが、王太子妃殿下のドレスは死装束でございましたか?」
エレインが入れられた棺が運ばれていく音がする。墓を作らないということは、エレインが王太子妃だった事実は王家の歴史に残さないということだ。エレインを王太子妃にすることに反対する声に配慮する形をとられている。
「廃妃用のな。」
視察先の僕の村に廃妃用の死装束で現れたエレインは、好みでないドレスだけれど、王太子様に用意されたから今回だけは着たというような会話を王太子様としていた。
好きになった人に、好きだった、愛してほしかったと素直に言えないまま逝ったエレインは、好きな人に死を望まれていることを知らず、好きな人の頼みを断ることなく、頼まれたから今回だけだと死装束を身につけた。
死装束だと知った今なら、ドレスが動き辛いとエレインが文句を言っていた理由も分かる。死後硬直したときでも、死体の形を保てるように作られたドレスだからだ。生きているエレインにとって、着心地が悪かったのは言うまでもない。
王太子様は、興味深げに僕を見てくる。
「デニスは、喋るのが好きか?エレイン相手によく舌が回っていた。」
王太子様には、エレインに服毒させたことを気にしているご様子がない。
「時と場合によりけりです。」
一方の僕は、エレインの服毒現場を見て頭が沸騰した後。平常心にはまだ戻れそうもない。
「デニスは、エレインが運び出されても驚かぬな。エレインの死は予期していたか?」
「王太子殿下の今日のお召し物を拝見しまして。エレインとはあまりに違いすぎると愚考いたしました。」
王太子様は、服かと呟かれた。
「今日の服は野戦用だ。」
枯れ草色の生地なら、村の中にいても派手に感じない。
「本日は、戦場の視察でございましたか。」
王太子様の枯れ草色の服は、この村での戦闘に備えたものだったと言外におっしゃられている。
「幸い、戦闘には至らずに済んだな。」
死装束を身にまとった王太子妃エレインが先に村に入り、王太子妃エレイン御一行の中にいる王太子様の目となる人から王太子様へ連絡が入れば、村から離れた場所に陣取っておられた王太子様が率いる軍が僕や村人を討ち取りにきて、村を制定される計画がおありだった。
「視察に来たときから、エレインは、動きにくそうにしていました。」
エレインが着ていたドレスは、白い生地にきらびやかな糸で幾重にも刺繍が施されていて、遠目に見ると、宝石を縫い付けているかのようにキラキラしていた。
「死装束だ。豪奢な生地を使ってはいるが、生きている人間が着るには向かない。」
エレインの死装束は、派手なものが何もない僕の村で良い目印になったことだろう。
「エレインが動きにくいと言っていた死装束は、生きているエレインの動きを鈍くする働きもしていましたか?」
死装束を着て視察に来ていた王太子妃エレイン御一行の中には、エレインの発案したスマホを持ち歩いて、王太子様と連絡を取り合っていた人がいると王太子様がエレインに話されていた。王太子様が村への総攻撃の指示を出されたときには、エレインは死装束を着替える必要がない姿で用意された棺に眠る状態で視察を終わらせることになっていたんだ。
幼馴染に会えると喜び勇んで村に帰ってきたエレインが、幼馴染に会った後に生きて帰る未来は、視察が決まった最初から計画されていなかった。
「王太子殿下は、エレインを連れてお戻りになられるのですか?」
用がお済みなら、お帰りいただきたい。妻にならなかった幼馴染とはいえ、王太子様のなさりようを目の当たりにして、心穏やかでいられない。
「ときにデニス。エレインの後を追わないか?」
王太子様は、ソロアと僕を引き離すことをまだ諦めていらっしゃらなかった。
「王太子殿下。私には投げ出せないものがございます。」
ここからは、王太子様と僕の勝負。
「デニス。今すぐ、エレインの後を追うなら、ソロアとソロアの子どもと村人と村の未来は保証しよう。」
王太子様は、容赦のない提案を平気な顔でのませようとしてこられる。
「王太子殿下。私とエレインの人生は、最初から一緒にならないものとして始まっています。」
ソロア、首を長くして待っていて。僕は絶対にうんと言わないからね。
「デニス。デニスが自分から後を追う分にはエレインも拒否すまい。」
僕に自分から死ねとおっしゃる王太子様のためらいのなさ。エレインは、どこに優しさを感じたの?僕が感じるのは、尊いお方特有の人をどうにでもできるという自覚のある恐ろしさだ。
「廃妃とされたかつての村娘の後を追う村長など、村長たり得ましょうか?」
退く気はない。のむ気もない。僕、死に場所は、自分の家がいいとは思っている。
でも、今じゃない。
「デニス。ソロアを思うなら、ソロアを解放してやれ。ソロアは、平民だが、デニスとは違う。辺境伯家の令嬢に仕えるために生まれ、貴族の中で生きるために育ってきた女を自分の夢のためだか繋ぎ止めるのはよせ。」
王太子様のおっしゃりようは、まるで僕のわがままでソロアを引き止めているという事実があるかのよう。
「私は夢を叶えたいがためにソロアを繋ぎ止めているのではございません。ソロアと共に生きたいからこそ、ソロアを遺してエレインの後を追うなど考えられません。」
王太子様とエレインのやり取りを見ていた僕は、王太子様がどのようにエレインを思い込ませて、周りを動かしてきたかが手に取るように分かる。
「デニスには考えられなかった。だが、ソロアも考えていないと言えるか?ソロアは、デニスと村で暮らすことに満足していると言ったか?」
王太子様。僕に、エレインに使ったのと同じ手は使えません。エレインが自分で何かをしようとすることを王太子様がエレインから取り上げることができたのは、エレインが王太子様を好いていたからです。僕にはソロアがいるので、王太子様に何と言われてもびくともしません。
「王太子殿下。ソロアのいる建物にご案内します。」
エレインもいない今、僕の家で王太子様との問答を続ける意味はない。
「まだ早いだろう。」
落ち着けた腰をいっこうにあげようとなされない。
「お早いと感じられることが、何かございましたか?」
「せっかくマルクとソロアのための時間だ。離れていた間に話すこともあろう。部外者が邪魔をすることもあるまい。」
平然と話されるご様子に、さすがの僕も眉間がよる。
「マルク様が、おいででいらっしゃるのですか?」
「マルクは先に目的の家屋に向かわせた。ソロアが扉を開けるときに鉢合わせしているだろう。」
マルク様は、王太子様から離れて、王太子様と王太子妃エレインを迎えるために建てた建物に先に向かわれていたんだ。王太子様は、王太子様とエレインを僕の家に案内させるときに、僕にだけ案内させて、ソロアは遠ざけた。ソロアが向かった先に、マルク様がいて、自然に顔を合わせられるように取り図られたんだ。
「王太子殿下とエレインと私と一緒にこの家ではなく、後ほどご案内する建物へ行くようにとの指示をソロア一人にお出しになったのは、マルク様が待っておられるからですか?」
ソロアとマルク様が二人きりになってからどれぐらい時間が経った?
「マルクとソロアには、久しぶりに話し込む時間があった方がいい。」
ソロアを大事にしていたから、マルク様は王太子様の命令に背いたと王太子様はおっしゃったけれど、命令に背くことが王太子様の不利になるどころか為になったような話し方もされていた。
「ソロアは、僕の妻です。王太子殿下がソロアとマルク様の未来を諦めていらっしゃらないのであれば、僕はソロアのところに急ぎます。」
マルク様は、王太子様の命令に背くことはしても、希望にそぐわないことはなさらない。それだけの信頼関係が王太子様とマルク様にはある。
「デニス。お互い様の心で待て。」
王太子様は、一歩も動かれない。
「マルク様は信用していますが、マルク様がソロアと復縁したいとお考えなら、僕がマルク様にお断りに行きます。今すぐに。」
王太子様が動かれたら、僕も動けるのに。部屋の中の護衛の何人かの手が剣へと伸びるのが見える。だめだ、今僕が動いたら、切り捨てられる。
王太子様は野戦用の服に身を包まれて、ここにいらっしゃる。野戦の備えをとく命令は、まだ出ていないんだ。王太子様がどういう発言をされても、僕の一挙手一投足が王太子様に害をなすとみなされたときは、一刻の猶予もない。
エレインのとき以上に間違えないようにしないと。
ソロアの言っていた通りだ。王太子妃エレインとは勝負に持ち込めても、王太子様とは勝ち目がない。勝ち目がないならせめて、負けがこまないようにするしかない。
「デニスに昔なじみのエレインと話す時間があったのだから、ソロアにも、昔の婚約者と話す時間を作ってやれ。マルクと顔を突き合わす状況にすれば、小賢しいソロアの本音も分かるというものだ。」
ソロアの形容詞が、賢いから小賢しいに変わっていらっしゃる。
僕は、お腹の下に力をためる。
「マルク様とソロアは、二人っきりにされているわけではごさいませんね?」
確かめておかないと。
「婚約者だった男女のこれからの話をするのに、無粋な詮索をするやつがいるか。」
王太子様は、のんびりとさえしておいでだ。
「私はソロアの元へ参ります。」
王太子様は、マルク様とソロアが元婚約者同士だからとわざと二人きりになるように手配されていらっしゃる?
「デニスには、一人で考える時間をやる。」
いらない。歯噛みする時間も惜しいのに。
「ソロアのところまで、走ってから考えましょう。」
王太子様は、椅子から動かれない。
「デニスは、エレインに同情的だったな。本心からソロアの元に行きたいのか?」
エレインの座っていた椅子は、エレインが転げ落ちたときに一緒に倒れて床に転がった。僕がついているテーブルには、僕と王太子様が座っている。床に転がった椅子は誰も起こしにこない。
「ソロアは私の妻で、私はソロアの夫です。私は妻を男と二人きりにしたと告げられて、平気でいるような夫ではありません。」
妻にしたエレインの侍従にマルク様をつけた王太子様と僕は違う。僕の含みも読み取られた王太子様は、どこか面白がっておられる。
「デニス。ソロアが妻ならエレインは何だ?」
王太子様からお聞きになられたのをいいことに、話してしまおう。今後、平民をいたずらに惑わすようなことはお止めいただきたい。エレインは、特殊だったけれど、華やかなものに憧れを持つ子どもはどこの村にもいる。生まれてくる子ども全員に貴族様には気をつけろと言ってきかしたところで、出会ってしまえば、貴族様の一言で平民の人生は簡単に変わっていく。
「エレインは貴族の方々とは縁遠い村で生きてきた村娘でした。尊いお方の目に留まって村を出ていった村娘が、貴族の養女になって王太子妃となった後は夫から軽くあしらわれ、悪評がたっても夫の力添えもないまま訂正されずにいるため、望まれてなった王太子妃としての暮らしぶりは安心や幸せとは程遠くあり、助けてもくれなければ支えにもなってくれず、被害者を装って立ち回る夫に心の内を吐露することも、味方になってほしいとも言えなくなり、しまいには、貴族でもないただの村人の幼馴染しか頼る者がいないというところまで追い詰められてすがってきたのです。哀れむ以外に何を思いましょう。」
王太子様の結論は変わっていなかった。
「デニスは、さっぱりした味わいの茶を望んだ。苦しむ時間はエレインの十倍以上だが、飲むときの違和感はなくしてある。遠慮なく飲むといい。」
エレインの服毒を見た後に、王太子様から直々にお茶に毒をもっていることを伝えられながら、お茶を勧めていただくことがあるなんて。
「遠慮いたします。」
栄誉でも何でもない。
「エレインが最後に飲んだワインは、ワイン自体にくどいくらいの甘さを足すことになったが、効きが早いものを用意した。」
「エレインは、侍従の服を見て毒入りワインが持ち込まれたと判断していました。服毒についての作法は教えられていたのですか?」
貴族の中で生きるための知識は、あえてエレインにつけさせなかったのに。
「デニス。王太子妃教育を終えたから王太子妃になれた、とエレインも話しただろう?」
乙女ゲームのヒロインは、愛されて望まれるのだとエレインは話していた。
けれど、エレインの求めていたような愛はなかった。乙女ゲームの舞台だったという学園は、ひとときのお楽しみで終わっている。好きになった人に愛されていると思わされ、結婚を望まれたような見せかけに惑わされ、いなくなったことを喜ばれるために、エレインは生まれてきたの?
「将来的に廃妃にすることが決まっていながら王太子妃になられた方がいらっしゃいましたか?」
エレインの他にも。
王太子様は、僕の反応を見逃すまいと見ている。僕の何を見つけようとされているの?
「デニス。エレインの後を追わぬなら、私の元に来い。」
王太子様は、エレインと同じことを僕になさろうとしている?
「私はエレインのように学園への憧れを持ち合わせておりません。」
僕の背中は、ゾワゾワした。
「ソロアも来て構わぬ。ソロアが来れば、マルクとソロアが会う時間も自在だ。」
王太子様は、淡々と続けられる。
マルク様との復縁を見越してソロアを連れて行く計画に僕を足された?
「私は、この村の村長です。ソロアは、私の妻です。私もソロアも辺境伯領の領民でございます。」
王太子様のお誘いに有頂天になるほど、僕は無知じゃない。
「デニス。それがどうした。私が来いと言っている。」
護衛の何人かが足を動かした。重心を変えたんだ。僕の家に、大量に人が立っていたことなんてない。一人、二人なら、なんともなくても、帯剣した護衛が何人も動き回って音が出ないような床じゃない。僕の答え次第では、簀巻きにされて連行される。運ぶ手間を考えて、エレインの棺に一緒に放り込まれるかもしれない。
「この村を含めた辺境伯領のいくつかの村の文官をされている辺境伯家の文官様におうかがいを立ててからになります。」
王太子様の眉が、興味深げに動いた。
護衛は動かなかった。
「デニスに知恵をつけたのは、ソロアか。」
僕は、王太子様との勝負に負けなかった。
「エレインを見て学びました。辺境伯領に住む領民の私が、辺境伯家のおうかがいもせずに、王太子殿下のお誘いに二つ返事でのることはございません。」
ほっとして、気を抜きそうになる。
「デニス。いい気になるな。今はエレインの死ぬ様を見て興奮状態に陥っているだけだ。」
王太子様は、酷薄そうな笑みを浮かべられた。王太子様の計算ずくのご様子をエレインはチラリとも見なかったの?先に好きになっていたから、計算ずくのご様子に怖くて何も言い出せなくなったとか?
仮にも妻に服毒させようとお考えになる方だ。
「王太子殿下は、興奮状態になっていらっしゃらないのですか?」
服毒現場を見慣れていらっしゃる?
「私は興奮している。ようやっと、メザリヤ嬢の出してきた条件を達成したからな。」
王太子殿下は、余計な情報を僕にもたらそうとしておいでだ。いやだ、聞きたくない。聞いたら巻き込まれる。聞かされたら、このままお帰りいただく未来が遠のいてしまう。
僕を家から出してソロアの元に行かせないようにするためとはいえ、ご領主様の実子様と王太子様の密約を聞かせようだなんて。
エレインは知らなすぎた。知ることがないようにされていたとエレインが知ったときは、もう後戻りができないところまできていた。
知りすぎることを自覚させられながら知らされていく僕は、後戻りできる?
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