10.村長として、村長の息子だったときからの十年にわたる疑いを晴らせた?
王太子様がティーカップを持ち上げた。
「全員、喉を潤そう。」
「アーレンドルフ様。今日のドレスは袖まで重たくて、動きづらいんです。王太子妃に必要なドレスだと言われたから今日は着ましたけど、もう着ません。」
エレインは、両手でティーカップを持っている。
「エレイン、ドレスは二度と着なくても構わない。私の前でその持ち方は止めなさい。ティーカップの持ち方は習っただろう?」
王太子様は、穏やかに言い聞かせている。エレインを制止するときは名前を呼んで注意を促したりで、大きな声を出さない王太子様は、気が長い方?
「そうは言いますけれど、アーレンドルフ様、このドレスが重くて動きにくいから仕方ないんです。」
エレインの傍若無人さが王太子様への甘えに見えてくる。
エレインが甘えていると考えると、エレインと王太子様の会話は言葉遊びと言っていいの?
尊い方の会話の妙は、難しい。
「私が着たかった動きやすい軽いドレスだったら、ティーカップを持つくらい簡単なんです。今日は、アーレンドルフ様の希望を聞きましたから、次は絶対に私の着たいドレスにします。」
エレインとまともに会話する人が王太子様以外いなくて、エレインに原因があっても、注意されるばかりだから、甘え方が、無視や反論から始まっているの?
初見の僕には、夫婦が仲良くお喋りしているようには見えない。注意されるような気の惹き方をして甘えてくる王太子妃様の相手をしている王太子様の感情が見えない。
構っているけれど、エレインへの愛情は分からないと感じてしまう。
僕に分からないのは、僕がソロアといるときと、王太子様と王太子妃様がいるときとが全然違うから?
ソロアは、僕が気がついていないと思ったら、そのときに僕に分かるように言う。僕は、ソロアに言った方が言わない方がいいのか考えてから、やっぱり言おうと決めて時期を見計らってから言う。
僕はソロアに教えてくれてありがとうと思っている。ソロアがどう思っているのかは聞いたことがないけれど、僕とソロアの仲はとてもいい。
今の僕の隣に、ソロアはいない。僕が一人で乗り切らないと。全部を終わらせて、僕はソロアに会いにいく。それから、ソロアと二人で、両親に預けている我が子を迎えにいく。
『もう何も心配いらない。僕達の元で大きくなるんだよ。』
王太子様と王太子妃様の視察の先触れがきてから、打ち合わせや、僕の学びの時間が激増した。
ソロアとの会話は、打ち合わせの割合が増えて、息子と遊ぶだけの時間は減った。
今だけだからと詰め込んできたけれど、最初から予想していないことばかりが重なっている。
僕もソロアも、村全体で今日のために準備してきた。
エレインが視察に来た理由も、王太子様が僕の村を視察先に選んだ理由も分かったんだ。村人の誰も欠けさせないし、村の中から何も欠けさせない。
王太子妃エレインの今日着ている服は王太子様の指定だったんだ。
ずっしりとして重たそうな生地を身頃から裾まで何重にも重ねたドレスは、両肩から袖口までにも生地をたっぷりと重ねてある。
王太子妃様の服が重くて豪華なのとは対照的に、王太子様の服は、良い生地で仕立てられたことは分かるけれど豪華絢爛とは程遠い。装飾も多くなく、真っ白や真っ黒などの印象に残る色じゃない、言葉で説明しにくい色の服を着ている。枯れ草の色が一番近いと思うけれど、王太子様の服はカラカラに乾いた枯れ草色でした、とは人に言いにくい。
王太子妃エレインを目立たせるために、王太子様は控え目な装いを選ばれた?
王太子様がエレインを甘やかしていると考えると、ない話じゃない?
僕の目には、王太子様がエレインを甘やかしているように見えないけれど、ソロアからは、王太子様が何でも言うことを聞いてあげているように見えていた。
僕の目に甘やかしているように見えないのは、僕が平民の夫婦仲で考えているから?
貴族様の生活を基準にすると、エレインは甘やかされている?
コクリコクリ、とエレインがティーカップのお茶を飲む。
「デニス。」
王太子様もティーカップは持たれている。王太子様が口をつける前にお茶を勧めてくださったのは、ありがたいことなのかもしれないけれど、王太子様の前でのお茶を飲む作法が分からない。
両手で持つなと言われても袖が重たいせいで片手では持てないからと両手でティーカップを持って飲んでいるエレインを見習うわけにもいかないし。
お茶の飲み方が不敬だと言われても、僕には何が不敬にあたらないのかが分からない。
王太子様が飲まれたら、王太子様の飲むお姿を真似して飲む?
でも、王太子様だけに許された飲み方だったら、真似なんてとんでもないことで。
「私は、喉を潤したいときに。」
悩んだ末。僕は、ティーカップに手を伸ばさないでいることを選んだ。
ティーカップは持ち上げたらおろさないといけない。貴族様は、音を立てないでティーカップを皿に置くらしい。
僕が置いたら、ガチャガチャと音を立ててしまいそう。
「飲み物は、喉が渇いたときに飲めば十分。目の前にあるから、いつでも飲んで。」
エレインは、両手で持っていたティーカップをカチャと音を立てながら皿に置く。
王太子様に許される前に王太子妃様エレインに許された。
「デニス。エレインは、運命の日に運命の人と会うのは、エレインの運命だった、と私との出会いを説明している。この件でのデニスの釈明はあるか?」
お茶を飲む催促はなかった。
「王太子殿下が運命の日に町にいらっしゃることを王太子妃教育はご存知で、町に行きさえすれば、村娘の身でも王太子殿下とお会いできるという目算があったから、運命の日に町へ行きたがったという想像はできますが、私の村にも村人にも、王太子殿下が町にお越しになるという話は届いていませんでした。」
「デニスは、それをどう証明する?」
「運命の日の、王太子殿下とお会いする時間帯に町に居合わせたことが、証明になります。」
「ならないが?」
王太子様はスパっと否定なさった。
「会ってしまった王太子殿下のお立場からではなく、村娘を連れた村長の息子という立場だった十二歳の私の身からすれば、証明はそれで十分なのです。」
「デニスの言い分を聞こう。」
話す前に終わらせられなくて良かった。
「貴族の方々との話し方は将来のために教えられていましたが、実際にお話したのは、町の中でお会いした日が初めてのことだったのです。」
「そんなものか。」
平民が貴族様と邂逅することの驚きと恐れを王太子様に伝えるのは、一筋縄ではいかないと思わされるような反応に不安になる。
早口にならないように、こころもち、ゆっくりと話す。
「村の中でもなく、村長の父もいない、買い物先の町の中で、初めてお会いする貴族の方々と村長の息子として一人でお話させていただくことは、十二歳だった私にとって大変勇気がいることでした。」
「そうだったか。」
王太子様には実感のわかない話だったご様子。
「村長の息子だとて、私は平民です。私の父も母も平民です。貴族の方々とお会いする機会など、子どものうちにはございません。」
「私には平民の友も部下もいるが?」
「先祖をさかのぼっても平民の村人が住んでいるこの村は、貴族の方々がお通りになるような場所にはございません。一度も貴族の方々をお見かけすることがないまま生きていくこともままございます。」
王太子様の友や部下として召し抱えられる平民と、一生貴族と会わずに暮らす村人を同列にとらえられていらっしゃるから、この反応なんだ。
「辺境伯領の中でも場所が場所なだけに、わざわざ足を運ぶ貴族もおるまい。貴族に会う機会がないのなら、自ら貴族のいるところまで出てこればよい。道はある。」
「平民の子どもには至らぬところがございます。平民の子を育てている最中の平民の親は、貴族の方々の目にとまるような場に、我が子を出すなどしないものなのです。ましてや尊いお方にお会いするかもしれない町で買い物を行かせるなど。」
村人は、貴族様と関わりを持ちたがっていないなどと口にするわけにはいかない。
貴族が村を訪ねることを喜ぶ村人は、貴族様が来ることに利を見いだせた村人だけ。多くの平民の村人にとって、貴族様は、何をなさるか分からない上に、何もないところから何かを要求なさる方々だ。
十年前は、エレインがお貴族様についていきたがったから、愁嘆場にならなかっただけ。王太子様が目に留められた村娘が、エレインじゃなく、他の娘だったら、涙なしの別れにはならなかった。
「デニスは、何を警戒している?」
僕の平民として持つ貴族様への恐怖を貴族様の代表のような王太子様の前で覗かせるわけにはいかない。
「貴族の方々にお仕えしたり、貴族の方々の生活の中に入っていくことがない平民は、家族ともども、貴族の方々の前で粗相がないようにと考えてしまうものなのです。」
「デニスもか?」
村長になった平民の村長の息子に興味をひくようなものがおありですか、と言ってしまいたいという考えが一瞬よぎった。王太子様の良く知る平民は、平民の中でも貴族様に縁があるような人達で、僕のような村人とは違う場所で生きているのです、王太子様のために。
「尊い方がお導きくださることをお考えになるように、平民は平民らしく考えております。」
僕は、努めて冷静に答えた。
「デニスの子どもは、今日、デニスといなかったようだが?」
「親の真似はできても、親のように貴族の方々の前で振る舞うことは、子どもには難しいのです。」
僕の子どもは、まだ十二歳の半分にもなっていません。王太子様と王太子妃様の視察が何の意図もない視察であったとしても、王太子様と王太子妃様の前に連れてきません。ましてや、今回の視察には、僕の村と村人、僕自身と僕の家族の命運がかかっていました。進んで我が子に重荷を背負わせる親などおりません。
「十年前のデニスはできていたが?」
「できていたとお褒めくださり嬉しく存じます。ここまでお話させていただきました通り、私も両親も、村としても、私が王太子妃をお連れした町で尊い方とお会いし、王太子妃様が村にお帰りにならない選択をされるという考えがなかったからこそ、貴族の方々のお顔を拝見したこともない平民の子ども二人だけで、町へ出かけていたのでございます。」
王太子様は僕の話を一通りお聞きになった後、静かにしていたエレインを呼んだ。
「エレイン。私が聞くことに正直に答えなさい。」
「アーレンドルフ様は、私が正直じゃなかったとでも言うんですか?」
「エレインが住んでいた村と村人がおかしいのかと思えば、エレインが幼馴染だから連れて帰りたいと主張するデニスは、村から出ずに村長を続けたがり、エレインは他の村人と違っていると話している。エレインと他の村人との違いは、エレイン独自の解釈と思考に基づいた、エレイン自身の変わる気のなさ、自身が間違っていないという思い込みがそうさせているというのが、デニスの見解で、デニスの見解については、筋が通っている。」
僕は思わず目を見張った。
「アーレンドルフ様。デニスが私に詳しいのは、デニスが私の幼馴染だからです。」
「エレイン。デニスは、平民の村長の息子だと自分で繰り返していた。デニスの身の程のわきまえ方は、エレインと雲泥の差だと思わなかったか?」
「アーレンドルフ様。ひどいです。私は、王太子妃です。」
エレイン、君は僕と比べられたことが信じられないと言わんばかりに王太子様に訴えているけれど、少なくとも僕以外のもう一人の目にもそう映ったんだよ。
「今のエレインよりも、十年前、十二歳だったデニスの方がよっぽど好ましい対応をしていた。」
王太子様からお言葉をいただくだけでもありがたいと思わないといけない場面なのに、エレインのそれはないという態度が僕にだけあからさまだから、どう頑張っても喜ぶ態度を作れない。
「アーレンドルフ様は、私を連れて行ってくれたじゃないですか?どうして、デニスの方が良かっただなんて言うんですか。しかも、十年も経ってから。私とデニスの前で。」
ソロアと立てた作戦は、王太子様は手強いから王太子妃様を攻めて勝ち目を狙うはずだったんだけど、王太子様に問われて、身に覚えがない十年越しの疑いを晴らすことになっている。
エレインに僕を諦めさせるには、王太子様から、諦めなさいと言ってもらうのが、きっと確実。
「エレイン。その理由は、エレインが一番よく知っているはずだ。」
「分かりません、嘘を言わないでください。」
「十年前、エレインは、私を騙して私に近づいてきた。」
エレインが目を見張る。
「アーレンドルフ様。私は、アーレンドルフ様を騙していません。」
重たいと言って文句を言っていた袖の重さを忘れたかのように、王太子様へと伸ばしているエレインの手を王太子様はとらなかった。
「エレイン。十年前から、一人も騙していなかったのか?」
「騙していません。アーレンドルフ様、どうしちゃったんですか?どうして、私のことを疑い出したんですか?」
エレインは、もう僕を気にしていない。必死に王太子様を見ている。椅子ごと王太子様の椅子に近付こうとしたときに、椅子がギギギと音を立てた。
「エレインが、幼馴染の住む村に行き、幼馴染に会いにいきたいと言うから、私とエレインはエレインの生まれ育った村に来た。だが、エレインの育った村にも村人にも、何もおかしなことはなかった。」
王太子様は、椅子ごと近付こうとして近付けないでいるエレインを確かに見ているのに宥めない。
「アーレンドルフ様?」
エレインが焦ったような不安そうな声で呼んでも、王太子様はエレインの名前を呼ばない。エレインの顔は見ている王太子様の瞳には、一切の熱がない。優しさも、悲しみも、何も。
「村や村人は、エレインの知識に関係がない。人さらいを警戒する村は、他人の出入りに厳しいが、進んで出ていこうとする人間はどんな人間も止めない。望む者は、望むままに出て行かせることに抵抗もない。エレインが生まれ育ったのは、辺境伯の領地の中でも、貴族も通らないような村だ。」
王太子様の中で、村と村人への疑いは晴れたんだ。僕はホッとした。
村と村人への疑いが晴れた後に残るのは何かが分からない僕じゃない。
これから始まることに僕がいる意味はあるの?
王太子様と王太子妃様が話し合いをする場所ならともかく、王太子様が王太子妃様を尋問する場所は僕の家じゃなくてもいい、と考えてしまう。
早くお帰りになってほしい。
僕は、ソロアに会い行きたい。心配しながら首を長くして待ってくれているソロアに。
「エレイン。エレインが知っている知識は、どうやって得たものか、今、ここで、正直に話しなさい。エレインが知っていることを全部だ。」
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