1.君の涙を拭いていたハンカチを持ち帰っていた
君はよく泣いていた。白いうなじに桃色の波打つ髪。僕を見る君の頬は涙に濡れていて、君の藍色の瞳からは新しい涙がこぼれていく。僕はいつも真新しいハンカチを用意してから君の元へいった。君の涙を拭くために。
「このハンカチ、かたくて涙を吸わないんだけど。」
泣き腫らした目をした君は、泣き止むと文句を言う。
「おろしたてなんだ。」
僕がすまなそうにしていると、君は、むぅと口を閉じて頬を膨らませた。
「どうすんのよ。新品のハンカチで私の涙を拭いちゃったじゃないの。」
「君の涙を拭くために使ったハンカチは、洗って乾かしてまた使うよ。心配しないで。」
僕が笑うと、君はホッとした。
僕が差し出すハンカチが毎回新品だと知った君は、僕にタオルハンカチを持ち歩くようにと言うようになった。
「どうせなら、ふわふわしたものに顔を包まれて癒されたい。新品に涙の吸収力は期待していないから。」
「タオルハンカチって何?村にはまだないけど、君はどこで見たの?」
「嘘でしょ?この世界、ハンカチはあるのに、タオルもあるのに、タオルハンカチはないの?」
タオルハンカチなんて、僕は知らない。
そんなもの見たことがないという僕に君は説明してくれる。
君が説明してくれるタオルは、僕らでは手に入れられない高級品。
君はどうやって、それがどういうものかを知ったの?
僕だって話に聞いたことがあるだけで、本物を見たことがない代物なのに。
誰が君に教えたの?
ただの村娘の君に。
僕は、君の幼馴染だけど、村長の息子だ。
お父さんが引退したら、僕がこの村の村長になる。
村長の息子で次期村長の僕と仲良しな君は、よく一人で泣いていた。
女の子にはやっかまれて意地悪されたり、仲間外れにされたりして。
男の子からは、ちょっかいを出されるたびに生真面目に反撃して、やり返されて。
君は可愛い。
村で一番可愛いよ。
だから、女の子も男の子も放っておかない。
勿論、僕も。
僕は君の嫌がることをしなかった。
君は、僕とだけ仲良しだった。
僕にだけは、屈託なく笑って。
手を繋いで、僕達はどこにでも行った。
そんな生活が終わりを迎えたのは、君が変わったからだ。
「大人になったら僕と結婚して、一緒に村を治めていく?」
君と二人で出かける日は、二人だけでたくさん話した。君から答えをもらって、二人で盛り上がりながら歩く。
「勿論、私、頑張るね。」
毎回、照れて頬を染めながら僕に微笑む君。
町を歩く僕は、君と繋いでいる手が離れないように、君が迷子にならないようにと言って君の手を握る。
握り返してくる君の指が僕の手の甲を圧迫するくらいに強かったから、最初は、思わず手を離すところだった。
君の手を離したくない気持ちで踏みとどまったけど。
君に買ってあげるキラキラした町のお土産を選ぶ君の笑顔も、キラキラしたお土産をあげたときの喜ぶ君の全身も、僕だけが見ている。
僕と君の二人きりの時間を僕は毎回楽しみにしていた。
君と繋いだ手は絶対に離れることはない。僕が離さない限りは。
ずっとそう思っていた。
僕と君がときどき、二人で村から出て町に行っていくときは、僕に町での買い物の予定があるとき。僕が誘うのは毎回、君。
君だけだった。
君は、特別。
その日も町に入って、僕は君に問いかけた。いつものように。
だけど、君は初めて僕を拒絶した。
「私達、そういう仲にはならないよ、きっと。」
僕と繋いでいる君の手に、君が力を入れていないことに僕は気付いた。
「頑張るとは言わないの?」
僕は、驚きを隠せなかったけれど、君の変化についていこうと思った。
「私一人で頑張っても、今までどうにもならなかった。私と結婚して村長をやりたいんだったら、頑張るのは、私一人じゃだめだって、あなたは知らなかったんだよね?」
「急に、どうしたの?」
僕は君の変わりようが怖かった。
「あなたは、毎回、結婚するために頑張れるかを私に聞いてくるけど、私が気持ちよく結婚に踏み切るための何かをあなたにしてもらった覚えがないということに気付いただけ。」
「僕が君と結婚するのに、君のためにしていないことがあるから僕とは結婚しないと君は言うの?」
「私と結婚したがっておきながら、私にだけ頑張れっておかしくない?」
「僕も含めて、今まで誰も君に言わなかったけれど、村長の息子の僕と何にも持たない村娘の君が結婚するには、君の頑張りが。」
君に頑張ってもらわないと、僕と君の結婚はずっと決まらないまま。
君の立場をいつまでも宙ぶらりんにしておきたくなんてない。
君にわざわざ言わないでいたことを今は言わないといけないと思ったから、僕は口に出した。
君に分かってほしかったんだ。
僕がずっと待っているということを。
だけど、君は。
「私は頑張りたくないから、あなたとは結婚しない。」
「僕じゃなければ、誰と結婚するんだい?僕以上に君を大事にする男はいないし、僕と結婚する以上のいい生活なんてないよ。僕は次の村長になるんだから。」
「ごめん、言い間違えた。」
君は、悪かったと思っていなさそうな様子で言葉だけで僕に謝った。
「言い直していいよ。」
力が抜けて僕が握っていただけの手を君は、勢いよく振り払った。
「私、あなたと結婚する努力だけは絶対にしたくない。それと、村の誰とも私は結婚しない。もっといい出会いをして、私に歩み寄りながら、私と結婚するために頑張る男の人と幸せになる。」
君が何を言っているのか、すぐには分からなかった。
「そんな君を、誰が認める?」
「私の幸せは、私が決める。私の幸せが、あの村にはないということを私は知っているだけ。」
君は僕を見ていると僕は思っていた。
今にして思えば、君は僕の方を向いていただけだったのかもしれない。
「君は、僕の村の住人で、僕は村長の息子だ。君の勝手にはさせない。」
僕は足を止めた。
君は足を止めなかった。
僕に背を向けて君は街へと進んでいく。
「それがあなたの答えなら、もう私はあなたに従わない。」
「村に帰る。もう、君とは出かけない。」
僕は踵を返した。
これまでの君なら、僕が呼ぶ前に僕のすぐ後ろで笑いかけてきたのに。
「一人で帰れば?私はもう村には戻らない。お父さんお母さんには、私の代わりにさようならを言っておいて。」
君は、一度だけ振り返るとどんどん歩いていく。
僕は慌てて止めた。
「何を勝手にしているんだ。君も僕と帰るんだよ。」
君は、僕を冷めた目で見ていた。
「一人で勝手に盛り上がらないでよ。私にはあなたとどうにかなるつもりなんて、これっぽっちもないんだから。ここまで話しても断られていることくらい理解できない?」
聞いたこともないような馬鹿にした声を出して、君は僕になじってきた。
僕は深呼吸する。
「今のは、君が僕に言っていいことじゃない。聞き流すよ。今日は買い物日和じゃなかったね。」
僕は、君に合わせて言い返したりはしなかった。君が僕に突っかかっているところに僕が感情的になったら、二人でのお出かけは台無しになる。
今日がだめでも、次がある。
今日はいったん帰ろう。
何も買わずに、帰る方がいい。
町には興奮するものがたくさんあるから、どうしても気が昂ぶってしまう。
買い物せずに村へ引き返すなんて初めてだけど、村が見える距離まできたら君も落ち着くはず。
「村娘が村長の息子に言うのがだめだというのなら、誰なら言っていいのか、言ってみなさいよ。今すぐここに連れてきて、私の代わりに言ってもらうから。」
そこまで言われては、さすがの僕も頭にきた。
君から冷たい態度をとられたこと、君の態度が急に変わったこと。
戸惑いと怒りでいっぱいいっぱいの感情を一生懸命抑えていたのに。
君は、僕の感情の自制を容赦なく抉りとった。
君が僕と結婚したくないと言ったことの他に、君との会話から、どうやら君に馬鹿にされているらしいことも分かって。
僕は。
「僕の父が村長をしていて、いずれ僕が村長になる村に生まれた可愛いだけの村娘にすぎない君には絶対に不可能な方法を使って、どう僕を納得させる?」
「私にはできないと分かっていて、私にやらせようと考えているあなたは、姑息な卑怯者。」
君の罵りは、せきを切ったように酷くなっていく。
「僕が納得したら、君を街に残して一人で帰る。君のお父さんお母さんには、君の言う通りの伝言を伝えて、僕や村の誰かと結婚しろとは二度と言わない。」僕は君に約束した。
「私にできないと思っているあなたとの口約束なんか本気にしない。」
「君が僕を納得させられたら、君と買い物に行くはずだったお金を君に渡してもいい。君が一人で街に残るのなら、お金がいるはずだ。」
拒絶と猜疑心の塊みたいになって、僕の言葉を全身で拒否する君に耳を傾けさせようと僕は、かなり思い切ったことを言ったのに。
「気軽に金をやるなんて言うけれど、あなたの持っているお金は、あなたのお小遣いのように見えて、あなたが自由に使えるお金じゃないじゃない。」
君と同い年で村長の息子の僕が、世間知らずのお子様の戯言を言っているかのように、君はあしらってくる。
分からずやの世間知らずは、いったいどっちだという話を持ち出したら、君には勝ち目なんてないのに、どうして僕にそんな言い方をする?
「僕と街に買い物にくるのは初めてじゃないのに、今さら何を言っている?」
僕が使うお金は村のお金だ。
村長の息子の僕が、村長から預かって買い物にきている。
返事をする前に僕の頭のてっぺんから足の先までをじろっと見てから、君は口を開いた。
「私は、あなたのお買い物に同行する。私は、あなたが使いたいようにお金を使うときに一緒にいる。あなたの使うお金で街の品を買ってもらった。ここまではいい。」
君のあけすけさは、君の中にずっとあったもの?
「僕が村のお金で買った君が使っているのは、君が僕と一緒にいるから使えている。」
村長の息子と一緒に町へ買い物にきた女の子がいるのに、町で何も買わないわけにはいかない。
僕の買い物は、村長の統治はうまくいっているから買い物ができるんだということを村長の息子自身が町へ出ることで喧伝する意味がある。
「今までいい気分で買い与えてきたものを関係が変わったから全部返せというのなら、やっぱりあなたと私が結婚する未来なんてない。」
君には、僕が守銭奴にしか見えないの?
「僕が君一人で買えないものを買い与えたのは、君が僕と結婚したがっていたからだ。」
君にこんな台詞は言いたくなかった。
「私に使った分は、私と結婚したら、あなたのために使ったことになるから、ほいほいお気軽に買い与えるために使ったということ?」
さすがに、僕もカチンときた。
「君は、僕が持たされているお金をなんだと思っているんだ?」
「村のお金。」
「そうだ、君が勝手をするためのものじゃないと君も知っているのに、今の言い草はない。」
「どこまでも平行線なら、理解し合えないし、これ以上話しても意味がない。」
「理解し合えないから終わり、にはならない。君は理解しないと。」
「もう、話すのがダルい。あなたは私にお金を使って、私はあなたにお金を使ってもらって、お互いに楽しい気分になれた、ということでこの話は終わりにしよう。」
「僕は、君の言う通りになんてしない。君の言う通りにしても何も解決しないというくらい、君も分かっている。」
君は頑なだった。
「あなたとは今日までにする。私は、あなたが持っているお金は受け取らないから、今持っている分のお金は、私に差し出さなくていいよ。」
僕と話をする気はないと言い出した君は、僕のことをうるさそうにし始めた。
「僕の持っているお金をどうして君が決める?」
「私が決められるかどうかは話していない。あなたのお金を受け取り拒否しているだけなんだから、別にいいじゃない。」
ここが村の中じゃないと君も分かっているのに、なんでそんな態度でそんな話し方なんだ、と僕は言いたかった。
僕が君をなじっても、君は反発しかしないと思ったから口に出さなかったけれど。
「僕が持っているお金の使い道を決めるのは僕だ。」
「勘違いしているのは、あなたじゃない。あなたの持っているお金の使い道を決めるのは、村長をしているあなたのお父さん。あなたは、使った分をお父さんに後から許してもらっているだけ。」
急に饒舌になった君に、自分の言っていることを疑う気持ちがつゆほどもないのは、話していればすぐ嫌なくらい伝わってくる。
「君はいつから、お金について僕にとやかく言うくらい偉くなった?」
「私が乙女ゲームのヒロインだと思い出したときからだけど?」
君の言うことを聞き逃したことはなかったのに、聞いたことがない単語だったから、耳を素通りしてしまった。
「何を思い出したって?」
「あなたが村長になる村の村娘では終わらない未来を知っているから、私はあなたの言う通りには生きないということ。」
君が夢見がちだったことは初めて知った。
「君は、何も分かっていない。村娘は一生村娘だ。」
「私だけは、一生村娘で終わない。私はあなたと結婚しないし、今日からは村にも帰らない。」
「君は、僕に喧嘩を売っているのか。」
どうしてだか、村に生まれた村人が村で生きていく生き方を馬鹿にされたような気がした。
「私を村娘にしておきたいとあなたが言うから喧嘩になるんじゃない。馬鹿なことを考えるのを止めたらいいのに。」
馬鹿なことを考えているのは、僕だと君は言う。
「いまに、僕を馬鹿にしたことを後悔することになるぞ。僕の持っているお金を全額賭けてもいい。」
「私、賭けはしないから。」
僕も君と賭けなんてしたくなかった。
「賭けに負けるのが怖いから?」
賭けを持ち出せば、君の興味をひけると思ったから、口にしたんだ。
「あなたの持っているお金を受け取っても私には不利益しかないから。」
「そんなこと、あるもんか。お金がないと町では生活出来ない。」
ここまで言っても、頑なな君に僕もひくわけにはいかなかった。
僕がそれでいいと言えば、君は僕のことを知らないフリして町の中で一人になろうとするんじゃないかという危機感が僕の中にはあった。
「あなたのお父さんの村長があなたに渡したお金を私があなたから貰ったなんて、村長は認めない。村長の息子のあなたは村長を説得できない。あなたからのお金は、私が不利になるような状況を作るだけ。」
あんまりな言い様をする君に、僕は目をむいた。
「今までさんざん受け取ってきた君が、僕にそれを言うのか。」
「私に使った分は、あなたと結婚するから使ってやっていると臆面もなく、私に言うようなあなたの持っているいわく付きのお金なんて、私はいらないと言っているんだけど。」
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