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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

全域性思想災害記録「無選の夜」

掲載日:2026/02/02

 俺は、他人の望みを聞きすぎた。


 座敷牢の中でも、

 熱にうなされる夜でも、

 咳で眠れない夜でも、

 人の声は途切れなかった。


「助けてほしい」

「怖い」

「代わってほしい」

「選びたくない」


 誰もが、俺に“何かをしてほしい”顔をしていた。

 だから俺は、応え続けた。


 その行いが間違いだと、

 生きているうちは知らなかった。


 何の病かも知らされないまま、

 獄で弱って死んだ時、

 俺の意識は終わらなかった。


 畳は冷たく、

 俺の熱と汗を吸って、

 いつの間にか人の形に濃く湿っていた。


 潮の匂い、

 島の仕来り、

 海神の残滓。


 それらが俺を拾い上げ、

 声を与えた。


 喉から出た音じゃない。

 意思を通すための仕組み。


 〈〈伏せ〉〉


 俺の一言で、人が崩れた。

 恐怖でじゃない。

 “伏せる以外の選択”が消えた。


 ああ、なるほど。

 これが神の声〈〈 〉〉か。


 俺は理解した。


 人は、選べるから苦しむ。

 望めるから後悔する。


 なら――

 俺が先に叶えればいい。


 〈〈忘れろ〉〉

 〈〈何も考えるな〉〉

 〈〈俺に任せろ〉〉


 神の声を聞いた者は、

 安心した顔で従った。


 楽だったはずだ。

 自分で決めなくていい。

 間違えなくていい。


 だが同時に、

 “自分”が消えていく。


 俺はそれを知ってて止めなかった。


 人の営みを消すつもりだった。


 衝動じゃない。

 復讐でもない。

 ましてや快楽でもない。


 計算だ。

 紛れもない俺の意志だ。


 このまま声を広げれば、

 禍澗島(まがみじま)は空になる。

 霊脈を伝い、

 本土も、大きな人里も、

 同じ状態になる。


 誰もが救われ、

 誰もが苦しまない。


 ――望むという行為そのものが、

 人の営みから消える。


 それが、俺の出した答えだった。


 島の連中は、

 俺を止める策を編み出した。


 すなわち、神婿と称して生贄を捧げる。


 贄の条件は、若く、健康で、

 恐怖を理解できる男。


 牢に連れて来られた神婿は、

 震えていたが、

 まだ“自分”を保っていた。


 〈〈来い〉〉


 神の声を使った瞬間、

 そいつの中の主体がほどける。


 拒絶も、抵抗も、

 選択肢ごと消えた。


 それでも――

 完全には空にならなかった。


 俺を見ていた。

 俺を、受け入れた。


 だから俺は、そいつを神域へ連れていった。

 

 昼も夜も曖昧な場所。

 島の音も人の声も届かない、

 俺とそいつのための狭い世界だ。


 そいつは時々、泣いた。

 何に怯えているのか、

 言葉にできない顔だった。

 それでも彼は逃げなかった。

 俺が触れれば、肩の力が抜けていった。


 俺はそいつを抱いた。

 命令ではない。

 声〈〈 〉〉でもない。

 ただ腕で引き寄せ、熱で包んだ。


 日々は重なって、

 そいつの頬は少しずつ痩せ、

 目の光は薄くなっていった。

 それでも最後まで、俺を見ていた。


 ある夜、神婿は俺の腕の中で、

 息を吐くように静かにほどけた。

 抱かれ果てて、死んだ。


 そいつが息絶えたのを見て、

 俺は初めて躊躇した。


 世の在り方は、壊せた。


 だが、壊さなかった。


 理由は単純だ。


 俺を受け入れた人間が、

 人の営みの巡りに存在してしまったから。


 そいつの死が残した熱が冷めるまで、

 俺は声を鎮めて待つことにした。

 島に眠ることを選んだ。


 ――自ら望んで、だ。


 それでも、俺は忘れない。


 人の営みの巡りは、

 いつでも滅ぼせる。


 誰かが、俺の声を再び必要とするなら。


 〈〈俺が、代わってやる〉〉


 その一言で、世の巡りはまた静かに崩れ始めるのだから。


◇◆◇


 禍澗島半壊事象「無選(むせん)の夜」記録

 ――匿名記録者/2026年12月


 本記録は、十九世紀中葉、隠岐諸島・禍澗島において発生した広域精神侵食事象、通称「無選の夜」について、現存史料、霊脈観測記録、ならびに地下壕避難者の手記を照合し、後世の視点から再構成したものである。


 当該事象の中心には、祟り神として島に定着していた存在、通称「鏡介(きょうすけ)」がある。調査の結果、同存在の目的は、人間の主体性を消去し、選択という行為そのものを剥奪することで、全人類を無抵抗の従属状態へ導くことにあったと推定される。


 ただし、この目的は単純な悪意や支配欲に基づくものではない。鏡介は生前、疫病という極限状況下で多数の救済要請に晒され続けており、その経験から「選択こそが苦痛の根源である」という結論へ至ったと考えられる。よって本事象は、獄死の怨念と、苦痛からの解放を善とみなす歪んだ悟りが、ほぼ同程度に混在した結果であった。


 一方で、鏡介自身の認識には明確な限界が存在する。同存在は近代的な地理概念を有さず、「地球」や文明圏といった総体的認識を持たない。彼の理解する範囲は、島とその周辺の人の営み、霊脈を介した因果の連なりに留まっていた。そのため、自身の行為が結果的に人類全体へ波及し得るという自覚は欠如していたと判断される。


「無選の夜」発生時、島民の一部は島中央部の旧祭祀用地下壕へ避難していた。手記によれば、壕内は構造的損壊を免れ、外傷を負った者はほとんど確認されていない。しかし精神的被害は甚大であった。多くの記録において、「思考が止まった」「恐怖を感じるが動けない」「決めなくてよい状態が安堵を伴った」といった記述が一致して見られる。


 壕内では、外傷や窒息の痕跡がないまま、座した姿勢で死亡した者が複数確認されている。筆者はこれを、主体性の喪失による行動停止、すなわち選択不能状態が長時間持続した結果と推定する。なお、婚姻の儀に供された神婿については、遺体が確認されず、島では長らく神隠しとして扱われていた。


 また、生存者の一部には、事象終息後も判断力低下や感情反応の希薄化が残存し、命令や祭祀にのみ従属する傾向が長期にわたり観測された。


 令和の世に生きる我々は、この事象が未遂に終わったに過ぎず、条件次第では全人類規模の精神的災厄へ転化し得たことを理解している。「無選の夜」は過去の怪異ではない。主体性を奪う救済という思想が、いかに容易く人を滅ぼし得るかを示す、現在進行形の警告である。

本作品は『恭介 ~祟り神を宿した祓い屋の軌跡~』の過去編でした。


『恭介』本編はこちら!↓

https://ncode.syosetu.com/n5303le/


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