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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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第7話 翔夏子の“堂々とした嘘”

 夕食の鍋の残り香が、寮の廊下からゆっくり薄れていく。雪は昼より静かで、窓ガラスの向こうの白が、光を吸い取っていた。


  午後九時。図書館の丸テーブルには、毛布と湯気の立つマグカップと、翔夏子のホワイトボードが並ぶ。椅子を引く音が一番大きいのは、やっぱり翔夏子で、ギギッ、と鳴った瞬間、ノブヤが肩をすくめて笑った。


  「いまの、音だけで三点入るやつ?」


  「入らない。音は得点に関係ない」


  量大がすぐノートを開き、既に書いてあるルールの欄の下に、線を一本足した。誰も頼んでいないのに、細かい字で「音は得点外」と書き込んで、鉛筆の粉を指で払う。


  孝太郎は得点表の端を押さえ、ペン先を整えた。顔を上げると、春花がいつものように靴ひもを結び直している。結び目を少しずつ、同じ位置に揃えようとしているみたいだった。


  「……寒い?」


  孝太郎が聞くと、春花は首を振って、毛布の端を握り直した。握り直すだけで、答えになっている気がした。


  智香里はペンケースを開けて、色ペンを一本ずつ机に並べる。並べ終えたあと、やっと顔を上げて言った。


  「今日は、誰が話すの」


  伸篤が、マグの湯を少しだけ継ぎ足し、無言で孝太郎の前に置く。孝太郎は一度、礼を言いかけて、言葉を飲み込んで頷いた。伸篤は頷き返すだけで、手を引っ込めた。


  弥風は図書館の奥から、また分厚い年鑑を抱えて戻ってきた。雪に濡れた袖を、机の角で軽く叩いてから、ページをめくる。紙の擦れる音が、今夜の合図みたいに続いた。


  「ねえねえ。今日、私がいく」


  翔夏子が、ホワイトボードの前に立つ。ペンを持つ手が迷わない。孝太郎が「じゃあ、翔夏子」と言いかけるより先に、彼女は胸を張った。


  「私、時計塔に入ったことがある」


  丸テーブルの上の湯気が、いっせいに止まった気がした。誰も口にしていないのに、全員の頭の中で同じ言葉が鳴る。――そんなわけない。


  ノブヤがまず笑った。笑いながらも、マグを口に運ぶのが少し遅い。


  「はいはい。嘘、確定。得点、満点狙い?」


  翔夏子は「確定」と言われたことが面白かったのか、頬を少し持ち上げた。


  「確定って言い切るの、早いよ。嘘ひとつ、ほんとうひとつ、でしょ」


  孝太郎はペンを止めて、翔夏子を見た。堂々とした言い方が、嘘の形をしていない。嘘を嘘の顔で出してこないところが、いちばん厄介だと、孝太郎は思う。


  春花の視線が、テーブルの木目から、ゆっくり上がる。目が翔夏子に触れた瞬間、また指先が毛布の端を掴み直した。


  「じゃあ、話すね」


  翔夏子は椅子を蹴るみたいに引き、どさっと座った。足を組まず、両足を床につけて、まっすぐ前を見る。語る姿勢が、先に決まっている。


  「私がここに来たばかりの春。旧校舎の掃除当番でね、手袋を忘れて、手が冷たくてさ」


  その出だしは、妙に生活っぽかった。弥風が年鑑のページ端を指で押さえ、聞き逃さないようにする。量大は鉛筆を握り、いつでもメモできる形で待っている。


  「旧校舎の廊下って、足音が二人分になるときあるじゃん。私、一人なのに」


  智香里が眉を動かした。言葉は出さないが、反射的にツッコミが喉まで上がったのが見える。伸篤が、智香里のマグにそっと手を添え、落ちないように支えた。智香里はその手に気づいて、マグを持ち直す。


  翔夏子は続けた。


  「その足音が、時計塔のほうへ行くの。私、追いかけた。だって気になるじゃん。気になるっていうか、追いかけないと眠れないタイプだし」


  ノブヤが「自覚あるの助かる」と小さく言い、笑いが一度だけ起きる。孝太郎はその笑いの位置を覚えて、点数表には書かない代わりに、空気が緩んだことだけ胸に置いた。


  「時計塔の扉の前に立ったら、誰もいないのに、鍵穴のあたりが青く光った。で、私は――」


  翔夏子はそこで、わざと一拍置いた。置いても、誰も先に言葉を挟めない。あまりにも真っすぐに見られると、冗談の入り口を探す時間がなくなる。


  「……入った」


  言い切って、翔夏子は笑わなかった。笑わないことが、逆に笑いを遠ざける。ノブヤの口が開きかけて、閉じた。


  孝太郎はペンを動かしながら、心の中で「どこが嘘だ」と考えていた。入った、が嘘なのか。青く光った、が嘘なのか。足音が二人分、が嘘なのか。嘘が多いほど得点が低いのに、翔夏子は得点のために話していない顔をしている。


  春花が、ほとんど聞こえない声で言った。


  「……青い粉」


  翔夏子が春花のほうを見る。春花は目を逸らさず、けれど言葉の続きを出さない。言いかけたまま、喉の奥で止める。孝太郎はその止め方が、怖さの形だと気づく。


  翔夏子は頷いて、話を畳んだ。


  「そう。鍵穴の周りに、粉みたいなのが付いてた。触ると指に残る。青くて、冷たくて、でも、嫌じゃない。――これ、私の話の“ほんとう”」


  翔夏子はペンで机を軽く叩いた。


  「で、“嘘”は……入ったことがある、ってとこ。私は入ってない。入れなかった。鍵穴があっても、鍵がない。だから――」


  翔夏子は、孝太郎のノートを見た。得点表じゃなく、その横の孝太郎の手元を見る。集計している手を、じっと見てから言った。


  「勝つ人が鍵穴に挑めるって噂、あれ、ほんとにあるなら、勝った人、連れてって。私、先頭歩くから」


  その言い方が、点数より重かった。孝太郎は一度、翔夏子の言葉を口の中で復唱してから、声に出した。


  「連れてって、か。……分かった」


  量大がすぐにノートを開き直し、「明日、旧校舎へ行く」と一行目に書いた。二行目に「懐中電灯」「手袋」「滑り止め」と続く。書く手が速い。


  弥風が年鑑を閉じ、表紙を撫でた。撫でる指が、青い欠片を探すみたいに慎重だった。


  智香里は口をへの字にしたまま、最後に言った。


  「危なかったら、引き返す。先頭が走っても、後ろは走らない」


  翔夏子が「了解」と返す。その返事だけは、やたら素直だった。


  翌日の午後、雪は少しだけ軽くなっていた。踏むと、きゅっ、と鳴る。八人は寮の裏口から出て、旧校舎へ続く道を歩く。ノブヤが先に足跡を付けては、振り返って皆の歩幅を揃える。揃えるくせに、危なそうなところだけは自分が先に踏む。


  春花は三歩に一回、足元を見て、靴ひもを確かめる。確認して、また歩く。孝太郎は春花の横に立ち、歩く速さだけ同じにした。言葉は増やさない。


  旧校舎の扉を押すと、昨日までの食堂の匂いとは違う、冷えた木の匂いがした。廊下の板が、ぎし、と鳴る。翔夏子が振り返り、指を一本立てた。


  「静かに。ここ、音が増える」


  それは、昨夜の話の続きを、現実に重ねる言い方だった。誰も笑えなくなる前に、ノブヤが小声で言った。


  「じゃあ俺、音少なめで歩くわ。存在感も少なめで」


  「無理」


  智香里の返事が即答で、皆の口元が少しだけ緩む。伸篤がそのタイミングで、春花に手袋を差し出した。春花は受け取って、指を入れる前に一瞬だけ止まった。手袋の内側が温かい。誰かが先に温めたみたいだった。


  時計塔の扉は、廊下の突き当たりにあった。古い金具が、光を鈍く返している。翔夏子が先頭で歩き、そこで、ぴたりと止まった。昨日までの勢いが、扉の前でだけ消える。


  「……これ」


  翔夏子が指を伸ばす。鍵穴の周りに、確かに薄い青がある。粉というより、擦った青鉛筆の粉みたいに、木目の溝に溜まっていた。


  翔夏子は指先で、そっと触れた。離した指に、青い粉が付く。指を擦ると、微かにキラッと光って、すぐ消えた。


  春花が小さく息を吸った。


  「触らないほうがいい」


  根拠は言わない。言えない。春花の目は鍵穴から外れないのに、足だけが半歩引く。孝太郎はその半歩の意味を、言葉にせず受け取った。


  「翔夏子。手、洗おう。いったん」


  孝太郎が言うと、翔夏子は「うん」と返して、指を握り込む。握り込むことで、青い粉を隠すみたいだった。


  量大はすぐにハンカチを差し出した。弥風は扉の金具の形を目で追い、「この鍵穴、普通の鍵じゃない」と口に出す。伸篤は誰より近くで扉を見て、誰より静かに後ろへ一歩下がり、皆が詰めすぎないように場所を作った。


  ノブヤが喉を鳴らして、わざと明るい声を出した。


  「よし。青い粉、確認。じゃあ次は――“鍵”、探す?」


  その最後の言葉のせいで、空気がまた少し硬くなる。勝つ人が挑む、という噂が、ただの噂じゃなくなる。


  孝太郎は、得点表を持っていないのに、胸の中で数字を数えた。誰が勝つかより、誰が誰に渡したい言葉を抱えているか。そのほうが、今は気になってしまう。


  扉の向こうは、まだ閉じたまま。青い粉だけが、指と記憶に残る。


  春花は手袋の指をぎゅっと握り、扉から目を離さずに、ぽつりと言った。


  「……私、ここ、来たことある気がする」


  誰も、その言葉を笑いにしなかった。



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