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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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第5話 量大の“改善ノート”が爆笑を呼ぶ

 翌朝、寮の玄関扉を開けた瞬間、白が口の中に入りそうな勢いで押し寄せた。雪というより、空気ごと詰め込まれた綿だ。昨夜、図書館で「明日、朝」と言った量大の声が、玄関の冷気の中で現実になっている。


  「……埋まってる」


  ノブヤが、扉の縁に手を当てたまま固まった。取っ手の金属が冷たすぎて、指が離れないみたいな顔だ。


  翔夏子は一歩前に出て、雪の壁に拳を当てる。ぼふ、と情けない音がして、雪だけが勝った。


  「これ、どうやって出るの? 突撃?」


  「突撃は負けるやつだ」


  智香里が即答した。否定の速さに、孝太郎は思わず笑う。笑いながらも、靴の先で雪の高さを測った。腰のあたりまである。


  弥風は扉の脇の掲示を見上げ、指先で文字をなぞった。


  「用具庫、裏の通路にある。スコップ、そこ」


  「裏って、どこ?」


  春花が小さく言った。声の先が宙で迷う。廊下の匂いを確かめるみたいに、彼女の視線が左右に揺れた。


  伸篤が何も言わず、春花の足元に長靴をそっと置いた。新品のタグが付いたままだ。孝太郎が目で礼を言うと、伸篤は肩をすくめるだけで、廊下の角へ歩いていく。


  量大は玄関の壁に背をつけ、ノートを胸の前で抱えた。開こうとして、やめて、もう一度開こうとして、またやめる。ノートの角がすでに白くなっている。


  「……とりあえず、道を作ろう。先生が来られるように」


  孝太郎が言うと、量大が頷いた。その頷きは、返事より先に手順を探している。


  裏の通路は風が強く、雪がまっすぐ横に飛んでいた。用具庫の扉は半分埋まり、鍵穴に雪が詰まっていた。孝太郎が手袋の指で雪を掻き出すと、量大が横から別の手袋を差し出した。古いのに、手首のゴムだけ新しい。


  「これ、指先、滑らないやつ。……あの、俺、改善した」


  言いながら、量大は目を逸らした。孝太郎は「助かる」とだけ言って手袋を受け取る。余計に言うと、量大はノートごと逃げそうだ。


  雪かきは、最初の五分がいちばん静かだった。スコップが雪に刺さり、息が白くなり、足が沈む。誰も冗談を言えない。笑うと、口の中まで凍りそうだ。


  「……あ、ちょっと待って」


  量大が声を出し、みんなが手を止めた。止めたことで、呼吸だけがやけに大きく聞こえる。量大はノートを開き、ページを一枚だけ見せた。そこには矢印と番号がびっしりだ。文字の間隔が揃いすぎて、逆に怖い。


  「一列で掘ると、戻る。二人一組で、先に『溝』作って、そこに雪を落とす。……あと、雪を持ち上げない。押す。押すと、腰が死なない」


  智香里がスコップを持ったまま、量大のノートを覗き込む。


  「腰が死ぬって言い方、やめろ」


  「でも、ほんとう。去年、俺、死んだ」


  「生きてるだろ」


  智香里が真顔で言い返し、ノブヤが噴き出した。


  「智香里のツッコミ、雪より固い!」


  翔夏子が「固いのは褒め言葉!」と勝手に認定し、弥風が「固い氷は滑る」と冷静に付け足す。笑いがひとつ出る、雪は減らない。孝太郎は笑いを飲み込み、手を叩いて区切った。


  「じゃあ、量大方式でやってみよう。翔夏子、前。ノブヤ、後ろで雪運び。弥風、転んだ人の回収。……春花は無理しないで、溝の縁だけでいい」


  春花は返事の代わりに頷き、スコップの柄をぎゅっと握った。握りすぎて、指の形が見えるくらいだ。孝太郎はそれに気づいたふりをせず、溝の位置を指で示した。


  量大の手順は、笑えるほど合理的だった。二人が溝を掘り、二人が雪を押し、残りがその雪をさらに遠くへ滑らせる。動きが噛み合うと、雪の壁が少しずつ後退していく。白い敵が、無口に負けていく。


  春花は最初、溝の縁だけをちょんちょんと削っていた。けれど、溝の形が見えてくると、彼女の手が止まらなくなった。雪を押すたび、肩が小さく上下する。息は荒いのに、目が前を見ている。


  伸篤がいつの間にか横に立ち、春花のスコップの先を少しだけ変えた。角度が変わると、雪が抵抗をやめて滑った。春花は一瞬、驚いた顔をして、すぐに頷いた。言葉はない。雪の塊が遠くへ流れるのが、返事になる。


  玄関前に、一本の道ができた。幅は二人分。広くないのに、胸が広くなる。孝太郎はスコップを地面に立て、息を整えた。自分の吐く白が、少しだけ温かく見える。


  「量大、これ……すごいな」


  ノブヤが素直に言った。言ったあと、照れたのか、雪を無駄に蹴った。雪が飛び、翔夏子のコートに当たる。


  「ちょ、ノブヤ! 私の黒、白にする気?」


  「黒は白に負けるって、今学んだ」


  「学ぶな、そこ!」


  笑いが続く中で、智香里だけが量大に向き直った。雪で濡れた前髪を指で払って、まっすぐ言う。


  「助かった。……昨日の夜、言わなかったけど、ほんとに助かった」


  量大はノートを胸に抱え直し、視線を地面へ落とした。雪の上に、靴跡がいくつも重なっている。誰の足跡が誰のものか分からないのに、同じ方向へ伸びている。


  「……別に。俺、点数、要らない」


  小さく言ってから、量大は慌てて付け足した。


  「いや、要る。要るけど。……これ、点数じゃない。雪が邪魔だから、直しただけ」


  弥風が口角だけで笑い、翔夏子が「それが一番かっこいいやつ!」と言いかけて、孝太郎に睨まれて飲み込んだ。量大が逃げる前に、孝太郎はわざと軽い調子に戻す。


  「じゃあ、今夜の図書館。量大が語り手だね。雪の話、嘘ひとつ、ほんとうひとつで」


  量大が目を丸くした。


  「え。俺、雪、もういい」


  「嘘が混ざると、雪じゃなくなる」


  弥風が言い、ノブヤが「じゃあ俺も混ざる!」と手を挙げる。智香里がその手をスコップで叩き落とし、「混ざるな」と言って全員が笑った。


  夜九時。図書館の丸テーブルは、昼の疲れを引きずった肩を受け止めるみたいに、いつもより丸く見えた。ストーブの前に長靴が並び、湿った匂いが紙の匂いに混ざる。


  翔夏子がホワイトボードに得点表を書き、ペンのキャップを歯で噛んで「よし!」とだけ言った。孝太郎はそれを見て、噛むな、と言いそうになってやめた。言うと、翔夏子は余計に噛む。


  量大が咳払いをして、ノートを開く。ページの角が、朝より少しだけ柔らかい。


  「じゃあ……俺の話。『雪かきは、前日に負けたやつがやる』っていう、深蒼学園の伝統がある」


  「ない」


  智香里が即答した。即答しすぎて、孝太郎は笑いを堪えきれなかった。


  量大はノートを見下ろしながら、続ける。


  「ある。……あるってことにする。理由は、負けたやつが、次の日、勝てるように改善するから。だから、負けは損じゃない」


  「嘘の部分、そこじゃないだろ」


  ノブヤが言い、翔夏子が「待って、私、今の、ちょっと刺さった」と自分の胸を押さえる。弥風が「刺さったなら、抜け」と淡々と言うと、翔夏子が「抜けないの!」と叫んだ。


  量大は笑いそうになって、口を引き結んだ。笑うと話が崩れる。けれど、崩れた方が、この場は息がしやすい。孝太郎はそれを知っているから、わざと質問を投げた。


  「で、量大。ほんとうはどこ?」


  量大はノートの端を指で押さえ、ページをめくらずに言った。


  「……ほんとうは、俺、負けるの嫌い。負けると、頭が熱くなる。でも、熱いまま寝ると、次の日、もっと失敗する。だから、ノートに書く。書いて、閉じる。閉じたら、寝る」


  言い終えた瞬間、図書館の空気が一拍だけ止まった。笑いの隙間に、ほんとうが落ちた音がする。


  春花が小さく息を吸い、指先で自分の袖口をつまんだ。昨夜より、つまむ力が少しだけ弱い。


  「……じゃあ、嘘は?」


  孝太郎が聞くと、量大はノートの表紙を軽く叩いた。


  「伝統。そんなの、ない。俺が勝手に作った」


  智香里が頷いた。


  「作ったなら、続けろ。明日も雪、来る」


  「来ないでほしい」


  ノブヤが天井を見上げて祈ると、翔夏子が「来たら来たで、点数付けよ!」と言い、孝太郎と弥風が同時に「付けない」と言った。笑いが戻る。笑いの戻り方が、朝より自然だ。


  帰り際、量大はノートを閉じた。閉じ方が、朝より静かだった。


  春花がその横を通りすぎるとき、足を止めた。言葉が出ない代わりに、ポケットから小さなカイロを取り出し、量大のノートの上にそっと置いた。温かいものと冷たい紙が重なる。


  量大は驚いて、春花の顔を見た。春花は目を合わせず、廊下の先を見たまま、たった一言だけ落とした。


  「……指、冷えるから」


  それだけで、量大はノートを抱え直し、頷いた。照れて、すぐ背中を向ける。背中が、いつもより少しだけ軽い。


  図書館の窓の外。雪の向こうに時計塔が立つ。窓は暗いままなのに、孝太郎は一瞬だけ、青い線が見えた気がした。

  見えたのが嘘でも、見たと思ったことは、明日の手順になる。



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