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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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第4話 弥風、校史の端に青い線

 翌日の昼、食堂の窓は雪で半分まで埋まっていた。外に出た足跡は、夜のうちにまた薄く消されている。かき回したいのに、かき回せない白さが、窓の向こうで黙っていた。


  「これ、もしかして……帰れないまま、お正月もここ?」


  翔夏子が湯気の立つ味噌汁に顔を近づけ、あたたかさで前髪を揺らしながら言った。言い終える前に、箸が進む。口が先で、腹が後。だけど腹はいつも裏切らない。


  「それはそれで、寮の食堂が元旦メニューになるかどうかが気になる」


  ノブヤが小声で言い、智香里が一拍置いてから「心配するところが違う」と返す。その返しが鋭いのに、彼女は味噌汁の具のわかめだけ丁寧に拾って食べていた。


  孝太郎はテーブルの端で、担任から来た連絡をもう一度読み直していた。「復旧の見込み、未定」。未定の四文字が、雪より冷たい。


  春花はパンをちぎっては口に運び、ちぎっては止めた。耳の部分を指先で揉む癖が、昨日より増えている。食堂の匂いは慣れたのに、慣れたことで別の不安が出てきた顔をしていた。


  「……夜、またやるの?」


  春花が、孝太郎ではなく丸テーブルのほうを見ながら言った。言葉の矛先が、誰かを刺さないように端だけを丸めたみたいな声だった。


  「やる。やらないと、点数表が寂しがる」


  孝太郎が冗談に寄せると、量大が即座に「点数表に感情はない」と言い、伸篤が静かに笑った。笑い声は出さず、目尻だけが少しだけ動く。春花はその動きを見て、ふっと肩の力を抜いた。


  その日の放課後の時間は、いつもなら帰省の荷造りで騒がしい。けれど廊下には、引きずるスーツケースの音がない。代わりに、暖房の送風が低い唸り声を出すだけだった。


  夜九時。図書館の丸テーブルには、昨日よりも早く八人が揃っていた。理由は単純だ。昨日の「青い一瞬」が、誰の心にも引っかかっている。引っかかりを笑いで包むために、笑いの場へ戻ってきた。


  弥風が、両腕で抱えるほど分厚い本を抱えて現れた。背表紙の金文字はすり減り、布の表面はところどころ毛羽立っている。重さのせいで歩幅が小さくなり、椅子の脚に軽くぶつかって「ごめん」と言う。言いながら、もう一度ぶつからないように椅子を自分でずらす。


  「持ってきた! これ!」


  机に置かれた瞬間、木が「どん」と鳴った。量大が反射で両手を添え、机の揺れを止める。


  「図書館の本を叩くな、とは言わないけど……これは、何」


  智香里が表紙の文字を読んで、眉をひそめた。


  「『深蒼学園 校史 創立百年記念』。……こんなの、ここにあったんだ」


  「奥の、鍵のかかった棚の隣の隣。鍵はかかってないのに、誰も触らない棚。埃が、ここだけ別の匂いしてた」


  弥風は嬉しそうに言いながら、指で埃を払うふりをして、自分の指先の色を確認している。黒くならないと納得しないみたいな顔だった。


  翔夏子が身を乗り出した。


  「ねえ、それで? 今日の語り手、弥風? 嘘ひとつ、ほんとうひとつ、混ぜてくれる?」


  弥風はうなずいて、ページをめくった。紙の擦れる音が、図書館の静けさをちょうどいい大きさで切る。


  「じゃあ、話すね。……深蒼学園の時計塔。あれ、元々は『海の見える丘に建つ予定』だったんだって」


  「海、見えないよ。山しか見えない」


  ノブヤが即突っ込みを入れ、翔夏子が「たしかに」と頷く。弥風は動じず、指で文章の行をなぞった。


  「うん。ここが嘘かもしれない。……でも、こっちはほんとう。時計塔の写真、校史の中で一枚だけ、切り取られてる」


  弥風が開いたページには、古いモノクロ写真が貼られていた。寮の前で整列する生徒たち。背後にあるはずの時計塔は、塔の部分だけが不自然に欠けている。紙が一度剥がされ、また貼られた跡。写真の角が、ほんの少し浮いている。


  「切り取るって、誰が? なんでそんな面倒なことするの」


  量大が写真の端を見つめ、指を伸ばしかけて止めた。伸ばした指先が、空中で迷子になったまま引っ込む。


  「ねえ、ここ。ほら」


  弥風は写真の右下を指差した。欠けた部分の縁に、薄い青がにじんでいる。インクの汚れみたいに見えるのに、青だけが妙に深い。


  春花の指先が、無意識に自分の袖口を掴んだ。布を掴む力が増し、指の関節が白くなる。


  「……あそこ、触らないほうがいい」


  春花が言った。理由は続かない。声だけが先に出て、説明が追いつかない。みんなの視線が春花に集まる。春花は一瞬だけ目を伏せ、次に青いにじみを見たまま動かなくなった。


  「春花、何か見たの?」


  翔夏子が、いつもの勢いを少しだけ落として尋ねた。勢いを落としたぶん、言葉がちゃんと相手に届く。


  春花は唇を開いて、閉じた。開いて、閉じた。三回目でようやく出た声は、雪が落ちる音みたいに小さい。


  「……昨日の、青い一瞬。あれ、ここにいる。気がする」


  「気がする、は、嘘かほんとうかの中間だな」


  ノブヤが笑いに変えようとして言い、智香里が即座に「今それは必要?」と目だけで刺した。ノブヤは両手を上げて降参の形を作る。


  孝太郎は、春花の言葉を否定しないように、軽い調子のまま選んだ。


  「触らない、で行こう。春花がそう言うなら、今日はそれが正解。……弥風、続き、読める?」


  弥風は一度だけ春花を見て、すぐページに視線を戻した。春花が責められないように、話を前に進める。


  「うん。校史の文章には、時計塔の改修記録がある。昭和の途中で、塔の窓が割れて、ガラスの色を変えた、って書いてある」


  「色、変えたって……青?」


  量大が言い、弥風は首を横に振った。


  「記録には『深い色』ってだけ。でね、ここ。改修の後の写真が貼ってあるんだけど……」


  ページをめくると、同じ位置から撮られた写真があった。今度は時計塔が写っている。塔の窓は小さく、ガラスの色までは分からない。けれど、窓の輪郭の周りに、やっぱり薄い青の線がある。鉛筆でなぞったみたいに、細く。


  「……線、だ」


  孝太郎は思わず呟いた。昨日の「灯った青」と、紙の上の「にじんだ青」。同じ青に見えるのに、触れたら別物になりそうな怖さがある。


  翔夏子が、ホワイトボードの前に立った。いつもの得点表ではなく、今日は「青い線」とだけ大きく書いた。字が大きいのに、線が細い。


  「ねえ。今日の弥風の話、嘘はどこ? ほんとうはどこ? ……海が見える丘、は嘘っぽいけど」


  弥風は口角を上げて、ペンを借りた。


  「当てていいよ。……でもね、嘘って、全部が嘘じゃない。ほんとうも、全部がほんとうじゃない。だから当てづらい」


  「ズルい」


  智香里が言った。言いながらも、校史のページを読む目は真剣だ。


  孝太郎は笑って、「ズルいのが祭り」と返した。声に出した笑いの裏で、心の中に小さなメモ帳を開く。

  ――写真の切り取り。青いにじみ。改修記録の曖昧な言葉。春花の「触らない」。


  最後に弥風は、写真の欠けた部分に紙をそっと当てた。触れないように、空気の上に置くみたいに。


  「切り取られたところ。そこに何があったんだろうね」


  誰も答えない。答えないまま、八人の呼吸だけが揃う。


  その沈黙を壊すように、ノブヤが小さく咳払いをした。


  「……とりあえず、明日。雪がもう少し落ち着いたら、外の雪、どうする? 玄関、埋まるぞ」


  「うん。明日、朝。雪、片付ける」


  量大が即答し、椅子の脚が床をきゅっと鳴った。言い終えたあと、彼は自分のノートを取り出し、ページを開きかけて、閉じた。


  孝太郎はその仕草を見て、また笑ってしまった。笑ったことで、春花の袖口を掴む指が少しだけ緩む。


  図書館の窓の外。時計塔の影が雪に溶け、輪郭だけが残る。

  その輪郭の上で、誰にも見せない速度で、青が一瞬だけ息をした。



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