表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/40

第37話 時計塔へ、言葉を持って行く

 廊下の冷えが靴底から上がってきて、春花は紙片の束を胸に押しつけた。時計塔は旧校舎の端に立っていて、寄宿舎から見上げると、雪の重みを肩で受け止めているみたいに黙っている。


  一月六日の夜九時過ぎ。図書館の灯りを背に、八人は息を揃えないまま歩き出した。揃えようとすると、誰かが転ぶ気がする。ノブヤが先に一歩踏み出し、足を止めて、床を指で叩いた。

  「ここ、さっき拭いたのに……また凍ってる」

  言い方は軽いのに、しゃがんだ膝が濡れるのを気にしていない。量大が横で、雑巾代わりに持っていたタオルを差し出す。差し出し方が短い。押しつける気はない、という距離だ。

  ノブヤは受け取って、タオルを自分の肩に掛けた。

  「いや、それ、後で首が冷えるやつ」

  受け取ったくせに返さない。そういうところが、今夜は助かる。


  伸篤が廊下の窓を少しだけ開け、外気を嗅いだ。白い息が一瞬で散る。

  「風、北。粉雪が舞ってる。足元、気をつけろ」

  言い終わる前に、翔夏子が手袋をはめ直した。指先が忙しい。忙しいのに、皆の歩幅を見ている。弥風は年鑑を抱えたまま、時計塔の方角に視線を刺してから、視線を外した。


  時計塔へ続く渡り廊下は、途中で屋根が途切れる。そこから先は、雪が容赦なく降り積もっていた。孝太郎は、春花の隣を歩きながら、わざと足音を大きくした。音があると、沈黙が怖くなりにくい。

  「紙、重い?」

  春花は首を横に振り、すぐに縦に振った。重さの種類が違う。

  「紙は軽い。……でも、私、抱えるの下手」

  「抱え方は、練習すれば上手くなる」

  孝太郎がそう言うと、春花は紙片の角を指で整えた。整えるほど、決意が揃う。


  屋根のない区間に入った瞬間、ノブヤが「うわっ」と声を上げた。頭の上に、雪がどさっと落ちてきたのだ。翔夏子が顔を背ける。笑いを堪えるときの肩の揺れ方だ。

  「誰だよ、屋根の上で雪玉作ってたの!」

  「自然」

  弥風が一言だけ返した。返し方が淡々としているのに、口元がわずかに上がっている。ノブヤが「自然なら仕方ない」と納得してしまい、智香里が小さく吹き出した。吹き出したあと、すぐに口元を押さえた。その手のひらが震えている。


  時計塔の扉は、思っていたより低い位置に鍵穴があった。古い木の板に鉄の帯が打ち付けられ、鍵穴の周りだけ、金属が磨かれている。誰かが触ってきた痕跡だ。孝太郎は息を吐き、肩をすくめた。

  「得点一位が挑む、って噂。……鍵穴の高さ、挑戦する人の心を折る気ない?」

  量大が腰を落とし、目線を鍵穴と同じ高さに合わせた。

  「折る気なら、もっと低い」

  「そこは競わないで」

  ノブヤが即座に突っ込み、場の空気がほんの少し柔らかくなる。


  春花は鍵の欠片を持っていない。誰も持っていない。けれど春花は、紙片の束を両手で持ち替え、扉の前に立った。雪が肩に積もり、すぐに溶けて濡れる。それでも手は震えない。震えを隠すために、紙を握りしめている。

  「読むね」

  言い方が、お願いではなく、確認だった。孝太郎が短く頷く。伸篤が懐中電灯を低く構え、眩しさが紙に反射しない角度を探した。翔夏子が一歩後ろへ下がり、全員が紙の文字を邪魔しない位置に立つ。そうやって、春花の声が届く通り道を作る。


  春花は一枚目を開いた。紙は、図書館で切りそろえたときより少し湿っている。湿り気が、今夜の現実感を増やす。

  「……量大。『明日も点検をする。だけど、君の顔色も点検する』」

  量大が咳払いを一回だけして、視線を逸らした。逸らした先で、雪を踏みしめる。踏みしめた音が、「受け取った」の返事みたいに響く。


  春花は二枚目を読んだ。

  「弥風。『知ってることを語るより、知らないって言うほうが近づける日がある』」

  弥風は年鑑の背表紙を撫でる指を止め、紙の端を見た。見たあと、息を吐いた。吐いた息が白く、扉の鉄に触れて消えた。


  三枚目。

  「ノブヤ。『笑わせるの、上手。だけど今日は、笑わせなくていい。黙って隣にいてくれたの、助かった』」

  ノブヤは両手を上げて降参の形を作り、すぐに手を下ろした。大げさにすると台無しになることが、今夜は分かっている。


  四枚目。

  「翔夏子。『前に出るとき、私の後ろも見てた。だから私も、君の後ろを見てる』」

  翔夏子は頬に落ちた雪を手袋の甲で払った。その動きが、涙を隠すみたいに見えて、でも、目は乾いている。乾いたまま、唇だけが一度、噛まれた。


  五枚目。

  「伸篤。『『大丈夫』を言う前に、『寒い』って言っていいって教えてくれた』」

  伸篤は懐中電灯のスイッチを一度切り、また点けた。明滅が一回。言葉の代わりの合図だ。


  六枚目。

  「智香里。『揃えた紙の端みたいに、揃えなくても、心は崩れない』」

  智香里の指が自分のカップを持つ癖の形を空に作り、握りしめた。握りしめた手が、少しだけほどける。


  七枚目。

  「孝太郎。『迷ったって言えるの、強い。……私、今夜は言える』」

  孝太郎は、肩で息を吸った。笑う準備みたいに。けれど笑わず、春花の声の続きを待った。


  最後の一枚。春花は、自分の名前が書かれた紙を開く前に、一度だけ空を見上げた。時計塔の窓は暗い。けれど、暗いからこそ、見えるものがある。

  「春花。『道を間違えても、戻れる。戻るって言えば、誰かが一緒に歩く』」

  読み終えた瞬間、春花は紙片の束を胸に当てた。胸の奥で、何かが落ち着く音がした気がした。


  そのとき、鍵穴の周りの金属が、ほんのわずかに青く滲んだ。孝太郎が目を凝らすより早く、鍵穴の内側から、さらさらと粉が落ちてくる。雪ではない。鉄の冷たさに触れても溶けない、乾いた粉だ。

  「え、粉?」

  ノブヤが小声で言い、すぐに自分の口を押さえた。笑いに変えたくなるのを、堪えたのだ。


  粉は、鍵穴の下に小さな山を作り、風で少し舞って、雪に混ざった。青い粉は雪に沈み、白の中に細い青い筋を残す。弥風が膝をつき、指先で触れない距離から見た。

  「……塗料じゃない。石の粉、みたい」

  量大が頷き、伸篤が懐中電灯を斜めに当てる。光の筋の中で、粉は深い青に見えたり、灰色に見えたりした。


  扉は、まだ開かない。けれど、鍵穴の縁にこびりついていた青い膜が、少し剥がれている。孝太郎は笑ってしまいそうになり、唇を噛んだ。

  「鍵、いらないのかよ」

  言い方が文句なのに、声が明るい。春花は頷き、扉の木目に手のひらを当てた。冷たい。冷たいのに、逃げない。

  「……言葉、持ってきてよかった」

  その一言で、八人の肩から、見えない荷物が一つ降りた。


  翔夏子が一歩前へ出て、扉の前に立つ春花の横に並んだ。並んだあと、少しだけ距離を空ける。春花が自分で立っていることを、守るための距離だ。

  ノブヤは、青い筋の上にわざと足を置かないように、変な歩き方で後ろへ下がった。智香里がその歩き方を見て、声を出さずに笑う。笑って、涙を一滴だけ落とし、すぐに袖で拭いた。


  孝太郎は、春花の手元の紙片を見ずに言った。

  「次、どうする」

  春花は扉に当てた手を離さず、答えた。

  「……もう一回、読む。今度は、渡す相手を思い浮かべて」

  弥風が年鑑を開き、創立者の写真のページを指で押さえた。伸篤が懐中電灯を構え直す。量大が周囲の足跡を踏み固め、滑らない足場を作る。ノブヤが息を吸って、吐いて、余計な冗談をしまい込む。智香里が紙の端を揃えるのをやめ、翔夏子が先に「うん」と言った。


  時計塔は黙ったまま、青い粉だけを落とし続ける。まるで、聞いている、と言うみたいに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ