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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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第32話 “嘘の実話”が最後に残すもの

 一月五日の夜九時、旧校舎の図書館は、昼に吸い込んだ冷えをまだ吐ききれていなかった。丸テーブルの上に置かれたポットの湯気だけが、白く細く、天井へ逃げていく。

  八人は手袋を外しきれず、指先のままカップを抱えていた。布包みの青い欠片は、弥風が何度も位置を直したせいで、テーブルの中心から少しだけずれている。


  孝太郎が得点表のノートを、そっと閉じた。

  「今夜はさ。点数、なしにしない?」

  ノブヤがすぐに乗る。

  「賛成。点数がないと俺、逃げられないんだけど、逃げ道がないなら、もう開き直るしか」

  翔夏子が睨んで、ノブヤは首をすくめた。

  「……いや、睨みは点数に入る? 入るなら俺、今、満点もらってる」

  「入らない。むしろ減点」

  翔夏子の返しが早くて、春花は思わず笑ってしまい、あわてて口を押さえた。笑いが外へ漏れると、窓の向こうの雪にさらわれそうだった。


  量大がノートを開き、線を引きかけて、止める。

  「点数がなくても、ルールは残す?」

  智香里が小さく頷いた。いつもより声を出すまでに一拍あって、その一拍のあいだ、湯気が揺れた。

  「嘘ひとつ、ほんとうひとつ。……それだけは、続けたい」

  伸篤は椅子の背を少しだけ引き、テーブルを見たまま言う。

  「当てるのを、やめるなら……嘘は、軽くなる」

  春花は、その言い方に引っかかった。軽くなる。軽くしてもいい。けれど、軽くした先に残るものが、きっと重い。


  孝太郎が頷き、鉛筆を一本、テーブルに転がした。

  「じゃあ今夜は、“当てっこ”なし。聞いた人は、笑ってもいいし、黙ってもいい。……そのかわり、語り手は逃げない」

  ノブヤが「俺に刺さる」と言い、わざと胸を押さえて倒れるふりをした。翔夏子が「床、冷たいからやめて」と本気で止め、弥風が「倒れるなら毛布の上」と毛布を差し出す。毛布が丁寧すぎて、ノブヤは結局、倒れるタイミングを失った。


  「じゃ、誰から?」

  孝太郎が視線を回すと、春花の前に置かれたカップの取っ手が、ほんの少し震えた。春花は取っ手を指で押さえ、息を吸う。今夜の図書館は、扉が開かなかった朝よりも、言葉が入りにくい。

  「……私、話す」

  言い切った瞬間、孝太郎の眉がわずかに動いた。驚きと、嬉しさと、確認が同じ場所に並ぶ。


  春花は、丸テーブルの木目を見つめたまま始めた。

  「嘘。私は、雪の上でも迷わない」

  ノブヤが「最初から嘘が見える」と言いかけて、孝太郎に指を一本立てられて黙った。春花は続ける。

  「ほんとう。私は、迷ったって言えない」

  言ってしまうと、胸がきゅっと縮んだ。迷子になった昼の廊下が、脳の奥に戻ってくる。食堂への近道を探しただけなのに、曲がり角が増えていくみたいで、最後は自分の足音が誰のものか分からなくなった。


  春花は、そこで言葉を一つだけ選んだ。

  「迷ってるって言うと、みんなの時間を取る。迷った自分が悪いって、思う。だから、笑ってごまかす」

  翔夏子が、手袋を外した指で、カップの縁をなぞった。弥風は毛布の端を握り直す。量大は鉛筆を転がし、音を出さないように止めた。


  「その日ね。後ろから、足音が一つ増えた」

  春花は、少しだけ顔を上げて、伸篤を見た。伸篤は目を逸らさず、ただ、頷いた。

  「私は、“気のせい”って嘘をついた。……ほんとうは、怖かった。誰かに呼んでほしかった」

  春花の声が最後の言葉で細くなり、湯気がそこへ吸い込まれた。


  孝太郎が、ゆっくり息を吐いてから言った。

  「呼ばれたら、戻れた?」

  質問の形なのに、追い詰める音じゃない。春花は頷きかけて、首を横に振る。

  「分からない。でも、呼ばれたら……迷ってるって言えたかもしれない」

  その瞬間、伸篤が小さく口を開いた。

  「呼んだ」

  短い。短いのに、図書館の空気が一度、止まった。


  春花は、思わず笑ってしまった。泣きそうで、笑ってしまう。声を出すと崩れそうで、笑いが喉の奥で引っかかった。

  「……聞こえなかった」

  「聞こえる音量で呼ぶのは、難しい」

  伸篤は言い訳みたいに言って、ポットの蓋を押さえ直した。蓋が小さく鳴り、ノブヤが「蓋は呼べるのに」とぼそっと言って、翔夏子に肘でつつかれた。


  智香里が、そっと春花の前に小さな紙片を置いた。メモ帳をちぎった端で、片側が少しだけ毛羽立っている。

  「今夜の話、ここに残して。……置き忘れたら、また拾える」

  春花は紙片を見つめた。置き忘れた言葉。朝、孝太郎にそう言いかけたのを思い出す。


  孝太郎が、紙片の隣に鉛筆を置いた。

  「俺も、残したい。嘘でもいいけど、残すなら……誰かに渡せる形がいい」

  弥風が「渡す」と復唱し、量大が頷き、ノブヤが「渡す相手が雪なら俺、手渡しで凍る」と言って笑わせた。翔夏子が「そのときは氷像として学園に残る」と真顔で返し、さらに笑いが転がった。


  春花は、鉛筆を握った。まだ手が少し震える。けれど、文字を書くなら震えは線になるだけだ。

  紙片に、春花は一行だけ書いた。

  「迷ったって言っていい」

  書き終えて、息を吐く。湯気と混ざって、言葉が薄くなる前に、胸の内側に残った。



  春花が鉛筆を置くと、孝太郎が肩を回してから、わざとらしく咳払いをした。

  「じゃあ次。……俺、いくわ」

  誰も「どうぞ」と言わないのに、孝太郎は勝手に始める。けれど、その勝手さが今夜は助け舟みたいだった。


  「嘘。俺は、選ぶのが得意だ」

  翔夏子が即座に反応する。

  「嘘だね。食堂のパンで毎回迷ってる」

  「証拠が近い!」

  孝太郎は笑いながら両手を上げ、降参の形を作る。笑いの奥で、少しだけ目が真面目になる。

  「ほんとう。俺は、“どっちでも”って言葉に隠れる」

  ノブヤが指を立てかけて、やめた。茶化すと逃げになるのを、自分が一番知っている顔だった。


  孝太郎はカップの底を指で押さえ、温かさを確かめるようにした。

  「どっちでもって言うと、角が立たない。相手を傷つけない。……って思ってた。でもさ、角が立たないって、相手の手を掴まないってことでもあるんだな」

  春花はそれを聞いて、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。掴まれたくて、掴まれるのが怖い。矛盾がそのまま、温度になっていた。


  孝太郎は紙片に一行書いた。書き終えると、恥ずかしさを隠すみたいに、紙片を指で叩く。

  「“どっちでも”じゃなくて、“今はこっち”」


  次に翔夏子が手を挙げた。挙げた手が高いのに、言葉の出るまでが少し遅い。

  「嘘。私は、負けても平気」

  ノブヤが「嘘の宣言が潔い」と笑い、翔夏子が肘を立てる。

  「ほんとう。負けるのが怖いっていうか……負けたら、私の声が小さくなるのが嫌」

  言い終えると、翔夏子は自分で驚いたみたいに瞬きをした。春花は、その瞬きが涙を追い返す動きに見えた。

  翔夏子の紙片には、太い字でこう書かれた。

  「悔しいって言っていい」


  量大は、すぐに立たない。ノートを一度閉じて、指で角を揃えてから口を開く。

  「嘘。俺は、後悔しない」

  弥風が「それは嘘」と即答し、量大は苦笑した。

  「ほんとう。後悔したら、やり直し方を考える。……考えるだけじゃ足りないから、書く」

  量大の鉛筆は迷いなく動き、紙片の上に一行が並ぶ。

  「間違えたら直していい」


  弥風は、欠片の布包みに視線を落としてから、顔を上げた。

  「嘘。私は、何でも知ってる」

  翔夏子が「知ってる顔してるだけ」と言い、弥風が口を尖らせる。

  「ほんとう。……知ってるふりをすると、誰も教えてくれない」

  弥風は自分の言葉に、自分で笑ってしまい、頬を押さえた。笑いが落ち着いたあと、紙片に書いた。

  「教えてって言っていい」


  智香里は紙片を指で撫で、毛羽立った端を折ってから言った。

  「嘘。私は、一人で大丈夫」

  その「大丈夫」が、少しだけ早口だった。

  「ほんとう。誘われると、すごく嬉しい」

  智香里の紙片は小さな字で、でもまっすぐに。

  「一緒にって言っていい」


  ノブヤは最後まで渋ったふりをして、結局、自分から前に乗り出した。

  「嘘。俺は、場を明るくするのが得意」

  誰も笑わない。笑えないほど、今夜の嘘が近い。

  「ほんとう。明るくできない時は、怖い。……声が消えたら、みんなが散る気がする」

  ノブヤはそう言ってから、慌てて笑った。

  「ほら、重い。だから俺、今、紙に逃げる」

  紙片に書いた一行は、逃げじゃなく、合図みたいだった。

  「笑えない時は黙っていい」


  最後に伸篤が、ポットの横で指を揃えた。鉛筆を持つ手が、少しだけ不器用に見える。

  「嘘。俺は、聞いていない」

  春花が思わず首を振り、伸篤は口角をほんの少しだけ上げた。

  「ほんとう。……聞いている」

  伸篤の紙片には、短い言葉がひとつだけ残った。

  「ここにいる」


  孝太郎が目を細め、何も言わずに、自分の紙片を探した。量大も、弥風も、翔夏子も、ノブヤも、智香里も、伸篤も、順番を決めずに紙片を取り出す。

  点数は、もうない。けれど、今夜だけは、誰も逃げなかった。


  丸テーブルの中央で、青い欠片が、湯気に霞みながら冷たく光った。

  石は何もしてくれない。

  けれど、紙片の上の一行は、確かに誰かへ向かっていた。



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