表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/40

第29話 ノブヤの“好き”がこぼれる

 一月三日の夜十一時、旧校舎の図書館は、外の雪よりも静かだった。丸テーブルの上に、伸篤が置いたポットの湯気だけが、ゆっくり天井へほどけていく。


  孝太郎が裏返した得点表は、白い面を向けたまま動かない。誰も、もう一度ひっくり返そうとはしなかった。智香里のカップの縁に、まだ指の跡が残っている。


  ノブヤが椅子の背に上体を預け、わざとらしく大きく息を吐いた。

  「はいはい。じゃあ今夜は、何を競えばいいんですかね。点数がないと、俺、どこに逃げれば」

  言いながら、彼は胸の前で両手を広げた。逃げ道を探すみたいに。


  翔夏子がマフラーを首に巻いたまま、指でテーブルを叩く。

  「逃げなくていいんじゃない? 逃げ道、雪で埋まってるし」

  「うわ、雪の例えが刺さる」

  ノブヤは笑ってみせたが、笑いの下に、少しだけ息が引っかかった。


  弥風は年鑑の山から一冊を抜き、背表紙の青い粉を布で払った。布の上に落ちた粉は、深い海の色をしている。

  「決まりは、なくさない。ひとつ混ぜるのは続ける」

  淡々と言い、弥風は視線だけでノブヤを促した。


  量大が、カップを持ち替えながらうなずく。

  「嘘とほんとう。続ける。聞く側も、当てなくていい。外しても、笑っていい」

  言い終えると、彼は智香里の方へ目を向け、何も言わずに小さくうなずいた。智香里は眉を上げて「はいはい」と返し、口の端を少しだけ上げる。


  春花は、そのやりとりを見ながら、膝の上で指先を擦った。九時の始まりの緊張と違って、今は、胸の奥に小さな火が残っている。火を消すように、いつも言葉を飲み込んできたのに。


  孝太郎が軽く咳払いをし、ノブヤに顔を向けた。

  「じゃ、今夜の語り手。名乗ったやつから。……ノブヤ、さっき逃げ道って言ったろ」

  「え、俺、指名されてる?」

  「逃げる前に、座れ」

  孝太郎の言い方が柔らかくて、ノブヤは観念したように背筋を伸ばした。


  「じゃあ、いきます。今日の俺の話は――」

  ノブヤは指を一本立て、すぐに二本に変えた。

  「嘘ひとつ、ほんとうひとつ。……でも今日は、当てなくていいって言われたから、先に言う。外したら笑え。笑わなかったら俺が泣く」


  翔夏子が肩を揺らす。

  「泣いたら負けって言ってたの、智香里だよ」

  「だから俺が泣けば、智香里が勝つ。ほら、平和」

  ノブヤは自分で言って自分で照れ、耳を掻いた。


  「中学のとき、俺、学級委員だった。クラス全員をまとめて、先生に褒められて――」

  ここで、孝太郎がすかさず手を挙げた。

  「はい、そこ嘘」

  「早いって! まだ半分も言ってない!」

  ノブヤは抗議しながらも、みんなの反応を確かめるみたいに目を動かす。笑いが起きると、ほんの少し肩の力が抜けた。


  「……ほんとうは、俺、学級委員は一回もやったことない。手を挙げるタイミングが遅いんだよ。みんなが『はい』って言った後に、俺だけ『あ、はい』ってなる」

  春花が思わず口元を押さえた。想像が簡単すぎて、声が漏れそうになる。


  「で、話の続き。俺は、人が集まってるのが好きだ。教室でも、食堂でも、廊下でも、誰かの声があると、安心する。……なのに」

  ノブヤはテーブルの木目を見つめ、指先で線をなぞった。

  「誰かが怒ったり、誰かが泣いたりすると、俺は一歩下がる。『まあまあ』って言って、笑ってごまかして、いなくなる。……いなくなったら、空気が軽くなるだろって思ってた」


  量大が、湯気の向こうから静かに言った。

  「軽くなる?」

  「……軽くなる、と思ってた。ほんとうは、ただ怖いだけだった。面倒が怖い。誰かに『お前のせい』って言われるのが怖い。だから、先に消える」


  翔夏子が前のめりになる。

  「で? その話の嘘はどこ?」

  「待て待て。嘘は、次の場面で出す」


  ノブヤは椅子を少しだけ寄せた。輪の中心に、自分から近づく動きだった。


  「この学園に取り残された初日さ、俺、夜の図書館にひとりで忍び込んで、時計塔に行った」

  言い切った瞬間、翔夏子が両手を叩いた。

  「嘘! 絶対嘘!」

  智香里も乗る。

  「あなた、階段のきしみ音で引き返すタイプでしょ」

  ノブヤが「ひどいな」と言いながら、口角だけ上げた。否定しない。


  「正解。嘘。時計塔までなんか行ってない。俺が行ったのは、図書館の奥の、棚と棚のすき間」

  そう言うと、ノブヤは自分の上着の内ポケットから、小さな紙包みを出した。包みを開くと、角砂糖みたいな白い飴が二つころんと転がる。


  「……それ、どこから」

  春花の問いに、ノブヤはわざと胸を張った。

  「図書館の“秘蔵庫”。俺、甘いもんがないと考えられない人間なんで」

  「さっき、学級委員の話で胸張ってたのと同じ張り方だな」

  孝太郎が突っ込むと、ノブヤは「胸だけは立派なんだよ」と返し、笑いがまた広がった。


  伸篤が無言で紙皿を差し出し、ノブヤはその上に飴を置いた。伸篤の指が、飴に触れないように、ぎりぎりで止まる。細かい気遣いが、いつものままだった。


  「棚のすき間にさ、古い毛布が置いてあった。誰かが前に、ここでこっそり寝てたんだと思う。そこ、埃っぽいのに、ちょっとだけ……本の匂いが甘いんだよ」

  ノブヤは言葉を探すように、唇を軽く噛んだ。

  「で、俺、そこが好きになった。誰にも見られないのに、誰かがここにいた感じがして。……さみしくない感じがして」


  弥風が年鑑の背表紙を指で押し、青い粉を見せる。

  「その毛布、青い粉、付いてた?」

  ノブヤは一拍置いて、うなずいた。

  「付いてた。だから、俺、言うか迷った。言ったら、みんなが動くだろ。動いたら、何かが起きるだろ。……面倒が怖い、っていうやつ」


  智香里が飴を一つつまみ、舌の上に乗せた。

  「今、言ってるじゃん」

  「今は、点数がないから」

  ノブヤは笑って、でもすぐに目をそらした。点数がなくても、目をそらす癖だけは残る。


  孝太郎が、机の白い得点表に指先を置いた。

  「点数がなくても、言え」

  短い言い方だった。命令じゃないのに、背中を押す音がした。


  ノブヤは、息を吸って、吐いた。外の雪の冷たさが、窓ガラスを通して頬に届く。けれど、テーブルの周りは、湯気と飴の甘さで、ほんの少しあたたかい。


  「……俺さ」

  ノブヤは、誰の顔も見ないまま言った。

  「ここが、好きだ」


  言った瞬間、本人がいちばん驚いたみたいに目を見開いた。それから、慌てて笑った。

  「うわ、言っちゃった。今の、なんだ。俺、告白してる? 図書館に?」

  翔夏子が腹を抱えた。

  「告白は相手を選べ!」

  智香里が「でも相手が図書館なら安全」と口を尖らせ、量大が小さく笑う。弥風は年鑑を閉じ、ゆっくり頷いた。


  春花は、その一言が胸の奥に落ちるのを感じた。好き、と言うだけで、空気が変わる。怖いと言いながら言ったから、余計に、嘘が混ざらない。


  孝太郎がカップを持ち上げ、ノブヤに向けて軽く掲げた。

  「じゃあ乾杯。……ここが好きなやつが一人増えた」

  「増えたって言うな。人数カウントで照れる」

  ノブヤは耳まで赤くして、笑いながらカップを持ち上げた。


  伸篤が静かにポットを傾け、春花のカップにも少しだけ足した。湯気が立つ。春花はカップを両手で包み、指先の熱を確かめた。


  言っていいんだ、と春花は思った。迷ったときに「こっち」と言うだけじゃなくて。外れたときに笑うだけじゃなくて。心の中に置きっぱなしの言葉も。


  春花は口を開きかけ、いったん閉じた。代わりに、白い得点表の端を指でそっと押す。紙がほんの少し動き、角がそろう。


  「……私も」

  小さく漏れた声は、湯気に紛れそうだった。けれど、孝太郎が目だけで「聞こえた」と言った。春花は、頬が熱くなるのを誤魔化すように、カップを持ち上げる。


  窓の外では雪が同じ速さで降り続けている。図書館の丸テーブルの上だけ、今夜は、言葉が落ちても割れなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ