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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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第26話 孝太郎の“どちらでも満足”は嘘だった

 一月二日の夜九時。図書館の丸テーブルは、昼に持ち帰った雪の匂いをまだ抱えていた。ストーブの前に干した手袋が、指の形のまま硬くなっている。弥風が地図の端を押さえ、量大は鉛筆で「戻る道」の矢印だけを太くなぞった。紙の上の矢印はまっすぐなのに、外の風は窓を叩き、どこへ向かっているのか分からない音を立てている。


  「今日の探索、春花の“こっち”が行き止まりで助かったって、ある意味すごいよな」


  翔夏子が笑いを投げると、春花はむっとして頬をふくらませ、すぐに自分で笑って引っ込めた。ノブヤはその空気に安心したのか、湯気の立つカップを両手で包みながら「いきなり壁だったもんね」と声を低くする。


  「壁っていうか、床が鳴らない段の先が“無言”だったのが怖かった」

  弥風が地図を見下ろしたまま言うと、智香里が「無言は得意だろ、伸篤」と視線を振る。

  伸篤は否定も肯定もせず、棚から分厚い辞典を一冊抜いて、丸テーブルの脚のぐらつきを直した。辞典が入った瞬間、テーブルがぴたりと静かになり、全員がなぜか拍手したくなる。


  孝太郎は点数表を裏返して、白い面を上にした。鉛筆の先を立てても、今日は線を引かない。線が増えると、誰かの言葉まで細くなる気がした。


  「順番どおりなら、今夜は俺だな」


  孝太郎が言うと、智香里が「やっと中心人物」とわざとらしく肩をすくめた。伸篤は何も言わずに、孝太郎の前へ温かいほうの湯のみを滑らせる。湯のみが止まる位置が、いつもきっちり同じなのが可笑しくて、孝太郎は口角だけ上げた。


  「嘘ひとつ、ほんとうひとつ。……今日は、“どっちでもいい話”をする」


  春花が小さく眉を動かした。孝太郎はその反応を見てしまい、逃げ道を塞がれたみたいに息を吸う。


  「小学生のとき、給食のプリンが余ったんだ。昼休み前の、あの甘い匂いが残ってる教室でさ。じゃんけんで勝ったやつがもらえる。俺は……ああいうの、嫌いじゃない。勝負ってほどじゃないし、みんな笑うし」


  翔夏子が「勝負って言った」と指を立てる。孝太郎は「ほら、こういうの」と笑って続けた。


  「で、俺が勝った。先生が『孝太郎、プリン、いる?』って聞いたんだ。俺は反射みたいに言った。『どっちでもいいです』って」


  ノブヤが「勝っておいて?」と声を裏返し、量大が唇を噛んで笑いをこらえる。弥風は校史のコピーをめくるふりをして、肩が揺れていた。


  「先生、困った顔してさ。『じゃあ、いらないの?』って。俺は『どっちでも』ってまた言った。そしたら先生、プリンを……給食当番の子に渡した。俺の目の前で」


  翔夏子が机を軽く叩いた。「それ、先生、悪い!」と叫ぶ勢いなのに、声は笑っている。智香里は「先生は悪くない。孝太郎が悪い」と即答して、春花が「えっ」と小さく声を漏らした。


  「で、俺、言ったんだよ。『全然平気です』って。顔も、たぶん平気の顔をしてた。……その平気の顔が、今でも得意なんだと思う」


  孝太郎はそこで、指先で湯のみの縁をなぞった。熱いのに、わざと触れて確かめるみたいに。湯のみの縁が指に当たるたび、あのときの教室の窓の冷たさまで戻ってくる。


  「――って言いたいところだけど。ほんとうは、欲しかった」


  空気がふっと静かになる。ストーブの火が、紙の影を揺らす音だけが残った。


  「欲しいって言ったら、誰かががっかりする気がした。欲しいって言ったら、もらえない子が傷つく気がした。だから、選ばなかった。選ばないって言い方で、誰も切らないようにしたつもりで……結局、俺が切られた」


  量大が、膝の上のノートを開いて、何かを書きそうで書かない。弥風は地図の角を、さっきより強く押さえた。ノブヤは「それ、あるある」と言いかけて飲み込み、伸篤は湯のみの置き直しもしないで、ただ頷いた。


  翔夏子だけが、笑いの刃を戻せずにいた。

  「でもさ、プリンくらいなら……」

  「プリンくらい、って言えるのはさ。プリンを“くらい”にできる人だけだよ」

  智香里が言い切ると、翔夏子は口を尖らせる。けれど反論はしなかった。机の上で、濡れたマフラーの端を指で丸めるだけだ。


  孝太郎は続けた。語る声は大きくないのに、誰も途中で割り込めなかった。

  「プリンのあと、俺は別の場面でも同じことをやった。中学のとき、サッカー部の友だちと、演劇部の友だちが、同じ日に『見に来て』って言ってきた。俺は『どっちも行く』って言った。選んでないふりをした」


  ノブヤが「あ、危ない」と小さく呟く。あのときの“危ない話”の語り手はノブヤだったのに、今は聞き手の喉が先に乾くらしい。


  「で、前半はサッカーの試合、後半は演劇の公演。体育館とグラウンドを走った。息が切れて、どっちの応援もちゃんと声が出ない。結局、サッカーのやつには『お前、途中で消えた』って言われて、演劇のやつには『最後の拍手、いなかった』って言われた。……どっちにも、俺の顔が薄かった」


  笑いは起きない。けれど沈みもしない。誰かの胸の奥で、同じような走り方が思い出されている気配がした。


  「だから俺は、いつの間にか『どっちでも』って言うのが早くなった。口が先に逃げる。逃げたあとで、胸が追いかける。……今も、たぶんそう」


  春花が、テーブルの下で足を組み替えた。靴下が擦れる小さな音がして、孝太郎の耳にだけ届いた気がする。孝太郎はその音で、春花が“迷うとき”の癖を思い出す。廊下の角で止まる前の、あの小さな足音。


  「嘘はどこ?」


  智香里がいつもの調子で問う。孝太郎は少しだけ笑って、指を一本立てた。


  「嘘は、“ほんとにどっちでもよかった”ってところ。……俺、昔から、欲しいものがあるときほど『どっちでも』って言う。言うたびに、欲しいって気持ちが小さくなるから」


  翔夏子が「それ、ズルい!」と叫ぶ。

  「ズルいって何が?」

  孝太郎が聞くと、翔夏子は勢いのまま言い切った。

  「当てられない! だって、今の話、どこからでも嘘っぽいし、どこからでも本当っぽい!」

  弥風が「それが“語り”だよ」と珍しくふわっと笑い、量大が「改善点としては、嘘がひとつに収まってる」と真面目に評した。ノブヤは「改善点って言葉、便利すぎ」と笑って、やっと肩の力が抜けた。


  誰が当てたかを数えるのが、本来の夜の決まりだ。けれど孝太郎は点数表を見ないまま言った。

  「今夜は、数えなくていい。……外したくない人がいるなら、外したままでいい」


  春花が、ふいに手を伸ばした。孝太郎の手の甲を、指先で軽く、二回叩く。叩く力は弱いのに、そこだけ温度が変わった。


  「選ばないと、渡せないよ」


  春花は目を合わせない。けれど言葉は逃げなかった。孝太郎は喉の奥が熱くなって、咳払いでごまかすのをやめた。


  「……渡すって、何を?」


  孝太郎が聞くと、春花は「わかんない」と小さく笑った。笑い方が、昨日の行き止まりより少しだけ上手になっている。


  伸篤が立ち上がり、黙って窓の結露を布で拭いた。外は白く、時計塔の窓だけが遠くに黒い穴みたいに見える。孝太郎はその穴を見て、今日の“選ばない癖”が、鍵穴にも似ていると思った。何かを差し込むには、形を決めないといけない。


  翔夏子が急に手を挙げた。

  「はい! じゃあ私は宣言する! 明日は自分でマフラー結ぶ! ノブヤに借りない!」

  「まだ借りてないのに宣言されても困るって!」

  ノブヤがツッコミ、笑いが戻る。智香里が「その宣言、点数に入らない」と言い、量大が「でも改善点としては良い」と真面目に頷いた。


  孝太郎は点数表を表に戻した。鉛筆は置いたまま、線は引かない。代わりに、当番表の紙を一枚だけ引き寄せる。


  「明日の雪かき、俺がやる。……玄関の段、滑るから」


  春花が顔を上げた。ほんの一瞬だけ目が合い、すぐに逸れる。それでも逸れ方が、さっきより遅い。


  「それ、どっちでもじゃないね」


  春花が言う。孝太郎は笑って、肩をすくめた。

  「どっちでもって言う前に、やるって言った。……たぶん、これが練習だ」


  選ぶのは、ほんの小さなことだ。それでも口に出した瞬間、胸の中で何かがほどけた。春花が「うん」とだけ言い、また孝太郎の手の甲を、今度は一回だけ叩いた。



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