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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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14/20

第14話 弥風の知識が走り出す

 翌朝の食堂は、窓の外の白さに押されて、いつもより灯りが弱く見えた。ストーブの前に手をかざしても、指先の感覚が戻るまでに少し時間がかかる。


  丸テーブルの中央には、昨夜拾った錆びた鍵が、金属ケースに入れられて置かれていた。ケースのふたには、量大の字で「触る前に軍手」と書いた付箋が貼ってある。付箋の端が、湯気でふにゃりと丸まっていた。


  「軍手って、食堂にまで持ち込むの」

  翔夏子が味噌汁を啜りながら言うと、量大は箸を止めずに頷いた。

  「昨日の板、抜けたでしょ。指も抜ける。……抜けたら、反省ノートが濡れる」

  理由の最後が自分のノートなのが、いかにも彼らしい。


  弥風は食パンを片手に、もう片方の手で校史の分厚い本を抱えていた。食堂まで持ってきたらしく、背表紙には霜みたいに白い粉が付いている。彼女は椅子に座る前に、ページの間に挟んだしおりを指で確かめた。見つけた場所を忘れないための手つきだ。


  「ねえ、これ。時計塔のところ」

  弥風は、パンをひとかじりするより先に本を開いた。紙が「ぱさ」と乾いた音を立て、食堂の雑音の中でも妙に目立つ。

  「創立三十周年の記念式典で、塔の中に『深蒼の石』を納めたって書いてある。式典が終わったら箱に戻して、塔の上にしまう、って」


  ノブヤが身を乗り出し、湯飲みを倒しかけて慌てて直した。

  「深蒼の石って、ディープブルークォーツのこと? 名前、急にカッコよ」

  「勝手に英語にしない」

  智香里が即座に突っ込み、ノブヤは「はい」と背筋を伸ばした。言い返すと余計に揉めると学んだ顔だ。


  孝太郎は弥風の言葉をいったん受け止め、ゆっくり復唱した。

  「『石を納めた箱が、時計塔の中にある可能性がある』。うん。じゃあ、その箱に行くには――」

  視線が金属ケースへ落ちる。鍵の存在が、話をただの噂から「手で触れるもの」に変えている。


  「鍵穴、どこにあるかだよね」

  翔夏子が言いながら、拳でテーブルを軽く叩いた。勢いはあるのに、昨日のことを思い出したのか、力加減だけは慎重だった。


  伸篤は、全員の湯飲みの減り具合を見てから、静かに口を開いた。

  「……動く前に、温かいの、もう一杯。あと、昼までに一回、休む」

  言葉は短い。でも、言い終わると同時に、彼は自分のマグを立ち上げ、給湯器の前へ歩いた。誰の分とは言わないのに、自然と八人分の湯が足されていく。


  量大は机の端に置いていたノートを開き、食堂の紙ナプキンに線を引いた。ペン先が紙に食い込み、黒い筋が伸びる。

  「じゃあ、今日の動き。午前は校史と年鑑で位置情報を集める。午後に現地確認。夜九時の祭りは……うん、いつも通り」

  「それ、誰が決めた」

  智香里が眉を上げると、量大はペンを止めた。

  「決めてない。提案。昨日、危なかったから。……危なかったのは、俺が確認の順番、守れって言う前に踏み込んだのが原因だし」

  自分の失敗を先に差し出す言い方に、空気が少し柔らかくなる。


  弥風は、校史のページ端を指で叩いた。

  「それで、ここ。塔の内部図が載ってる年があるはず。『校舎改修記録』って章。たぶん、図書館の奥の鍵付き棚」

  「鍵付き棚」

  ノブヤが金属ケースを見て、笑いそうになり、笑い切れずに口を閉じた。


  春花は味噌汁の椀を両手で包み、しばらく湯気を見ていた。湯気が上に逃げるたびに、彼女のまつげがわずかに揺れる。孝太郎が視線を向けると、春花は椀の縁に唇をつけ、ほんの少しだけ啜った。それから、胸元の制服ポケットに指を滑らせ、紙片の角を確かめる。


  「……箱より先に、手紙がある」

  言葉は、テーブルの上に落とすというより、雪の上に小さく置くみたいに軽かった。


  翔夏子が「手紙?」と聞き返す前に、孝太郎が春花のほうを見た。問い詰める目ではない。逃げ道のある目だ。

  「春花がそう感じるなら、何か根拠があるかもしれない。……どこで、そう思った?」

  春花は椀を置き、指先で自分の靴ひもを結び直した。さっき結んだばかりなのに、もう一度。ほどけていないのに、確かめる。

  「わからない。……でも、箱を見つけても、開ける前に、読まないといけない気がする」

  理由にならない理由を、彼女はそのまま差し出した。差し出してから、目を伏せる。


  孝太郎は、その沈黙を急かさなかった。代わりに、食堂の窓を指で一度だけ叩いた。雪が降っていることを、みんなが忘れないように。

  「じゃあ、手紙の可能性も含めて探そう。『箱の前に読むもの』があるなら、場所も近いかもしれない」


  午前中、八人は図書館の奥へ移動した。廊下の暖房は弱く、息が白い。弥風は棚の番号を声に出しながら歩き、量大はその声を追いかけてメモに写す。翔夏子は先に行きたい足を抑え、ノブヤは後ろで誰かが転ばないように距離を詰めすぎない。


  鍵付き棚の前に着くと、錠前は思ったより小さかった。金属ケースが開き、軍手をはめた手が鍵をつまむ。量大の手は一瞬止まったが、伸篤が横で湯たんぽを抱えたまま頷いた。それだけで、鍵は回った。


  「開いた」

  弥風が息を吸い、棚の扉を開ける。中から出てきたのは、古い図面の束と、黄ばんだ封筒だった。封筒には、墨で「校舎改修記録」とだけ書かれている。弥風は封筒の角を撫で、封を切らずに孝太郎へ差し出した。


  孝太郎は受け取り、封筒の重さを掌で確かめた。紙の束の中に、硬い板の感触がある。図面だ。箱の場所へ近づくための道具だ。


  弥風は机の上で図面を広げた。紙は巻き癖で勝手に丸まり、端がぴん、と跳ねて孝太郎の指先を弾いた。

  「痛っ」

  孝太郎が声を出すと、翔夏子が「ほら、軍手」と笑い、量大が「だから言った」と真顔で返す。誰の言葉にも少しずつ湯気が混ざり、張りつめそうな空気がほどけた。


  図面には、今の校舎より小さな間取りが描かれていた。時計塔は旧校舎と細い廊下で繋がり、途中に『管理用扉』と書かれた小さな四角がある。

  弥風はその四角を指でなぞり、眉間にしわを寄せた。

  「これ、今の渡り廊下の……昨日、板が抜けた場所の近く」

  ノブヤが「うわ、嫌な一致」と言い、翔夏子は「だから行く」と拳を握る。智香里がその拳を見て、視線だけで「落ち着け」と言う。


  量大は図面の余白に、必要そうなものを書き足していった。

  「懐中電灯、ロープ、軍手、予備の電池、あと……床板が怪しいなら、長い棒。……棒、どこにある?」

  「掃除用のモップなら」

  伸篤が言い、続けて「でも、濡れたら冷える」と付け足す。言い方が淡々としているのに、背中が「無茶するな」と言っている。


  孝太郎は図面の端にある小さな注釈を読み上げた。

  「『扉の鍵は、編纂室にて保管』……編纂室って、ここ?」

  弥風が封筒を持ち上げ、頷く。

  「たぶん。校史を作る人が使った部屋。つまり、鍵が回ったのは偶然じゃない」

  春花は一歩引いた場所で、封筒を見ていた。目だけが追っている。手は胸元に置いたまま動かない。

  その横で、智香里が小さく深呼吸し、ポケットからメモ帳を出してページを開いた。声にしない代わりに、書いて整える準備だ。


  量大はすぐに紙ナプキンの計画表を書き直し、伸篤は「休憩」を二回増やした。翔夏子は増えた休憩に文句を言いかけ、ストーブの前で自分の指先が赤いのを見て黙った。ノブヤは「じゃ、休憩のとき俺、ココア当番な」と言い、誰も頼んでいないのに給湯器へ向かった。


  封筒の口は、まだ閉じたままだ。

  けれど八人は、同じ方向を向いていた。時計塔へ向かう道筋が、ようやく紙の上に現れたからだ。


  夜九時まで、雪は止まなかった。

  それでも図書館の丸テーブルの上には、得点表の横に、図面の束が置かれた。祭りのルールの横に、現実の手触りが並ぶ。


  孝太郎はチョークを指で転がし、みんなの顔を順番に見た。

  「今日の語り手は、明日の計画を立てた人がいい。……量大、どう?」

  量大は一瞬だけ目を丸くし、すぐにノートを抱え直した。

  「俺? うん。じゃあ、明日。嘘ひとつ、ほんとうひとつで……反省も、混ぜる」


  春花は封筒を見て、また胸元の紙片に触れた。

  「……読むの、忘れないで」

  誰に向けた言葉かは曖昧なのに、孝太郎は頷いた。


  雪の向こうで、時計塔の窓が一瞬だけ青く灯った気がした。誰かが「見た?」と言いかけ、言葉を飲み込む。

  その沈黙が、今夜の点数より少しだけ重かった。



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