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冬休みのはずの学園と、嘘の実話祭り  作者: 乾為天女


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第1話 冬休みのはずの学園


 十二月下旬の夕方、私立・深蒼学園の寮の玄関ガラスは、横殴りの雪で白く曇っていた。さっきまで「終業式おつかれ!」の声が飛び交っていた廊下は、急に音が減り、靴底が床を擦る小さな音だけが残っている。


  玄関マットの端で、孝太郎は手袋を外し、指先でスマートフォンの画面をなぞった。路線バスの運行情報は、文字より先に赤い「運休」の表示で答えを出してくる。


  「……帰れない、か」


  独り言が、やけに大げさに響いた気がして、孝太郎は咳払いをした。玄関ホールには、キャリーケースがいくつも並び、持ち主たちが行き場を失った顔で立っていた。


  「今、先生から連絡。道路も鉄道も止まった。今夜は寮で待機だって」


  翔夏子が、掲示板の前で紙をひらひらさせた。紙の角が、濡れた空気でふにゃりと曲がっている。彼女は椅子を引く音みたいに、言葉も勢いよく出す。


  「待機って、何すんの? 冬休みだよ?」


  ノブヤが、キャリーの取っ手を片手でくるくる回しながら言った。回しているのに、目はみんなの顔を追っている。誰かが困っていると、つい見てしまう目だ。


  孝太郎は、ノブヤの言葉をいったん口の中で復唱してから、声に出した。


  「『冬休みなのに、何するの』ってことだよね。うん、まず人数を確認しよう。先生が混乱しないように」


  言い終えてから、孝太郎は玄関の端に置かれた傘立てを指で叩いた。カン、と乾いた音。誰かが笑ってくれれば、空気が少し軽くなる。……なるはずだ。


  「残ったの、八人。これ、合ってる?」


  量大が、ポケットから折り畳んだメモを取り出して、すぐに開き直した。角が何度も折られて白くなっている。彼は「合ってる」より先に、修正する余白を見つける。


  「八人だね。俺、玄関で数える係やる。……『係』って言い方、急に小学生みたいだけど」


  孝太郎がわざと肩をすくめると、ノブヤが「係、いいじゃん。俺、笑わせ係」と即答した。


  「誰が任命した」


  智香里が真顔で突っ込んだ。言い方は強いのに、突っ込んだ直後、深く一回だけ息を吸って吐く。その呼吸が、彼女の「落ち着け」の合図みたいだった。


  春花は、みんなから少し離れた場所で、荷物の持ち手を握り直していた。握り直すたびに、指の位置が数ミリずつ変わる。玄関から伸びる廊下の奥を見て、靴ひもを結び直し、それでも足が動かない。


  「……初めての匂い」


  春花の声は小さくて、雪の匂いと一緒に消えそうだった。孝太郎は聞こえたふりをしないで、ちゃんと近づいてから言った。


  「今、『初めての匂い』って言った? 寮の廊下、古い木の匂いするよね」


  春花は、驚いたように目を上げて、それから、ほんの少しだけうなずいた。


  「……うん。迷いそう」


  「迷ったら言って。言ってくれたら、一緒に迷える」


  孝太郎が言うと、春花は笑いかけて、途中で口元を押さえた。笑い方を探すみたいな仕草だった。


  そのとき、食堂の方からカチャカチャと皿の音がして、弥風が走ってきた。走ってきたのに、手には分厚い年鑑が二冊。重さと速度が合っていない。


  「先生が言ってた。食堂、当番で回すって。で、当番表、去年のが残ってる。ほら!」


  弥風は年鑑を開き、ページ端の書き込みを見つけると、指先でそこをとんとん叩いた。目が先に輝いて、体が後からついてくる。


  「当番表って……冬休みなのに、食堂動くの?」


  ノブヤが、さっきより声を落として聞いた。冗談で済ませたいのに、腹の底で心配が育ってしまうときの声だ。


  「最低限だって。パンとスープは出る。……ありがたい」


  孝太郎は言いながら、自分の声が少し硬いことに気づいた。ここが山の中だと、今さら思い出す。雪が止まなければ、明日も帰れない。


  「じゃ、決めよう。今夜の当番。雪かきは……」


  翔夏子が腕まくりをした瞬間、量大が手を挙げた。


  「待って。雪かきは、最初にやると疲れる。明日の朝、食堂前だけでいい。今夜は玄関周りの除雪だけにして、体力を残したほうがいい」


  言いながら、量大はメモの裏に線を引き、矢印を足した。言葉と同じ速さで、改善が進む。


  「へえ、量大、頼れる」


  ノブヤが素直に言いかけて、すぐに照れ隠しの笑いに変えた。「でもさ、頼れるって言ったら、俺の立場なくなるじゃん?」


  「最初からない」


  智香里が即答し、ノブヤが「ひどっ」と胸を押さえる。笑いが、玄関ホールに一段だけ温度を足した。


  伸篤は、そのやり取りを少し離れたところで見ていた。笑いには加わらないのに、視線が抜けない。春花が荷物を置き直した瞬間、伸篤は黙って毛布を一枚持ってきて、そっと春花の腕に掛けた。言葉はない。毛布の重さが、代わりの言葉になる。


  春花は毛布を見下ろし、それから伸篤の方を見て、口を開いた。けれど、音は出ない。代わりに、指先で毛布の端を二回だけつまんで、ぎゅっと握った。


  「よし。じゃあ、当番表は俺が作る。弥風、去年の表、見せて。量大、今の提案、紙に残して」


  孝太郎が言うと、弥風が年鑑を差し出し、量大がメモを破らないようにそっと抜き取った。孝太郎は、みんなの目線が自分に集まった瞬間、軽く笑ってみせた。


  「こういう時、ルールがあると落ち着くから。……冬休みのはずなのに、急に合宿みたいだけど」


  「合宿って言うな。寝るときまで号令かけるのか」


  智香里が言うと、翔夏子が「号令なら任せて!」と手を挙げた。


  「任せない」


  孝太郎と智香里の声が同時に重なり、今度は全員が笑った。笑いの中に、少しだけ「良かった」が混ざる。


  食堂の灯りが点き、湯気の匂いが廊下を渡ってきた。ノブヤが両手を擦り合わせて、「スープって聞いたら急に生き返るな」と言う。


  「生き返る前に、皿運びしろ」


  智香里が言い、ノブヤが「はいはい、笑わせ係、皿も運びまーす」と歩き出す。翔夏子がその背中を追い、弥風は年鑑を抱えたまま食堂へ走り、量大はメモに「皿運び:ノブヤ」と書き足した。


  テーブルに並んだのは、温かいスープと、少し固いパンだった。雪のせいで牛乳が届かないらしく、ノブヤが「パン、噛むたびに“冬”って言ってる」とぼやく。翔夏子が「じゃあ噛む回数で暖房つけよう」と言い、孝太郎が「暖房はボタンでつく」と落ち着いた声で返す。量大は「噛む回数を数えるのは非効率」と真顔で言い、弥風が笑いながら年鑑の余白に「噛む回数:非効率」と書き足した。


  夕食後、寮監の先生が来て、八人の名前を一人ずつ呼んだ。孝太郎が返事をすると、先生は「今夜は点呼を二回やる。もし体調が悪くなったら、遠慮なく言え」と言い、言い終えるとすぐに肩をすぼめて雪の中へ戻っていった。先生の背中がドアの向こうに消えた瞬間、寮の中の静けさがもう一段深くなる。


  消灯までの時間、孝太郎はホワイトボードに当番表を書いた。書き終えるたびに「これで合ってる?」と聞き、誰かが首をかしげると、いったんその人の言葉を繰り返してから直した。春花は少し離れた椅子で毛布を膝にかけ、靴ひもを結び直しながら見ていた。


  その夜更け、廊下の窓から外を見た春花は、旧校舎の時計塔の窓に、深い青が一瞬だけ灯るのを見た。誰かが懐中電灯を当てたようにも見えたし、雪の反射にも見えた。


  「……今の、見た?」


  声を出したはずなのに、返事はなかった。春花は毛布の端を握り、もう一度だけ窓を見た。青は消えて、暗いままだ。


  孝太郎は背後でチョークを置く音を立て、「どうした?」と聞いた。春花は振り返り、言いかけて、飲み込んだ。代わりに小さく首を振る。


  冬休みのはずの学園で、八人の夜が静かに続いていく。



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