第8話 リアの初陣
「『シャドウ・バインド』!」
拓郎の声に応えて、ゴブリン影から漆黒の鎖が伸びる。
そのまま廊下に倒れ込んだゴブリンは身体をぎこちなく動かそうとして、動かなくて、哀れっぽく見上げてくる。
チャンスだ。
「リア!」
「ええ! 貫け、『フレイム・アロー』!」
リアの手から放たれた炎の矢が、ゴブリンに突き刺さって――炎上。
拓郎は傍に置いておいた消火器を構えて、引き金を引いた。
猛烈な勢いでノズルから白い粉が噴き出される。
ゴブリンの姿が視界から消えた。
「これで、たぶんイケてると思うんだけど」
★
「炎の魔法って危ないのよ」
初陣に先立って、リアは重々しく宣言した。
生まれてこの方16年と少々、1度も魔法を使ったことなどない拓郎は、素直に首を縦に振るしかなかった。
「まぁ、そんな感じはするね。周りに燃え移ったら大変そう」
「そう、そうなの! こんなオンボロな建物、あっという間に大炎上よ!」
言われて拓郎はあたりを見回した。
富裕層の子女向け学園『私立陽明学園』の校舎は、それなりに頑健のはずだ。
それでも、ここで炎の魔法を使うのは危ない気がする。魔法じゃなくても、普通に火をつけるだけでも十分危ない。
――スプリンクラーとか、どうなってるんだろうな?
廊下に設置されているスプリンクラーは、稼働しているのだろうか?
どんなカラクリで水が出てくるのか~とか、そもそも動力源ってどうなってるの~とか、これまであまり深く考えたことがなかった。
LEDの光が消えているところから、どうにも電気は通っていないように見える。
「でも、リアって炎の魔法しか使えなくない?」
「そうなのよ~」
どうしよ?
ガックリ肩を落とすリア。
紫色の瞳が、どんより澱んでいた。
「【精霊魔法(火)】って、どんな魔法があるか聞いてもいい?」
「ん? 別にいいわよ」
小さな炎を生み出す『ファイア・クリエイション』
対象1体を炎の矢で攻撃する『フレイム・アロー』
対象1体の攻撃力を上げる『バーニング・マッスル』
「バフもあるのか」
一瞬、『バーニング・マッスル』をリア自身に使って、『シャドウ・バインド』で動けなくしたゴブリンを『ロングソード』でぶった切ったらどうかと思ったが……
――リアって、勢い余って自分の脚を切りそうな気がする。
【剣術】みたいなスキルがあるならともかく、あまり刃物を持たせない方がいいんじゃないか?
何の根拠もないのに、妙な確信がある。
リアが抱き上げている『リュンクス』と目が合った。
小さな白い猫は『みゃ~』と鳴いた。『そのとおり』って言われた気がした。
「すごく失礼なこと考えてない、タクロー?」
「まさか」
即答して、冷や汗を拭った。女の勘はバカにできないと誰かが言っていた。
リアから視線を外して――その先に、赤いものを見つけた。
拓郎の頭の中で、ひとつの戦術が形をなした。
「『フレイム・アロー』で行こう、リア!」
「いいの?」
「ああ。僕らには、これがある」
拓郎は、そう言って赤いもの――消火器を手に取った。
さっきまでよりも軽くなっているような気がするのは、きっとレベルアップで身体能力が増したからだと思う。
★
「リア、どう……リア?」
初陣の感想はいかがでしょう?
そう尋ねようとして横を見た拓郎の目の前で――ドサッとリアが倒れ込んだ。
「え?」
何が起きたのかわからなくて……思い出したのは、自分がレベルアップしたときのこと。
口の中に火の玉を突っ込まれて、身体の中で爆発するんじゃないかと思ったアレ。
「リア、大丈夫!?」
消火器を放り出して、リアを抱きかかえた。
この状況で別のゴブリンに襲われたら大変だ。
制服越しに感じるリアの体温が、やけに高い。
吐息が荒いし、発汗も凄い。どう見ても――
「……熱い」
「リア、ちょっと頑張って。とにかく部屋に入ろう」
リュンクスに周囲の様子を見るよう指示を出し、すぐ近くの教室に入ろうとした拓郎の首にしなやかな何かが巻き付いてきた。
リアの腕だ。
「リア?」
「熱いの……タクロー、ワタシ……こんなの知らないぃ」
熱いの。
たまらないの。
どうにかしてほしいの。
耳に流し込まれるリアの声は、甘くとろけるよう。
忙しなく拓郎の肌を撫でる吐息は、火がつくかと思うほどに熱かった。
至近距離で煌めく紫色の瞳は、しっとりと濡れていた。
チロリと舌が見え隠れする唇が、超エロい。
「リア、リア! 落ち着いて。どうにかしてほしいなんて言っちゃダメだ!」
「ひどい、タクローぉ! ワタシ、ワタシ……ああっ、ああん……なんなのこれ、頭がおかしくなっちゃう!」
そんな声を聞かされたら、僕の方がおかしくなるんだが!?
拓郎は歯を食いしばってリアを教室に放り込み、周囲に視線を走らせる。
使えそうなものが――何も見つからない。
役に立たねーな、学校って!
「たーくーろーっ、ねぇ、イイコトしましょうよ! いいでしょ?」
「ダメだから、ダメだってば!」
「いじわるぅ……でも、そんなタクローも素敵」
「頼むから正気に戻って! リア、あとで絶対に後悔するからね!」
「しないもん。たくろーとしたって、ぜったいこうかいなんてしないんだからぁ」
身を寄せて囁くリア。
薄手の衣装越しに感じる彼女の肢体の柔らかさに心臓が止まりかけた。
しなやかな指が拓郎のシャツのボタンをはずそうとして、それを止めようと彼女の手を掴んで、その繊細ですべらかな感触に我を忘れかけた。
――ダメだぞ、僕!
リアをギュッと抱きしめた。
いやらしいことを考えたわけではなく、彼女を動けないようにしたかったからだ。
でも――腕の中でなまめかしく身体をくねらせるリアに、劣情を抱かなかったかと言われると、それは首を横に振らざるを得ないのであった。
★
「殺して」
物騒なお願い。
目の前には、額を床に擦り付けるリアがいた。
いわゆるひとつの土下座スタイルだ。『デーモンにも土下座の習慣ってあるんだなぁ』と現実逃避したくなってきた。
「ま、まぁ……落ち着いて」
「落ち着いたら死にたくなった。殺して」
「とにかく頭を上げて。これじゃ話もできないでしょ」
「ううっ」
リアはわずかに頭を上げた。
拓郎と目が合って――すぐに土下座に戻った。
華奢な身体がブルブルと震えていたし、雪のように白い肌が真っ赤に染まっている。
――だから言わんこっちゃない……
よっぽど恥ずかしかったんだろうな。
そう思って……先ほどまでの彼女の痴態を思い出して、拓郎の顔も熱を持った。
「なんでパパがレベル上げを許してくれなかったのか、やっとわかったぁ~」
「あ~、それはあるかも」
いいところのお嬢さんかどうかは置いておくとして、ごくまっとうな父親だったら娘の発情シーンなんて見たくなかっただろうし、誰にも見せたくなかっただろう。
『いえ~い、パパ見てる~ぅ? リア、人間の男の子とぉレベルアップしちゃいましたぁ』
アヘ顔ダブルピースでこんなこと言われたら、憤死しかねない。
『娘を持ったお父さんって大変だな』と、会ったこともないリアの父親に同情してしまった。
「お願いだから、忘れて、タクロー」
「……善処します」
「それ、絶対に忘れない奴じゃない!」
「だって……忘れようと思って忘れられるようなもんじゃないし」
「……えっち」
「はいはい、僕はえっちですよ」
「うう、開き直られたわ……ワタシ、ひとりでバカみたいだわ」
瞳を潤ませながら顔を上げるリア。
拓郎とじーっと見つめあって、顔を真っ赤に染めて、そっと視線を外して、小さくポツリと呟いた。
「すてーたす、おーぷん」
紫の瞳が虚空をフラフラと揺れた。
すると、たちまちリアの顔がキラキラと輝き始めた。
『さっきまでの羞恥に悶える姿も可愛かったなぁ』と残念に思いながらも、立ち直ってくれたなら何よりだと考え直す拓郎だった。