第2話『桧川 拓郎』レベル1
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名前:桧川 拓郎
種族:人間
性別:男
レベル:1
HP:10/10
MP:30/30
スキル:なし
エクストラスキル:【万象の書】
・パック購入
・???
・???
装備品:なし
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「マジで出たよ、ステータスウィンドウ」
声が弾んだ。
予想どおりの光景を前に、興奮が隠せない。
拓郎はゲームが好きだった。テレビゲームだと特にRPGとかSLGが好きだ。
目の前に出現したのは、その手のゲームで良くあるキャラクターの能力を表示するウィンドウ……に酷似していた。
並んでいる文字列や数字にも、だいたい見覚えがある。
「……ずいぶん素っ気ないステータスだな」
表記されているのは、レベルとHPとMPと。
攻撃力とか防御力とか素早さとか、何も書いていない。
これがゲームだったら、どうやってキャラクターを区別するのだろう?
――まぁ、いいけど。
小さく笑って、壁にもたれて腰を下ろした。
かつての拓郎はゲームだけでなくマンガやラノベあたりも嗜んでいた。
さっき『ステータスオープン』と叫んだのは、その手の作品で良くある展開だったからだ。
ある日突然異世界に転移したり、現実世界にダンジョンやモンスターが現れたり。どっちの場合でも『ステータスオープン』と叫ぶとゲームみたいなステータス画面が出てきて、チートなスキルをゲットできたりして――
「この【万象の書】ってやつが、僕のスキルってわけだ」
【万象の書】という文字に指で触れたら使い方が表示された。
口を引き結んだまま、ずらりと並んだテキストを目で追いかけて――
「出ろ」
左手に一冊の書物が現れた。
黒字に金と銀の細緻な装飾が施された、何とも雰囲気のある書物。
分厚い見た目とは裏腹に重さを感じない書物の表紙をじーっと見つめて、拓郎は眉をひそめた。
「なんか、見覚えある……って言うか、これ『M&D』じゃないか!?」
『M&D』
マジック&ドラゴンズ。
古くからの歴史を持つカードゲームだ。
世界観はファンタジーで、プレイヤーは召喚術師。
モンスターを召喚したり魔法を使ったりして、対戦相手のライフを0にすれば勝ち。
拓郎の父親がこのゲームの熱心なプレイヤーだった。
【万象の書】は、『M&D』のカードホルダー(カードを整理するファイルのようなもの)に酷似していた。
「懐かしいな」
表紙を撫でて、ポツリと呟く。
親子仲は良かった。父とは『M&D』でよく一緒に遊んだ。
拓郎の父親はかなりのヘビーユーザーで、遠征と称して全国各地で開かれる大会に参加していた。
もちろん、拓郎も妹も母親もみんな一緒だった。
ちょっとした家族旅行だった。
楽しかった。
そのうち拓郎自身も大会に参加するようになった。
最後まで父親には一度も勝てなかったが、何もかもが大切な家族の思い出だった。
「……忘れてたよ」
目尻から、熱い雫が零れた。
唐突に家族を喪い、親族間をたらいまわしにされて。
学費のために、やりたくもない勉強に持てる時間のすべてを費やした。
自分が自分でなくなる感覚。優等生を演じる過程で心は摩耗しひび割れて、大切な宝物を記憶の底に封じ込めてきた。
「ぐすっ……ん? いやいや待て待て、ちょっと待って」
思い出に浸っていた拓郎は――ふと、我に返った。
よくよく考えてみると、いろいろと状況がおかしい。
ステータスオープンとかモンスターとか、スキルとか。
サラッと受け入れかけたけど、おかしいものはおかしい。
自覚あるオタクのひとりとして、こんな言葉を使いたくなかったが……
「はは……マンガやゲームじゃあるまいし」
声が震えていた。
とんでもないことに巻き込まれている。
実感がじわじわと込み上げてきて、心と身体を強かに揺さぶってくる。
――そ、外は……外は、どうなってるんだ?
ポケットからスマホを取り出して、震える指でディスプレイをタップした。
SNSアプリが立ち上がって――でも、何も表示されない。
スマホを再起動しても、結果は同じだった。
「サーバーが落ちてる。マジか……」
まさか、ひょっとして。
冷たい汗が背中を伝って流れ落ちる。
さっきのゴブリンみたいなモンスターが、世界中で暴れまわっているのだろうか?
自分の目で外の様子を確かめようと、腰を上げて、窓の外を見おろして……
「なんだ、これ」
眼下――グラウンドはパニックに陥っていた。
逃げ惑う生徒がいて、それを追いかけて殺すモンスターがいた。
モンスターにレイプされている女子がいて、生きながら食べられている男子がいて……
キキィィ――――――――――――ッ!! ドン!
つんざくようなタイヤの音。
鈍い音。
車だ。モンスターを撥ね飛ばして学園を後にする車だった。
ひとつやふたつじゃない。
後から後から車は走り去っていく。
でも。
問題はそこではなくて。
車が跳ね飛ばしたのは、モンスターだけでなくて……
「……生徒を撥ねた?」
見間違い、ではなかった。
車に撥ねられて地面でピクピクしている人影に、モンスターがたかっていく。
まるで落ちた飴に群がるアリのように。
「おいおいおいおい」
18歳になれば免許は取れる。
でも、学園に車でやってくるのは大人だけだ。
厳密には良家の御曹司だのお嬢さまだのは車を乗りつけてくるけど、あれは登下校のときだけだ。
学園。
大人。
つまり――教師だ。教師が生徒を撥ねたのだ。
もう、メチャクチャだ。
「マジかよ」
さらに遠く――街の方では黒い煙が幾筋も立ち上っている。
やはり、モンスター騒ぎは学園内限定の出来事ではないらしい。
世界中が同じような状況に陥っているのではないか。そんな気がした。
違う。
確信した。
「はは……」
身体が震えた。
恐怖のせいかもしれない。
それもある。でも、それだけじゃない。
世界は壊れたらしい。壊れてファンタジーになったらしい。
そして、自分の手には――父とともに遊んだ懐かしのカードゲームみたいなスキルがある。
なら――
「……これから、どうする?」
言葉に出して、考えようとして、考えられなかった。
とっくの昔に頭の中はグチャグチャだ。
深呼吸を、ひとつ、ふたつ。
「まずは、生きなきゃ」
生きる。
それは、『桧川 拓郎』の至上命題だ。
事故で家族を喪ってひとりきりになった……自らも痛みに苛まれながら死にゆく家族を看取った自分の義務みたいなものだ。
――できるか?
できる。
自分には、力がある。
左手の【万象の書】を見つめた。
基本的な使い方は、もう把握できている。
「はっ、はは」
震えている。
これはきっと……武者震いだ。
身体の内側から力が湧き上がってくるような感覚があった。
『優等生・桧川 拓郎』ではなく『カードゲーマー・桧川 拓郎』が――本来の自分がよみがえってきた。
「やってやるよ」
父さんたちが遺してくれた、この力で。
久しぶりに、拓郎は笑った。
心の底から笑った。
★
拓郎は【万象の書】をペラペラと捲って、ため息をついた。
【万象の書】そのものはカードを収納するホルダーに過ぎなかった。
普段は亜空間的な場所に存在して、拓郎だけが自由に出し入れできる。
「今のところスッカラカンなんだよね……これ」
見上げた空は、いつもと変わらず蒼かった。
拓郎は今、屋上に移動していた。
もちろん、鍵はかけた。
考えごとをするためには時間が必要で、その時間を校舎の中で確保するのは難しそうだったから。
暴れまわるモンスターだけでなく、狂乱状態の生徒も邪魔だった。
閑話休題。
「で、カードだ」
カードは大別して4種類。
ユニット、魔法、アイテム、そして地形。
【万象の書】を呼び出す→カードを取り出す→カードを起動する。
これが基本的な使い方だ。使い終わったカードは【万象の書】に収納され、一定時間経過後に再び起動できるようになる。
でも――
「トライアルもないし……初心者に優しくないな」
世にあるカードゲームでは、初心者がすぐにゲームを楽しめるよう、あらかじめ使いやすく構築されたデッキ(カードの束)が販売されている。
これを『構築済み』とか『トライアルデッキ』と称する。
……のだが、【万象の書】には、これに相当するカードが存在しない。
つまり、0からカードを集めなければならない。
カードの集め方は、ターゲットをカードに封印すること。
封印の手段は――自由。話し合いによる同意でも力づくでも構わない。
「そうは言ってもなぁ」
脳裏によぎったのは、先ほど殴り殺した――いきなり襲ってきたゴブリンだった。
あるいは、現在進行形で暴れまわっている外のモンスターたち。
どちらも話し合いに応じてくれるとは思えなかった。
『じゃあ、力づくで』と言われても、拓郎は暴力に自信がない。
「それで、代わりにこれか……」
拓郎は『エクストラスキル【万象の書】』の文字列の下に表示されている『パック購入』の文字を指で押した。
新しいウィンドウが開き、ずらっとバナーが表示される。
『24時間限定! 新規プレイヤー専用UR1枚確定パック』
『水属性ユニットカードピックアップパック』
『水属性魔法カードピックアップパック』
『アイテムカードピックアップパック』
『ノーマルカードパック』
『1日1回サービスパック』
凄く、見覚えがあった。