表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

〜私が好きだったのは、あの頃のあなたでした〜

作者: 翔生

大学4年生の遥は、恋人の小澤と高円寺で同棲しながら、就活と恋愛の間で揺れる日々を送る。小澤は大学を休学し、インディーズバンド「現実逃避綴リアリティフライト」で夢を追い、情熱的に音楽活動に打ち込む。一方、遥はリクルートスーツに身を包み、現実的な将来を見据えて就職活動に追われるが、心のどこかで純粋な恋愛や夢への憧れを失いつつある自分に気づく。


二人はささやかな日常を共有し、アボカド料理を作ったり、ライブの成功を祝ったりしながら絆を深めるが、小澤の自由奔放な行動や遅い帰宅に遥は不安を覚える。やがて、遥の提案で始めたTikTokが予想外の反響を呼び、小澤のバンド活動は新たな局面を迎える。しかし、成功の兆しとともに、遥は彼との関係性や自分の役割に疑問を抱き始める。夢と現実、愛と自立の間で揺れる遥の心情を軸に、若者の葛藤と成長を描く青春小説。


くだらない話を膨らませて、笑い会うのが好きだった。お金持ちになったらバイクで後ろに載せてやるとか、Vaundyのライブを特等席で見ようとか、一緒にドバイに一緒に行こうとか。そんな夢みたいな話を彼の隣で聞けるだけで十分だったのかもしれない。付き合い始める時なんて、高校の頃はただ「好き」とか「気になる」とか些細な理由でときめいていた。なのに今は所得とか将来設計とか、人を「スペック」でしか見始めなくなってきたように感じるこの頃。足の速いだけでモテる小学生になれたらなんて思ったりもするけれど、21歳になった今、もうそんなことはできない。


『people1』というバンドグループがお互い好きで、たまたま喫茶店で意気投合し、気がついたら付き合っていた小澤くん。今は大学を休学してまでバンドを続けて、夢を追って今を本気に生きている。そんな彼の傍にいられたらそれだけで嬉しいし、その夢を支えたいなんて思って、大学四年生の春リクルートスーツを着て、就活の波に乗っかっていた。

『今日イベントライブ決まったー』

家のベランダで椅子の上にしゃがみこみながらYouTubeを見ていると、上から彼のアイコンとメッセージが降ってきた。そのバーを長押しして『おめでとー!!』とメッセージを送ると、誰かも分からない実写の人の照れているスタンプが送られてきて今はクスッと笑っている。

『今日はアボカドサラダを作ろう!』

『やった』

『今日何時頃帰ってくる?』

『12時前には帰るよー』

彼がアボカド料理が好きだからと、こういうイベントがあった際は彼の好きなアボカド料理を作ることにしている。11時頃には帰ってくるだろうか、少し早めに調理しておいてもいいかもしれない。閉まる前にスーパーに寄ってご飯を作ることにしよう。料理なんて、付き合う前はほとんどしてなかった。元々は近くのスーパーで半額のお弁当を買うか、バイト先の賄いで食事を済ましていた。付き合って半年頃に、彼がホワイトデーに一緒にマカロン作ろうなんて言うもんで家にあげたら、彼のものが家に増えて、気がついたら彼も家にいた。スキンシップが効いてかっこよかった出会った頃の彼はどこかに消えて、いつの間にかお腹を向ける犬のように甘えてくるようになったのだから、今は単純な生き物だと彼を愛でている。家の鍵を閉めて、玄関に買い物袋を置く。最近は包丁も手に馴染んで、料理も今は楽しみの一つになっていた。買い物袋から食材を取りだして、先程見ていたクックパッドのレシピ動画を参考にしながら、また板の上にある食材を切り刻んでいく。私よりも彼のが料理が上手い。魚も捌けるし、寄せ集めのもので料理を考えて作ることができる。彼との半年記念日に、慣れない手で作った肉じゃがを食べて「美味しい」なんて言うもんだから、それからは私が作っている。料理本を買って、栄養もきちんと考えて、彼の好きそうなもの調べることが今は楽しい。上京する前に暮らしていたという佐賀では、どんな味付けが好まれていたのか、私にはさっぱり分からない。いつかは彼の暮らしていた佐賀の家に行って、ご家庭の味なるものを教えてもらおう。気がついたら、私の人生は彼を中心に回っている。気づけば2品目に入り、調理工程を見ながらまな板を叩いていると、画面上から彼のメッセージが降ってくる。

『ごめん、今日帰れないかも』

一度包丁を止めて、水洗いした手をズボンで拭きながら、スマホを取っておいて『大丈夫?』とメールを打った。

『大丈夫、朝には帰るから』

『わかった』

建前ではそう言うけれど、位置情報を共有したいなんて言うもんなら怒られるだろうか。きっとライブが決まったから同じメンバーと居酒屋で飲んで来るんだろう。作った料理にラップをかけて、痛みそうなものは早めに冷蔵庫に入れた。こういう時は、備蓄している辛めのカップ麺を食べて気を紛らわすことにしている。付き合った当時は、LINEも電話も何も言わないで朝帰って来たと思ったら、警察に肩を担がれて帰ってきた。連絡しても来ないものだから何かと思ったら、酔っ払って道端の垣根に頭を突っ込んで寝ていたらしい。それに比べたら今は、報連相ができるようになっただけ成長したと思う。インスタントのあさり汁を飲み干して、彼の好きな曲のインストをかけながらエントリーシートを黙々と書いている。1社1社に対して志望動機を使い回しをせず書かないといけないなんて、非効率だなんだという文句を押し殺して、サイトのテンプレートをAIで書き換えたものを紙に文字起こしする。思いのほかAIを使用してもバレないと私がそう思っているのだが、たった数年の時代の変化でここまで変わるとは想定していなかった。10分寝るとスマホのアラームをつけ、カーペットで横になると、体は立ち上がることなく、意識は遥か彼方へ遠のいていった。

リビングから聞こえるインターホンの音で目を覚ました。時計の時間は6時30分を指し、つけっぱなしのシーリングライトが私の体に強く刺す。重い体を起こしてモニターを見ると、彼が誰かに担がれている彼の姿があった。

「遥さん、どうも」

「あぁ島崎くん、いつもごめんねぇ今開ける」

荒い画質の中に映っていたのは、バンドメンバーの島崎くんだった。家が近くでたまにご飯を振舞っているような仲で、彼が酔いつぶれた時はわざわざ家まで来て彼を送ってくれる。

「お待たせ、島崎くんいつもごめんねぇ」

「なんでバケツ?」

「え、吐くかなぁって」

前は…前も友達に肩を担がれて家に帰ってきた。その時はエレベーターの中で嘔吐したなんて聞いて、彼を置いてその吐瀉物を掃除して帰ってきたら、次は玄関を掃除する羽目になった。

「貸し、ヴっ」

正解。

「こいつ、弱いのによく飲むからなー」

吐いている背中を、喉を詰まらせたご老人のように強く叩く。その叩き方には少しだけ邪念が込められているような気もして、ここに来るまでの過程を想像すると申し訳なくなる。ベッドまで彼を2人で運んで、何も無かったかのように気持ちよさそうに鼾をかき始め、「のび太じゃん」という的確な私的に少し笑みを浮かべながら玄関先まで見送る。

「それじゃ、また」

「あ、ちょっと待って」

別れ際に思い出したかのようにタッパーに詰めた料理を冷蔵庫から出して、保冷バックに黙々と入れる。

「良かったらこれ持って行って、少し作りすぎちゃって」

「いいですよ、こいつが頑張ったわけで。」

後々詳しく聞いたら、ライブハウスにたまたま雑誌の取材が来て、そこにかじりついたとかなんとかだった気がする。

「その後こいつ、隣の客とご飯代賭けて飲み比べ勝負して全額奢ってもらうことになって、こいつには頭が上がりません。」

「何してるの…」

目を離したら目の前から居なくなってそうな、子供のような幼さがある。

「はるき、鍵頼んだよ」

「んう」

さすがに吐瀉物を吐いた口を近づけられるのは滅入るというものだ。弱々しく近づける顔をあしらって、ペットボトルに入れたお水を枕元に置いておく。お願いだからもう吐かないでおくれ。

「冷蔵庫に昨日作ったの入ってるから、それ食べて。」

着替えを済まして、玄関に向かう途中にガタンと大きな物音を立て振り返ると、ベッドから落ちた小澤が足を抱えて丸くうずくまっている。

「大丈夫?」

「いだい…」

「立てる?」

「やだ、立てない」

「はぁ…立つよ、せーっ」

まだ実家の犬のが言うことを聞いたように思う。どうやら、彼には私がいないとダメみたいだ。



「さすが早稲田〜先生やるぅ」

「そんなことないって」

ここ長らく家庭教師と喫茶店のバイトで生活を繋げているが、働けど働けど時給は1300円。家庭教師なら、時給3000円台もあるだろうと考えていたけれど、現実はそうもいかないらしい。このお金を結婚式の費用にと、はるきには内緒で少しずつ貯めている。結婚前から結婚式に至るまでかかる費用はおよそ400万と言われているが、就職してからのことを考えると、それらをきちんと貯め終わる頃には30代になっているかもしれない。働きはじめてから1年半が経ち、受験生を受け持つことになってからというものの、その時給にこのプレッシャーは到底耐え切れるものでは無い。1時間半の個別指導が終わり、指導書を提出して退勤届を打ち込んだ。

「先上がりますね〜」

「お疲れ様です〜」

体感的には高校生の頃のが何倍にも長かった気がするのに大学生で居られた時間は、思ったよりも少なかった。3年生から4年生に上がっただけなのに、突然とリクルートスーツを着て、面接の際に「御社が第1志望です」なんて嘘を吐きながら、何十社と回る。だから、はるきが羨ましくて仕方がない。好きなことをやって、今のバンドに命まで捧げようとして、私にはなかった明確な夢を持っている。今日は御茶ノ水のライブハウスでイベントがある。今回は偶然にも、バイト先からも徒歩で行けるため、貰ったチケットを片手に帰りがてら行くことにした。バンドの名前は「現実逃避綴」と書いて〝リアリティフライト〟。つけた本人か彼なので言ってはいないが正直あまりかっこいいとは思っていないとはいえ、曲自体はバンド名に即した良いものだ。はるきの作曲は地面を踏み込むように力強い曲を作って、それに抗うように島崎くんが歌詞を書く。この作詞と作曲の整合性が取れてないせいか、他には無い魅力を感じる唯一無二のバンドだと思ってる。橋を渡って明大通り近くの楽器屋に縦一列に人が並んでいる場所が、今回のライブ場所だそう。カウンターでドリンクを貰って、最後列に回って薄暗いライブハウスで開場を待つ。最後列は彼の顔がはっきりと見え、メンバー同士の動きがよく分かる。こういう時はよくよく見ようと厚底を履いて男子に負けずとせのびをして見ている。どたどたとライブ準備が始まり、SNSで界隈のツイートを漁りながら開始時間を待つ。ステージ袖から逆光を浴びて彼らが登場すると、静まり返っていた群衆が歓声を上げ始めた。ステージ上にいるだけなのに、普段隣にいる彼とは別人格のような印象に、胸の鼓動が鳴り止まなくなった。瞬間、彼と目が合って、ステージの上にいるにもかかわらずこちらに大きく手を振ってくるもので、冷や汗をかきながら誰もいない後ろの方を見渡した。

「現実逃避綴です!よろしくお願いします!」


熱の篭った室内から一変し、外の風が心地よく感じる。いつもの人たちが前列で騒いで、カメコの人が終了から30分と経っていないのにもかかわらずSNSに投稿しているというのだから、その速さに度肝を抜かれた。カメコをしている彼女が、小澤のガチ恋だと仮定して、実は彼女がいるなんて言うもんなら、一体どうなるのであろうか。ホーム画面を今日投稿された新しいはるきの写真に変えて、人混みの中に紛れた。

日をまたいで午前1時頃、メールで『一緒に帰ろう』というものだから、高円寺のマクドナルドで彼を待つことにした。

「お疲れー!待った?」

何事も無かったかのように接してきたので、煮えくり返るような気持ちを、はるきのみぞおちに力強くぶつけた。

「ねぇ、バレたらどうするの?まだ告知してないんでしょ。私たち付き合ってるんだよ?」

「ごめんて」

「思ってないでしょ、次はダメだよ!心臓に悪いから!いい?」

反省の顔色もなくヘラヘラいるものだから、こういうだらしなさには心底呆れている。

「…こっちのがスリルな」

「わかった?」

「はい。」

1幕置いて、下を向いながら返事をした。これでわかったのだろうか。彼の心情までは分からないけれど、今日のところはこれで許してやろうと髪の毛を揺らした。ワックスのせいでふわふわと撫でた方向に固定され、髪の乱れ具合がこれまた面白い。

「罰ゲーム」

「うわっいだ」

髪を触ったベタついた指で強く手を握りしめ、コンビニに寄ってから家へと帰った。


「ライブお疲れ様でしたー」

「乾杯!」

缶ビールを持ち上げて、盃を交わした。今日はアボカドと明太子のパスタを作った。度々思うけれど、こんなにアボカド料理を食べて飽きないのだろうか。

「気になるんだけどさ、そんなアボカド料理食べて飽きない?」

「全然!むしろ大好き」

こんなに正直に嬉しい言葉をストレートに言ってくれるものだから、きっと彼を好きになったのだろう。

「うちさ、母親がアボカド嫌いで全然出なかったんだけど、友達の家で食べた時にハマっちゃって」

そういうものほど沼るというものだ、だからこそ、いまは自分磨きにこれだけ力を入れているのかもしれない。

「いっぱい食べな!オカワリ作るから!」

彼の母親も、彼の育った環境も、口だけで聞けど分からないことだらけだ。


「うちはコンサルですが、なぜ志望しているのかその理由について教えてください」

「はい」

給料が高いという理由だけで、出版社以外にも、アクセンチュアやデロイトなどのコンサルティング会社を志望している。働く目的にはるきが中心にいて、安定した生活を得ることが私が就活を頑張っている理由だ。。一緒にいるのだって、暮らすのだって、何をするにもお金がかかるし、そのお金が心のゆとりにも繋がる。彼が売れるまでは、私が支えるのだと、ある種の覚悟のようなものだ。

「ありがとうございました。」

今は嘘もすらすらと話せるようになった。誇張して、見栄を張って、自分を殺して。特技でもなんでもないことはわかっているけれど、時間を買われる側が生き抜く術はそれしかない。この1年さえ終われば、老後までの保証が確約されるからと、会社の求める理想像を演じる。ポストの中を見て、重たい戸を開け電気をつける。就活だからと4年生からは登校自由で、出席が少なくともレポートさえ出せば単位が貰える所が多かったりするが、基本的に残っていてもせいぜい10単位程度だろう。スピーカー音楽を流して雑用をし終わったあとに、貯めていたドラマを1.5倍速で見る。2倍速で見る奴はクソだと卒業した先輩は言っていたが、流行りのモノを追っていくにはこれくらいしかないのだ。会話のテンポと間が最低限掴めると感じる体感が1.5倍速。人生の体感速度とともに視聴速度も早くなっていく。

帰りを待つ時間は、朝の就活のくだりよりも何倍も長い。背中をのばし帰りを待つ。今日の家事当番がどちらかだとしても、帰ってこなかったら家にいる人がやる。そんなルールを付け加えたのは私だ。ご飯を作るべきか、そんな気力はもうない気がする。『今日寝るから、ご飯食べてくるか買ってくるかしちゃって』と1文をLINEに送り寝ることにする。寝付けない体に睡眠薬を1錠飲んで、音楽とともに意識は遠のいた。


“就活お疲れ様!ご飯炊いといたから食べて”と1文添えて机にラップのされた料理が置いてある。鉄分入りの飲むヨーグルトと鶏レバーとほうれん草炒め。正直、勘違いされているのかは分からないが、この並びを喜んでいいのか分からない。今はこんな些細なことにも腹を立てそうで、自分が嫌いになりそうだ。レンジでレバー温めて、炊かれた米をお椀に移し替えつつ、待っている間にもやることを済ませようと当番のリストを確認する。ゴミの日だと思い出して開けると、ゴミ袋は新しいのに取り替えられている。嬉しいはずなのに、今は何も感情がわかないのだ。ご飯を食べながら映画を見るも、映像を見ているだけで言葉が脳に入ってこない。美味しかったとか不味かったとかそんなことも考えることがなく、気がつけば目の前のお皿から食べ物は消えていた。水に漬けるだけでも後々の手間が変わるとわかっていながらも、台所までの距離が月に手を伸ばすような遠さに私の体は動くことを諦めた。今日は特に用事は無く、大学も全休。気力もなく、ただだらだらと時間を過ごすくらいしかやることが無い。7畳の部屋に鼻をすする音が止むことなく響く。指を上にスクロールしていると、緑色のアイコンからメッセージが届いた。

『今日時間ある?』

『久々にご飯でも食べに行こうよ』

見覚えのあ文字列と絵文字の名前に、少しだけ懐かしさを感じた。

『わかった』


18時の池袋、茜色の空が地面を照らして、スーツを着た人々が足早に各々の進むべき道へと向かっている。「遥〜」

「お疲れなっちん、就活終わり?」

「そそ、今日はニトリ受けてきた」

リクルート姿で現れたのは中高一緒だった友人の夏樹。大学が離れたせいもあって、今はあまり連絡をとっていないが、就活だからと今は東京にいるらしい。「2人かぁ、珍しい組み合わせかも」

「美桜はさすがに来れないって」

「今カナダでしょ、さすがにねぇ」

私と夏樹の3人の輪の中にいたのが美桜。東京大学に受かったにも関わらず、自分の意思で蹴り、秋田にある国際教養大学に進学した。今は3年の9月からトロント大学に留学しているというのだから、彼女もまた、はるきと同じように、自分のやりたいことに真剣になって取り組んでいる。

「すごいよねぇ、私なんて英検2級止まりだよ〜」

「こっちも苦戦してるよ、ES通るのにその後は全然歯が立たなくて、面接頑張らないとなぁ。」

静かだった店内は、水色のユニフォームを来た集団の来店で、今はガヤガヤと賑わっている。

「何あれ?」

「あぁ、今日天皇杯の決勝があったらしいよ?だからじゃない?」

サッカー天皇杯、調べてみると、プロ選手と高校、大学生の上位チームが混ざって試合を行う大会で、その決勝が今日国立競技場で行われていたらしい。

「詳しいね」

「だってうちの学部サッカー推薦多いもん。サッカー部のヤツらいいよなぁ、私たちは何百万って金払ってるのに、あいつら玉蹴ってるだけで無料で通ってると思うと腹が立つ」

「あはは」

彼らは何かを持っている。小学生とか、保育園からこの歳までサッカーを続けてきた人達で、私は何も無い“ただの大学生”でしかない。

「しかもさぁ、授業中にサッカーの動画見てるわ、ふざけるなって、あいつらレポートになるとこれなにあれなに聞いてくるし」

「うんうん」

何か特別何かに捧げたこともない、ただ普通のことを普通のようにやって普通に暮らしていたそんな人間が、人を貶していいのだろうか。口の中に苦味がじんわりと増していくのがわかった。彼女の言動をどうしても人を好きになれない自分がいる。例えば今、彼女に「頑張ってる人を貶すな」なんて言ったら、きっとこの先誘われなくなるだろう。思ってもない共感を装って、話のオチなんて決まりきってることばかりで、何を聞いても「そうだね」としか思わない私は冷徹な人間だろうか。友達と食べるディナーの味は、深夜に食べるカップ麺の味には到底及ばなかった。

「じゃあまたね」

「気をつけてね」

「遥もね」

「うん」

“また”なんてあるのだろうか、今言えるのは、当分は関わらないことだけだろう。下ってくる人を掻き分け、山手線に向かって階段を上る。電車に揺られながらスマホを取り出すと、通知欄の真ん中にはるきのアイコンとメッセージか表示され、チャット欄に移動した。

『見てみて!』

いくつかのメッセージと共にどこで買うのかすら見当がつかない、ブルドッグの首振り人形の動く姿が見切れるほど背の高いアフロ姿の男性と写った写真があった。

『日光で動くんだって』

つまりは車のダッシュボードに置かれているぬいぐるみとかその類だろう。

『貰ったの?』

『ライブしたら貰った!』

『何それ笑』

その意味のわからなさにふと笑みをこぼして、意味もなくその写真の保存ボタンを押す。

『家で待ってる』

『わかった』

ノアパパにでも寄ってケーキでも買っていってあげよう。新宿で中央快速に乗り換えて、足早に歩いた。


「おかえり」

「おぉ、ちょっとちょっと」

帰って誰かがいるのは、悪くないことだと思う。玄関で出迎えるはるきをぎゅっと抱きしめた。

「何、どうしたどうした」

「えぇ、何となく。もう少し」

私よりも大きく厚みのあるその背中は頼りがいがあって、何よりも安心感を与えてくれる。

「やっぱ撫でて、頭」

「やっぱってなんだよやっぱって」

わしゃわしゃと私の髪が絡まるくらいの雑な撫で方をして、彼の胸元を頭でつよく押し付ける。痛かったのか、次第に雑さはなくなり、頭の上に手を乗せて撫で下ろされるこの感覚が心地よい。彼の匂いを嗅ぐと自然落ち着くもので、立ったままふわふわと空を飛ぶような心地よさが私の体を包みこむ。

「よし」

「いくぞう」

「…ただいま!、今日はケーキを買いました!」

くだらないボケを無視して、ビニールの中から箱を取りだす。その箱にあった見覚えのある印字から彼がその箱をとって手で高く持ち上げた。

「お、ノアパパじゃん。よく間に合ったね」

「駅降りて走ったらギリギリ閉店1分前で」

高円寺駅すぐ近くにあるノアパパは、この辺のケーキ屋でも22時30分までやっている唯一の店である。ここのケーキは美味しいのもあって、誕生日とかサプライズによく買って帰ったりする。首の動くブルドッグを片手に、ロウソクの灯火を浴びて2人一緒にカメラに写った。ゆらゆらと揺れる赤い火に息をふきかけ電気をつける。

「そういえば今日何かあったの?」

「それがさぁ、」

友達付き合いがああだのこうだのと、人と話せるなんて言うことは、それだけで気が楽になる。夏樹もそう思って私に話してきたのだろうか。こういった辛いことを笑い話に変えてくれる人はいてよかったなと、切に思う。

「そらそいつが悪いわ、俺だったらそんな事せんのに」

「きっっしょ」

「will be fine let's party!」

「イェェェェ」

誕生日に貰ったプラネタリウムをつけて、意味もなく内容の無い会話をしているこの時間がストレス発散の場になっている。

「そういえばさ、小澤って愚痴とか全然言わないよねどうして?」

ふと思えば、これだけ長いこと付き合って小澤から愚痴という愚痴を聞いたことがない。

「言い出したら止まらないし、遥に迷惑かける」

「迷惑かけるだなんて思わないよ、むしろもっとかけてよ。」

それは私もそうだと頷きながら、小澤を撫で返す。どこかで愚痴を吐かないと人は壊れてしまうのだから、本音を言える相手は大切にした方がいいと1年生の頃を思い出してそう告げた。私にとって大切な人だから、はるきには壊れて欲しくは無い。


大学2年生の頃は4年生の方が絶対に楽だと思っていたのに、いざ4年になってみると卒論や就活の事で私が考えていた理想像とは遠くかけはなれていた。卒論の文字数は32000文字、タイトルは「インディーズバンドがプロフェッショナルとして成功するための戦略的要因の分析」とした。理由は単に、バンドマンをしているはるきの助けになりたいという点からで、今はマーケティング戦略について学んでいる。昼頃に玄関から見送って、少し歩いた高円寺図書館で黙々と作業をして外に出てをひたすらに繰り返す。今頃彼は次のライブの練習をしているのだろうかとInstagramを見てみると、背景から見るに今日は中野の方で練習をしているらしい。夏樹が言った〝サッカーは遊びだ〟と言ったその言葉がどうも喉に突っかかって取れそうにない。小澤のやってるバンドも、夏樹から見たらただの遊びなのだろうか。私たちが今卒論だの就活だのを言われたように動いている間に、彼は自分の力で自分の道を切り開こうとしている。それを遊びだなんだで片付けていいものだとは到底思えないからこそ、私は小澤くんを応援したいのだとたった今言語化できた気がした。何かしら使えるかと忘れないうちにノートに書き込んで、パソコンの検索画面にカーソルを動かした。

『雨宮先輩、お久しぶりです。文化構想学部4年の遥です。』

『お久しぶり!就活は順調そう?』

3年生のOBOG交流会で知り合った同じ学部の雨宮先輩。

『いやぁほとんどダメで、見てくださいよこれ』

『貰ってる人初めて見たw実在するんだ』

KAGOMEは就活に落ちると、企業理念からか郵送でカゴメ食品がダンボールで届く。倍率自体600倍近くあったため、期待はそこまでしていなかったが、実物を貰うとKAGOMEに1層愛着が湧いてしまう。

『それで先輩に質問なんですけど、卒論のリサーチがなかなか手強くて…先輩って卒論どうしてましたか?』

『卒論にそんな本気にならなくていいでしょ、今どきAI盛んなんだから、それ使えば速攻よ』

『教授にバレません?』

『バレても大学側は就職実績稼ぎたいだろうし、普通に通るよ?』

『甘くないですか?』

『そんなもんじゃない?さすがに最大手受かったやつが卒論にAI使ったからって落とすのも違うでしょ』

〝AIを使う〟と言うよりも、〝AIさを隠す〟ことが卒論を書く秘訣なのだろうか。たしかに、『AIを使うな』なんて大学にから連絡があっても、多少いじればAIだと分からない。

『卒論なんか本気でやったら終わらないから楽した方がいいよ絶対』

結局、大学入試にしろ就活にしろ、器用に立ち回れる奴が優秀なんだと思い知らされる。

『俺やったの提出の1ヶ月前だし、卒論自体卒業記念の参加賞みたいなものだし、それよりもSPI頑張った方がいい気がするよ』

『え、』

『だって文構の1学年に1000人もいるんだぜ、ゼミで分かれたとはいえ、先生もそんな暇じゃないでしょ。』

『そんなもんなんですかね』

『そんなもんだよ』

『ありがとうございます?』

思いもよらぬ返答に困惑しながらも、お礼のスタンプを送ってスマホのSafariを開く。調べていた検索欄にNOTEに「アーティストのアイドル化」という記事を見つけて、その記事を読み進める。ざっくりと内容を噛み砕くと、〝音楽よりも、MVにどれだけ力を入れて、どれだけ上手くメディア露出が行えるか〟という点が重要視されるらしい。結局ここでも器用な人が世の中で上手く生き残ることが出来るのだろうと、正反対の私が惨めで仕方がない。ただ技術だけじゃどうも見てもらうには難しいのだろうか。現実逃避綴のメンバーは、プロと遜色のないテクニックを持っているにもかかわらず、知名度は10000人に聞いて1名程度だと思う。曲は多けれどMVは1つとしてなく、TwitterとInstagramのフォロワーはせいぜい1500人が関の山で、それ以上に増える気配も一向にない。こうすれば上手くいくとか、ああすればなんて部外者だから言えるのかもしれないけれど、そんなこと言っていいのだろうか。本人なりに頑張って、本人なりの成功を目指しているとしても、私がその目標にやら成功やらに〝バンドメンバーの彼女〟だからと首を突っ込むのは無礼ではないか。考える頃には日は夕闇に沈み、空は蛍光灯の光で照らされていた。


『誠に恐縮ではございますが、今回の採用を見送らせて頂きます。』

6社目落ち。ここまで来ると痛みは無くなってくる。未だに1社として受かっていない6月の終わり、大学名だけでエントリーシートは通っても、今回は2次面接すら通らなかった。周りの人は次々と採用された企業をステータスとして自慢して、序列をつけて、同列なもの同士でグルーピングし群れを成していく。お金が全てじゃないと言いながら、生きるにはお金が必要で、そのお金は社会人として生きる人間のステータスとも言える。平日だというのにまた暗室で食事も食べずのんべんだらりんとTikTokを見て上へ上へとスワイプしていく。私と同年代、ただ踊ってるだけの動画に何百万もの再生回数がつき、何千もの絵文字だらけのコメントがついている。この人たちはこれで私たちよりも豊かに楽しく生活しているのだろうか。夏樹が言っていたことが今はわかる気がする。人として生き生きしているように思う。枕元が湿って、スマホを手の平から力が抜けるようにスっと布団の傍に落ちていった。やる気スイッチなるボタンがあったとしても、私のそれは既に壊れている。独特の通知音とブルーライトの光が暗闇の部屋をともした。右手でその重い鉄板を持ち上げると、通知は母からだった。

お読み頂きありがとうございます。

まさかまさかの後書きが全て消えるという、デジタルならではのアクシデントが起こりました翔生です。これを書いているのは6月13日金曜日、展示作業も終盤に差し掛かり、展示のあれこれを進めている段階です。自分の展示構想色々考えていたんですけど、何一つ終わらなかったので、直前で変えることにしました。25000文字の小説2篇と絵画、授業で作成したフォトブックと県展で使った写真を飾ろうかと考えていましたが、ダメでしたねぇ。この文章が読めているってことは、少なくともこの小説は、展示会場に展示されているということで間に合ったらしいです。おめでとう。


そんなことよりも、立体とか写真とかやっていた翔生くんがなんで小説?って思う方多いかもしれません。実は去年の9月からしれっと某サイトで小説を書いていて、初作品がありがたいことに多くのコメントと高評価を頂きまして、今の今まで書き続けています。書くきっかけをくださった入間人間さんありがとう。


ちなみにこの作品は、people1の『113号室』と『高円寺にて』から着想を得て制作しています。自分だけ知っていればいいなんて思いながらもいい曲なので聞いてみてください。ライブ行けるお友達が欲しいよぉぉ…。Webサイト『note』に考察も載っているのでそちらも見てください。


毎週この展示場で5000文字〜10000文字程度を更新する予定です。

一応これが25000文字で終わる想定なので、早ければ再来週に描き終わってる感じですね。


この作品が陽菜の視点、もう一篇が春希の視点です。男女の恋愛において、どんなところに意識がいっているのか、付き合っている上でどんなところに惹かれたのか。そんな事を書きたいなと思ってます。小説が7月半ばまでに描き終われば、コミックマーケット106に出店を予定してます。大学祭でも販売するかもしれないので、その際はまたSNSで告知します。


恐らくこの紙の下に白紙の紙がいくつかあると思うので、そちらに感想書いてくれると大変嬉しいです。


ここまでお読み頂きありがとうございます。またどこか会いましょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ