6.
ホロウの唸り声とキィンと剣が弾かれる音が続いている。
草木をかき分けて、声を張る。
「ユーリっ! 腹かノドを狙え!!」
これはユーリがホロウの注意を引きつけている間にナイトから聞いたホロウの弱点だった。
『必ず、とは言えません…ですが、これまで対峙してきた変異型魔獣の急所と思われる箇所は元の魔獣と同じでした。また、その獣にも通ずる場所があります』
どれだけ変異しようと、根本は変わらない。
それはどの獣でも共通する場所であった。必ずしも絶対的な弱点ではないけれど、盲点だった。
「はぁ!? このっ状況じゃっ無理ゲーだっつーの!」
ユーリは樹木をうまく活用しながら、身を翻した。
ホロウからの攻撃を一進一退の攻防を続けている状況にもかかわらず、ユーリ語を発する余裕はあるようだ。
「頼んだぞっ」
「ちょっ! まじか!! うわぁっ」
遠くで樹木のなぎ倒される音を聞きながら、後ろに下がる。
俺は今から探しものをしなければいけない。
「はぁっ」
戦い慣れていないユーリの隙を狙ったように攻撃をしかけてきたホロウの爪をナイトの剣がいなす。
「すげぇ!」
「ユーリ様っ!! 上です!!」
「ぎゃっ!?」
邪気によって硬化してしまった毛皮を闇雲な攻撃で貫くことはできない。そして体格、力とすべてにおいて向上してしまっているホロウ。なんの変哲もない装備しかない俺たちが勝つためには、弱点を狙える状況にする必要がある。
二人がホロウの注意を引き付けている間に、早急に見つけ出さなければならない。
最も危険な状況を二人に任せて離れることに迷いがないわけじゃない。
「はっはっ…」
顔に当たる葉や枝を気にせず、森の奥深く、茂みの中へと突き進む。
背中から聞こえてくる音に、もう二人の声は入ってこない。聞こえるのは地面が揺れる振動とホロウの唸り声のみ。状況の見えない戦い。不安にならないわけじゃない。
ただ、この音が鳴り響く限り二人の生存を確信できる。
俺は二人と違って物理攻撃はもちろん、戦闘能力もない。そんな俺がいても足手まといにしかならない。唯一とも言える周りより少し秀でている魔術だって、二人の後方支援ができるほどの魔力も技術もない。
だから俺は、いまの俺ができることをやるしかない。
こんなに全速力で走ることはいままでなかった。だからか、すごく息苦しくて、目頭が熱くなる。視界がぼやけてくる。
冷静な自分と不安な自分とが交互に顔を出す。
「くそっ」
嘆いている暇だって、後悔している暇だってない。
俺が信じなくて、誰が二人を信じる。
冷静になって劣勢な状況だとわかって不安になるなら、最善を導き出して好転させろ。
「あっ…」
ぐちゅりと音を立て、足元が滑る。そのまま体は傾き、地面に転がった。
顔にべったりと粘りつくような泥に、自分が目的地に辿り着いたことを理解した。
地面に手をついて起き上がり、這いつくばるようにして周囲に目線を凝らす。ここに生息しているはずのモノを見つけるために。
「いてっ」
ちくりと指先に走った痛み。
痛みの元を視線で追えば、小さなトゲを全身にまとう柔らかいコブ山に当たる。
「あった……ヒトデサボバナ」
腰に差していた薬草採取用ナイフを取り出して、コブ山を割り裂くように突き刺す。
そうして出てきたのは、手のひらサイズの丸い実。花のもとになる蕾だ。
ヒトデサボバナはトゲのある見た目に反して、ヒトデと言われる星形の華やか花を咲かす植物。ただし、その華やかさとは引き換えにヒトデサボバナには難点がある。
「よし…」
ヒトデサボバナの蕾を手にした俺は、一直線に二人の場所を目指して走る。
草木をかき分け、茂みを踏み越える。早く早くと思うの、とても長い時間のように感じた。
こんな特筆したものがないしがない俺にもできることは・・・・
「うがぁっ」
「ユーリ様っ!」
ホロウが鋭く伸びた爪のある前足を振りかぶりユーリの体を吹き飛ばした。木の幹に叩きつけられ苦しげに呻く。ユーリはそのまま力なく体を幹にぐにゃりと預けて動かない。
ナイトはユーリに近づこうとするが、すぐさまホロウの牙が襲いかかり身動きがとれなくなっている。
時間がない。
「風の吐息」
小さな風を起こし宙に円を描いて、空気だけの球体を作る。その中に手を突っ込み、ヒトデサボバナの蕾を握り潰す。
よし、思ったよりうまく成形することができた。
「くっそ…やっぱ中ボスは強いぜ」
意識が戻ってきたのか、剣を支えに立ち上がるユーリ。
ナイトはまだホロウと戦っている。
「ユーリ! ナイト! 頭を低くしろ!!」
こういう一か八かみたいな賭けごとは俺には向いてないんだけど、やるしかない。
「暴れる風」
操作不能だが威力は十分。鋭い風を起して、こちらに注意を引きつける。
最初の攻撃同様に不意打ちをくらったホロウは唸り声を上げる。しかし、次の瞬間には毛を逆立て、空気を震わせた。
やっぱり2度目は効かないか。
ホロウは俺の魔術を打ち消した。怒りに満ちた眼光が俺を突き刺す。
「来るなら、来いっ」
足が震えるが、ここで逃げるわけにはいかない。
地を蹴ったホロウが真っ直ぐに俺に向かってくる。地面が揺れる。
『目を閉じないでください。相手を見ないと攻撃することも、躱すこともできません』
どうしても戦うというならばとナイトから言われた言葉。
真っ直ぐに向かってくるホロウを見返し、左足で地面をけり、大きく振りかぶる。
「当たれぇぇぇぇ!!」
至近距離に迫るホロウの顔に向かって、ヒトデサボバナを混ぜた風の球体を投げつける。
大きく口を開いたホロウの中へ球体は転がって、パチリと割れる。その瞬間に広がる濃厚な腐敗臭が広がった。
「グギャアアアァァ」
痛みに呻くホロウの声が響きわたった。
ーーヒトデサボバナは綺麗な花を咲かす代わりに、腐敗臭を放つ。花を咲かす前の蕾にはその凝縮された蜜のかたまりだ。
「はぁ、はぁ……」
図体がデカくて的が大きくて助かった。
すべてに置いて能力が上がった獣。力も視覚も聴覚、そして嗅覚も例外じゃない。
獣の多くは嗅覚で獲物を捕獲したり、場所を把握したり多くの役割を担っている。その嗅覚を狂わせられたら、どんな獣だって、ただじゃすまない。
「ぐえぇ。くっせ!」
「ゴホッ……」
「ユーリ! ナイト! いまだ!!」
ホロウから溢れたヒトデサボバナの腐敗臭にむせている2人。
でも、この絶好の機会を逃すわけにはいかない。いま、ホロウは平衡感覚がおぼつかなくなって隙だらけになっている。硬化状態も解けている。これなら剣の刃が弾かれることはない。
「ホロウのノドを…狙えっ!!」
「っ! はいっ」
「わかった!!」
ナイトとユーリが交差するようにホロウのノドに刃が走る。
いままでの戦いが幻だったかのようにホロウのノドは裂かれた。そこからどろりと膿のような紫黒色の液体があふれ、こぼれ落ちる。
「くぅぅん」
数秒前まで凶暴な姿とは裏腹に、とても悲しげな声でホロウは鳴き崩れた。
倒れたホロウのカラダからは黒い霧のような影が抜けていく。
「邪気、か…?」
しかし、俺たちの体力は限界だった。
上空へ漂い、どこかへ流れていく邪気を追いかけることもできず、ただ見上げるしかできなかった。
「オレたち、勝ったんだよな?」
「あぁ」
いつの間にか黒い霧のような邪気は消えていた。
呆然としていると木洩れ日が落ちてきた。気づかない間に空が白み始めていたのだろう。そして陽が昇った。長い長い夜だった。
「…お二人とも、帰りましょう」
俺たちの目の前に残っていたのは小さくなったホロウの亡骸だけ。
「おう!」
「そうだな……」
戦いには勝ったけど、胸の奥のどこかに吹き溜まりができたようで息がしにくかった。




