3.異変
ざわりと胸を逆撫でる不快感。
唐突に、現実へ引き戻された。
「んっ…?」
ゆっくりと瞼を開けると部屋の中は目覚めに似つかわしくない暗闇だった。
一度寝ると、なかなか起きない人間なのに。そこまで重く考えていたつもりはなかったけれど、自分でも知らず知らずに旅に出る緊張感があったのかもしれない。
目を覚ました理由はすぐに予想がついた。窓を見れば月はまだまだ夜空の中心を陣取っている。寝直せる時間だ、そう思うのに、変な胸騒ぎして眠れる気がしない。
仕方がない台所で水でも飲むかと、そのまま寝ることを諦めた瞬間だった。
「ウガァァァーー」
聞いたことのない獣の咆哮が響いた。
地面が波紋を描くように何度も大きく揺れる。瞬間的にシーツをぎゅっと掴んで耐えた。気が付けば揺れも音もなくなっていた。
「な、なにが起きた?」
動揺を言葉にできた時には空気はしんと静まりかえっていた。
数刻前に自分の身に起きたことが受け入れがたく、いまでもまるで夢のような非現実感。
それでも心臓は軋むぐらい胸をドクドクと強く打っている。
「どうした!?」
「みんな、大丈夫かっ」
異常な状況に町の人々が外に集まり、静かだった夜にざわめきが広がる。
そこでやっと、いま起きていることは夢ではなく現実であると脳が受け入れはじめた。
リマジハは地方のさらに奥にある町のため、働き手を言われる若者の数が限られている。
そして、俺は治療術師だ。
震えそうになる足に力を込めて立ち上がる。マントを羽織り、外に出て声がする方へ向かった。
「セイ!」
町の中心、広場に住人が集まっていた。
それぞれ不安そうな顔をしているが、怪我人がいる様子はない。
知らない内に気を張っていたのか、ほっと力が抜けた。
「みんな無事でよかった。なにが起きたんだ?」
「それがまだ…」
「とりあえず、いまは人数確認をしながら状況を確認している。いまのところ、怪我人はいないみたいだ」
「そうか」
町の周囲を確認する者と広場で待機している者に分かれた。
俺は広場で待機することになった。避難する際に負傷した人を治療しながら周囲を警戒するが、しんと静まりかえったままだった。
それでも俺の心は安心することなく、落ち着くことがなかった。町全体を揺るがす謎の咆哮による衝撃があったにも関わらず、まったく被害がないのは不自然すぎる。
「セイっ! あなた、サヴィーを見かけなかった!?」
考えこんでいた俺を引き戻したのは孤児院の院長だった。俺の服を掴んだ、その指はひどく震えていた。
「サヴィー…いないんですか??」
「え、えぇ。獣の声が聞こえてすぐに院の子を集めた時には…いなくて…もしかしたら思ったけど…広場でも見当たらないし…あなたのところにもいないのね…あ、あぁ…何かあったら…私は…」
「マザー、落ち着いて。サヴィーはしっかりしているからきっと大丈夫ですよ」
明かりがなくてもわかるぐらい青ざめ震えての止まらないマザーを安心させるように声をかける。
サヴィーは規則を破るような人間ではない。ユーリといるとどうしても気心を分かっている者同士なので、時々、幼く見えてしまうこともあるが、孤児院の中では年長者になり、お姉さんとして頼られている。
「そうね、あの子に限って…」
「そうですよ」
マザーは自分自身に言い聞かせるように小さく頷いた。そして俺自身も。
不穏な未来が頭を過ぎる。大丈夫。そんなことが起きるはずはない。
サヴィーは規則を破るような人間じゃない…破るとしても、なにかしら理由があるはずだ。まさか…。
家屋の奥にある空が白みはじめた頃に、町の周囲を確認した人員が帰ってきた。
「大変だ。カシュリの森がえぐられたように木々がなぎ倒されていた」
「残されていた足跡は見たこともない大きさで…大型の魔獣かもしれない…」
状況共有すればするほど、どれも不安を増すものばかりだった。
「大型魔獣、なのか…?」
「まさかっ! そんなことはいままで聞いたことがない」
「そうだが…現状、普通の魔獣だとは思えない」
貴族の休養地としても選ばれるリマジハは「平和ボケしている」なんて言われるぐらい魔獣の存在とは無縁だった。
自然豊かで、出現する魔獣は小型。中型でさえ出現することは稀で、長生きしているじっちゃんばっちゃんさえ実物を見た者は少なく、住民の多くは御伽話のように聞いたことがある程度。動揺が起きるのは当然のことだった。
「なんで…」
ポツリと落とされた声の主はユーリだった。
どんな状況であっても謎の自信で顔を出すユーリにしては珍しく、すこし離れたところで呆然としていた。
「ユーリ、なんでそんな離れたところにいーー…」
「おいっ! これ、見ろよ!!」
ユーリに声をかけようとした時、転がるように慌てて駆け込んできた人物が持つポーチには見覚えがあった。
「それはー…」
治療院の手伝いをはじめたサヴィーにあげた採取ポーチだった。
喉がいやに乾いて言葉が続かなかった。
新しいポーチをあげると言ったのに、サヴィーは「ただの手伝いなのに新しいポーチは使えない」そう言って、かたくなに断り続けた。
だから、俺の使っていたポーチを渡した。
「これは…どこに?」
震えそうになる声に力を込めた。
しかし、目を逸らされてしまった。それは1人ではなく、その場にいるみんなに。
人が多くない田舎町だ。この採取ポーチが誰のものかなんてみんな気付いている。
「カシュリの…森だ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の足は弾かれたようにカシュリの森へに向かっていた。
しかし、それ以上、足を動かすことはできなかった。
「セイ。馬鹿な真似はするな」
「そうだ。悔しいが…俺たちにはどうすることもできない」
悲痛な顔をした人々が俺の腕を掴み引き止めていた。
言われなくてもわかっている。戦闘訓練も受けたこともない自警団がリマジハ唯一の戦闘集団になる。一度も経験したことがない大型魔獣と戦えるはずもないことは一目瞭然の現実。なすべもなく、打ちひしがれるしかなかった。
そんな時、予想外な声が聞こえた。
「あの、すみません…そこに血痕はありましたか?」
小さく手をあげたナイトが俺たちに問いかけてきていた。
でも、その内容はあまりにも場違いな質問。どこにもぶつけられない感情の糸が切れた一人がナイトの胸ぐらを掴んだ。
「おぃ! 余所者が! 王都の騎士だかなんだか知らねぇが馬鹿にしてんのかっ」
「いえっ…そ、そうではなく、て…」
穏やかな田舎暮らしで争いごとは無縁だった俺たちにとって、目の前に起きている光景をどうするべきなのかわからなかった。
緊迫した空気。救いの見えない状況。誰もが限界だった。
でも、俺にとっては落ち着きを取り戻すキッカケになった。
「待て。みんな、落ち着くんだ。ナイトがこんな発言をするには何か理由があるはずだ」
気づけば、締め上げて苦しげな声を出すナイトとの間に割り込むようにして止めていた。
「ごほっ…セイ、様…」
争いごとが不得意であるはずのナイトがこんな状況で発言するのはおかしい。
出会って間もないけれど、ナイトは純粋で、任務に真摯で忠実な、誠実な人物であることを俺は知っている。
「そうだろう? ナイト」
ナイトは視線が合うと、こくりと頷いて口を開いた。
「はい…私は同じ鳴き方をする魔獣を知っています。名はホロウ。狼を祖とする中型魔獣です」
「馬鹿な。中型魔獣が地に穴を開け、あれだけの樹々をなぎ倒したっていうのかっ」
「俺たちがなにも知らないと思って馬鹿にしてるのかっ」
納得できない人がいるのは当然だ。
中型魔獣の大きさは、農場で飼う牛ぐらいだ。周りが指摘している通り、広範囲にわたる影響を与えるほどの脅威になるはずがない。
かと言って、この状況でナイトが嘘をつくはずがない。
「実は…数ヶ月前より王都周辺では異常な力をもつ中型魔獣変異型による被害が報告されていました」
「なっ」
「そんな!?」
「もちろん。我々、騎士団で対処して事なきを得てきましたが…ついに大型魔獣による被害が出始め…神託を…勇者を任命することに…」
田舎町とはいえ、そのような異常事態が起きていたことは伝わってきてなかった。
だからこそ、ユーリの勇者任命に至った理由『世界の危機が迫っている』などと言うのも建前のように感じていた。
「っ! 申し訳ありません! ここ、セキトウ地方はそのような異常報告もなく、この情報は皆様に不安や混乱を与えかねないと判断し内密にしておりました」
俺たちの動揺を受け取ったナイトは深々と頭を下げた。その姿をみて、ますます町民たちは言葉を失った。
まさか、本当にユーリが語っていた空想が現実に起きるなんて理解していたようで、みんな分かっていなかった。
いままさに現実を突きつけられたのだ。
「ナイトが謝る必要はない。ナイト個人の判断じゃないんだろう」
でも、いま現実にうちひしがれている時間なんてない。
「ですが…」
「それより今は、目の前のことだ。話し合うのはそれからでも遅くない」
この状況を冷静に判断することができるナイトの知識が必要だ。
「…はい」
意を決したように、ナイトは騎士然とした表情へと変わった。
「ーー変異型は凶暴化しますが、本来の性質はそのままです。血痕がないのであれば、巣へ持ち帰られているはず。この時期は繁殖期になり、子に与える餌にされた可能性が高いと考えます」
「つまり、まだ生きている可能性が高いと言うことだな」
「はい。無傷ではないでしょうが、現場の状況から考えると致命傷は負ってはいないかと…」
やはり無傷ではないと言う不安要素はあるものの、生存の可能性にどこか安心したような安堵の空気が流れる。
しかし、だれが助けにいくのか。
そう言葉にしなくても、だれもがおよび腰に探り合いをしている。
それは俺自身も。言い知れぬ恐怖が体全体を覆う。気持ちとは裏腹に腕が震えていた。
「中型魔獣のホロウであれば、私ひとりで討伐することができます。どなたか森の入り口まで案内してもらえないでしょうか?」
しかし、ナイトは違った。
昼間の繊細で弱々しい姿から一変して、その瞳には揺るがない強さが込められている。付き合いもない少女のために、騎士という信念があるのかもしれない。
「俺が案内する。それに治療できる奴がいた方がいいだろう?」
「ありがとうございます…」
「礼を言うのはこっちだろ。それにまだ終わってない」
俺たちはカシュリの森に向かった。
ナイトがいくらなんでも強いとしても、大型魔獣同等の強さをもつ中型魔獣に勝てるのか。
信じていないわけじゃないが、ナイトなら責任から出た言葉だとしてもおかしくない。もしかしたら俺たちを安心させるために言ったのかもしれない。
怖くないわけじゃない。
ただ、目の前で起きたことを、気付いたことを知らないふりをすることができなかった。




