推しに告られたドルオタ、鋼の意志で交際を断り続けた結果→
雛木ユウキ:主人公。犀川あぐり非公式ファンクラブ会員番号1番のドルオタ。
犀川あぐり:ヒロイン。現役女子高生トップアイドル。
ドルオタとは、この世で最も業の深い生き物だ。
地上の人々が天に輝く月に向かって手を伸ばすように。
決して手が届かないとわかっているのに、それでも求めずにはいられない。
それが僕ら、ドルオタなんだ。
「みんなー、盛り上がってるー!?」
「「「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」」」
数多くの声援が耳をつんざく。
会場ごと揺らすほどの低音で心臓が跳ねる。
僕らドルオタに囲まれた会場の中心にいるのが、僕にとっての天上の月。
現役女子高生トップアイドル――”犀川あぐり”だ。
長い黒髪を振り乱し全力で手を振る、清楚系の彼女が僕の唯一の”推し”。
「じゃあ一曲目、いっくよー!!」
一度歌い始めると、力強い歌唱力とパフォーマンスで聴衆を魅了する。
そんな君に負けないように、サイリウムを振り上げ、一心不乱に応援をする。
歌って踊るアイドルと、そんな彼女を応援するドルオタ。
完璧な世界。
これで良いんだって思ってた。これだけで僕は幸せだった。
こんな日々が続くんだろうなって思ってた。
――この日までは。
最高に盛り上がったライブが終わり、会場を出た。
お行儀の悪い連中が会場前で”出待ち”をしているのが見えた。
「ふん……ドルオタの風上にもおけないな」
僕は彼らを尻目にそそくさと歩き去った。
アイドルとドルオタの関係には、一線を引くべきだと僕は考えている。
ライブが終わって疲れ切った推しにファンサを求めるなんて、やりすぎだろう。
そういったアイドル論はもちろん個人差があるだろうけど、少なくともぼくは、推しに”認知”されることも求めていない。
あくまで外側から応援するだけだ。
”ガチ恋”を否定しているワケではないけれど、少なくとも個人的主義として適度な距離感が大切なんだと思ってる。
だからドルオタことこの僕、”雛木ユウキ”はクールに去るぜ……。
「ちょっといいですか?」
帰って”犀川あぐり1stアルバム”を聴きながらテスト勉強でもしようかと思案していたその時だった。
声をかけられて振り返る。
そこに立っていたのは、黒髪の美少女だった。
キャスケット帽に眼鏡――輪郭にズレがないからおそらく伊達メガネだろう、それに長い黒髪をツイン三つ編みにした、一見地味目の少女。
だけど身体全体から溢れ出る美少女オーラを隠し切れていない。
変装しているつもりかもしれないけれど、どう見てもさっきまで僕の目の前でライブをしていた張本人――犀川あぐりだった。
「え、あ……なな何か、用ですか?」
僕がキョドりながら返答すると、三つ編みの彼女は潤んだ上目遣いでこう言った。
「さっきのライブ、とぉーっても良かったですよね?」
「ええ、そりゃあもう。最高でした」
「私、このライブ一人で来てて……感動を誰かと分かち合いたいと思ったんですけど、そのぉー……お兄さんも一人なら、この後どこかで感想言い合いませんか?」
「……」
うん。
ライブに一人で来て、感動を誰かと分かち合いたいから一人で来てそうな人に話しかけた。その意味はわかる。
わかるんだけど、それを言っているのがそのアイドル本人というのがあまりにも腑に落ちなかった。
僕は困り果てた結果、なんとか返事を喉からひねり出す。
「あの……犀川あぐりさん……だよね?」
「はひゅ!? い、いやいやいや……ち、違いますよ?」
「いやでも、どう見ても……僕、犀川さんのオタクだし。1st写真集は観賞用、保存用、布教用の三冊買ってるし。なんなら観賞用は100回以上隅々まで読み返したし。そりゃわかるよ」
「え、マジで!? チョーうれし――じゃなくて! あ、あたしじゃないしっ! ほら、世の中には似てる人が3人くらいはいるって言うでしょ?」
「君みたいな超絶美少女が世の中に3人いたら困る。世界のパワーバランスの崩壊だ」
「いやー、世界的美少女だなんて……照れますなぁ……」
えへへ、と頬を緩ませる彼女。
口では違うと否定していても、犀川あぐりを褒めたら素直に照れてる……。
やっぱりどう考えても本人だ。
「それで、本物の犀川あぐりさんが僕みたいな一介のオタクに何の用なんだい?」
「ふ、ふふふ……さすがはあたしのトップ・オタク。こんな変装ではごまかせなかったようね。褒めてあげるわ」
観念したのか彼女は伊達メガネを外した。
キラキラと光る大きな瞳がよく見える。
「近くで見るとやっぱり綺麗だね、その瞳。世界一輝いてるよ」
「あふっ……そ、そんな風にすぐ褒めてくるのほんとに……すち♡」
頬を真っ赤に染めて彼女が身を捩らせた。
っていうか「すち」って何? スチームボーイの略? 今どきの女子の言葉はよくわからない。
彼女は「コホン」と咳払いをして、僕に向き直る。
まっすぐに見据えて、こう言った。
「単刀直入に言うわ、雛木ユウキくん……このあたし、犀川あぐりと付き合いなさい!」
「付き合うって、どこに?」
「そっちじゃないわよ! 古典的なボケをかまさないで! わかるでしょ、交際! 男女の交際のことを言ってんの! 男女間の極めて不純な交友よ――って何いわせるの!」
「そこまで言えとは言ってないじゃん……」
勝手にいろいろ変なことを口走って勝手に動揺する犀川さん。
ステージ上の清楚かつ力強い感じとはまた違って、等身大の女子って感じでこれはこれで魅力的だった。
「それで、雛木くん。返事は?」
なるほど。僕はいったん状況を脳内で整理した。
最高のライブの余韻に浸る暇もなく、急展開だ。
なんと僕の推しが僕を”出待ち”していた。しかもその要件は告白だ。
どういうわけか、トップアイドルの犀川あぐりは一介のオタクにすぎないこの僕と交際したいのだという。
「うーん……」
「さあ、答えは!?」
彼女のキラキラした期待の眼差しが眩しい。
返答を急かされている。生まれて約17年、女子に告白されたのは初めてだ。やはり告白された身としては誠実に回答しなきゃならないだろう。
思えばドルオタが推しに告白されるなんて最高のシチュエーションじゃないか。
誰もが夢見た状況だろう。推しに認知され、好意を抱かれ、男女の関係に発展する。
最高の結末だ。
だけどその先に待っているのは――。
僕はゆっくりと口を開いた。
「答えなんて最初から決まってるよ、犀川あぐりさん」
「だ、だったら――」
「僕は――君の告白を断る。君とだけは絶対に付き合わない」
時間が、止まった。
一気に表情が凍った犀川さん。ああ、そういう顔も絵になるな。美人はお得だ。
そう考えているうちに、彼女の表情が歪んで――叫び声が上がった。
「ええええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!!?!?!?!!?!?!?!?」
推しに告られたドルオタ、鋼の意志で交際を断り続けた結果→
舞台が変わり、喫茶店。
彼女の大声で周囲から注目を浴びそうになり、僕は彼女に強制的に連行されたのだった。
ドン、とジュース入りのグラスをテーブルに叩きつける犀川さん。
勢いよく僕を問い詰める。
「で、なんで断るのよ! 推しに告られたのよ? ドルオタとしてこれ以上ないってほどのシチュエーションじゃないの!」
「それはそう」
「だったらOKすればいいじゃない!」
「それがそうは行かないんだ。アイドルは恋愛禁止だからね」
「そんな理由で断ったの!?」
彼女は目を丸くする。
「言っとくけどね、雛木くん。アイドルは恋愛禁止だなんて、日本人お得意の”タテマエ”なのよ。知り合いのアイドルの恋愛事情は聞いてるけど、それはもうジャパリパークでズッコンバッコン大騒ぎ――」
「あーあー、たーのしー」
「過酷な現実に耳を塞がないの」
犀川さんが強引に僕の手を掴んで耳から離した。
「嫌だよ、聞きたくない。オタクはアイドルから夢をもらってるんだ。そんな内部事情で夢を壊されたくなんてない」
「安心して、あたしはちゃんと生娘だから」
「推しの可愛らしい声で生娘なんて生々しい単語を聞きたくはなかったけど、一応安心したよ」
「そーんなあたしの清らかな身体を、あんたは首を縦に振るだけでお好きにできるのよ? もったいないとは思わない? 今からでもOKして良いのよ? あたしと付き合う?」
「それはダメ。推しが男と付き合うのは解釈違いだからね。その相手がたとえ、僕であろうと同じことさ」
「っ……はぁ、あたしの初恋の人がこんな変人堅物バカだとは思わなかったわ」
彼女は深くため息をつき、
「つまり雛木くん。あんたはこう言いたいのよね。アイドルは恋愛禁止だし、推しが男と付き合うのが嫌だからあたしとは絶対付き合いたくないって」
「そういうこと。理解してくれたなら僕はこれで……」
「ちょ、どこ行くのよ!」
「どこって、帰って君のCDでも聴こうかなと。写真集も見返さなきゃ」
「いや、目の前にいるじゃない! ここに! いるの! あんたの推し! いるから! あたしと付き合えばいつでもカラオケで歌なら披露してあげるし、身体がみたいなら見せてあげるから、ね! 写真集で見えなかっためちゃくちゃ際どいところもサービスするから! な、なんならその先だって……うへへ」
「極めて魅力的な提案ではあるけど、推しが男と二人きりでそういうコトをするなんて考えるだけでキツいよ……」
「あんたとイチャイチャするなら例外でしょ、違う?」
「僕とて例外にはならないんだ。君という宇宙一可憐な人に僕のようなキモオタが触れるだけで……汚れる」
「どんだけ卑屈なの!? 告白しといてなんだけどあんたの歪んだ人格に相当ビビってるわ!?」
「僕のキモさがわかったならこの告白はなかったことに……」
「それはダメ。あたしはあんたのことが好きだから。そーゆーキモいところも好きなの。わかった?」
キッパリと犀川さんはそう言い放った。
真っ直ぐな視線。どうやら本気らしい。だけどこっちも本気だ。
推しが男と恋愛するなんて、オタクとしての僕は耐えられない。
この告白、なんとしても断ってみせる。
彼女はシリアスな顔で僕にこう問うた、
「あたしじゃダメ? 他の女の子だったらOKしてた?」
「順を追って答えるよ。まず君じゃダメなのか? という質問だけど、君だからダメなんだ。君は僕の推しだからね、男と付き合ってほしくない。たとえ交際相手が僕自身だろうとそれは例外にならない。第二に、他の女の子だったらという仮定だけど、これは意味がない。そもそも僕はモテないからだ」
「それは違うわよ、現にあたしにモテてるじゃない。ちゃんと他の女の子に告白されたらどうするか仮定しなさいよ」
「君がそういうなら……仮に、君以外の女の子から告白されても断ると思うよ」
「どうして? あたし以外は推しじゃないんでしょ?」
「そう、推しじゃないからさ。僕がこの世界で唯一愛しているのは犀川あぐりさん――君だけだからだ。君以外の女の子と恋愛する僕もまた、解釈違いだよ。そうなったら僕は僕を赦せないだろうね」
「っ……」
彼女は頬を赤くして目をそらした。
「あ、あたしのコトそんなに愛してるなら……恋人になったらいいじゃない!」
「それはダメ」
「あぁーもぉー!! この変人バカオタク! 実質両思いなのになんでそうなる!」
「どうしようもない奴だろう? どうだい、僕に失望したよね?」
「ううん、めっちゃ好き……あたしのことそんなに愛してくれるのがわかって……もっと好きになっちゃった……サイアク……もうムリ、どうしよ」
犀川さんは犀川さんで理解不能なことをブツブツと口にした。
ステージ上や番組上じゃない彼女と話すのは当然初めてだけど、素の犀川さんは僕のことを言えない程度には愉快な人みたいだ。
そういう君も好きだけど。
「……わかった、じゃあもうちょっと時間をもらうわね。あたしたち、アイドルとオタクとしては長い付き合いだけどプライベートで会ったのは今が初めてだから。あんたも戸惑ってるだけよね。まずはお互いを知る段階から始めるべきだと思うの」
「それは一般的な男女論としては正しいと思うけど、僕の考えが変わるとは思えないよ?」
「うるさぁい! 黙って付き合いなさいよ!」
「交際はしないけど、まぁ君と話すのは楽しいからしばらく続けてもいいかな。素の犀川さんもやっぱり可愛いし、表情がコロコロかわって見てるだけで面白いから」
「え、楽しいの?♡ やった♡ やっぱり相性いいじゃん、あたしたち付き合っちゃう?♡」
「それはダメ」
「こいつっ……!」
キレイな白い額に青筋とピクピクと立てて彼女が震えた。
怒りを抑えながら、犀川さんはこう提案する。
「プレゼン、するわ」
「プレゼン?」
「あたしと付き合ったらどういうメリットがあるのか。それを聞いて判断してみて」
「いいけど……」
「その1!」
犀川さんは勢いよく指を立てて宣言した。
「現役トップアイドルのおっぱい揉み放題!!」
ドン!!!!
という擬音が付きそうなほど堂々と宣言した。
そして、沈黙が流れる。
「……何を言い出すかと思えば、随分即物的だね」
「でも魅力的でしょ!? あたしの写真集を100回見たってことは水着も見たのよね!」
「そうだね。27ページのビキニはヤバかった。最高だ。現役アイドルとは思えないほどのサービス精神に感服したと同時に、これを僕以外も見ているのかと思うと他のファンに嫉妬したよ」
「でしょでしょ、嬉しい! あたしの胸、大きかったでしょ?」
「確かに大きい。しかもハリがあって柔らかそうで、グラビアアイドル一本の路線でもたぶん大成功していただろうなと思う。そんなスタイルの良すぎる君にその顔と歌唱力まで与えるなんて、さすがに才能の過剰搭載だとさえ思うね」
「ほ、褒めすぎだって……と、とにかくあたしのバスト86の胸を自由にできるのよ、あたしの彼氏になればね! どうよ、最高の条件でしょ!」
「最高の条件だけど、君は一つ嘘をついているね」
「え……?」
僕は息を深く吸い込み、言った。
「君のバストは実際には92cmで、逆サバしている」
「なっ……なんで、それを……」
「デビュー当時から君を見続けているんだ。トップ・オタクの眼力を舐めないほうがいい。写真集で縮尺を勘定に入れながら定規を当てて君の身体のサイズを測定するなんて、当然だろう?」
「き、キモいっ! あたしの胸ばっかりジロジロみてたなんて……しかも定規で測定してただなんて、最強にキモすぎるわ!」
「ふふふ、そうさ。僕はキモオタだ。いいや、キモオタを超えたキモオタ……スーパーキモオタ人2ってトコかな。これでわかっただろ? 僕なんかとは付き合わないほうが――」
「正直――キモすぎて逆に好きぃ……♡」
犀川さんは頬に手を当てて目をうるませて僕を見つめた。
「あたしのことだけをそんなに見て、想ってくれるなんて……世の中の男であんただけよ。どんなファンでもあんたのキモさには追いつけない。オタクのキモさは……推しへの愛の重さ。逆サバを見抜けた男はあんただけよ。あんただけはあたしの全てをわかってくれてる。やっぱり雛木くんがあたしの運命の人なのよ!」
「えぇ……」
キモすぎる発言をしたのは僕のほうだったハズなのに、なぜだか僕のほうがドン引きさせられていた。
彼女はそんな僕のげんなりした様子を尻目に、明るく話を続ける。
「あたしと付き合うメリットその2!」
ドン! という某海賊漫画みたいな擬音が付きそうな勢いで犀川さんが指を二本立てた。
「え……えっちなコトとか、めっちゃできます!!!!」
「1と2の内容が被ってない?」
「仕方ないじゃない! 男の子と付き合ったことないんだから恋人になってすることなんてエッチなことくらいしか思いつかないのよ!」
「いや、いろいろあるじゃん……カラオケいったり、映画見にいったり……」
「な、なるほど……。じゃあそれで」
「じゃあそれで、じゃないよ。プレゼンとして雑すぎる」
「もぉー、さっきから文句ばっかり! 雛木くん、あたしの身体に興味ないの!? ドルオタのくせに推しのことエッチな目で見てないの!?」
「見てるよ?」
「はへ?」
「見てるよ。正直、君のことをめちゃくちゃ性的な目で見ている」
「へ、へぇー……♡ そうなんだ♡ ふふ、だったらオタクな雛木くんは、推しであるあたしにどういうコトをしたいと想ってるのかなぁー?♡」
「そうだね……手」
「て?」
「手とか……繋いでみたいかな……」
「やだ……意外とピュア……童貞キモオタクがピュアな側面を見せてくるのって、こんなにキモかったんだ……でもそこが良い……雛木くん、かわち……♡」
「かわち」? 何のことだ? 河内長野市のことか?
そんな疑問を抱いているうちに、犀川さんは三本目の指を立てた。
「メリットその3、あたしはけっこう稼いでるから、雛木くんはヒモになってダラダラ生活してくれてもいいのよ!」
「わぁー、すっごい即物的。いつもキラキラして夢をくれる推しが意外と俗物思考で驚き隠せないよ」
「えっ……嘘、雛木くん、あたしのこと嫌いになった?」
「ううん、世界一好きだよ。一生推す」
「あたしも好き! 一生好き! カップル成立、はいラブホに行きましょう!」
「だんだん勧誘の仕方が雑になってきたな……」
「だって! あんたが! 全然なびかないから!」
そこまで言い終えて、彼女はうつむいて、ため息をついた。
「はぁ……あたしってそんなに魅力ないかな」
「そんなワケないだろう、君は世界一魅力的な女性さ。少なくとも、僕にとってはね」
「だけどあたしと付き合うのは嫌なんでしょ?」
「そうだね」
「……もしも、もしもよ? あたしが他の男と付き合うってなったらどうする?」
「付き合うの?」
「そんなワケないじゃない! あたしが好きになった男はあんただけ! あくまで――仮定の話として、よ。他の男にとられるくらいなら、自分のモノにしちゃおうとか思わないワケ?」
「……そんなこと、考えたくもない。君が誰かのモノになるなんて」
「だったら――」
「君がアイドルとしてファンみんなのために頑張ってくれる姿を今まで見てきたから」
「ぁっ……!」
彼女は僕のその言葉に、目を見開く。
「誰か一人のモノになる君なんて、僕の推してる君じゃなくなると思ったんだ。たとえ、その相手が僕だったとしても……」
「あんたはアイドルとしてのあたしが好きなだけで、プライベートのあたしは好きじゃない……そういいたいの?」
「違うよ。君の全てが好きだ。だからだよ。だからこそ、僕だけを特別扱いする君は、今まで頑張ってきたアイドルとしての君と矛盾すると思ったんだ」
「そんなのあんたのエゴじゃない。思い込みじゃない。あたしはそんな完璧なアイドルじゃない。ただの人間よ、一人の女の子でしかない……普通に恋だってするし、この人いいなって思うし、結婚したいとか添い遂げたいとか……思うわよ」
「そうだね、今日君と話して、それがよくわかった」
「あたしに……失望した?」
「いいや、しないよ。君の人間性を知って、もっと好きになった。これからも僕は君のことを応援し続ける。あくまで、いちファンとしてね」
「気持ちは変わらないってワケね……」
犀川さんは腕時計を確認して、言った。
「時間切れよ。スケジュールの合間を縫ってこの時間を作ったけれど、ここまでね。話せて良かったわ、雛木くん」
「……僕も、話せて良かった」
こうして僕らは喫茶店を出た。
ここからは別々の道をゆくことになる。
それでいいんだ。
アイドルとドルオタ。たしかに近いかもしれないけど、この2つの道は決して交わることはない。交わってはならないんだ。
たとえ彼女を悲しませてしまったとしても、それだけは譲れない。
ドルオタとしての僕の矜持なんだ。
……さよなら、犀川あぐりさん。次に会う時は、ただのオタクとしてまた――。
「お姉ちゃんめちゃくちゃかわいいじゃーん。どう、オレとカラオケでも?」
「あの、あたし急いでるので」
「いいからいいからー、メンバー足りなくてさー。オレ奢るからよぉー」
「そういうのいいですから、嫌っ、腕掴まないでください……誰か……助けて……」
――聞こえる。
推しの困っている声が。
そうだ、今になって気づいた。犀川さん、変装するのを忘れてる!
今の彼女は、露骨に美少女! そのへんのナンパ男に捕まるなんて時間の問題じゃないか!
「っ――!」
葛藤はなかった。自然に身体が動いていた。
僕はナンパ男と、絡まれる犀川さんとの間に走って割り込んだ。
「はぁ、はぁ……や、やめろ!」
「はぁ? なんだオメェ。ヒョロガリのガキが、邪魔すんじゃねェ」
「うわっ、漫画に出てくる噛ませ犬みたいなヤンキーだ……実在するんだな、こんな露骨な雑魚キャラ」
「テメェ……おちょくってんのか……? いきなり現れてなんなんだよテメーはよ、その子の何なんだ、彼氏か?」
「僕は……」
ちらりと背後の犀川さんを見た。
怯えていた。
ステージの上ではあんなに自信満々で大きく見える彼女が、今は年相応に小さく見えた。
守らなきゃ。自然にそう思えた。
そして僕は叫んだ。
「僕はこの子の――オタクだ!!」
「は……?」
予想外の返答にあっけにとられるヤンキー。
そのすきをついて、僕は犀川さんの手をとった。
「逃げるよ!」
「えっ……? 雛木くん、華麗にコイツをぶっとばしてあたしを助けてくれるんじゃ……?」
「ただのキモオタがヤンキーに勝てるわけ無いだろ! 走れ!」
逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて。
たぶん追いかけてこなかったと思うけど、なんとなく手を握って遠くまで逃げた。
「はぁ、はぁ……さすがにここまでくれば大丈夫かな」
息が上がる。だけど彼女を見ると、全然平気そうだった。
さすがトップアイドル、ライブで何曲も歌って踊る体力は伊達じゃないな。
「大丈夫、雛木くん?」
「はぁ、はぁ……君のほうこそ無事かい? あいつに腕つかまれてたけど」
「あたしは平気よ。ああいう強引な男には慣れてるから。雛木くんがこなかったらあたしが護身術でボコってやるつもりだったわ」
シュシュシュ、とシャドーボクシングをキメる彼女。
本当に言葉通り、そうしてしまう凄みが犀川あぐりにはある。
それはわかるんだけど――。
「そうだとしても、君には危ないことしてほしくないよ……君は僕の推しなんだからね」
「推しってだけで身体張ってまで助けるの? とんだお人好しね」
「……そうだね。認めるよ。あの男が君にちょっかいかけたのを見てさ……嫌だって思った。他人が君の身体に触れるなんて耐えられないと思った。だから……だから君の手を握ったんだ」
そうだ。思い出した。
「手を握る」って、ずっと僕が恋人としたいと思ってたことじゃないか。
「本当は僕……君の手を握りたかった。恋人になりたかったんだと思う」
素直にそう認めるしかなかった。
だけど犀川さんは嬉しそうじゃなくて、つんと唇を尖らせる。
「そーゆーコトはもっと早くいって欲しかったわね。今更もう……遅いわよ」
「そうだね。だから今度は僕から言わせてほしい」
「え、ちょ、マジ……? 心の準備が……♡」
僕は彼女の肩をつかんで、真正面からその目を覗き込んだ。
目と目をあわせ、宣言する。
「僕は君のことを一生推すし、一番愛し続けるって誓うよ」
「うん……うん……」
「だからもしも君がアイドルを卒業した、そのときは――」
「うん? 雲行きが怪しくなってきたわね……?」
「そのときは――僕と付き合って欲しい!」
言った。言ってやった。推しに告白してしまった!
僕はオタク失格だ。遠くから見つめるだけでいい、そんな距離感を捨ててしまった。
なのに彼女はあはは、と笑って、
「ほんと、雛木くんらしい告白ね。それって今すぐ恋人になるってコトじゃないんでしょ?」
「そ、そうだ。君がアイドルじゃなくなった時……恋人になろうって意味さ」
「あたしの引退までずっとあたしのことだけ愛し続ける……移り気なドルオタくんに、そんな一途な気持ちを貫けるのかにゃー?♡」
彼女はニマニマといたずらっぽく笑う。
そんな初めて見る表情もかわいくて、
「で、できるさ! 一生君だけを愛し続けるって誓うよ! 何度だって誓う!」
つい、語気が強くなってしまう。
そんな僕の情けない姿に、犀川さんは笑って言った。
「いいよ、ずっと待ってて。あたし、雛木くんの言う通りアイドルを貫き通す。頑張って、頑張って、頑張って、あんたのもとへたどり着く。その先でずっと待っててよね」
こうしてドルオタとアイドルの告白騒動は終わったのだった。
この後僕らがどうなるかはわからない。
僕たちは神様じゃないし、人の気持ちがずっと変わらないなんて誰も保証できない。
だけどそれでも、僕の今の気持ちは本物だって信じたかった。
僕はオタクで、彼女は僕の”推し”この気持は変わらない。
彼女のアイドルの夢が終わる、その日まで。
「そういえば一つ聞きたかったんだけど」
「なぁに、雛木くん?」
「僕なんかのこと、どうして好きになっちゃったの?」
「ああ、そのことか――」
その日、彼女を最寄り駅まで送り届ける最中。
そんな質問をした。
彼女はいたずらっぽく笑って、唇の前に指を立てて、ウインクをした。
「それは恋人になるまで秘密でーす♡」
恋を知った推しのその表情は。
ステージの上で見る彼女よりも、ずっとずっと魅力的に感じたんだ。
推しに告られたドルオタ、鋼の意志で交際を断り続けた結果 → END…?
アイドルは、この世で最も業の深い生き物だ。
地上の人々が天に輝く月に向かって手を伸ばすように。
決して手が届かないとわかっているのに、それでも求めずにはいられない。
それがあたしたち、アイドルなんだ。
「ライブやりまーす、お願いしまーす!」
このあたし、犀川あぐりが駆け出しアイドルだった頃のことだ。
インディースのミニアルバムを出すということで、宣伝目的でのミニライブを開催することになった。
デパートのイベントスペースという小さな箱だったけど、その時のあたしにとっては数少ないチャンスで、とにかく一人でも多くの人に来てもらおうと必死だった。
だけど現実は厳しくて。
チラシ配りをしてみても、誰も振り向いてくれない。
知名度のない駆け出しアイドルへの世間の風当たりは、冷たかった。
「はぁ……あたしなんかのこと、誰も見てくれないのかな……」
そして本番の時間が来た。
震える脚でステージの上に立つ。
だけど、観客は誰もいない。
あたし……ここで歌うの?
誰も見てくれていないステージで歌うの?
「っ……」
イントロが流れ始めた。
だけど歌えない。声がでない。
地味で弱虫だった自分を変えたくて芸能界に飛び込んだ。
何かを始めたら、何かが変わると思ってた。
でも人は簡単には変われない。
あたしは今でも、前に進めない臆病者のまま――。
「――がんばれー!」
「っ……?」
うつむいていた顔をあげると、客席に一人の男の子が立っていた。
一人。
たった一人だけど彼はたしかにそこにいて、声援をあたしに向けてくれた。
「僕がっ、君のファン第一号になるから! ここで君のことを見てるから! だからがんばれ!」
ああ……。
一人だっていい。この広い世界で、あたしのことを見てくれる人が現れた。
だからもう怖くない。
前に進めると思ったんだ。
あたしはマイクを強く握って、誓いの言葉を叫んだ。
「ありがとう。これから歌うから、いっぱい頑張るから……ちゃんとあたしのことを見ててね!」
推しに告られたドルオタ、鋼の意志で交際を断り続けた結果 → Good END.
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