屋根裏令嬢と呪いの辺境伯
『屋根裏令嬢。これは仮初めの婚約だ』
『そのお言葉覆して見せますわ。呪いの辺境伯様』
夕暮れの建物。とある一室に二人だけの世界。貴族を示す言葉が出るが、周りに御付きの者は居ない。
『君の為でもあるのだ。俺の呪いは、周囲を不幸にする。いつでも婚約は取り止めて構わない』
『辺境伯様はお優しいのね。でも、帰っても私を迎えるのは、屋根裏を共にしたネズミ位なの。だから戻る訳にはいかないわ』
『俺と居ると君まで醜聞を被りかねない。近づかないでくれ』
『噂好きにどうこう言われ様が、屋根裏令嬢に下がる評判も無くってよ』
二人は微動だにしない。視線はたまに外すが、言葉を発する時は、相手を射貫くかの様に見つめる。声色は熱を帯び、部屋に強く響く。
『この呪いは俺に関わる人の心を蝕む』
『あら、私はそんな根性無しではないわ』
『呪いで夜にしか動けないのだ』
『良かった。私、夜型なの』
『落ち着ける時は魔獣討伐の瞬間だけ。血塗られた人生だ』
『魔獣に襲われる心配が無くて安心したわ』
『何故そこまで俺に構うのだ』
『貴方をお慕いしているから……ですわ』
少し驚きながらも、やれやれと言った体で溜息を一つ付いた辺境伯は、手慣れた様子で部屋に明かりを灯す。熱が冷めて来た紅茶を一口飲み、見上げた天井を諭す様に言葉が零れる。
『……見てくれ、呪いで蝕んだこの姿。まるで……魔獣だ』
令嬢は辺境伯を優しく見つめる。明るくなった部屋では辺境伯の姿が良く見える。ふいに目線を外したかと思うと、俯きながら深く息を吸い、言葉を放つ。
『私には、呪いの辺境伯の姿は分かりませんわ。私がお慕いしているのは……呪いの辺境伯を作り上げている”貴方自身”ですもの。貴方の事……大好きですよ』
筋書き通りではない展開に、辺境伯は目線を右往左往した。
◇
「おーい、お前らもう下校の時間だぞー」
廊下から現れた演劇部顧問の先生の気の抜けた声が、部室に響く。蛍光灯の下で台本を持つ二人は、やや間を置いて部室を出ていく。会話の無い廊下は長く、静寂が二人の揃わない足音を際立てた。
二人だけの部員。二人だけの練習。いつもの呪いの辺境伯。いつもじゃない屋根裏令嬢の台詞。
寒空の下、帰りのバスを待ちながら、男子学生は白く湯気の様な息を大きく吐く。
バスのライトが見えた時、女子学生の手に不意に暖かさが触れた。
辺境の様に遠かった、暖かな呪いの手。屋根裏なら届いて、ようやく握り返せた。
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