怒る令嬢
誤字修正、加筆修正(2025.4.25)
突然の怪我人が出た翌日、私はいつものようにスープをつくっていた。今日はイモと玉ねぎをソテーして豆をたっぷり入れたスープだ。
ご機嫌に鍋を掻き回していると、ディアナ様が楚々と近づいてきて「お見舞いをお願いしたいの」と朗らかに話しかけてきた。
お見舞い。
あの『どう見ても貴族』であろう方のか。
思わず眉の形が山型になるくらいご遠慮したい気持ちが沸いた。
(…嫌だなぁ)
かの方は診療所に運ばれてすぐ意識が戻ったそうな。私の治癒で大きな怪我は全く問題なく、迎えが来るまでは安静にするとのこと。
特急の配達人を雇って、最速で知らせを届けさせる予定だと聞いた。
そこまでは問題ない。
ただ、彼が目覚めてすぐに言い放った一言が、村の中で話題沸騰なのだ。
「必要ありますか?」
「もちろんよ。だって、彼を助けたのは貴女なんだから」
ほほほ、と鈴が転がるような笑い声のディアナ様は心底楽しそう。
こうなったら、ディアナ様は絶対に私に行かせるつもりだ。
ほわほわの笑顔で、一見貴族社会で生き延びてきた人とは思えない朗らかなディアナ様だが、お腹にイタズラの虫を飼っていることはこの三ヶ月で実感している。
「もー!わかりましたっ」
本当なら貴族には一切関わりたくないが、仕方ない。
多分診療所に着く前も着いてからも、からかいのネタになるだろうが、それも我慢しよう。
だが本人から何か言われたら、踵を返して逃げてやるつもりだ。
朝食が終わった私の後ろ姿を、ディアナ様たちがにこやかな笑顔で見ているのがわかるが、今は気づかないふりをしてさっさと出かける。
お見舞いの品として、修道院で作っているハーブティーの瓶詰めをカゴに入れ、比較的人気の少ない道を選びながら診療所に向かう。
人気が少ないと言っても小さな村なので、結局は誰かと会ってしまうのもお約束だ。
「『星の御方様』おはよう!」
「『星の御方様』は朝ごはん食べた?」
「おっ!『星の御方様』、『魔女様』に逢いにいくのか?!健気だねぇ」
修道院から診療所までの長くない道のりで、次々と村の人達から声がかけられる。
それ自体は別にいい。むしろ嬉しい。
でも彼等の呼ぶ声には、隠せないほどからかいの要素が混じってるのだ。
一人づつに返答しながら先を急ぐ。
(早くお見舞いを渡して帰ろう!)
人の噂も三ヶ月と言うし、怪我人がこの村からいなくなるまで引き込もってやり過ごしてもいい気がする。
村の人たちの言う『星の御方様』とは。
それは古の魔女様が、初代国王である初代様を称した愛称と言われている。
今では心から愛する人や愛しい人、という意味で恋人に使われているこの言葉。
それをまさかまさか。
「なにもかも、あのお貴族様が悪いのよっ」
そう、最初に私を『星の御方様』と呼んだのは、助け出した彼、だったらしい。
診断所で意識が戻った彼は、目が覚めるなり「『星の御方様』はどちらに?ここに運ばれる前、あの方に私は助けられた筈だ」とその場にいた人に聞きこんだそうな。
最初はみんな誰のことかわからなかったらしいけど、よくよく聞くと彼の怪我を魔法で治した人物とのことで…つまりは、私である。
その時には夕暮れも近づいていたので、私は呼び出されることは無かった。
話を聞いてホッとしたのも束の間、その日中(夜なのに!)には村中にその呼び名が広まっており、そして翌日である今日のこれ、である。
診断所の裏口に立つと、大きく深呼吸をして四回ノックをする。
そうするとすぐに世話係の少女が「待っていたわよ」と中に入れてくれた。
患者が二桁も入らないであろう診療所は、手前から待合室、治療室、機材室、個室と並んで一本道で非常にわかりやすい作りだ。
彼の過ごしている病室は一番奥の広めの部屋だそう。
私は目をギラギラさせた世話係の少女から「Harry!」とまるで牧羊犬に追われる羊のように、その病室の前に立たされた。
(…入りたくないなぁ。世話係にお見舞い渡して帰ったらダメかしら?)
修道女として挨拶するか、慣れている貴族の挨拶をするかも悩む。
うーんうーんと悩み、ノックをしない私に焦れたのか、先に世話係が軽やかにノックをした。
「ちょっと!」
「カランドラいい加減にして。ほら!」
そして哀れな羊の私は、牧羊犬から羊飼いにランクアップした彼女から、覚悟を決める前にその部屋に放り込まれることになった。
当然だが、部屋には昨日助けた男性がベッドで枕を背もたれにして座っていた。
助けた時から思っていたが、優しげなお顔に緩やかな金色の髪を持つその方は、やはりとても麗々しい青年だと思う。
世話係の彼女が目をギラギラさせていたのはきっと、この美貌に目の光が弾けたんだろう。そうに違いない。
そして初めて見たその瞳の色は、どこまでも高い空の蒼。
その両眼が、溢れんばかりに見開いて私を見上げている。
余りにも気まずいので、さっさと口上を述べる。今更貴族の挨拶なんてやってられない。
「お、おはようございます。修道院より代表で参りました、カランドラと、申します」
「…」
「あの、傷のお加減は、いかがでしょうか?」
「…」
「…」
沈黙。
窓の向こうは人々の楽しげな笑い声が輪唱するように転がっているのに、この部屋の沈黙具合は私の胃がグッとなるくらいには不自然だ。
…どうしようかしら。
ぼんやりとこちらを見上げている美丈夫をこっそり観察すると、やはり貴族らしい見た目なのがわかる。
それも王家に近いであろう色味に、女性的ではないが、麗しいとかそういう形容詞が似合うご尊顔が、無言のまま私を見つめてくる。
いやいや、勘弁して欲しい。
私は実家にいた時ですら、殆ど人と顔を合わせたことがないのだ。
況やこの賑やかな村では、私が話さなくても誰かが話す聞き役でいることが多い。
何も話さない人に対応出来るほど、元引きこもりのコミュニケーション能力は高くない。
頭の中がどうしようでいっぱいになり、泣きそうになったその瞬間。
パッと、閃いた。
(いや、何も言わないなら、それはそれでいいじゃない。お見舞いのハーブティーを渡して、さっさと退散してしまえばそれでいい)
そうと決まれば、引きつった笑顔も声もするすると動きだす。
「これ、修道院よりのお見舞いの品物でございます。それではお大事になさってくださいまし」
微動だにしないその方から視線を剥がし、ハーブティーの入った瓶をベットの枕元にある机の上に置いた。
これでディアナ様の任務は完了だ。
私としても怪我の具合が気にはなったが、この様子なら問題は無さそうで一安心。
やれやれ、と頭を下げて帰宅するべくくるりと振り返りドアに向かおうとした。
私は、向かおうとしたのだ。
「私は、貴女に恋をしたようだ」
「は?」
思ったよりも低い声と冷たい温度が、私を引き止めるまでは。
気づいた時には、私の手は彼に捕らわれ握りしめられていた。
雪解け水のように冷たいその手の温度に、振り返らざるを得なかったのだ。
「お願いします『星の御方様』。私の傍にいて下さい」
淋しそうに懇願するその声に、私の足は縫い止められたように動けなくなった。
とはいえ、パニックを起こす体に反して脳のどこかは驚くほど冷静で。
(私の魔法って、魔女熱を起こすほど強いものになっていたのかしら?)
助けてくれた人への好意を、恋と勘違いすることがあると聞く。
もし、私の魔法でこの方が魔女熱になったのだとしたら?
(私は、ここに居れなくなる)
山からの冷たい風が季節を飛ばしていく、収穫祭の三日前の出来事だった。