泣かない令嬢
誤字修正、書き足し(2025.4.25)
私のいるこの国は、古の魔女様が魔法で作った歴史を持つ。
魔女様の力は強大で高い山の麓では、朝どこからか連れてきた家畜が夜には出産し次の朝には卵や乳を生み出して、通常の家畜よりも長生きしたらしい。
元々あった洪水を引き起こす荒れ狂う川は、洪水にならないよう堰き止めたり流れを変えたりしつつ、東西南北に行き渡るように広がり、その周囲はずっしりとした稲穂や農作物が季節に合わせて育っていく。
これは全て魔女様の魔法で行われた。
ある日すくすくと成長したこの地に、偶然にも遊牧民だった王家の祖先となる初代様が訪れた。
遊牧民達を率い、戦いでは先頭に立って立ち向かう、雪のような銀髪に抜けるような空の瞳をもつ美丈夫だったそうだ。
住処を探していた彼は、武器の一つも部下の一人も携えず、魔女様へ懇願した。
「この地を住処とさせて欲しい」
この願いを魔女様は快く受け入れ、そして魔女様と初代様は相思相愛になり、この国をより豊かになるよう尽力されたそうな。
しかし、魔法は、決していいものだけでは無かった。
それがわかったのは魔女様が亡くなってすぐ。
正確には、魔女様が亡くなってしまった原因が発覚した時。
星を砕いて再構築したような煌めく金髪に、人の目を集める完璧な配置の絶世の美貌で、女性的な魅力にあふれた魔女様に横恋慕した者は多く、そのうちの1人がとうとう恋しさのあまりに魔女様を刺殺してしまったのだ。
周囲の人からは、大人しく生活態度に問題なし、とされていた筈のその者を牢に閉じ込めて問いただしたところ『魔女様には嘘が付けず、熱にうかされたように恋しさが抑えきれなくなった』と証言した。
その証言はその者だけでなく魔女様を慕っていた者全てに心当たりがあり、魔女様の配偶者である初代王コラード・ウァレリウス・セウェルス様もその一人。
『恋情を抱いた瞬間から、その当人に対して心の内の何ものも隠せず気持ちがおさえられなくなった』
史書には初代様の発言としてそう残されている。
そして、魔女様が産んだ子どもたちの中で魔法が使えた方は、恐ろしいことに魔女様と同様の亡くなり方をしてしまった。
もちろんその際の犯人の証言は初代様と相違ないものだ。
これを憂いた王家の方々はこの状況を打破するため、魔女様の子孫の血を薄めていく決断を下した。
『世界は魔女様の魔法で満たされている。ここからは魔女様の力に頼らず人の力が必要だ』
家族を失った初代様はそう宣言し、実行に至る。
少しづつ他国や多民族の血を混ぜ、魔法が使えないか、使えても微弱な魔法の者を国王とする。
強力な魔法が使えると判断された魔女様のご子孫は人目につかない離宮で暮らし、同じような子ども達を育てる人生をおくられたそう。
後に『魔女熱』と呼ばれるようになった魔女様への恋慕による現象も、ほんの少し魔法が使える程度では現れることもなくなり、近代ではワクチンも作り出され、元々少なかった迫害はほとんどなくなったも同然。
魔法が使える貴族は数年に一人の割合で生まれるが、魔女熱が起きる程のことはそうそうない。
だから私は、何も考えず、訓練で怪我を負った兄に治癒の魔法を使った。
家庭教師から国の成り立ちや魔法の存在そして現在のあり方まで、丁寧に教えて貰っていたので常識的な知識はもっていたつもりだ。
同じ貴族である両親も、ちょっとした魔法が使えたくらいで偏見はないだろうと。
喜ばれるとは思わなかったが「魔法が使えたのか。ふーん」くらいで流されると、そう思っていたのだ。
しかし無防備に魔法を使った私は、こうして実家のある王都から最も離れた北の土地に、ポイっと捨てられた。
それも修道院どころか街中でもない、鬱蒼と木々が生い茂る森の中に。
兄に魔法を使った日から数日後、雑用向きの使用人が「奥様のご命令です」と言って、馬車に乗るよう指示してきた。
どこに行くとも知らず馬車に揺られて三日目、緑の濃い森の馬車道で馬車を止めると、使用人は無理矢理私を引っ張り出し、そのまま茂みの目立つ道端に置いて帰っていった。
共に乗り込んでいた御者も、護衛も、こちらを一度足りとも振り返ることなく一目散に来た道を戻っていく。
まるで本当に ゴミ を捨てたあとみたいに。
彼らのその姿は、私の心に微かに残っていた小さな何かを、パリンと割った。
「もう、いいわ」
森の中に女ひとり、コイン1枚すら持たずに引きずり出され置いてけぼり。
家族はきっと彼等に「殺してこい」と命令したのだろう。
ただこれでも私は名簿に登録されている貴族である。雇われである平民が傷をつけることを恐れただ放置するに至ったのでしょう。
(…使用人たち、安心してちょうだい)
夜には森に住む獣たちが現れるだろうし、もしかしたらその前に盗賊や人買いに見つかるかもしれない。
彼等に見つかった先は、二度とお日様の下に出れないような場所。
そうして問題なく、遠くない未来に私は神の御許にむかう筈だ。
それがまさに元家族が私に求めた姿なのだろう。
(…なんだか、疲れちゃった)
いつまでもただ立ち尽くすのも辛く、トサリと道の端に座り込み目線をあげる。
森の木々に陽光が反射して周囲はキラキラと輝いている。きっとまだ早い時間なのだろう、放り出された時に傷をつけた鋭い葉先からは水の匂いがする。
両手を掲げれば、土がくい込んだ爪が煌めきの影になって見えた。
抵抗したからか、座り込んだからか、簡素なドレスも長く伸ばした髪も土埃にまみれているし、膝はジリジリと痛い。
「ふふ」
笑うしかない。
怒りどころか、悲しみすら湧いてこない。
怪我しているであろう膝を治す気も起きない。
(ああ、どうせ死んでしまうなら、せめてこの豊かな森の一雫となって旅立ちたいわ)
春の温もりに包まれて死ねるのならば、十五年暮らした一人ぼっちの小屋よりもきっと幸せだ。
しかし、そんな私の小さな祈りすら情け容赦なくなぎ払われる。
ガラガラと、こちらに向かってくる馬車の音が聞こえたのだ。
今から森の中に隠れてもどうせこの目立つ銀髪は非常に目立つのでどうしようもない。
ならば、この馬車の音に、全てを委ねよう。
商人でも、人買いでも、神の御使いでも。
なんでもいい。
どうでもいい。
いっそ止まらなければ、私は土に埋もれ動植物の一端となり、森の欠片になれる。
一端の煌めきになる妄想は、ゴミになった私には大変な贅沢とすら思えた。
祈りの姿勢で道の端に膝まづき、ガラガラと少しずつ大きくなる音を待った。
あの時の全てを諦めた私に、教えてあげたい。
そうしてやってきた馬車には、修道女という神の御使いが乗っているのよ、と。