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第八話 どうして来てしまったの?

 こう言うのはおかしいのかもしれない。でも、そう言わざるを得なかった。私を攫った怪人は、思いのほか紳士的な人格の持ち主であった、と。


 商業バンに私を押し込んだときも、彼は暴力を振るわなかった。ゴトゴト車を走らせているときも、私に狼藉を働こうとしなかった。飛行場の片隅にある、格納庫によく似た巨大廃倉庫に私を放り込んだときも、彼は腹が立つくらいに紳士的だった。


 私が押し込まれた廃倉庫はからっぽだった。カーバッテリーにつながれたデザインランプ、二脚の椅子、私と怪人、ちらちら舞い落ちるホコリと、夕闇――体育館みたいに天井が高い倉庫の中身といったら、これらだけであった。


 私は怪人に脅されはしたけれど、手荒な真似はされなかった。それは今もそうだった。私は手錠も手縄もされていない。それどころか、アールデコ調の揺り椅子まで与えられていた。身体を預けたときの軋み方からして、これは多分アンティークだろう。


 怪人といえば、エミール・ガレを意識したデザインランプの飴色な光をたよりにして、本を静かに読んでいた。私のと同じ造形をしている揺り椅子に、怪人は腰掛けている。どう見てもリラックスしている。


 怪人は油断しているように見えた。なら、逃げる絶好の機会であるように思える。しかし、実際のところは違った。


 私はどんくさいのだ。逃げ出したとしても、すぐさま捕まってしまうだろう。私が逃げても、楽に捕まえられる。それがわかっているから、彼は本を読む余裕があるのだ。


 私と怪人との間に会話はない。しじまが横たわっているだけ。聞こえる音といったら、怪人がページをめくる音だけだ。沈黙が熟考を誘う。


 今、何時だろうか? 私が急に居なくなったことに、誰か気づいているだろうか? それが司くんの耳に入ったとき、彼はどんな行動を取るだろうか? 私が望まない決断をしてしまうのではないか?


 考えなくてもいいことが、次々と頭に浮かび上がる。ネガティブな考えばかり。全部この沈黙のせいだ。


 私の心は沈黙に耐えられなかった。黙っているよりは話していた方がいい。その相手が私を攫った悪人であろうとも、マイナス思考の連鎖から抜け出せなくなるよりはマシだった。


「……どうして、私をこんなところに?」

「言っただろう? セイントシスターへの意趣返しだよ。君が彼女と一緒に行動しているらしい、ということがようやくわかってね」

「人質、ということ?」

「有り体に言えばそうなるな。より正確に言えば生贄、といったところか」


 生贄。怪人は紳士的な口ぶりで、とても物騒なワードを吐き出した。古今東西、生贄の末路なんて決まっている。死だ。当然、それは自然死ではない。


 つまり私は、暗にこう言われてしまったのだ。お前を殺してやるぞって。唐突な殺人予告を受けて、私の背筋は粟立った。


「……情報を」

「ん?」

「情報を聞き出そうとはしないの? あなたたちの推測が間違っていないのならば、私は彼女の情報をたっぷり持っているはず。そう考えない?」

「裏付けが取れない情報に価値などない。ヤツの住居と教えられた場所が、実は魔法少女の集会場だった、なんてのをやられては困るからな」


 そう言うと怪人は、本をぱたんと閉じた。そして目鼻がない、のっぺりとした顔面をこちらに向けて、皮肉たっぷりな鼻息をふん、と漏らした。嘲笑だった。


「それとも君はマゾヒストかね? 拷問がお望みかね? いやはや、女子高生の好みってやつは、てんで理解できないな」

「そういうわけでは……」

「心配しなくてもいい。君にはいっとうひどい目にあってもらう。生贄になってもらう。ヤツの心に深い傷を負わせるために、ヤツの目の前で死んでもらう」


 今度の殺害宣言はより直接的であった。怪人の言葉には、明確な殺意がこめられていた。


 私の心臓がバクバクと暴れ回った。運動なんかしてないのに、呼吸が荒くなる。指先と足先が、剣山を押しつけられたかのようにチクチクする。恐怖が原因の身体反応であった。


 恐怖の影響は身体だけに留まらない。心にも波及していた。


 私は後悔していた。マイナス思考から抜け出すために、怪人に話しかけてしまったことを、今更ながら悔いていた。あのとき話しかけなければ、こんな怖い思いをしなくて済んだのに、と自らの浅慮を呪った。


 一つの後悔が別の後悔の呼び水となる。心の奥底から、悔いがどんどん湧き出てきた。


 どうして私は一人で行動してしまったのだろう? どうして公園で黄昏れていた? 今日は司くんの今後を決める大切な日だ。休憩なんかせず、ずっと探し続けるべきだった。探し続けなかったから、こんな状況になってしまったのではないか?


 留まることを知らない、後悔のデフレスパイラル。それを打ち切ったのは、私に恐怖をもたらした怪人本人であった。


 怪人が着込んでいる、オリーブのジャケットから音が聞こえた。虫の羽音によく似た音だ。その正体は携帯のバイブレーションであった。怪人は内ポケットからスマートフォンを取り出した。


 しばらく携帯を眺めていた怪人は、再び鼻笑いをした。今度のは嘲笑ではない。僥倖、僥倖――そう言わんばかりの、喜色に満ちたやつであった。怪人の顔が私にぐるりと向けられる。


「君は運がいいようだ。日頃の行いがいいようだね?」

「どういうこと?」

「旅の道連れができたそうだよ。しかも喜びたまえ。どうやらそいつは、君のボーイフレンドらしい」

「……え?」


 嫌な予感がした。旅の道連れ? ボーイフレンド? まさか。


 答え合わせの時間がすぐにやってきた。ごおん、と重たい音がした。倉庫の大きな扉が開かれる。


 はじめに空が見えた。瓶詰めされたブルーハワイシロップみたいな、わざとらしい色彩の夜空であった。それを背負う人影が二つある。片方は私たちの敵だった。怪人のお仲間だ。そしてもう一人は――嫌な予感が的中してしまった。


「――司くん」


 どうして来てしまったの?

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